【第28話】処刑
ガーラシア城の尖塔から見下ろす城下町は、一際美しい。
正面から遠くを臨むと、遥か遠くに海。
左方向に目を向ければ、針葉樹林の緑で彩られた連峰が、地に根を張るかのように、どっしりとガーラシアの街の外れに鎮座している。
城門から、なだらかに下に広がる裾野には、貴族屋敷が立ち並ぶ。
街中に目を向けると、街の中心に市場があって、アリが砂糖に群がるかのように、領民が道を行き交っている。
ユリウス国王が亡くなっても、この風景は何も変わらない。
イェルハルドは、考え事をするような表情をしながら、城下の風景を眺めていた。
「イェルハルド国王陛下、またここで、風景を楽しんでおられるのですか?」
尖塔に上がってきたシャナイアが、後ろから声をかけてきたので、イェルハルドは振り返った。
「うむ……父上の葬列の行程を考えていたのだ。まさか、私に王位を譲られることを話した翌々日に、亡くなってしまうとはな。そして、王妃、そなたの言っていた凱旋門建築について、考えていたのだ」
「新たに作る凱旋門は、新国王の権威を国民に示すためにも、大切なものです。豪華絢爛な凱旋門は、国威を内外に示すためにも必要かと」
「しかし凱旋門ともなれば、凱旋門に続く大通りや、広場も整備が必要だ。奴隷に従事させるとしても、奴隷の数が足らないではないか……凱旋門の必要性も含めて、慎重に検討せねばならん」
イェルハルドが意見を求めるかのように発言すると、シャナイアは態度を一変させ、不機嫌そうにプイッと横を向いて、目を合わせようとしなかった。
「シャナイアよ!どうしたというのだ?また、私が気に触ることでも言ってしまったか?さあ……機嫌を直してこちらをお向き……」
イェルハルドが顔を近づけようとすると、膨れっ面のまま、懸命に視線がを合わせまいと、顔を左右に振って避ける態度を取る。
「ほんと……もう嫌です。私が言うことを、国王陛下は反対してばかり……もう結構です」
「シャナイアよ……機嫌を直しておくれ。凱旋門……凱旋門のことは前向きに検討するからの……そう膨れっ面をせずに、こちらを向いておくれ」
懇願するイェルハルドをそっと見て、シャナイアは
「では、凱旋門建築の件は、宜しくお願いいたしますわよ……これは王権……新国王の権威に関わることなんですからね」
シャナイアが機嫌を直してくれたお陰で、ホッとした表情を見せるイェルハルド。
階段に目を向けると、イザベラが尖塔を登って来ていて、忙しなくイェルハルドに語りかける。
「国王陛下、ご機嫌麗しゅうございます。唐突ではございますが、シンディ・カレンベルクの件はどうなりましたでしょうか?
「カレンベルクの小娘は、ルーテシアの軍艦に飛び乗って、海外逃亡したようだが、数日中に似顔絵が完成する。それをルーテシア王国に送れば、いずれ捕らえられ、送還されて来るであろう」
イザベラは満足げな表情を浮かべる。
大広間での霧の中でビンタをして来たのは、シンディに違いない。
砂嵐で飛ばされた髪飾りも、結局見つからなかった。
あの女だけは許せない……。
素っ裸にして、市中引き回しをして、奴隷たちの性の慰み者にして徹底的に辱めてから牢獄に放り込んでやる……そして、殺してやる。
イザベラの目は、憎しみの感情が込められていた。
それに続くように、シャナイアが畳み掛けるように言う。
「カレンベルクの一族は、根絶やしにしなければなりません。国王陛下も、それは十分に認識されておりますよね?」
イェルハルドは少し苛立った口調で、
「分かっておる!既にカレンベルク領には、ラークシュタイン王家直属の軍隊と、そなたの父上殿……デガッサ伯爵家の軍隊が敵領に侵入して、今、まさに攻撃しているところだ。まもなく……まもなく、良い知らせが来るであろう」
シャナイアは再び不機嫌そうな顔をした。
訳が分からず、慌てて機嫌を取ろうとするイェルハルド。
春の涼風が、尖塔の中では生ぬるく泳いでいた。
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監獄の中の空気は冷たく、湿っていた。
ピチャ……ピチャ……と天井から滴が垂れて来ては、冷たい石の床を濡らす。
初老の看守がスペンサーの牢獄の前に来て、神妙な面持ちで、牢獄の中のスペンサーに話しかける。
「スペンサーさま……すいませんが、今から処刑となります」
「ああ、そうなのか……残念だな。結局、絵は完成出来なかった……」
「牢獄の中で、一体何を書かれていたのですか?」と看守は不思議そうな顔をしながら尋ねた。
「牢獄の中の様子を描いていたのさ。小窓から刺す日の光が
牢の中を照らす時の、光と影のコントラストが美しいんだ」
そう語りながら、スペンサーは牢獄の門扉から廊下に出る。
そして、特段抵抗もせず、大人しく看守の誘導に従う。
何も語らない2人。
足音だけが、石造りの廊下をカツン、カツンと響かせていた。暫くして看守が沈黙を破った。
「王族の方に、断手刑を処すなど、長い間この監獄を守って参りましたが、聞いたことがありませぬ……一体、カイン様は何を考えておられるのか……?」
「カイン……カインの兄貴が決めたのか?」
スペンサーは訝しそうな顔をして尋ねた。
「はい……詳しくは存じませぬが、王族が罪を犯した場合の最高刑は終身刑ですが、カインさま直々に、スペンサーさまを断手刑とせよ、と……」
「僕に絵を描けないようにして、生き地獄を味合わせようという魂胆か……実の弟によくそんなことを考えるものだ」
暫く歩いてたどり着いたのは処刑室。
看守とスペンサーは、断手台の前で立ち止まった。
処刑室は小さな小部屋で、石壇の上に小型のギロチンの刃が設置され、鈍く光っていた。
処刑執行人が黙って傍に立ち、スペンサーに軽く視線を送った。
静寂の空間で、看守が口を開いた。
「スペンサーさま、私はスペンサーさまが謀反という恐ろしいことを考えていたとは、到底思えませぬ……牢獄の中の態度で、それを確信致しました」
「僕が無実だと言っても、イェルハルド国王や、カインは聞く耳を持たないさ。邪魔者を消すためには、どんな手段も厭わないようだ。看守、紙と鉛筆の差し入れ、ありがとう。絵はあなたに贈ろう。絵は完成していないけど、あなたに贈れるものはそれくらいしかない」
スペンサーは処刑台に上がる。
暫く右手をじっと見た。
これから手首から下を切り落とされる実感が、まだ涌いて来なかった。
そして、覚悟を決めたかのように、右手をU字状の木枠の中にそっと置く。
処刑執行人は、木枠の上半分を挟み込んで、手首が抜けないように固定する。
処刑の執行準備が完了した瞬間だった。
「では……ご覚悟を……」
と処刑執行人は呟くように言う。
スペンサーは視線を処刑執行人の方に向け、軽く頷いた。
それと同時にギロチンの刃を支えていたロープが切り落とされ、ギロチンは垂直方向に手首を目がけて落ちて行った。
そして、監獄中に響き渡る、絶叫。
その叫び声は、監獄の外にいる者すら聞くことが出来るものだった。