【第3話】お前、などとは呼ばないで下さい
「き……貴様は私まで誹謗するつもりか! この礼儀を知らぬ田舎者め! 田舎侯爵の地位など、こちらから願い下げだ!」
カインは肩を震わせ、顔を紅潮させて怒り狂っている。
シンディはそんなカインの怒りを構わず、そのまま言葉を続ける。
「先ほどから、田舎者だの、田舎侯爵だのとおっしゃいますが、カレンベルク侯爵家は、ただの田舎侯爵家ではないこと、カインさまが一番ご存知なのでは?」
「な……なんだと!」
「我が姉上、アイリス・カレンベルクは、王太子イェルハルド・ラークシュタインさまの第一夫人。我が姉上、アイリスが王太子妃であることをお忘れでないでしょうね? 私との婚約で、次期国王との血縁関係が強まり、他の王子さまより上の立場になられることをお望みではなかったのですか?」
カインは一瞬たじろいだ。
そうなのだ。
この婚約はただの侯爵家への婿養子入りではない。
王太子妃の一族たる侯爵家との婚約であり、王位継承権の低い王子にとっては願ってもない好条件の婚約であった。
「うるさい! うるさい! もう黙れ! いくら貴様がアイリス義姉上の妹でも、こんな性悪女とは思っても見なかったわ……!」
シンディは、ふう……と軽くため息をついた。
「では……私のことは信じられない。証拠はないが、イザベラさまの言葉を信じたい、ということですね?」
「証拠が無いとは、何か! イザベラのこの涙こそ、真実の証であろうが!」
カインの横でそれを聞いたイザベラは、一気に明るい表情になる。そしてその表情を見たカインは、ニンマリと笑い、
「皆の者よ、よく聞け。先程シンディ・カレンベルクと私との婚約は正式に解消された。そして、私はもう一つ宣言するぞ。私の横にいるデガッサ伯爵家次女、イザベラ・デガッサと婚約することを宣言する!」
貴族令嬢の周りに騒めきが起こった。イザベラは明るい笑顔のまま、またポロポロと涙を零し、
「カインさまの愛情溢れるお言葉……イザベラは嬉しゅうございます……!」
自分の婚約者だった男が、ここまであっさり女の涙に騙されて、敵と見なした女には極めて攻撃的な言動で威圧するしか能がないとは……。
シンディは微かに残っていたカインへの愛情が、完全に尽きたと感じた。
そしてイザベラが最後に見せた涙。あれはプロポーズの言葉に対する嬉し泣きなどではない。
おのれの涙で、権力のある男を思いのままコントロール出来た、という満足感の涙だろう。
涙が証拠だとカイン王子は言う。
しかし女は顔だけでなく、言葉や涙にもメイクを施す生き物だ。
言葉や涙へのメイクで、女は聖母のようにも、夜叉のようにもなれる。顔のメイク程度で騙される男は、言葉や涙のメイクには全く気がつかない。
いや、男にというものに、そこまで求めるのは酷なのかもしれない……とシンディは思った。
「よろしいですわ。カイン王子。そこまでおっしゃられるのなら、婚約破棄ということで。ではこれから私たちは、王太子の弟と、王太子妃の妹という関係に戻しましょう」
「そうか……婚約破棄を了承するのだな、ではもはや、お前もこの学院で花嫁修行する必要も無くなったであろう。直ちに立ち去るが良い」
カインの声は、低く冷たい声でシンディにそう伝えると、シンディは
「カイン王子、私は侯爵令嬢とはいえ、王太子妃の妹。もう婚約者でもないのですから、『お前』などとは呼ばずに、シンディ殿、と呼ぶのがこの国のマナーでしょう。天下の王城にいても、辺境侯爵家より言葉使いが悪いのは、あまりに品がございませんね」
「第二王子のこの私に、この国のマナーを語るのか? ここはもうシンディ殿のいる場所ではない。立ち去られよ」
カインは憮然としているが、人が多くいるこの場で下品な話し方はまずいと感じたらしい。
「いいえ、まだ一つ。返事を頂いていないことがありますわ」
「なんだ? もはや婚約者でもないシンディ殿にこれ以上答えるものはないぞ」
「我が姉上、アイリス王太子妃との面会をお約束していたはずですが、それはどうなっていますか? 王都に来れば直ぐにでも会わせる、とのお約束は、守って頂かなくては困ります」