【第33話】侍女
「ルーテシア王律海軍・海軍提督の侍女、かぁ……」
朝食を準備しながら、シンディはふと呟いてみた。
最果ての地で復讐を誓ったというものの、現時点で復讐する手段はない。
どこで、どのように復讐するか、見当すらつかない。
侍女をしながら考えろとピョートルは言うが、答えはなかなか見つかるものではなかった。
朝食準備の仕上げをしていると、まだ眠そうな顔をしているピョートルが、リビングに入ってきた。
「おはようございます!ピョートル提督!」
「だから、そういう話し方はやめろって。またこっちも、馭者の時みたいな話し方になっちまうじゃないか」
「じゃあ、言い直すね。おはよう。ピョートル。よく眠れた?」
「ああ、うん、まあよく寝られた方だと……思う」
と頭を掻きながら答える。
「朝食、ハムエッグで良かった?」
「あ、うん。朝飯、作ってくれたのか?」
「これでも私、一応ここでは侍女だし、ただで住むのは心苦しいからね」
2人揃っての朝食だ。
シンディは2人分のコーヒーを、コーヒーカップに注ぐ。
「どう?美味しい?」
「ああ……美味いよ。一人でいる時は、朝食なんていつもビスケットとか、適当に口の中に、放り込んでただけ、だったからな」
ピョートルは食べるのが速かった。
最後にコーヒーをごくりと飲み終えると、鞄を持ってそそくさと玄関へと向かった。
シンディは慌ててついていく。
「ピョートル、いってらっしゃい」
「あ……ああ、行ってくる」
「どうしたの?」
「いや……今までの俺は、ここにいる時は、朝、誰とも言葉を交わさず、無言のまま、庁舎に向かっていた。なんというか、朝に家での挨拶が新鮮……だっただけだ」
そう言い残して、ピョートルは庁舎へと向かった。
シンディは手を振って見送る。
「さて……と」
シンディは掃除に取り掛かることにした。
部屋は比較的、片付いているが、細かいところは結構ホコリが溜まっている。
拭き掃除をする甲斐がありそうだ。
モップを準備して、床掃除。
雑巾を使って、机や本棚の拭き掃除をした。
ピョートルの部屋の本棚の中の本は、さすがに海軍提督だけあって、船や海に関する本が多いが……
「え?何、この本?」
シンディは思わず声が漏れ、思わず笑ってしまう。
『寡黙男性の女性対応法入門』
という、本のタイトルだったからだ。
ピョートルって、こんな本も読んでいるんだ。
海軍って男性中心だから、女性の扱いに慣れることが出来ないのだろう……と思っても、少し笑えてしまう。
そもそもピョートルって、寡黙男子ってわけじゃないし……ピョートルは自分のことを、寡黙と思っているのだろうか?
シンディは掃除を終えて、街に買い物に出た。
今日のディナー、ピョートルはどんなものが良いのだろう?
海の男だから、やっぱり魚が好きなんだろうか?
それとも陸にいる間は、肉を食べたくなるものなんだろうか……などと思い悩む。
散々悩んだ挙句、ディナーは『黒七面鳥のソテー』にすることにした。
シンディはふと、足を止める。
市場中心の広場で、黒魔術師が、奇術を披露していた。
白魔術は、治癒魔法で街中の人間も、頻繁に見る機会があるが、攻撃中心の黒魔術は、戦闘以外では、見る機会が少ない。
戦いに行かない庶民からしたら、比較的、珍しいものなんだろう……と思ったシンディ、ふと、足を止めて呟いた。
「黒魔術……黒魔術……そうだ!黒魔術だ!」
シンディは駆けるように、邸宅へと戻って行った。
夜のディナー。
黒七面鳥のソテーをテーブルに並べながら、シンディは、ピョートルに黒魔術について、相談を持ち掛けた。
「黒魔術を学びたい、だと?」
「うん、復讐を実行するには、攻撃力を高めないとダメ。でも、今から剣術を学ぶには、時間がかかり過ぎる。私は白魔術を使えるから、比較的簡単に、黒魔術も覚えられるし」
「そうか。ならば、明日、君に黒魔術の師匠になれそうな人物を、紹介してやる。それより、前に俺が言ったことは、もう決めたのか?」
「ソテー美味しい?」
「うん、美味しい……って、それじゃなくて、ちゃんと俺の質問に答えろよ」
「死際に、何を叫ぶかってこと? それが、まだ決めてないのよ」
「戦いで、瀕死の重傷を負った兵は、何か言いたそうだが、言葉がまとまらず、そのまま死んでいく奴が多い。だから、あらかじめ決めておけと言っただろう?」
「はいはい。ちゃんと決めるって。で、ピョートルは決めてるの?死際の最後の言葉って」
「俺はこれでも海軍の軍人だ。最後は『ルーテシア万歳』と叫ぶのが、軍人の習いだ」
死際の最後の言葉かあ……。
シンディは軽くため息をつく。
ピョートルに言われて色々考えてみたが、これといったものがない。
『カレンベルク侯爵家万歳』というのも、なんだか違うような気がする。
まあ、いい。
ゆっくり考えることにしよう。今はこのディナーを、楽しみたい。
「あ、そうだ」
とシンディが声を上げ、部屋の隅の台に置いてある箱に、手を置いた。
「ねえ、ピョートル。これってオルゴールだよね?聞いてみて良い?」
「ああ。数年前に、道具屋で買ってきたオルゴールだ。箱の横に、手回しがあるだろう。それを右回りに回してみな」
ピョートルの言われた通りにして、手回しから手を離すと、オルゴールが優しい音楽を奏で始めた。
「良い音色だね……寂しさの中に、何か希望を感じさせるような……不思議な曲」
「別れて、離れ離れになっても、きっとまた会えるっていう意味が込められた音楽らしい……まあ、道具屋のオヤジの受け売りだけどな」
「ひょっとして、昔この部屋に引き連れた女の子と、一緒に聞いていた、とか?」
「おい、俺はこの邸宅に、女を入れたことはない。君が初めてだ」
「あら、てっきり『寡黙男性の女性対応法入門』で覚えたやり方で、気に入った女の子に聴かせてたのかな、って思ってたけど」
コーヒーを飲んでいたピョートルが吹き出した。
「おい!本棚の本、見たのかよ!」
シンディは悪戯っぽい笑顔を、ピョートルに向ける。
「拭き掃除をしていた時に、たまたま見つけただけよ。せっかく読んだ本なんだから……良かったら、本で学んだテクニック、私で練習してみる?」
「悪い冗談はよせ」
シンディが笑う。
釣られて、ピョートルも笑った。
シンディは今、幸福だ。
ほんの数ヶ月間に、父も母も姉も失った。
今の唯一の家族のような存在は、ピョートルだけだ。
復讐を終えるまで、この幸せな時間が、続きますように……。