【第37話】殺害
手下の男がシンディに掴みかかろうとしたが、その時には、もうシンディは魔法の杖を握っていた。
男が一歩踏み込んだ瞬間、シンディは杖の先を、男の足元に向ける。
「火炎飛球!」
踏み込んだ男の右足に、火球が投げつけられる。
「うああああ!熱い!熱い!ぎゃあああ!」
男の足は大火傷を負い、黒く焼け焦げた間から赤い身が剥き出しになった。
火傷の苦しみで、地面の上をのたうち回る。
「こ……こいつ……!」
「しまった!こいつ、黒魔術使いだ。気をつけろ!」
リーダー格の男と、隻眼の男が身構えた。
隻眼の男がシンディを睨みつける。
そして、しばらくシンディを眺めた後、少し不思議そうな顔をして、ニヤッと笑った。
「兄貴!この女、どこかで見たことがあるかと思ったら、少し髪が短いが、数ヶ月前までお尋ね者になっていたシンディとかいう女に似てませんか?」
「うぬ……確かに……。死んだとは聞いていたが、死体は、見つかっていなかったな。まさか、生きていやがったとはな。こいつをガーラシアに連れて行けば、大した金になるぜ!こいつは大捕物だ!」
自分の正体がバレた。
残念だ。
少し黒魔術で脅して、生かして返してやろうと思っていた。
しかし、自分がシンディ・カレンベルクであることを知られた以上、生きて返すわけにはいかない。
シンディは心を決めた。
殺す。ここで始末してやる。
しかし男たちは相変わらず、捕らえる気のままのようだ。
「おい!小娘!さっきは油断したが、たかだか火球程度で、俺たちに勝てると思うなよ」
男たちは背中に背負った盾を、左手に持った。
ただの盾で、火球を防ぐつもりなのか……シンディは馬鹿馬鹿しい……と思いながら、精神を魔法の杖に集中させ、隻眼の男の右手に狙いを定めた。
「永久火炎!」
一筋の火炎が、魔法の杖の先から隻眼の男の右手に向かって、伸びて行く。
そして、右手に火炎が着火。
右手から剣をカラン……と地面に落としたかと思うと、隻眼の男は火ダルマとなった。
「……!!」
全身を炎に包まれ、何か言葉を出そうとしているようだが、男の声は、言葉にはならなかった。
炎は既に声帯を焼き尽くし、内臓、全身の血管をも焼き尽くそうとしていた。
真っ黒になって炭化したまま燃え続ける身体になってもなお、身体中から炎を巻き上げる。
燃え盛る男が膝をつく。
と同時に、くすぶる木炭のようになった身体は、バサバサと崩れ落ち、ただの炭と見分けがつかなくなった。
「うああああああ!!」
リーダー格の男が、恐怖で悲鳴を上げた。
武器の剣を、その場に落とした。
シンディは男の方を見て、口を開く。
「これは、ただの火属性の魔術ではなくて、全身が燃え尽きるまで、燃え続ける魔術。解除魔術があるらしいけど、私、解除魔術までは知らないの」
それを聞いた男は、懇願するような目をする。
「た……助けてくれ!……俺たちが悪かった。あんたのことは黙っておくから……頼むから見逃してくれ!」
シンディは、無の表情で答えた。
「ごめんね。私のことを知った人は、生かしておけないの。でも、この魔術で死にたくなければ、別の魔術にしてあげる」
シンディはそれ以上何も言わない。
どうせ、ここで殺すのだ。ならば、学んだ残虐な黒魔術、ここで実験させてもらおう……魔法の杖に神経を集中させた。
「背骨逆断!」
「ひ……ひい……」
男が声を漏らすと、全身が麻痺し始めた。
バタンと盾を落とす。
そして、ゆっくりと背中を後方にそらし始める。
「い……一体……何の……魔術……」
身体の麻痺した身体は、背中をそらしながら、くの字に方向にどんどん曲がって行く。
「あなたの全身の筋肉に、魔術をかけた。全ての筋肉が、あなたの背骨を、へし折る方向に働くの。あなたの身体が、真っ二つに折れるまでね」
「そ……そんな……酷……グギギギギ」
バキバキっと、背骨の折れる音がした。
その勢いで腹部に真一文字に、裂け目が出来たかと思うと、裂け目はブチブチと破れ、ヌルヌルと肺、胃腸、肝臓といった内臓が勢いよく飛び出る。
男の身体は完全に折れ曲がり、切断面から血が噴水のように噴き上がっていた。
目は恐怖に満ちた目のまま、見開かれていて、無念そうな表情をしていた。
「ひ……ひいい!……た、助けて……」
火球で最初に足を火傷して、へたり込んでいた男が悲鳴を上げる。
ああ、こいつも片付ける必要があったんだ……とシンディは、無表情で呪文を唱えた。
「永久火炎!」
男は、全身が可燃物になったかのように、身体中から激しく炎を上げる。
炎の中の人間は、バタバタと身体を痙攣させたが、やがて動かなくなった。
無駄な時間を取らされた……ピョートルの晩ご飯の材料を買うのに間に合うのかしらと、シンディは少し焦る。
そして、小走り気味に山を下りて行く。
平地に出るとオレンジ色の太陽が、ライ麦畑を照らして、一面の黄金の世界になっていた。
街までもう少し……と息を切らせながら走る。
結局、シンディが市場に到着した時には、空は少し群青色ががっていた。
陳列されている食材も、かなり少なくなっている。
迷った挙句、ホワイトサーモンの切り身とビート馬鈴薯を買い求め、帰路へと向かう。
どちらもピョートルが好きな食べ物だ。
早く帰らないと、ピョートルがお腹を空かしてしまう。
黄昏時の街中も趣があって良い。
市場を抜けて住宅が立ち並ぶ一画に入ると、美味しそうな料理の匂いが、漂って来た。
どこかの家庭の、晩ご飯。
みんな家族がいて、家族団欒の時間があって、子供の成長を見守りながら、生活しているのだろう。
そして、この国の女たちも、そのかけがえのない時間を守るために、日夜家事を頑張っている。
自分は何のために家事を頑張るのだろう?
シンディはふと、そんな考えが浮かんだ。
侍女ということになっているから、と言ってしまえばそれまでだ。
普通の主婦が家事をするその先に、暖かい家庭と子供の成長があるのならば、自分の家事の先にあるものは『復讐』か……とシンディはそれ以上考えるのを、やめた。
官邸に到着すると、もうすでに、ピョートルは帰宅していた。
「ピョートル、遅くなって、ごめんなさい。お腹空かしているでしょう。すぐにディナーの支度をするから」
ピョートルは少し心配げな表情をして、シンディの顔を見つめた。
「シンディ、どうした?何かあっただろう?」
ピョートルは優しげにそう問いかけた。
「え……うん……ちょっと……」
「話してみな。少しは気分が和らぐだろう」
「うん……今日、山の中で、初めて……人を殺した。山賊に襲われて、自分がシンディ・カレンベルクだっていうことがバレて……それで……」
言葉を遮るように、ピョートルがシンディを、そっと抱きしめる。
「こうすれば、少しは殺した相手の死顔を、忘れることが出来るだろう……暫く、つきまといやがるんだ。あの死顔ってやつは、他ごとを幾ら考えていても、忘れようとしても、どうしても、頭に浮かんじまう」
シンディは、ピョートルの胸の中で泣いていた。
泣きじゃくった。
泣きながら、ピョートルのシャツが涙で濡れていて、気持ち悪くないのだろうか……などと心配していた。