【第19話】対峙
婚約破棄から、一週間が過ぎた。
結局、シンディは破棄された後の一週間、ほぼ毎日スペンサーの農業を手伝ってしまった。
少し日に焼けたような気がする。
ウエディングドレスを着るのなら、白い肌の方が良いのだろう。
でも今は婚約破棄された身だ。それに、暫く着る機会もないだろう。
それにしても……楽しい一週間だった。
スペンサーと過ごすのはとても楽しく、時間を忘れるほどだ。カインと過ごしていた時は……とりわけ楽しいとかの思いはなかった。
本当に、「どうでもいい男」だったのだろう。
朝の9時。
今日はカイン王子からアイリス王太子妃との面会についての答えを貰う日だ。今日は一週間ぶりに学院に行くことになる。
正装に着替えて、ルーシーが準備してくれたサラダとフルーツジュースの朝食を摂る。
食事を終えて、まだ少し早いかな……と思いつつも、いつもと同じようにお屋敷に門の前に立って、ペーテルの到着を待つことにした。
暫くすると、遠くから、いつものようにパカパカと、馬の蹄の音が聞こえてきた。
「シンディさん、今日も先に外で待っていてくれたんですかい?」
そう言うと、ペーテルは馭者席から飛び降りて、直ぐに馬車の扉を開いた。それに合わせるかのように馬車に乗り込むと、馬車はゆっくりと学院の方向に向けて進み始めた。
いつもと同じように、馬車は貴族の邸宅街を通り抜け、王城へ向かう道へと入る。
人通りがまばらになった道で、馬車がピタリと止まる。
何事だろう……と思っていると、馭者席のペーテルが振り返って、馬車の中のシンディに話しかけた。
「シンディさん、あの学院、大広間のある講堂から守衛室に向かう一本道が、石垣の上にあるだろう?」
確かに……石垣の上端を沿うように一本道がある。
見晴らしが良い道だが、手すりが低くて、身を乗り出すと、思わず石垣の下に落ちそうになる一本道……。
しかしなぜ、ペーテルがそんなことを知っているのだろう?
「今日のカイン王子との面会で、もし……何かあった時には、その一本道沿いを使って逃げて欲しいんだ」
何かあった時……の意味がよく分からないが、珍しくペーテルが酷く真剣な眼差しで語りかけて来るので、シンディは思わず、
「分かりました」
と短く答えた。
馬車が再び走り出し、暫く進むと学院に到着した。
学院は一週間ぶりだが、随分昔のように感じる。
いつもとは違い、少し不安げな表情のペーテル。
その表情が気になったが、シンディは学院の講堂大広間へと向かった。
大広間に入ると、すでに数人の貴族子女が正装で待機していた。
カイン王子からアイリスお姉様のことを話すだけなのに、他の貴族令嬢の参加が必要なのか、これじゃまるで見せ物じゃないか……とシンディは少し憤る。
シンディは大広間の中央に立ち、ひたすらカイン王子の登場を待つ。
その間にも、貴族令嬢が続々と集まって来る。
シンディは気にしないことにした。
とりあえず、アイリスお姉さまとの面会が実現出来れば良い……そんなことを考えて、貴族令嬢の好奇の視線から耐える。
貴族子女は相変わらず、お喋り好きだ。そして、これから一体何が起こるのか、期待に満ちたような表情で、お喋りに精を出す。
女は退屈だ。
男たちと違って、冒険など許されない貴族令嬢たちは、つまらない舞踏会や単調なお茶会の中から、何かエキサイティングなものは無いかと、貪欲に嗅ぎ回る退屈な生き物だ。
この場でも、退屈さを凌げる何かが起こるのを、待ち望んでいるのだろう。
そんな中、一人の貴族令嬢が、
「シンディ……」
と小声話しかけて来た。
クラウディアだった。
学院での唯一の親友と言える、グーゼンバウアー侯爵家第一子女のクラウディア・グーゼンバウアー。
心配げな表情で、シンディをじっと見つめてくる。
「クラウディア!クラウディアじゃないの?これは一体どういうことか知ってる?私はアイリスお姉様に会うことについて、カイン王子に返答を聞くためだけに来たのに……」
クラウディアは首を横に振って、
「ううん、実は私たちもよく分かってないの……とにかく重大な話があるから、大広間に集まれって……」
「そうなの……なんだか見せ物みたいになってるけど、私は大丈夫。クラウディアが側にいてくれて、むしろ心強いわ」
幾ばくかの時間が流れ、大広間の入り口が少しざわついた。
カインがやって来たようだ。
カインの側には、イザベラが寄り添うように付き従っている。
カインから求婚されてから、イザベラはますますケバケバしい女になったようだった。
奢侈に拍車をかけているのか、前に増して贅沢なアクセサリーを無駄にジャラジャラと身につけている。
真っ赤なヒールでカインの側をよちよち歩く姿は、思わずニワトリを想像させた。
カインはすぐに大広間の壇上に上がり、中央に立つと、貴族令嬢たちのお喋りは、徐々に消えていった。
壇上のカインと、壇上の下のシンディ。
カインがシンディを見下ろすように、お互いが対峙する形になった。