【第57話】そして遺書王令は掲げられる
「話したいことだと!一体なんの話だ。大体お前には、シュバルツ砦を守るという役目があるだろうが!その役目を放棄して、一体何をしに来たのだ」
とイェルハルドは、威圧的な態度で船首に立つスペンサーにたたみかける。
「ずいぶん、お怒りのようだね。じゃあ、端的に話そう!俺たちの父上、先帝ユリウス王がカレンベルク侯爵家に宛てた遺書王令。兄さんはその存在を知っているんだろ?」
「な……!」
イェルハルドの顔色がさっと変わった。
「その遺書王令には、とても大切なことが書かれている。父さんのあとを継ぐ王位継承者のことだ」
イェルハルドは明らかに動揺していた。
視線が定まらず、目が泳いでいるのが明らかだった。
「し……知らん!……知らんぞ!そんな遺書王令のことなど知らんわ!だ……大体、カレンベルク家に宛てたものだと言うが、カレンベルク侯爵家は謀反を企てて、ユリウス王存命中に滅んだではないか!その侯爵家に遺書王令など届くはずがないであろう」
イェルハルドのその言葉に続けるように、イザベラが言葉を発する。
「そ……そうよ。カレンベルク侯爵家はラークシュタイン軍にやって攻め滅ぼされ、その娘のシンディは異国で死んだ。カレンベルク侯爵家にそのような文書が届くなんて、出鱈目だわ!」
スペンサーはあくまでも冷静だった。
「君たちはそう考えているかもしれないが、実はカレンベルク家には後継者がちゃんといるんだ。現カレンベルク侯爵家の当主さ。まあ、おそらく君たちがよく知っている人物なわけだけれども」
スペンサーの横で船首に立ち、俯いている魔導士が、帽子を海に放り投げた。
イェルハルドと一緒にこの騒動を見ていたカインとイザベラの顔が一瞬にして青くなった。
魔導士が顔を上げた。もちろんそれはシンディだ。
「残念だけど、カレンベルク侯爵家は滅亡していないのよ!カインさま、イザベラさま、お久しぶりですわね!我が名はシンディ・カレンベルク。遺書王令に従い、スペンサー王子を支援するために、ここにやって来たの!」
「シンディ・カレンベルク……お、お前……」
「シンディ、あなた、生きていたの……?」
死に追いやったはずのシンディが生きていた。カインとイザベラは呆然とする。
二人は驚きで、まともに言葉が続かなかった。
「そう……私は生きていたの!あなたたちの思い通りにはならなかったってこと。私は生きていた。あなたたちに復讐するために。そして、スペンサーさまを王位に就かせるためにね」
イェルハルドが、カインに強い口調で詰問する。
「ぬ……ぬう……あれはシンディ・カレンベルクなのか……し……死んだはずではなかったのか?おい、カイン、どうなっているんだ!」
「わ……私にも分かりませぬ。ルーテシアからは、馭者と共に沢に身を投げたと……そういう報告を受けて……それで……」
王族たちの船は騒然となった。
それを無視して、スペンサーは話を進めた。
「こうやって、カレンベルク侯爵家の当主が、先帝ユリウス王の遺書王令を届けてくれた。そこには僕が王位を継承することが書かれている」
そう言ってスペンサーは、遺書王令を高く掲げた。
遺書王令の御璽の陰影が、キラキラと七色の光を発する。
「これがその遺書王令だ。そちらからは遠くて文字までは見えないかもしれないが、この御璽の陰影の輝きは、そちらでも見ることが出来るだろう」
光り輝く陰影を見て、イェルハルドの船の兵士に動揺が走った。
「おい……あの輝き……本物の遺書王令ではないのか……?」
「おお、俺も聞いたことがあるぞ。王令の御璽の陰影は自ら七色に発色すると……あの男の言う通り、スペンサー殿下が正式な王位継承者なのか?」
「そ……それなら、我々の王は、偽の王様ってことか?」
兵の間に動揺が広がる。
兵士が口々に不安な言葉を発すると、イェルハルドはますます焦り始めた。
「う……うるさいぞ!貴様ら。あれは偽物の王令だ!この私が正式な国王だ!」
イェルハルドの船の混乱を無視して、スペンサーは言葉を続けた。
「この遺書王令に従って、僕は正式な王位継承者になる。兄さんは国王を僭称した偽王に過ぎない。さらにだ。兄さんは国王を僭称し、領民を酷使して贅沢三昧の日々。領民を全く無視した統治は、ラークシュタインの本来の統治ではない。ラークシュタイン王国は領民を思いやり、領民は貴族を敬い、お互いを認め合う国家だ。それを自分たちの贅沢のために、領民を酷使する、健在の偽王の政治は、全く許されるものではない!黙って首を差し出さられよ!」
スペンサーの発言に耳を傾ける者、熱心に聴こうとするものが、イェルハルドの戦艦の中にいた。
そして、何人かの兵士は、イェルハルドに対して疑問を持ち始めていた。士気はガタ落ちだ。
スペンサーの演説を遮るかのように、声を上げた男がいた。イェルハルドだ。
演説するスペンサーに向かって大声で話しかける。
「アハハハハ、スペンサーよ、そのような偽書を用いて王位を奪おうなど、笑止千万。こちらの船は我がラークシュタイン最強の軍艦。さらにルーテシアからも、護衛の戦艦が付いている。貴様のその小さい船で我々と戦えると思っているのか?」
それに続けて、カインが叫ぶように言う。
「国王陛下!まさにそうでございますな。我ら王室を侮辱し、このような騒動を起こしたとなれば、征伐の対象でございましょう!ルーテシアの戦艦と共に、スペンサーの船を沈めてしまいましょうぞ!」
「はっはっは、これは参りましたな!」
イェルハルドの船の右側……右舷方向を並走するピョートルの戦艦の方から、笑い声が聞こえて来た。
ピョートルだった。
ピョートルも船首に立ち、スペンサーの行動を見ていたのだった。
「いやいや、参りましたな。それにしても遺書王令。このような重要な書類を、しかも洋上に見ることになるとは、想像もしませんでした。遺書王令は友好国に対しても尊重すべき書類として扱われている。その遺書王令、こちらからでも、その御璽の陰影の輝きだけは、はっきりと見えましたぞ!」
右舷側に走り込んできたイェルハルドが怒鳴るように、
「おい、ルーテシアの提督よ。お前は何を言っているのだ!ラークシュタインの国王は、この私だ。あの遺書王令は偽物だ!スペンサーの言うことにだまされるな!」
「イェルハルド殿、あの遺書王令の陰影の輝きを見てしまった以上、貴殿を正式な王とは見做せませぬな。ルーテシア海軍提督としては、遺書王令に従い、スペンサー殿に加勢することになりますな……そして、貴殿は偽王ということになる」
ピョートルも凛とした態度でそう答えた。