【第1話】涙は男を混乱させる魔法
「シンディ・カレンベルクよ、お前がそのような欲深く嫉妬に狂う性悪女とは、思ってもみなかった。この場でお前との婚約は、破棄させてもらおう」
ここは、ガーラシア城に併設された、上流階級の御令嬢の為の学院の大広間。
舞踏の稽古中に乗り込んで来たカイン・ラークシュタイン第二王子は、怒りを込めた声でその言葉を発した。
王宮舞踏の練習に励んでいた多くの貴族子女は、みな、舞踏の練習を止めて、カレンベルク侯爵家第二子女、シンディの方向に視線を向けた。
ここにいるのは、みな王族や、上流貴族のご令嬢ばかりだ。
つまらない舞踏の練習よりも、スキャンダルな話。
この広間で、令嬢たちの好奇心は、全てシンディの婚約破棄に注がれている。
令嬢たちの大好物のスキャンダルは、今晩のサロンでおしゃべりのメインディッシュになるのは、間違いなさそうだ。
シンディは好奇の視線を無視して、静かにカイン王子の話に耳を傾ける。
「シンディよ、1つ目に……そなたのイザベラ・デガッサ嬢に対するいじめは、目に余るものと聞く……婚約者であるものがつまらない噂を信じ、イザベラ嬢の舞踏の練習でペアを組む時、必ず彼女を転ばして笑い者にしているというではないか……!」
いつのまにか、当事者のイザベラ嬢はカイン王子のそばに立っており、その力強く話す王子の姿を、恍惚とした表情で見上げている。
二人が特別な関係であることは明らかだったが、知らぬ素振りをしながら、シンディはゆっくりと口を開いた。
「カインさま、それは誤解でございましょう。ここでの舞踏の練習とは来たる舞踏会、そしてデビュタントで恥をかかぬようにするもの。イザベラさまは課題の自主練習もせずに、舞踏の練習で私とペアを組んで、動きについて来れぬだけにございます。そして勝手にこけた。それだけにございます」
「私の言葉に刃向かう気か!? そもそもお前が私とイザベラ嬢の仲を邪推して、いじめを行なっていたのは、この学院では誰でも知っている噂であろう!」
カインは顔を紅潮させながら、シンディの言葉に反論した。
横でじい……っとカインを見上げるのは、件のイザベラ嬢。
神がこの女に授けた武器は、常に潤んでいる瞳と、背の低さだろう。
可憐な少女が、一生懸命見上げながら、何かを懇願するような瞳。
その潤みから、今にもこぼれ落ちそうな大粒の涙。
男達は彼女を泣かしてしまうことを怖れ、涙に罪悪感を感じて魔法にかかったように、女を泣かさないことに固執し始める。
そしてこのカイン王子も、その魔法にかかってしまっているのだろうか……?
そんな考えがシンディの頭によぎったが、
「そもそも私がイザベラさまをいじめている、という噂を信じておられるカインさまこそ、いかなるお考えなのでしょう? それこそ、つまらぬ噂ではありませぬか?」
イザベラが一瞬、動揺するのをシンディは見逃さなかった。
シンディは言葉を続け、
「私はただ、第二王子のカインさまに嫁ぐ身として、舞踏会で恥じないように練習に取り組んでいただけにございます。それは、舞踏教官に確認すれば分かることでございましょう?」
カインの顔を見上げるイザベラは、瞳から白い頬に涙の筋をつけた。
男を混乱に陥れる最強の魔法だ。
カインは、怒りで肩を震わせ始めた。
「黙れ! この礼儀作法を知らぬ田舎者の辺境令嬢が! いじめだけではない。そなたはこのガーラシア城下随一といわれる貴金属店で、アクセサリーを買い漁り、ワイロを受け取って、この学院の令嬢たちにアクセサリーをその店で買い求めるよう命令していたらしいではないか!」
カインの口調は、更に激しさを増す。
「 王族の婚約者という地位を利用し、貴金属を売りつけるなど言語道断! そして、そのような贅沢三昧、奢侈を愛するものがラークシュタイン王国第二王子の妻として務まると思っているのか?」
しん……とした大広間で、ただカインの怒鳴り声だけが響き渡っている。
シンディは、意を決して口を開いた。