【第27話】謀略
ピョートルは少し考える表情をして、シンディに向かって言った。
「シンディ・カレンベルク、君には死んでもらうよ」
シンディは血の気が引くのを感じた。
まさかの言葉に、ただ呆然として、護身用の短刀に手を伸ばす。
誰かの手にかかって殺されるくらいならば、今ここで自らの命を……。
シンディの様子を見たピョートルは慌てて
「おい!待て!話は最後まで聞け!目の前の君を、本当に殺すわけないだろう?まず、シンディ・カレンベルクは『馭者のペーテル』と一緒に船に乗り込んで、他国へ逃亡しようとしている、というのが、ラークシュタイン王府の認識だ」
シンディは無言で頷く。
「この船を直接追いかけて来ないが、船がルーテシアに到着して暫くすれば、ラークシュタインの王府から『犯罪人のシンディ・カレンベルクと馭者のペーテルが、貴国の軍艦に乗り込み逃亡した模様。探し出して送還せよ』と俺たちの似顔絵付きで通達が来るはず。君と『馭者のペーテル』は国際指名手配、天下のお尋ね者になるわけだ。それは分かるよな?」
「うん……分かる。それで?」
「ルーテシアはラークシュタインの要請を無碍に出来ない。俺たちの似顔絵が、街中に張り出されて、君は落ち着いて外出も出来ない。それに、お尋ね者を専門的に狙うハンターもいる。そこでだ。ルーテシアの公式文書で『シンディ・カレンベルクと馭者ペーテルの一件、山の中で潜伏しているところを発見し、追い詰めたが崖の上から2人揃って沢に身を投げ、その遺体は見つからず』みたいな回答をラークシュタイン王府に送る。そうすれば、君はルーテシアで死んだことになる」
シンディは微動だにせず、真っ直ぐにピョートルと目を見つめて、話に聞き入っている。
「その後は、街中の掲示板の似顔絵には『解決済』の赤い判子が押されて、それも暫くしたら剥がされて、君と馭者のペーテルは、死んだものとして、人々から忘れ去られる。そうすれば……」
「そうすれば、私は自由にルーテシアの街を、歩けるようになる、ということですよね?」
と少し顔が明るくなったシンディが、口を挟むように話した。
「そうだ。ルーテシアに限らず、世界中、同じように処理されるだろうから、何処にだって行ける。ラークシュタインにだって、よほど親しい人に会わない限り、少し変装すれば街中を歩いても大丈夫だ。100%安全とは言えないが、少なくとも、人目を気にしながら生きていく必要はなくなる」
シンディは少し首を傾げながら、
「でも、本当にそんなことが出来るの?ルーテシアの公式文書だなんて」
ピョートルは、少し呆れたように、
「俺がルーテシア王立海軍提督ってことを忘れたのか?提督名で文書を発信しても、ルーテシアの公式文書、として扱われる。不法入国の取り締まりも、海軍の管轄だ」
「あ……」
「まあ、実際に似顔絵と犯人探しの要請が届くのは、我々が到着してから一週間はかかるだろう。そこから捜査をしたことにする期間やら、ラークシュタインに回答する期間やら、色々ある。だから2ヶ月は、俺の官邸から一歩も出ないで欲しい。2ヶ月経てば、自由に外出が出来るようになる」
静かに聞いていたシンディは、立ち上がってピョートルの手を取った。そして、
「ピョートル。ここまで考えてくれて本当にありがとう!ピョートルは私の命の恩人。どうやってお返しすれば良いのか分からない!」
と嬉しそうに話すと、
「い……いや、何、ここまでやったのは、半分俺の責任だし……最後まで、面倒見ないといけないというか……」
手を握りしめられたピョートルは、目が泳いで、視線が定まっていないように見えた。
え……もしかして手をギュッとしたから緊張してる……?
さっき馬を走らせていた時には、私をギュッと抱きしめていたのに……と思ったシンディは、何かおかしくなって笑みが溢れた。
「お……おい、何笑ってるんだよ!ちょっと……なんだか暑くなってきた……って、思わないか?俺は、甲板に行って涼む。シンディ、君も一緒に来い!」
「了解です!ピョートル提督殿!」
とシンディは冗談めかして答える。
早足で艦長室から出るピョートルを、追いかけるようについて行くシンディ。
中甲板の船室を通り抜け、上甲板に抜ける階段を駆け上がる。
風がぶあっと、身体に吹き付ける。
船首の三角帆は、横風を受けてふっくらと美しい姿態になっていて、船は西北西の方向へと、帆布に引っ張られるように進んで行く。
離岸した港は、後方、遥か遠くに微かに霞んで見えるだけで、残りの三方は、果てしなく続く大海原だ。
シンディは空を見上げた。
突き抜けるような青い空にに、ホイップクリームのようにぽっかり浮かぶ雲の群れ。
シンディはふと、アイリスを思い出した。
海の果てに憧れ、冒険を夢見たアイリスお姉さま……。
シンディは今、そのキラキラと光る大海原の中を、ルーテシアという、見たこともない外国に向かう船の中にいます。
お姉さま、空の上から、私を見守っていて下さい……。