【第22話】跳躍
大広間のある講堂を後にして、シンディは必死に石垣の上にある一本道を目指して走る。
学院の貴族令嬢のほぼ全員が大広間に集まっていたせいで、外を歩いている者はほとんどいない。
講堂から離れても、大広間から叫び声が漏れ聞こえてくる。
しかしそろそろ薄霧駆散の魔法の効力も薄れて、霧が晴れてくるはずだ。
霧が晴れる前に扉を探り当てて出てくる王府の兵もいるだろう。急がなくては……とシンディはただ懸命に走った。
一本道に出たら何があるのか……それも分からずにペーテルの言葉を信じて騒ぎを起こしたのだ。もはや、それに一縷の望みに賭けるしかない!
暫く走ってやっと一本道に辿り着く。
しかし道の周りはひっそりとして人気が無く、普段通りの一本道が、ただ存在するだけだ。
一本道は石垣上端沿いにある。
転落防止用の欄干に身を乗り出して、石垣の下を覗き込む。石垣に沿って走る小道にも誰もおらず、何も無い。
どうすれば良いの……?
一瞬、シンディは学院の正門を通って逃げられないかと迷った。
ダメだ!ダメだ!
正門は王府の兵が検問をしているだろうし、講堂から抜け出た王府の兵も、真っ先に学院の門を抑えにかかるだろう……。
石垣は建物の三階くらいの高さがあり、飛び降りれば脚を痛めるのは必至だ。
更に傾斜もきつく、這って降りることも叶わない。
「おい!あそこだ!」
「本当だ!あんなところに逃げていやがったのか!」
シンディを見つけ出した王府の兵数名が、凄い剣幕でシンディに向かって走り寄って来る。
慌てて王府の兵と逆方向を見たが、すでに遠くから王府の兵の集団がこちらに向かって駆け上がるように迫って来ている。前後から挟み込まれてしまった。
さすがのシンディも覚悟を決め始めた。
もうダメかもしれない……いっそ、護身の短剣を喉に突き刺して、この場で自決してお姉さまのいる世界に……などと考えていると、
「シンディ!シンディ・カレンベルク、こっちだ!」
と遠くから男の声が響き聞こえて来る。
シンディは耳を澄ます。男の声と共に、軽快な馬の蹄の音が微かに伝わって来る。
シンディは再び欄干越しから石垣の下を見下ろした。
ペーテルだ!
石垣沿いの小道の遥か先から、巨馬に単騎で走って来る男の姿は、紛れもなく馭者のペーテルだった。
その間にも、王府の兵たちはシンディを捕らえようと、一本道の前後から迫って来ており、もうお互いの表情がはっきりと分かるくらいに、間合いを詰められてしまっている。
シンディは指先に力を込めるフリをして、王府の兵を威嚇した。
実際にはまだ魔力は回復していないので、魔術は使えない。しかし魔術の使う真似をするだけでも、威嚇としては十分だ。
また何か魔術を使うのではと、王府の兵はたじろぐ。
前にいる王府の兵の一人が口を開いた。
「身命にしろ!これ以上なんかしたら、その場で叩き殺すからな!」
「もうお前は逃げられねえぞ!大人しくするんだな!」
後ろからも、脅しの声が聞こえて来る。
しかし王府の兵たちは、まだ石垣下の道を馬で走って来るペーテルの存在に気がついていない様だ。
シンディは後退りしながら、振り向いて欄干越しから石垣の下の様子をチラリと確認した。
ペーテルの馬はシンディのいる場所の、ほぼ真下にまで近づいていた。
「飛び降りろ!そこから飛び降りるんだ!俺が受け止めてやる!」
ペーテルは馬を走らせながら、石垣の上を見上げて欄干の側にいるシンディに向かって叫んだ。
それを聞いて、シンディは動揺する。
ここから飛び降りてペーテルが上手く受け止めれば良いが、そうでなければ地面に叩きつけられてしまう。
それにペーテルが受け損ねたら、ペーテルも落馬して大怪我を負ってしまうだろう……色々な心配事が頭の中に浮かぶ。
「飛び降りるんだ!シンディ・カレンベルク!カレンベルク家の家訓は『勇猛と忠義と倹約を忘るなかれ』だろう?カレンベルク家の勇猛な血を見せるんだ!」
家訓……そうだ、カレンベルク家は勇猛である事を是とする家系ではないか……もう躊躇している余裕もない、そう思ったシンディ、欄干に脚をかけ、勢いよく地上に向かってジャンプした。
馬を走らすペーテル、落下しそうな地点までまだ距離がある。鞭を大きく叩き、巨馬の速度を上げる。
地面に叩きつけられる前までに落下地点まで走らせないと、シンディは……と猛烈なスピードで馬を走らせた。
そして宙を舞うシンディが、地面いったまであと2メートルといったところに、滑り込むように馬が走り込む。そして手綱を握っていない左の手で、ふわりと包み込むようにキャッチした。
その手でそのまま力強く抱きしめる。
「飛ばすぞ!しっかり俺の身体に掴まっていろ」
「あ……あの、私を受け止めたあなたの左の腕……大丈夫ですか?」
あの高さから人間を受け止める衝撃は相当なはずで、シンディは真っ先にそれが心配になった。
「大丈夫だ。むしろ想像よりも軽くて驚いた。あんたはもう少し食べた方が良いな」
石垣の上では、王府の兵たちが欄干から身を乗り出し、悔しそうな言葉を口々に発していた。
「しまった!また逃げられた!」
「大体、あの騎馬の男は誰なんだ!」
「おい!あいつ……学院に馬車を着けていた馭者のペーテルじゃないのか?」
「そうだ!間違いない!馭者のペーテルってやつだ。正門に行って馬に乗って追いかけるぞ!」
口々にペーテルの名前を発しては、慌てて正門の前に止めてある馬へと走り出す。
その間にも、ペーテルは馬を更に疾走させ、正門につながる石畳みの坂道へと馬を進めていた。