【第46話】好日
ルーテシアに戻って、1週間が過ぎた。
秋の終わりのルーテシアは、遠くの山々が紅葉で赤い葉と黄色い葉のグラデーション。
カラフルな色合いが、夕方の赤い日の光を受けて、まだら模様を形作る。
その景色は、息を呑むほどの美しさだ。
シンディは、遠くの山々を眺めながら、市場に買い物に来た。
夕日を反射してオレンジ色に輝く、石畳の道。
道行く人々の装いは、薄手のコートを着ている紳士、暖かそうなカーディガンを着たご婦人、毛糸の帽子を被った子供と、様々な着こなしだ。
賑やかな夕方の市場は、庶民のファッション・ショー会場になっていた。
「今日の晩ご飯は、何を作れば良いのかなあ……」
野菜を扱う屋台の前で、シンディはふと呟く。
ピョートルに連れられてルーテシアに住むようになって、半年近く。
こちらの生活にも、すっかり慣れてきた。
慣れて来たが、毎晩困るのは、ピョートルの晩ご飯のメニューだ。
美味しく食べてくれて、栄養があるもの……軍人さんだから、体力も使うだろうし、スタミナのつくような料理を作らないと……と思うと、頭がまとまらなくなる。
ルーシーがいてくれれば良かったのだが、もう暫くは、スペンサーのもとで働きたいとのことで、スペンサーのいるシュバルツ砦へ行ってしまった。
なので、彼女には頼ることは出来ない。
世間の主婦って、こんなに悩んでいるのね……と市場を歩く婦人を見て、そんなことを考えた。
シンディが悩んでいると、野菜店の主人が声を掛けてきた。
「お嬢さん、確かピョートル提督のところの侍女さんだったな。どうした?やっぱり、晩ご飯を何にするのか、悩んでいるのかい?」
「おじさん、こんにちは!そうなの。メニューを決めるのがこんなに大変だなんて、侍女をする前には思いもしませんでした」
シンディは、にっこり笑って答える。
「そりゃ、食べさせてあげる相手のことを、真剣に考えてるからだね。とても良いことだよ。ピョートルさんも、良い侍女を持ったもんだな!」
「いえいえ、わたし、ルーテシアに来る前は、家事なんてほとんど出来なくて、今でも、家事を上手くこなせなくて、ピョートル提督には、申し訳ないくらいなんです」
本心からの言葉だった。
名目上の侍女だと言われても、自分とはほとんど関係のない他国の海軍提督。
ましてや王族の人間にタダで甘えるわけにいかないと考えていた。
でも、家族令嬢として育てられ、家事は最低限のことしか学んで来なかった。
とても侍女としての仕事には、なっていない。
下手くそなご飯。行き届かない掃除。
それらの全てを、何一つ文句を言わずに、受け入れてくれるピョートル。
危険を顧みず、身勝手な自分の復讐劇に付き合ってくれるピョートルには、感謝してもしきれない……とシンディは、ずっと思っているのだった。
「そうだ!お嬢さん、今日は少し冷え込んできてるし、少し身体の暖まるような料理を作ってやったらどうだい?シチューなんて、最高じゃないか!提督に温かいシチューでも出してやったら?ちょうどジャガイモが特価だし、どうかな?」
「あ、おじさん、そのアイディア、頂戴します。じゃあ、ジャガイモ4つ頂けますか?」
「あいよ!4つお買い上げで……8クランだな!」
野菜店を出て、肉屋と調味料の屋台でシチューの材料を買い求め、シンディは帰路につく。
シチューにするのなら、じっくりと煮込んだ方が良い。少し早めに帰って、急いで料理しよう……と頭の中で、段取りを考えるシンディ。
既に、太陽は山の向こう側に沈み始め、東の空は紺色へと変わりつつあった。
家路を急ぐ途中の道。
シンディの前を、ゆっくりと歩く老夫婦。
長い年月を、共に歩み続けてきたのだろう。
今ここでも手を取り合って、一緒に歩く二人の姿がとても素敵に思える。
シンディは、ふと思った。
自分には、おそらくこんな未来はないのだと。
自分は戦いの中で死ぬのだ。
それも数年以内に。
だから、この老夫婦のような穏やかな老後を迎えるようなことはなく、死を迎えるのだろうと。
二人を目で見送りながら、シンディはハッと我に帰る。
急がなきゃ……じゃないと、晩ご飯の準備が遅れちゃう……。
少し早足で、提督官邸へと足を進めた。
提督官邸に到着した頃には、かなり薄暗くなっていた。
冬が近づきつつあるので、日が落ちるのが早い。
急がないとピョートルの帰宅時間までに晩ご飯が作れなくなる……急いで官邸の玄関を入ると、ピョートルは既に帰宅していた。
「あ……ごめんなさい……今日は少し早かったのね!急いでご飯作るね!」
そう言いながら、ちょっとシチューを作るには時間がかかりすぎるから、他の料理の方が良いかな……などと考え始めていた。
ピョートルは、静かに口を開いた。
「晩ご飯の準備の前に、少し聞きたいことがあるんだ」