【第17話】通り雨ですね
シンディとスペンサーは、畑の畦道を二人並んで歩く。草の葉の匂いのが満ちるこの畑を、スペンサーと手を繋いで歩くのは気持ちが良い。
スペンサーは、と立ち止まって、
「シンディさん、今からここを渡るよ。深い水路があるから、跨いで渡って!水路にはまっちゃうと、怪我するからね」
スペンサーが先に軽くジャンプして、水路を飛び越え、農地に降り立つ。
水路を挟んでスペンサーが、またシンディの手を取った。絡められたスペンサーの指が優しかった。
スペンサーの腕に頼りながら、シンディも水路を軽くジャンプする様に跨いだ。
目の前には、見渡す限りの土が丸出し畑。この手付かずの畑に、苗を植えていくのだろう。
「さあ、僕が鍬を使って土を掘り起こしていくから、凹んだところに苗を植えて行って欲しいんだ」
鍬を担いだスペンサーは、元気な声で指示を出す。
「植えた場所は、おがくずを混ぜた肥料を使って埋めて行ってね。苗の周りに肥料がないと、ビート馬鈴薯の苗ははすぐに枯れてしまうからね」
そう言うと、スペンサーは鍬を使って、一ヶ所一ヶ所、土壌を掘り下げて凹みを作っていく。
その掘り下げた場所に、シンディがビート馬鈴薯の苗を植えていくのだ。
屈んだ姿勢で作業するのは、足腰に疲れを感じるが、春の涼風が頬をそっと撫でるように吹いて、むしろ爽やかな気分になる。
地味な作業だが、時折り舞い降りる蝶々を愛でてみたり、結構楽しい。
そんな作業をしていると、あった言う間に2時間が過ぎた。
「ちょっと疲れてきたね!今日はこれくらいにしようか?」
ハンカチて汗を拭いながら、シンディに話しかける。
シンディは軽く頷いた。
スペンサーは土手に敷布を敷いて、シンディを座らせた。畑の向こうの山々には、低い鉛色の雲が水墨画のようにかかり始めていた。
「今日はとても助かった。シンディさんがいなかったら、こんなに捗らなかったよ」
そんなことを話しながら、金属のポットから、紅茶を、カップに注いで、シンディに手渡した。
レモンティーだ。
スペンサーの研究室で頂いたあのレモンティーそのままの味だった。春の空気の中で、鼻腔の中にレモンの香りが広がった。
「このビート馬鈴薯はいつ頃になれば育つのでしょうか?私も、この植えたビート馬鈴薯を食べてみたいですね」
「秋にはもう芋掘りが出来るよ!苗を植えるより、芋掘りの方が大変なんだ。あ、そうだ!もし良かったら、秋には一緒に芋掘りをしない?」
「え?宜しいんですか?芋掘りの時も?」
スペンサーは、ゴクッとレモンティーを一口飲んで、
「もちろんだよ。芋掘りを一人で黙々とやるより、二人でやった方が楽しいし、掘り終えたビート馬鈴薯を一緒に料理したりするのも楽しいし!」
秋の凄く楽しみになってきた。
そして、今、とても楽しい。
学院でダンスの練習や、王室の礼儀作法を学ぶよりずっと、充実出来ている。
シンディがそんなことを考えていると、ポツリ、ポツリと空が雨を降らせ始め、たちまち、ざあざあとした時雨へと変化した。
「うわ…酷い通り雨だな!シンディさん、ちょっと急いで苗を片付けて、あのクスノキの下で雨宿りして!僕は農機具を片付けるから」
そんなことを言っている間にも、雨は滝のような土砂降りへと姿を変えていた。
シンディは畑の脇に置いていた苗の入った箱を抱えて、クスノキの下へと駆け込んだ。
続いて、鍬と鋤を肩に担いだスペンサーが走り込む。
走り込んで来たスペンサーは少し息が荒くなっているようだ。
「凄い雨だね!朝はあれだけ晴れていたのに。通り雨っぽいから、すぐに晴れるとは思うけど……」
スペンサーは右腕で顔を拭いながら話した。
スペンサーの髪の毛から、雨の滴がまた、顔に向かって垂れ落ちた。小さなガラス玉のような雨の滴を、スペンサーはまた不快に感じているような表情を作った。スペンサーのフランネルシャツも、たっぷり水分を含んで、身体のラインが、はっきりわかるほどに、肌に張り付いている。
雨に濡れるって、どうして、こんなに人を艶やかにさせるのだろう……?
「シンディさん、服がもう、びしゃびしゃだけど、大丈夫? あ、タオルを持って来てたんだ。これ使ってよ」
自身のシャツが濡れて、すっかり透けてしまっているのにシンディはやっと気がついて、顔が真っ赤になった。
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通り雨は、ガーラシア城のガラス窓をも、激しくバタバタと横殴りに降り付ける。鉛色の空で薄明かりしか届かない国王の寝室。
従者がキャンドルを灯す。
イェルハルドが大きい身振りをする度に、オレンジ色になった白壁に、影絵をような姿を映し出す。
「先週、流産以来体調を崩していたアイリス妃が亡くなり、本人の遺志により、密葬したことは先日、父上にお話ししたはずですが……父上、もうお忘れですか……?」
「アイリスの……ことは残念で……あったが……ワシはシャナイアを……正妃にすることは……反対だ……」
僅かに残る体力全てを込めるかのように、国王は声を絞り出した。
「父上、私は父上の後を継いで、この国の王になる身です。ラークシュタイン王国は周辺国の宗主国として、模範となるような王室を作らなければなりません」
イェルハルドは一息置いて、何かを考える表情をした。そして、少しゆっくりとした口調に変えて、話を続ける。
「正妃のいない王室では、周辺国から軽く見られるのは必定でございましょう。それにシャナイアは伯爵家長女。決して、身分が低いわけではありません」
国王が何か言葉を発しようとした途端、寝室の大扉がガチャリと開いた。
「国王陛下、シャナイアでございます。お久しゅうございます」
シャナイアは、ベッドから少し離れた場所に立つ。そして、片膝を曲げて、スカートの両裾を摘んで、軽く持ち上げて、カーテシーで横たわる国王に挨拶をした。
「お身体の調子が良くないとお聞きして、ご挨拶に参りました。そして、御目通りさせたい者……我が妹をを連れて参りました」
再び大扉がガチャリと開き、イザベラがシャナイアに歩み寄った。
「国王陛下、お初にお目に掛かります。デガッサ伯爵家次女、イザベラ・デガッサでございます。国王陛下に御目通りが叶い、この上ない幸せでございます。先日、学院でカイン第二王子さまより求婚されましたので、ご挨拶に参りました。我が姉シャナイアと共に、デガッサ伯爵家への格別のご配慮、感謝致します」