【第31話】復讐
「全ての手続きは完了した。これから外に出でも構わない」
約二ヶ月の軟禁生活は、このピョートルの言葉で、終止符を打った。
戦艦の中で話し合った通り、ピョートルはルーテシア海軍提督名義で、ラークシュタイン王府に、二人は沢に飛び込んで死んだ、との嘘の報告を伝達。
そして、それが受理されたとのこと。
ついこの間まで、ルーテシア・タウンの街中の掲示板には、お尋ね者として、シンディと『馭者のペーテル』の似顔絵が張り出されていた。
それも撤去され、人々の間でこの指名手配人のことは、過去のことになっている……というのがピョートルの説明だった。
これで、やっと自由に動ける……とシンディは安堵した。
官邸には、色々な本があって、軟禁生活中も、本を読んで過ごしていたが、それでも自由に外に出られないのは、かなり苦痛だった。
ピョートルが穏やかな顔をして、シンディに尋ねた。
「せっかくの外出の初日だ。二人で少し遠くまで行ってみないか?」
「え?本当にいいの?私、外国の街に出るのは、初めてなんだ」
シンディの言うことは本当だった。
ラークシュタイン王国の中でも、カレンベルク領とガーラシアの街しか行ったことがない。
こちらに来ても、ずっと海軍基地内の官邸での軟禁暮らしだったので、外国に来たという感じがしなかったのだ。
「シンディ、馬には乗れるか?」
とピョートルが訪ねる。
「カレンベルク領で、外出する時には、馬に乗って出かけたから、乗馬の嗜みくらいはあるわよ。ねえ、どこに連れて行ってくれるの?」
「ルーテシアは最果ての国。その最果ての国の、最果ての地に連れて行ってやる」
そう言われて、シンディは急いで身支度をした。
外に出ると、季節はすっかり初夏になっていた。
照りつける太陽は、ラークシュタインのそれよりは優しく、からりとした気候で、日陰では少し肌寒さを感じるような北方の夏の季節。
空気も澄み切っていて、ラークシュタインとは全く違う夏だ。
官邸の出口には、馬が二頭、準備されていた。
シンディとピョートル、それぞれが馬に乗る。
ピョートルは馬に跨るとすぐに、軽快に馬を走らせ始めた。慌ててシンディも、それについて行く。
馬は、海岸沿いの街を進む。
濃紺の海の向こうには、いくつかの船がゆったりと航行している。
ルーテシア・タウンは、本当に美しい街だ。
ガーラシアの街に比べれば、規模は遥かに小さいが、立ち並ぶ木造家屋はカラフルに彩られ、どの家庭の小さなガーデンが必ずあって、庭先で精彩を放っていた。
ピョートルの話では、ルーテシアは冬になると、雪で真っ白になるので、白の世界でも、自分の家が分かりやすいように、家ごとに色が違うらしい。
海岸沿いの街を抜け、突き出た半島の切り立った崖に沿った小道を行く。
右手には、延々と海の風景が続いていた。
「ねえ!最果ての地まで、まだ遠いの?」
シンディは、前を走るピョートルに大きな声で尋ねた。
「あともう少しだ。この崖の道の先に、岬がある。そこが、この世界の最果てさ」
とピョートルは振り向きながら答えた。
崖の下に撃ちつける波濤は力強く、海岸線をえぐり取るかのようだ。
暫く馬を走らせると、遥か前方に、灯台が見えて来た。
どうやら、あの灯台の辺りが岬らしい。
起伏に富んだ道を更に進んで、灯台の麓で馬を止める。
半島の西端の岬。
目的地の『最果ての地』だ。
眼下には一面の海が広がり、目の前は、海と空と水平線だけの世界だった。
「シンディ。ここがルーテシアの一番西端の場所。そして世界の端、最果ての地だ」
「ここが……世界の最果てなのね……」
「いにしえの時代、ここから先に何があるのかと、多くの船が旅立った。戻って来た者は、幾ら行っても、海が続くだけで何も無かったと言い、伝説でも、無限の海が広がっていると言う」
「無限の海なんて、あるのかしら?」
「さあな。今の航海技術で、船を進めれば、この先に何があるのか分かるかも知れない。ただ誰もそうしないだけだ」
ピョートルは、真っ直ぐ海の方向を見たまま、話を続ける。
「この二ヶ月間、色々な情報が手に入った。君に伝えておこう」
「うん。教えて」
「まず……側妃のシャナイアが正王妃になった。そして、カイン王子はイザベラと正式に結婚し、枢密卿に任命された」
「事実上、カイン王子は、ラークシュタインのNo.2の権力者になったのね……そして、イザベラはその妃」
シンディは、顔色一つ変えずに言った。
「そしてスペンサー王子だ。スペンサーは監獄に収容された後、断手刑が執行された。断手刑を決定したのは、カインと言われている。右手首から先を切り落とされたスペンサー王子は、王籍を剥奪された。そしてラークシュタイン辺境、シュバルツ岬にあるシュバルツ砦の城代として、送り込まれた。事実上の流刑のようなものだ」
シンディは無言で頷く。ピョートルは話を続けた。
「そして、シュバルツ砦に送り込まれたスペンサーは、毎日、精霊酒を浴びるように飲んで、廃人のようになっているそうだ。スペンサーに付き従った家臣も、見捨てるように離れ始めているらしい」
「スペンサーさま……おいたわしい……」
とシンディは水平線の向こうに視線を向けたまま、呟くように言った。
「そして……君の父上、カレンベルク卿だが、ラークシュタイン王府の兵隊と、デガッサ伯爵の兵隊が、カレンベルク領内に侵入し、カレンベルク城を攻撃。激しい戦いの後、カレンベルク卿と君の母上は……」
「ピョートル、それ以上言わなくてもいい。父がどういう選択をしたのか、娘の私が、一番分かっている」
「そうだな」
とピョートルが短く答え、話を続けた。
「ラークシュタイン王国は、イェルハルド王、シャナイア王妃、カイン枢密卿、イザベラ妃の4人が、権力を掌握したようなものだ。他の王族や貴族は、ただこの4人を恐れて何も言えなくなっているらしい」
海を見ていたピョートルは、シンディに視線を向ける。
「それで……君はこれからどうする?」
シンディはピョートルをじっと見据える。
そして冷静な声で答えた。
「そんなこと……それぐらい……。ピョートル、聞かなくても分かるでしょう。私がどうしたいか」
「おおよそ答えは分かっているが……言ってみな」
「復讐よ。イェルハルド王、シャナイア王妃、カイン枢密卿、イザベラ妃。この4人に対する復讐。地獄の底に叩き落とす復讐よ」
「覚悟は出来ているのか?」
「答えるまでもなく」
ピョートルは、シンディの方向に向き直って、声を低くして話し始める。
「覚悟というのは、復讐に失敗し、ただ八裂きにされる覚悟だ。この4人の警護は厳重だ。かすり傷を負わせる程度の復讐ですら、実現出来る可能性は低い。致命傷を負わせるレベルの復讐は、ほぼ不可能。死に追いやるのは……絶対不可能だろう」
「それも含めて、覚悟の上。ただ私は実行するのみ。復讐を」
「では俺に見せてみな。その覚悟というものを」
シンディは懐から短剣を取り出す。
そして自らの髪をギュッと握り、その長い ー貴族女性にとっては命の次に大切なー 髪をザクザクと短剣で切り落とす。
空中に放り投げると、ブロンドの髪はバラバラになりながら、太陽の光に反射して、キラキラと輝き、風に乗って散り去って行った。
「この髪の毛、ピョートルに預ける。私が復讐を遂げるまで」
「その覚悟、気に入った」
ピョートルがフッと笑う。そして、
「出来る限りの協力はする。復讐が終わるまで、俺の家で侍女ということにして置いてやる。君の復讐まで、俺たちは一緒だ」




