【第24話】王子
「どうだ?カイン王子はまだ追いかけて来ているか?」
ペーテルは振り向かずに、シンディに尋ねる。
「砂嵐の魔法で、目に砂を入れて、少しでも引き離そうとしたんだけど、なぜかイザベラと一緒に馬から降りたわ」
「他の王府の兵隊は?」
「今のところ、ここからは見えない。かなり引き離したみたいよ」
少しホッとするシンディ。
しかし、なぜカイン王子は馬から降りたのだろう?どうせ目が痛いから目を洗わせてとか、何かのアクセサリーが吹き飛ばされたから探して、とかイザベラが我儘を言ったに違いない……とシンディは思った。
暗い森の先に明るい光が見え始め、再び新緑の丘陵が広がる。
涼しい春風が、丘陵の草葉をザアザアと揺らしていた。
「どこまで行くの?」
極限の危機を脱して、少し気持ちが落ち着いたシンディが尋ねる。
「港だ。この馬で港まで行って、それから船に乗る」
ペーテルも少し落ち着いたようだ。やや余裕を感じさせるような口調になっていた。
緩やかな登り坂を駆け抜け、下り坂に入ると、遙か先、海辺に面した家並みの風景が眼下に広がった。
沖合いには無数の帆船が悠々と帆走しており、海は太陽の鏡のように、白くキラキラ輝いていた。
海辺には埠頭が連なって築かれており、小さな帆船が軒を連ねる中、一際大きい、まるで城を海に浮かべたような巨大な帆船が停泊している。
「ガーラシアの港が見えて来たぞ。あともう少しだ」
「は……はい!」
とりあえず目的地の港町が目の前に見えて来たことで、少し安心したシンディ、そっと振り返って後ろを見る。
丘陵地帯を二騎の王府の兵士が、激しく馬に鞭を打ち込みながら、猛烈なスピードで忍び寄って来るのが分かった。
「ペーテルさん、後ろ!後ろからまた王府の兵士が……!」
「チッ!意外と追いついて来るのが早かったな!ここからラスト・スパートで、一気に港まで走り込むぞ」
ペーテルは、ブーツの後ろの拍車で馬の腹を蹴った。馬の速度がより一層速まり、風を斬りながら、猛然と走る。
港町に近づくにつれ、道の脇に民家が現れ始め、丘陵からの道を抜けて左に曲がると、小さな漁村集落に入った。
港までもう少しだ。
後ろからは、王府の兵の怒鳴るような声が聞こえ始めている。
「おい!待て!逃げるな!」
「お前ら2人とも、どうなるか分かっているのか?逃亡は大罪だぞ!」
少しずつだが、確実に詰め寄っている。気丈なシンディもさすがに心細くなって来ている。
「ペーテルさん……」
「大丈夫だ!最後まで諦めるな!」
シンディはギュッとしがみつく。魔法で助けてやりたいが、短時間に2回の魔法を使ったせいで、まだ魔力が回復していないのだ。
ここは、ペーテルに任せるしかない……。
馬は漁村集落を抜け、舗装された通りに出る。商店も点在し、行き交う人も増えて来た。
猛然と走り去る騎馬に、それを追いかける兵士の姿に、街の住民は、何事かといった目で眺めている。
「見えて来たぞ!中央広場だ!埠頭まであと少し!」
とペーテルが叫ぶ。
広場に入り、中央の噴水を右に曲がる。馬の進行方向には階段があった。
「ペーテルさん、階段!馬は階段を……?」
「階段をゆっくり降りてたら、捕まってしまうからな。ここは階段の下まで一気に飛ぶぞ!」
シンディはありったけの力で、ペーテルにしがみつく。
「行くぞ!うおおおお!!」
ペーテルが咆哮を上げると、馬が階段の手前で大きく跳躍し、天空を駆け上ったかのように宙を舞ったかと思うと、すぐに地面に吸い寄せられ落下していく。
ドシン!という馬が着地する鈍い音。一瞬、体制を崩しそうになる馬は、すぐに体制を立て直して、再び駆け始めた。
目の前の埠頭に接岸されているのは、森を抜けた時に見えた、あの巨大帆船……戦艦だ。
王府の兵隊は階段を下りるのに時間がかかっているようだ。
馬は戦艦の船はしごを駆け上がって行く。
ペーテルは甲板に登り終えると馬から飛び降り、すぐに叫ぶような声で
「舷梯を片付けろ!そして、錨をあげて出航するぞ!」
と言った。
船乗りたちの反応は早かった。あっという間に出航の準備を整えて、戦艦はゆっくりと離岸し始めた。
今になってやっと埠頭に到着した王府の兵が、
「その船!止まれ!」
「犯罪人が乗船したんだ!待て!行くな!」
などと口々に言っているのが、かすかに聞こえるが、戦艦はそんな声を聞かなかったかのように、そのまま外洋の方向に進んで行く。
シンディが馬から降りると、その場にへたり込んでしまった。
助かった……でも、まさかペーテルさんが助けてくれるなんて……でも不思議だ。なぜ今日こんなことが起こることを事前に知っているのだろう?
そして、なぜ戦艦に出帆命令を出せるのだろう……とシンディがぼんやり考えていると、
「おい、大丈夫か?立てるか?」
ペーテルが、シンディの手を取る。
やっとのことで立ち上がると、甲板の向こうから、ビア樽のような恰幅の良い中年男性がやって来て、ペーテルに話しかけた。
「これはまた急なご帰還ですな……もう馭者ごっこは辞められたのですか?ピョートル王子……いや、ピョートル提督」