第七章 皇豪輝 Gouki’s Boot Camp⑥
な……
何これ?
これは豪輝の心中。
胸中。
思惑である。
たった四文字。
現在起きている事の異常性、体内で起きている尋常でない危機。
それらを全て集約させた四文字だった。
現在起きている事の異常性。
それはたった今豪輝に降りかかっている災難と呼べる出来事。
今、豪輝は…………
酉冊にキスをされている。
もちろん、酉冊は男。
中年男性。
渋いイケオジの様な顔では無い。
顔全体から粗暴の空気をふんだんに漂わせ、瞬間でカタギでは無いと察知できる程荒れに荒れた顔。
それ以前に男である。
豪輝は不意を衝かれて仰向けに転ばされた所、覆い被さる様に唇を重ねられた。
年端の行かない少年を粗暴な中年男性が強引に寝転ばし、キスをする。
BL系の18禁冊子の中でもかなりマニアックな範囲に絞られたシチュエーション。
それを豪輝はリアルに体験している。
ちなみに豪輝のファーストキスである。
酉冊は何故こんな異常な行為に走ったのか?
それはもちろんスキルをかける為である。
前話で語った通り、酉冊にとってキスは世間一般で語られるキスとは大きく違う。
酉冊にとってのキスとは殺人の為の手段に過ぎない。
甘く語られる様なキスとは次元が違う。
ここで疑問に思われた読者も居るのではなかろうか?
何故酉冊はスキルを使ったのか?
この点にである。
これも前話で語ったが酉冊は入山して以降スキルを封印していた。
理由は居所がバレてしまうから。
前話に名だけ登場した茨田銀司のスキルによって。
銀司のスキルまでは解らないが吐毒を使用すると居場所が特定される。
それを理解していて何故スキルを使用したのか?
簡単に言うと背に腹は代えられぬと言う事である。
吐毒を仕掛ける前。
完璧に不意を衝き、殺ったと確信していた酉冊。
が、結果は腹に強烈な一撃を喰らい仰向けに倒れている自分。
最初、酉冊は何が起きたか理解できなかった。
理解出来ず動けなかった。
だが、気を失っては無かった。
衝撃は凄かったがダメージは思った程では無かったから。
これは酉冊の体内に残存していた魔力が原因。
前話の投石の様に腹へ自然と魔力を集中させていた為。
動かなかったのは理解が追い付かないと言うのもあるが、他に考える猶予と隙を伺う時間が欲しかったのだ。
仰向けに寝転がり、気絶したフリをしながら酉冊は考えていた。
これが竜河岸かと。
竜河岸の異能を肌で味わったのは初めてだった。
もうこいつを侮るのはやめよう。
どうする?
スキルを使うか?
いやいや、使うと居場所がバレる。
だが……
今の一撃は物凄い。
何故かそんなにダメージは無いがこいつを今までの殺して来た人間と同じと考えるのは危険だ。
先の不意打ちにも対応した。
こちらもスキルを使わないと多分やられてしまう。
どうする?
考える酉冊。
辿り着いた先はスキルを使用する方を選択。
結局このままスキル未使用で殺そうとしても多分無理。
出来たとしても手傷を負うかかなり時間がかかるだろう。
それよりかはスキルを使用して完全に息の根を止めた方が良い。
例え居場所がバレたとしても食糧と水を補給してこの場から離れたら大丈夫だろう。
そちらの方が逃げおおせる可能性が高いと踏んだのだ。
これがスキルを使用した理由。
吐毒を喰らって助かった者は居ない。
ただの一人として居ない。
喰らった人間は全員死亡している。
殺傷能力が極めて高い殺人スキル、吐毒。
それを喰らった豪輝はどうなったのだろうか?
な……
何これ?
豪輝は両網膜いっぱいに広がる光景を信じられずにいた。
いや、視覚だけでは無い。
触覚、嗅覚、味覚。
聴覚以外の五感から伝わる。
膨大で猛烈で圧倒的な不快感を信じられずにいた。
○視覚
豪輝の鼻先よりも更に短い距離にある酉冊の顔。
見開いている両眼から伝わって来る殺意。
この人は僕を殺そうとしている。
そう信じられる目をしていた。
嫌だ!
この眼は嫌だ!
○嗅覚
中年男性の体臭と口臭が豪輝の鼻孔へ抉りこむ様に侵入して来る。
鼻の粘膜を突き刺す様な臭いで更に不快感が大きくなる。
臭い!
何をしているんだ!
早く離れろ!
○味覚・触覚
唇を重ねられている豪輝。
これはキスと言う行為。
この行為が意味する事は小学六年にもなれば知識として知っている。
恋人同士が愛を確かめ合う行為。
小学六年の豪輝にはまだまだ恥ずかしくクラスメイトで恋愛沙汰の話が出ようものなら“キース、キース”と囃し立てる側。
ならばこの人は僕の事が好きなのか?
そんな訳が無い!
ある筈が無い!
愛情を向ける対象に殺意など向ける訳が無いから。
それ以前に僕は男だ。
その二点で酉冊からの愛情を全否定するには充分だが、それ以上に大きな理由があった。
それは……
体内に侵入して来た異物。
その異物はまず豪輝の舌を痺れさせた。
味覚が麻痺する様な感覚。
その異物は豪輝の口から体内に浸透。
!!!!?
酉冊に唇を重ねられ約25秒。
豪輝は身体の異変に気付く。
やばい!
何かおかしい!
ブルブルブルブル
全身が震え始める。
更に汗も掻いて来た。
この残雪の残る三月の乗鞍岳にいるにも関わらず。
超至近距離にある酉冊の顔もぼやけて来た。
これは神経ガス吸気の症状。
全身の震えは筋収縮によるもの。
神経伝達物質のアセチルコリンが分解されず大量増加。
神経信号が伝達されず筋肉や臓器の筋肉が収縮している。
発汗もアセチルコリンの大量増加で引き起こった汗腺異常活動。
酉冊の顔がぼんやりしてきたのは神経ガス吸気による瞳孔収縮。
典型的な神経ガスの症状。
酉冊が吐毒を喰らわせて約30秒経過。
ようやく口を離した。
ドシャァッ……
力無く地に倒れ伏した豪輝。
吐毒が全身に廻り、上手く動く事が出来ない。
ピクッピクッピクッ
痙攣する事しか出来ない。
「………………手間かけさせやがって……
行くぞゴルドフ」
【ヒャハッ!
こいつもう死ぬな。
それにしても本当に……
イイ顔スルナァァァ……】
口角を持ち上げ、悪魔じみた笑みを浮かべるゴルドフ。
【豪輝ー?
どーしたのー?】
【あぁお前。
付いてるヤツか。
もうそいつ…………
死ぬぜ。
そんじゃあな】
豪輝の絶命を言い残し、踵を返したゴルドフと酉冊。
ザッザッザッ
残雪を踏みしめ場を去ろうとする二人。
酉冊の頭の中にはもう豪輝の姿は無かった。
行き倒れていた所を助けられ、温かい食事と水を振舞われたにも関わらず。
ザッザッザッ
グルヤは何も発言しない。
もう豪輝を諦めたからだろうか?
主を失いどうしたらいいのかと戸惑っているからだろうか?
否。
グルヤが何も発しないのは理由がある。
それは…………
豪輝が立ち上がっていたから。
確かに吐毒の神経ガスを吸気した筈である。
既に2分以上経過。
普通の人であれば筋攣縮が進行し、痙攣する事しか出来ない筈である。
立ち上がる事など出来よう筈が無い。
だが事実立ち上がっている豪輝。
まだ蓄積魔力の魔力光が身体の周囲で青白く輝いている。
読者の皆様は覚えているだろうか?
かの静岡決戦。
呼炎灼のスキル、火砕流で発生した膨大な火山ガスの中でも豪輝は平然としていた事を。
本編の豪輝は有毒ガスが全く効かない。
体内に侵入した有毒物質は全て構成変化で無毒な霧に変換するからだ。
本編の豪輝であれば致死量濃度の毒ガス溜まりに落ちたとしても活動可能。
身体に影響が出る前に右から霧に変換してしまう。
今回の閑話で不等価交換の分解で留める手法は封印していると記したが正確では無い。
正しくは攻撃として使う事は無いと言う事。
現在はボギーの出したバナナの皮を霧散させる時に使用している。
今回、死亡寸前まで追い詰められた豪輝が使用したのは不等価交換の分解。
吐毒の毒ガスを霧散させた為、立ち上がる事が出来たのだ。
だが、神経ガスの症状は出ている。
無傷と言う訳では無い。
身体の怠さや視界はまだ戻らない状態。
本当にヤバかった。
あともう少しで呼吸筋麻痺で窒息死する所だったのだ。
瀕死の中、今までの加藤との生活。
自身のスキルの事を考え、辿り着いた帰結。
思いついたら即実行。
全身に不等価交換を使用。
全て無毒な霧に分解した。
ちなみに本編の豪輝は毒ガスを吸気してしまった時、分解は使用しない。
構成変化を使う。
どちらでも同じ事なのだが敢えてそうしている豪輝。
その方がよりスキルの熟練度が上がると考えたからである。
結果、本編の豪輝は有毒ガスの中でも平然としていられる。
スッ
豪輝が手をゆっくり伸ばす。
触れた先はグルヤの鱗。
魔力補充の為。
膨大な魔力が豪輝の手を伝って豪輝の身体へ。
その量は大型魔力を超える程。
未曽有の量の大魔力が豪輝の周囲に纏わり付いた。
大きく。
そして蒼白く光り輝く豪輝。
【何だよ豪輝。
全然平気そうじゃん。
アイツが死んだとか言うからどうしたんだと思っちゃったよ】
グルヤの声。
呑気な声。
バッッッ!
この声に反応したのは酉冊。
素早く振り向く。
その両眼に映ったのは立ち上がっている豪輝の姿。
信じられない酉冊。
先程充分な量の神経ガスを吸った筈だ。
倒れた後は痙攣し続け、最終的には絶命。
死ぬ筈だ。
眼を大きく見開いて無言で豪輝を見つめる酉冊。
今まで吐毒を喰らって生き延びた奴などいない。
全員死んだ。
死に果てた。
豪輝も想像の上ではそうなっていた。
だが、事実は違う。
豪輝は生きている。
生きて立ち上がっている。
先程よりも大きな蒼白い光を放ちながら。
【ヒャハァッ!
おもしれぇっ!
おいマーサ、どうすんだ?
自慢の毒が効かねぇみてぇだぞ】
ゴルドフが笑っている。
相変わらず狂気を感じさせる笑みであるが向けられている方向が違う。
ゴルドフの笑みは酉冊に向けられている。
その顔は酷く狼狽していた。
豪輝に初めて見せた感情らしい感情。
その今にも震えだしそうな酉冊の顔が面白くてしょうがないのだ。
「おい……
ゴルドフッ……
手伝えっ……」
ぽつりとゴルドフに命令。
それを聞いたゴルドフの顔が更に大きく。
愉悦に浸った悪魔の様に笑ったのだ。
【やなこった】
「な…………
貴様ァッ!
俺が使役している竜じゃ無いのかぁっ!?」
声を荒げる酉冊。
【あ?
んなモン、カタチだけだカタチだけ。
俺はお前が生きようと死のうと知ったこっちゃねぇよ。
馬鹿が】
吐き捨てる様に言ってのけたゴルドフ。
「なっ…………」
言葉を詰まらせる酉冊。
今まで付いて来ていたのは単純に自分の興味に従っていただけ。
それが露呈した瞬間だった。
「…………俺が捕まったらお前は向こうへ強制送還されるんじゃないのかっ……?
それでも良いのかっ?」
B.Gでゴルドフを斡旋された時、ある程度の竜の知識はレクチャーされていた酉冊。
犯罪を犯した竜河岸が捕まると使役した竜は竜界へ強制送還される。
それは聞いていた。
【ん?
そういやヴィリーがそんな事言ってたな……
確かにまだ帰りたくねぇ。
もう少し人間って生物を楽しみてぇな。
しょうがねぇ手を貸してやるよ】
このヴィリーと言う男。
本名をヴィリー・ヘロルトと言う。
B.Gで邪竜を管理している幹部である。
ヴィリーとB.Gに関しては本編最終章最終幕にてその全貌が明らかになる。
それはともかくゴルドフはいとも容易く手を貸す事になった。
竜河岸同士の戦いには関与しない。
それが竜の間で広まっている習わし。
だがあくまでも習わしだけであって、マザーの強制力がある訳でない。
人間同士の諍いに手を出さない。
ある種、竜の誇りの様な習わしなのである。
だが、ゴルドフは邪竜。
そんな竜の誇りなど知った事では無い。
自分の興味を削ぐ輩がいれば排除する。
さっき豪輝に飛び掛かったのはそれが理由。
興味のある酉冊が自分の知らない所でぶちのめされている。
そうはいくかと飛び掛かったのだ。
だが、それにしても簡単に手を貸す様になったなと思われるかも知れない。
要するに断ったのは似非。
断った時の酉冊の顔が見たかっただけなのだ。
それに若干、豪輝にも興味はある。
狼狽えた時の豪輝の顔は酷くお気に入り。
こいつが本当に死を確信した時どんな表情を見せるのだろう。
思い浮かべるだけで思わずにやけてしまう程の興味。
「グルヤ……
あいつら闘る気だ……
僕達も立ち向かうぞっっ」
だが、豪輝の方も変化があった。
勇気。
自分の命を脅かす脅威に立ち向かう闘志。
豪輝に初めて生まれた戦意。
闘う意志。
理不尽に抗う気持ちが豪輝には生まれていた。
加藤との組手とは少し意識が違う。
加藤との時は生存本能や教えを乞う気持ちが強かった。
だが今は違う。
純然たる士気が高揚していた。
豪輝は怒っていたのだ。
せっかく救助したのに。
出来る限りの看護はしたのに。
何故、僕が殺されなければならないんだと。
ちなみに先程の異常行動はスキルだと解っている。
多分口移しで毒物を流し込むスキル。
仮説ではあるが、ある程度の結論は出していた。
さすがに小学生である為、吐息が神経ガスに変化している所までは解らなかったが概ね正解。
だがそれは怒る理由とは少しズレている。
豪輝が怒っているのは酉冊のキスと言う行為そのもの。
中年男性からのキス。
身の毛がよだつ。
怖気が全身に発生し、身体を震わせる。
鼻に入って来た体臭と口臭。
思い出しただけで豪輝の身体を飛び出して世界中を埋め尽くしてしまう程膨大な不快感。
しかも自分の命を奪う為にした行為。
これが豪輝の怒った理由。
手厚く看護した結果がこれか。
何だこれは?
僕を小学生だと思って馬鹿にしているのか。
そっちがその気ならやってやる。
憤りや苛立ち。
鬱憤等が入り混じった怒りである。
ちなみにこれが豪輝のファーストキス。
これがトラウマになる程深く心に突き刺さるのはもう少し後の話。
【ん?
アイツらとケンカするの?】
グルヤは子供の竜。
純粋に聞いて来る。
「あぁ……
やってやる……
やってやるぞぉっ!」
豪輝は自分を鼓舞する様に声を上げた。
【ホホー……
弱っちい人間の癖にエラい気合が入ってるじゃねぇか……
じゃあ殺ってやる……
かっ!!】
ドンッッッ!
ゴルドフの身体が超速で前に飛び出した。
見上げる程の巨躯にも関わらず物凄いスピード。
豪輝の眼には赤い影にしか見えない。
【えいっ】
一瞬で豪輝の前に立ち塞がったグルヤは長い尻尾を振り上げた。
シュルルンッ!
豪輝の目に映ったのはゴルドフの真っすぐ伸びた赤い腕に絡みついたグルヤの黄金色に輝く尻尾の光景。
まさに一瞬の出来事。
豪輝は魔力を目に集中してなかった為に全く目で追えなかった。
ゴルドフの鋭い爪は完全に豪輝の頭部を捉えていた。
もしグルヤが止めてくれなかったら確実に突き刺さるコース。
【ヒャハッ!
テメー……
子供だと思ってたけどなかなかやるじゃねぇか……
んでこっからどうすんだ?】
【何かお前ヘンだよ。
どっかいっちゃえ】
グググ……
そう言いながらゴルドフの巨体を持ち上げるグルヤ。
ビュンッッ
そのまま横へ投げ飛ばした。
ベキィッ!
ベキベキバキベキィッッ!
超速で飛んだゴルドフの身体。
木々を力任せにへし折りながら飛んで行った。
唖然とその様子を見つめていた豪輝。
「グ……
グルヤ……
お前って凄い竜だったんだね……」
グルヤはあの黒の王。
磁鍾帝カイザリスが見出した竜。
初期竜と言えどもその力は一般の竜に比べて高い。
【ん?
そうなの?
僕、良く解んない】
だがグルヤはよく解っていない。
ボンッッ!
薙ぎ倒された木々が弾けた。
と、同時にゴルドフがこちらに向かって飛び出して来る。
今回は何とか豪輝の眼にも捉える事が出来る。
蓄積魔力の魔力を両眼に集中していたからだ。
シュルルッ!
先程と同様に長い尻尾を伸ばして攻撃を止めようとする。
が…………
【それはさっき見たぜ】
豪輝は確かに聞いた。
超速で戦況が変化する中でのゴルドフの呟きを。
グルヤの長い尻尾が空を切った。
ゴルドフが腕を引っ込めたからだ。
【あれっ?】
ズブゥゥゥゥゥッッッ!
ゴルドフのフェイントに翻弄されたグルヤの腹に長い爪が深く突き刺さる。
ビュンッッッ!
強烈な衝撃。
後方へ吹き飛ぶグルヤ。
ベキボキボキベキィッッ!!
先のゴルドフと同様。
木々を力任せに薙ぎ倒して行く。
「ウワァァァァァァッッッ!」
ドコォォォォォォォォンッッッ!
グルヤが超速で豪輝の隣を通り過ぎて行った瞬間。
豪輝が叫び声をあげ、前に飛び出した。
巨大な衝撃音。
魔力を集中した右拳をゴルドフの顔面に叩き込む。
ゴルドフの身体は再び後方へ吹き飛んで行った。
ダンッ!
ガンッ!
ズザザザザァァァァァァッッ!
真横に飛んだ巨体。
その重量の為、即落下。
地面に強く打ち付けられる。
だがグルヤの魔力を集中させた強烈な一撃の衝撃はまだ治まらない。
強引に撥ねたゴルドフの巨体は更に後ろへ。
地面を削りながらようやく止まった。
人間が竜に攻撃。
有り得ない事。
竜とは人間よりも上位に立つ生物。
完全にヒエラルキーの上に君臨する存在。
竜河岸同士のぶつかり合いはあっても竜河岸が竜に手出しする事は無い。
それ程、人間と竜の間には格差があるのだ。
異能が扱えると言ってもそれは微々たる差でしか無い。
本編でも人間が竜にケンカを売る一幕があった。
それは竜司が橙の王と闘った時。
異能が扱えると言ってもたかが人間。
それが竜界三大勢力の一角、王の衆。
琥煌帝ハンニバルに立ち向かった事が異常。
竜司の場合、特異点として絶望の未来を変えると言う使命があった為致し方無いと言うのがあるが。
豪輝が竜を殴る絵。
何と勇気のある姿だろうか。
だが豪輝は勇気を奮い立たせた訳では無い。
ただ無我夢中だった。
グルヤがやられた。
この事実が豪輝を突き動かしたのだ。
ドシャァッ……
豪輝は上手く着地出来ず、地に倒れ伏した。
酉冊の投石によって左脚を負傷している為だ。
蓄積魔力では自身の傷を治す事が出来ない。
倒れた豪輝の前には荒々しく削れた地面が道となって続いている。
載っていた雪も吹き飛ばし、下の地面が剥き出し。
それにしても物凄い威力。
治療が出来ない事を差し引いたとしてもかなり有用な受動技能。
腹這いになりながら自身の一撃で作った痕を見つめその威力にしばらく唖然としてしまっていた。
蓄積魔力で纏った魔力を全開で集中させた一撃を放ったのは乗鞍岳に来て二度目。
最初は蓄積魔力が初めて発動した時。
加藤に殺されかけた時だ。
加藤はその一撃を受け止めず捌いた。
それ程の一撃だったのだ。
且つ今回は蓄積魔力を初めて発動した時と違う。
纏っている魔力量はそれ以上。
熟練度も上がっている。
ゴルドフが吹き飛んだのも頷ける。
狩りや加藤との組手の時は全力で使用はしていない。
無意識でセーブをかけていた。
蓄積魔力の凄まじい力に深層意識では恐怖を覚えていたから。
ハッッ!?
そうだ!
グルヤだ!
グルヤはどうなった!?
吹き飛ばされた事を思い出した豪輝。
自身の力に呆けている場合では無い。
豪輝は即座に片足で立ち上がる。
キョロキョロ
自分の後方に広がる光景に絶句する。
木々がへし折られて道の様なものが出来ている。
おそらくグルヤが吹き飛んで出来た道。
まじまじと見つめ、竜の力に戦慄が奔る。
と、ここで道の奥に黄金色の鱗が見える。
グルヤだ。
「グルヤッッ!」
ピョンッッ!
片足で高く跳躍。
一足飛びでグルヤの元へ。
スタッ
グルヤの側へ着地。
その様子を見て言葉を失った豪輝。
その腹は血塗れ。
真ん中に四つ穴が空いている。
そこから大量の血が溢れ、グルヤの腹を濡らしていた。
「グルヤァッッ!?
死んじゃダメだぁぁっ!」
【僕は死なないよ。
豪輝ったらそんな大声出してヘンなのー】
倒れていたグルヤの長い首がピョイッと動き、クリクリした大きな瞳を豪輝に向けた。
その様子はまるで平然。
人間であれば即死していてもおかしくない程の流血であるにも関わらず。
「ヘンって……
こんなにいっぱい血が出ていて心配にならない訳が無いじゃないか……」
【よいしょ……
イタタ……
だからさっきも言ったでしょ?
平気なんだって】
そう言いながら白色光が患部を包んだ。
すぐに光が止み、元通り。
【ね?
だいじょーぶでしょ?】
「で……
でもあんなに血が出ていて……
本当に大丈夫なの?」
【チ?
チってなあに?】
「血だよ血。
そのお腹についてる赤いのだよ」
【あーこれかー。
時々出て来るこの赤い汁、何なのかなって思ってたよー】
グルヤ、あっけらかん。
竜にとって血とは魔力を扱う様になる前、今より遥か太古の頃の名残。
人間の歴史が形成される更に太古の頃。
まだ魔力と言う摩訶不思議エネルギーを扱えない。
生物として真っ当に過ごしていた頃の名残。
その頃は普通に食べ物を食べ、排泄も行い、夜になったら眠る。
特に口から閃光や炎を出す訳では無い。
本当にただの大きいトカゲ同然の生物であった。
ただ長寿である。
その特徴以外は変哲の無い生物だったのだ。
その頃の竜は凡そ100~300年ぐらい生きていた。
現在の竜と比べると短命である。
現在の竜の寿命は凡そ1000年から30000年。
10倍から100倍も伸びている。
それも全て体内に産まれた魔力生成器官のお陰。
何故この様な物が産まれたのかは不明。
一切持って謎である。
ただ無尽蔵に産まれる魔力を扱える様になった為、膨大に寿命が延びたのだ。
更に栄養摂取や排泄も必要なくなる。
血も生きて行く上で必須では無くなった。
生物である為、身体を動かす為に使用してはいるが無くなったからと言って死ぬ訳では無い。
前述の通り傷は魔力で治療可能。
更に失った血液も体内の魔力で生成出来るのだ。
もっと言えば血液の代わりに魔力をそのまま使用する事も可能かも知れない。
生物としての欠点をほぼ全て克服した存在。
それが竜なのである。
ただやはり生物である以上、頭と胴体を切り離されたら絶命するが。
参照話:最終章第二幕
竜が魔力を扱う様になって幾星霜。
もはや自分の身体がどの様に動いて、臓器がどの様に機能しているか学術的に理解している竜は一人として居ない。
傷を負っても痛みはするが何か穴が空いた。
これぐらいの認識でしかない。
血液の事を知らないグルヤが珍しいのではない。
それが竜の常識なのだ。
竜の身体の事は竜界のトップに君臨するマザーですらよく解らない。
マザーの能力である全知全能を使えば理解は出来るが、あくまで感覚的な物。
どう説明したら良いかよく解らないのだ。
「ホントに大丈夫なの……?」
【もうしつこいなあ。
大丈夫だよ】
「…………それと……
さっきは護ってくれてありがとうね」
少しはにかみながらお礼を言う豪輝。
面と向かって言うのが少し照れ臭いのだ。
【……えっと……
こんな時、人間の言葉で何て言うんだっけ……?
あ、そうそう。
ドーイマシタシテ】
えへんと少し威張りながら堂々としたグルヤ。
「……それを言うならどういたしましてじゃない?」
【あ、それだそれ】
「……プッ……
ヘンなの」
竜特有の言い間違いに少しリラックス出来た豪輝。
だが……
そのリラックスした気持ちは直後に始まるゴルドフとの死闘で霧散するとはこの時の豪輝は知る由も無かった。
ボンッッッ!
遠くで弾ける音。
折れた木々が爆散し、辺りに飛び散る。
ゴルドフが起き上がり、飛び上がったのだ。
スタッ
ゴルドフ、悠々と着地。
長い首を曲げ、顎辺りを擦っている。
【あービックリした……
俺の顔ドツきやがったのはちっちぇオマエか?】
ゴルドフの視線は真っすぐ豪輝に向いている。
「…………そ……
そうだけど……」
豪輝は恐る恐る答えた。
その返答を聞いたゴルドフの顔が歪む。
自身の狂気を載せて悪魔の様な笑みを浮かべた。
【ヒャハァ……
オメー人間の割には結構つええじゃねぇか……
こりゃあ楽しめそうだァ……】
ニチャァッ……
口を大きく開き、歪んだ笑いを見せる。
牙と牙の間がネットリと唾液で糸を引いた。
獰猛さがありありと伝わる。
ゴルドフと言う竜。
好きなのは人間の苦しむ顔や怯えた顔。
それと同じぐらい闘いも好きなのだ。
竜界時代は気分で他の竜にケンカをよく売っていた。
極めて好戦的な竜。
自分の力で屈服させた竜の苦しそうな顔や怯えた顔を見るのが堪らなく好きだった。
勝率は高く7割。
ゴルドフは決してポテンシャルの高い竜では無い。
一般の竜と能力自体は変わらない。
なのに何故これだけの勝率を保っていたのか?
その秘密が明らかになる。
ブンッッ
消えた!?
今まで目の前に居たゴルドフが消えた。
【おい】
死角から声。
ドコォォォンッ!
「ゴハァッ!」
豪輝の呻き声。
豪輝の顔が横にブレる。
ドシャァァァッッ!
吹き飛ぶ豪輝の身体。
打ち下ろしたゴルドフの拳が無防備な豪輝の顔に命中したのだ。
強く地面に叩き付けられた豪輝の身体が滑って行く。
シュルルンッ
同時にゴルドフの長い尻尾がグルヤの脚に巻き付く。
ビュンッ!
そのまま持ち上げ、豪輝が滑って行った方向に投げ飛ばした。
宙を舞うグルヤの巨体。
ドスゥゥンッッ
グルヤの巨体が地に落ちる。
地響きがする程の重苦しい音を立てた。
物凄い衝撃だったがさほどダメージは無い。
蓄積魔力で防御力が増しているからだ。
「グルヤ……
大丈夫……?」
側で倒れていたグルヤを手を差し伸べる豪輝。
【うん。
あービックリした……】
手を掴み、起き上がるグルヤ。
豪輝の心中には疑問が浮かんでいた。
何故ゴルドフの姿を見失ったのか?
そしてグルヤも。
何故、自分が攻撃されそうな時にそのまま指を咥えて見ているだけだったのか?
グルヤの眼にはゴルドフの動きは捉えられる筈。
豪輝も両眼への魔力集中は解除していない。
ならば豪輝にもゴルドフの姿は捉えられる。
なのに何故?
訳が解らない。
僕らの様子を見て歪んだ笑いを見せるゴルドフ。
【ヒャハァッ……
俺はきちんとした竜なんだよ……
喰らったものはキッチリ返す…………
それにしてもお前…………
イイ顔スルナァァッ……!】
豪輝の表情は疑問と恐怖と焦りなど色々ネカティブな感情が入り混じっていた。
それを見たゴルドフの顔が悪魔的に歪む。
その表情を見た豪輝はある印象を受けた。
言わばそれは何処か秘匿している。
いわゆる……
“ネタがあんのにこいつらわかんねぇでやんの”
と言った嘲笑の笑み。
嘲る笑み。
「グルヤ……
気を付けろ……
こいつ何か仕掛けているぞ」
【ん?
どう言う事?
アイツ何にもしてないじゃない】
「僕は蓄積魔力の魔力を目に集中してたんだ……
けどアイツの姿を見失った……
グルヤもそうだ……
アイツの動きは捉えていたのに何でみすみす足を取られたの?」
【そう言えば何でだろ?
何だかボーッとしちゃって……
気が付いたら空飛んでた】
「ボーッと……」
【おーおー弱っちい人間と弱い竜が話し合ってら。
いくら考えてもオメーら低能にはわかんねぇよ。
さぁ借りは返した……
こっからは俺の時間だァァ……】
ギュッッ
拳を握るゴルドフ。
この台詞で確信した。
こいつは何か仕掛けている。
だがまだカラクリは解らない。
問題は一つずつ解決する。
まずは何故捉える事が出来なくなったかだ。
単純にスピードが上がっただけなのだろうか?
いや、それは無い。
もし移動スピードを上げれるならお前ら低能には解らないと言った言い回しはしない。
やはり僕が急に動きが捉えられなくなったのは何かカラクリがある。
ピトッ
ゴルドフの動きを警戒しつつ、グルヤの鱗に手を合わせた。
これは魔力補給の所作。
まだまだ充分に蓄積魔力の魔力が残っているにも関わらず豪輝は魔力を追加補充をした。
これは検証を行う為、更に両眼へ集中する魔力を増やす目的。
あともう一つ目的がある…………
それは……
ドンッッ!
ゴルドフの姿が消えた。
ドコォォォッッッ!
「カハッ……」
腹に衝撃。
気が付くと眼前にゴルドフが立っていた。
立って豪輝の腹に強烈なパンチを叩き込んでいる。
短い嗚咽が漏れる。
身体がくの字に曲がる。
大きい衝撃。
だが、身体は動く。
ダメージは思った程では無い。
バッ
豪輝はすかさず両手を縦にし、前に構えた。
これはピーカブーガード。
何故、竜の強烈な一撃を喰らって動けるのか?
これが魔力補充をしたもう一つの目的。
身体に纏っている蓄積魔力の魔力を両眼と防御に使用する気だっだのだ。
グルヤから大量の抽出した魔力を全て防御に回したのだ。
例え竜の一撃と言えどもダメージはかなり軽減される。
【ヒャハァッ!
オラオラオラァァッ!
歪め歪め歪め歪めェェェッッ!】
ドコォッ!
ドコォッ!
ドコォッ!
ドコォッッ!
打撃音が連続して響く。
やはり手の動きは見えない。
強烈な衝撃だけが縦横無尽に襲い来る。
豪輝はピーカブーガードの隙間からゴルドフの動きをじっと観察していた。
豪輝は攻撃する気は無かった。
見えないカラクリを解くのが先決。
現在豪輝が扱える魔力全てを使ったフルガードの為、竜の強烈な連打にも耐えれる。
痛みにも慣れて来た。
さっそく違和感を感じた豪輝。
それは音と動きの差だ。
目にも止まらぬ速さの連打であれば音の間隔はもっと短くなる筈。
にも関わらず一つ一つの音の間隔が空き過ぎている。
だが、手の動きは見えない。
となると目に何かされたのだろうか?
ドコォッ!
ドコォッ!
ドコォッ!
ドコォッ!
「…………グゥッ……」
ダメージは軽減されているとは言えしつこい連打にそろそろ限界。
小さく呻き声を漏らす。
苦痛に歪む表情。
【ヒャハァッ!
やっぱオメェ良いせェェッ!
イイゼェッッ!
もっと見せろォォッッ!
見せろ見せろ見せろ見せろォォォォッッ!
苦痛に歪んだ顔を見せろォォォッッ!】
ドコォッ!
ドコォッ!
ドコォッ!
ドコォッ!
更に打撃を繰り出すゴルドフ。
サディスティックな気性を露にする。
うかうかしていられない。
次に行う検証は視力強化。
先程集中した量以上の魔力を使用。
強化した視力へ魔力を更に上乗せ。
ゴルドフの連打が続く中、歯を喰いしばって耐えながら目を凝らす。
見えた!!
ヒョンッ!
豪輝がバックステップ。
ゴルドフの一撃が空を切る。
【チッ……
クソ生意気に避けてんじゃねぇよ……】
一瞬で表情から笑みが消える。
見えた。
確かに見えた。
ゴルドフの赤い拳が襲い掛かって来るのが見えた。
かなり大量の魔力を集中したからだろうか?
まだ確証が持てない。
【じゃあ……
オメーの片割れに遊んでもらうと……
するかァッ!】
唸り声をあげたゴルドフは目標をグルヤにチェンジ。
ズバァッ!
ドスゥッ!
バスゥッ!
両手の長い爪が唸りをあげ、グルヤの身体を斬り刻み始めた。
だが、グルヤは動かない。
ピッ!
ピピッ!
グルヤの身体から血飛沫が飛ぶ。
いくら竜にとって流血はさほど問題が無いと言っても痛みは感じる筈。
動かないのは明らかに異常。
【このっ……
肉をっ……
斬り裂く感触はァッ……
堪んねぇなァッ!
弱っちい人間はすぐに死んじまうからッ……
ナァッ!】
ズバァッ!
ブシュゥッッ!
瞬く間に全身血塗れになるグルヤ。
黄金色の鱗が赤く染まる程の流血。
だがその場から動かない。
「グルヤァァァァァッッ!
抵抗してぇっっ!
動いてェェェッッ!」
明らかに異常なグルヤに危機を感じ必死に呼びかける豪輝。
すると……
【あ…………
豪輝が呼んでる……】
ダンッ!
大地を強く蹴り、グルヤが跳躍。
ビュンッッ!
ゴルドフの長い爪が空を切った。
ドスッ!
豪輝の側へグルヤ着地。
【…………ん?
あれ?
僕、どうしてたんだろ?
確か豪輝の声が聞こえて……
アイタタタタ】
「グルヤァッ!
身体中傷だらけだよォォォッ!」
豪輝の眼には全身血塗れの竜。
【ん?
あ、ホントだ】
パァァァァァッ
全身が白色光に包まれた。
すぐに光が止み、元通り。
グルヤの反応の違い。
ここがカギになる様な気がした豪輝。
「…………何でさっきはやられるままだったの……?」
豪輝はストレートに聞いてみる。
【僕も良く解んない。
何だかボーッとして……
そしたら豪輝の声が聞こえたから来たの】
さっきも言っていた。
ボーッとする。
どう言う訳かヤツに近づくとグルヤの思考が低下するらしい。
と、なると話は簡単だ。
「グルヤッッ!
僕を乗せてこの場から離れろっ!」
距離を保って戦えば良い。
すぐさまグルヤに飛び乗った豪輝。
【うんっ!】
ダダッ!
一目散に駆け出すグルヤ。
その場から離れ、距離を取る。
理由は解らないが、あの二人は僕らを殺したいみたいだ。
ならば追って来る。
そう踏んだ豪輝。
ガサッ!
ガサガサガサッ!
物凄い勢いで茂みを掻き分けゴルドフから離れる豪輝達。
前に大きな茂み。
グルヤと二人でも充分に身を隠せる。
「よしっ
ここで止まれっ!」
キキィッ
グルヤ急ブレーキ。
「グルヤッ!
早く茂みに隠れろッッ!」
豪輝には作戦があった。
茂みに隠れ、待ち伏せる作戦。
狩りの時と同じ要領。
ゴルドフが追いかけて来て、ポイントに辿り着いた段階で不等価交換を使用。
落とし穴に嵌めようと考えたのだ。
これはある種の賭け。
もしゴルドフの能力が近づいただけで発動するものなら?
もしポイントと隠れている距離が射程圏内なら?
再びグルヤの思考は低下してしまう。
どうか。
どうかそうじゃありません様に。
ただ祈る事しか出来ない。
茂みの中で祈る豪輝。
ダダッ
そうこうしている内にゴルドフが追いかけて来た。
【足跡がここで消えてやがんな……
て事は……
この辺りに潜んでるって事か……】
「グルヤ……
グルヤ……
僕の声が解る……?
ひそひそ声で話して……」
【ん?
豪輝?
うん、声は聞こえるよ】
言いつけ通りひそひそ声で話すグルヤ。
良かった。
思考は低下していない様子。
これでハッキリした。
ゴルドフの能力は何らかのトリガーが無いと効果は出ない。
ゴルドフは立ち止まり周囲を見渡している。
豪輝はゆっくりと右人差し指と中指で指し示す。
先はゴルドフの足下。
「不等価交換」
静かにスキル発動。
フィンッ
ゴルドフの足下が霧散。
ズボォッ
【お?】
見事落とし穴に嵌ったゴルドフ。
「やった」
思わずガッツポーズをする豪輝。
ガサッ
茂みから飛び出す豪輝。
目の前にはポッカリと空いた穴。
ゴルドフを落とす為、深く大きい範囲を指定した。
こんなに大きい落とし穴を生成するのは初めてだった。
ぶっつけ本番で豪輝は成功させたのだ。
これもスキルの熟練度が向上した為である。
場は静寂。
しんと静まり返り、物音一つしない。
豪輝は勘違いをしていた。
相手はウサギやシカの様な動物では無い。
竜なのだ。
狩る小動物であれば落とし穴に嵌めた後、上から首を掴み、首を斬れば済む話である。
ただ相手が竜となると話が違って来る。
確かに首を斬れば竜と言えども死ぬ。
生物的な面で言えば同ライン上と言えるかも知れないが、こんな穴に嵌めたぐらいで決着する訳が無い。
次の一手が必要なのだ。
だが……
「…………ここからどうしよう……」
豪輝も察していた。
相手は竜なんだと。
落とし穴に嵌めたぐらいで決着する訳無いじゃないか。
豪輝は不等価交換で生成した落とし穴に嵌める事しか考えていなかった。
ボッッ!
何かが弾ける音。
ザッ
気が付くと眼前に紅い壁が立ち塞がる。
その赤は若干黄色が混じっている。
ゴルドフが落とし穴から飛び出したのだ。
難なく。
「ウワァァッ!」
突然の事にたじろぐ豪輝。
【オイ】
ゴルドフが長い首を折り、禍々しい顔を豪輝に向ける。
真っ直ぐ突き刺す様に自分を見る悪魔の両眼。
何も話す事が出来ない。
体内で膨らみ始める恐怖。
【この穴作ったのオメーか?】
口をパクパクさせる豪輝。
何も言葉が出ない。
頷くだけが精一杯。
ニヤァァァッッ
豪輝の頷きを見たゴルドフの顔がゆっくりと歪む。
笑顔なのだが物凄く歪んだ笑顔。
嘲りや軽蔑。
卑しみや侮りなども混じった笑顔。
まるで取るに足らない子供が行ったイタズラを見る様な物凄く見下した笑顔。
【こんな穴に落としたぐらいで何とかなると思ったのかよ……
ヒャハッッ!
弱っちい人間の考える事はよくわかんねぇなぁ…………
ん……?
何だオメー……
俺が怖えのか……?】
溢れて来た恐怖に塗られた豪輝の表情を見て歪んだ笑顔を更に歪ませるゴルドフ。
【イイ顔ダナァ…………
オメー、本当にイイ顔スルヨナァァァッ……
なあ……
もっと見せてくれよ……?
良いだろ……?
ナァッ!!】
ドゴォォォォッッ!
「グハッッ……」
豪輝の左頬にゴルドフの拳が炸裂。
激しく右にブレる顔。
いけない。
早く防御に集中しないと。
ドコォッ!
ドコォッ!
ドコゥッ!
ドコォッン!
連続して鳴る打撃音。
痛い。
物凄く痛い。
豪輝はゴルドフへの恐怖に駆られ、蓄積魔力の魔力を防御に集中する事を忘れていた。
出遅れたのだ。
周囲に纏っている魔力量は充分。
ある程度の防御力はある。
だが、竜であるゴルドフの連打は確実に豪輝へ響いていた。
ガクッ
ついに片膝を付いてしまう。
【豪輝ッッ!】
バンッッ!
茂みが弾けた。
豪輝の危機にグルヤが飛び出したのだ。
「ダメだぁっ!
グルヤァッ!
出て来るなぁっ!」
豪輝が制止するが時すでに遅し。
グルヤは黄金色の巨大砲弾と化していた。
ドォォォンッッッッッ!
まるで大きな太鼓を思い切りぶっ叩いた様な打突音が響いた。
グルヤが頭からゴルドフの腹に激突したのだ。
ズザザザザァァァァァァッッ!
あまりの勢いに地を強く滑るゴルドフ。
ズドォンッッッ!
グルヤ着地。
豪輝の目の前がくすんだ黄赤が見慣れた黄金色へ成り代わった。
「グルヤ……」
恐怖の対象であるくすんだ黄赤からいつも見ている黄金色に変わった事で安心する豪輝。
だが、その安心も束の間。
絶望に代わる事をまだ知らなかった。
グルヤは何も話さない。
豪輝の目の前で立ったまま何も語らない。
これは……
まさか……
豪輝に戦慄が奔る。
「ねぇっ!?
グルヤッッ!?
お願いィッッ!
返事をしてぇっ!」
必死の呼びかけ。
豪輝は猛烈に悪い予感がしていた。
グルヤはゴルドフの能力にかかってしまったのではないかと。
まだ概要が不明なゴルドフの能力に。
その悪い予感は豪輝の呼びかけに対する反応で的中を裏付ける事になる。
【オイ、どけ】
グイッッ
豪輝の呼びかけに反応したのはグルヤでは無かった。
ゴルドフだったのだ。
強引にグルヤを横に押しのける。
再び豪輝の眼前には恐怖の黄赤。
「あ……
あ……」
豪輝の心中を激しい絶望が襲う。
バカァッ!
その様を見て口を大きく開き、鬼畜の様な笑顔を見せるゴルドフ。
【オメー……
イイナァ……
本当にイイ顔スルナァァッ……
オラァッ!】
ドコォッッ!
頭上から小さな豪輝の身体、目掛けて拳を振り下ろすゴルドフ。
相手が小学生だろうと年端の行かない少年だろうと関係無い。
ただ絶望や苦痛に彩られた顔が見たい。
その下種な欲望を叶えたいだけだった。
ガバァッッ!
豪輝はピーカブーガードの構えを捨て、両手で頭を押さえ蹲る。
【オラァッ!
そんな恰好をしたら顔が見えねぇだろうがよォォッッ!】
ドコォッ!
ドコォッ!
ドコォッ!
ドコォッ!
豪輝の小さな背中をしつこく打ち据える大きなゴルドフ。
少しづつ体内の鈍痛が膨らんで来た。
あ、わかった。
ドゴォッ!
ドゴォッ!
コイツが何で僕には殴って来るのか。
グルヤは長い爪で斬り裂いたのに。
ドゴォッ!
ドゴォッ!
コイツは人間の苦痛に歪んだ顔や絶望に打ちひしがれた顔が好きなんだ。
それを眺める事が好きなんだ。
ドゴォッ!
ドゴォッ!
ドゴォッ!
笑いながら殴っていたのはそれが理由だろう。
こんな竜がいたんだ。
まだ竜の知り合いは師匠のフォエニャとお爺ちゃんの黒の王しか居ないけど二人共、何処か自分が竜である事に対しての誇りを感じさせる振る舞いだった。
けど、コイツは違う。
悪魔。
鬼畜。
邪悪そのものだ。
コイツにとって他者の生き死には自分の興味欲を満たす為だけの物でしかない。
異種であろうと同種であろうと関係無い。
ドコォッ!
ドコォッ!
ドコォッ!
【オラァッ!
とっとと顔を上げやがれェッ!】
コイツの能力はよく解らないけど、残忍な性格から言って対象を弱らせるものなんだろう。
相手を弱らせて安全で安心な立ち位置から嬲るんだ。
何て汚い。
卑怯な能力だ。
概ね豪輝の思惑は正解。
ゴルドフは人間や竜を弱らせるデバフ能力を有する。
その効果は人と竜で分かれる。
人は両眼の外眼筋の動きを鈍らせ動体視力を低下させる。
竜は体内の神経伝達物質の分泌を抑制し、判断力を低下させる事が出来る。
結果、動体視力が低下した豪輝はゴルドフの姿を見失い、グルヤは神経伝達物質の分泌が低下した為、切り刻まれてもその場で立ち尽くしていたと言う訳である。
範囲は5メートル四方。
トリガーはゴルドフの口から発せられる竜ですら聴音不可の超音波。
その超音波が耳孔から体内に侵入すると発動する。
ゴルドフはこの音波を会話しながらでも発する事が出来る。
これが竜界で勝率7割の秘密。
もちろん誰にでも有効なデバフと言う訳では無い。
王の衆やマザーの衆と言った様な高位の竜には通じない。
いや、通じてはいるが自身の魔力によって難なく対処可能である。
だが能力の概要を知らない一般竜には多分に有効な能力なのだ。
竜河岸がこの能力を回避するには距離を取り回復を待つか、豪輝の様に大量の魔力でもって強引に視力の底上げをするしかない。
グルヤが離れると正気を取り戻したのは体内の魔力作用によってすぐに修復されたからである。
ドコォッ!
ドコォッ!
ドコォッ!
依然として豪輝を殴り続けるゴルドフ。
どんどん蓄積する鈍痛。
こうも竜の連打を浴びせられたら蓄積魔力の防御も持たない。
ガッッッッ!
ググググッ……
「グアァァッッ……」
荒々しく頭を掴まれた豪輝。
強引に俯いた顔を引き上げ、小さな身体を持ち上げる。
そのままゴルドフの目線上まで。
ニヤァッッ!
殴られ続けた豪輝の顔は悲痛さを隠しきれなかった。
そこに絶望も混じり、雨に濡れた捨て犬の様な顔をしていた。
その顔を見てゴルドフが笑ったのだ。
悪魔じみた笑みを見せたのだ。
【ナァンダ……
そんなイイ顔してるんジャァないカァァッ……
そんな顔、隠しちゃダメじゃナイカァァァッ!】
パッ
宙に浮いた豪輝の身体。
ゴルドフが手を離したのだ。
ドンッッッッ!
ボコォォォォォンッッ!
「ガハッッ…………」
宙に浮いた豪輝の腹目掛け、真下に強烈な一撃を炸裂。
そのまま地面に叩き付けたのだ。
ゴルドフは顔面。
いわゆる顔の真正面からは攻撃しない。
自分の一撃で顔が潰れてしまったら楽しめないからだ。
だから基本攻撃は胴体に繰り出す。
横に喰らわせて吹き飛ばさなかったのは自分の能力の射程を知っているから。
豪輝が吹き飛んでしまうと射程外になり、グルヤのデバフが解除されてしまうから。
全て計算ずく。
自身の下卑た欲望を満たす為の計算。
ドスッ!
ドスッ!
次はその大きな足で仰向けに寝ている豪輝の腹を踏み付ける。
何度も何度も踏み付ける。
「グゥッ……!
グッ……!」
豪輝の顔は苦痛に歪み、短く小さな呻き声が漏れ始める。
豪輝はもちろん蓄積魔力の魔力を腹に集中させフルガードしている。
従って軽減はされているが、それでも蓄積していくダメージ。
ゴルドフは体重をあまり載せずに踏み付けている。
全体重を載せて思い切り踏み付ければ豪輝の身体は千切れ、即死してしまうからだ。
より長く苦しむ顔を楽しむ為。
ニヤァッ!
長い首を下に曲げ、豪輝の苦悶の表情を悪魔の様に楽しんでいるゴルドフ。
ドスッ!
ドスッ!
ドスッ!
ひとしきり楽しんだらストンピング連打再開。
「ウゥッ……!
グゥッ……!」
痛みが続きダメージが蓄積される中、豪輝は考えていた。
あぁ、今度こそ終わったな。
僕は死ぬんだ。
結局こう言う運命だったのかな?
お爺ちゃんにも父さんや母さんにも知られずにこんな知らない山の中で知らない竜に嬲り殺されるんだ。
せっかく蓄積魔力や不等価交換も扱える様になったのにな。
ごめんな蓄積魔力、ごめんな不等価交換。
僕がもっと強かったらもっと上手く扱えたのに。
もっと僕が魔力を上手く扱えたら死なずに済んだかも知れないのに。
ドスッ!
ドスッ!
ドスッ!
「グゥゥッッ……
ウゥゥッッ……」
グルヤ、ごめんな。
お前は凄い竜なのに。
お前の凄い魔力を上手く扱えなくてごめんな。
ドスッ!
ドスッ!
ドスッ!
「グゥッ…………
ウゥッ……!」
【ヒャハァァァァァァッッッ!
おもしれぇっ!
オモシレェッ!
人間ってやっぱサイコーだぜぇぇっっ!】
あぁ、何で僕はこんな身体に産まれてしまったんだろう。
何できちんとお爺ちゃんや父さん達の能力を受け継がなかったんだろう。
あぁ、僕がもっと上手く魔力を扱えたら。
この調子に乗ってるヤツに一発喰らわせられるのに。
僕がもっと強かったらずっと踏み付けてるヤツに抗う事が出来るのに。
死への諦観や口惜しさ。
自身の不甲斐なさへの嘆き。
自身の能力への謝罪や後悔。
ゴルドフの無情なストンピングの嵐の中、豪輝の心中はありとあらゆる感情が入り混じり巡っていた。
そして…………
あぁ、力が欲しい。
アイツをぶっ飛ばせる程の力が。
願い。
ドスッ!
ドスッ!
ガッッ!
【あ?】
ここで変化が起きる。
踏み付けられてるままだった豪輝が。
ゴルドフの大きく赤い右足を両手で受け止めたのだ。
【オイ、テメー。
弱っちい人間なんだから抵抗なんてクソ生意気な事やってんじゃねぇよ。
オメーはただ殴られて踏まれて俺の喜ぶ顔を垂れ流してりゃ良いんだ………………
ん?】
変化と言うのは豪輝がゴルドフの脚を受け止めた事では無い。
その受け止めた手にあった。
豪輝の両手が深い鋼鉄色に変色している。
いや、色だけでは無い。
大きさも。
拳一つがサッカーボール程まで肥大。
変化はそれだけでは無い。
片方二本。
合計四筋の細い煙を立ち昇らせている。
「……オメーの身体、どうなってやがんだ……?」
スッ
足を退けるゴルドフ。
ほんの少し間合いを広げた。
ゆっくり。
ゆっくりと片足で立ち上がった豪輝。
その姿を目の当たりにして目を丸くしたゴルドフ。
ビリィィィッッッ!
豪輝の身体は変化していた。
劇的に。
上着の両腕部が弾け飛んだ。
両肩から続く両腕は肌色から鋼鉄色に変化して行っている。
更に両三角筋の大きさも数倍に肥大。
その大きさから骨格筋の強靭さが伺える。
変化しているのは三角筋だけでは無い。
上腕二頭筋、上腕三頭筋も同様に肥大。
前腕部も同様。
両腕の全ての筋肉が何倍にも肥大。
更に長さも伸びている。
普通に立って地面に掌が付く程まで伸びていた。
ググググ……
鋼鉄色の肥大した前腕部から外側に向かって二本の管が隆起。
そこから細い煙が立ち上っている。
地に付いている両掌もかなりの大きさ。
手を広げると直径はサッカーボールよりも遥かに大きい。
これは不等価交換の第一形態、形状変化である。
様々な感情が入り混じり、最終的に力を欲した豪輝の願いに呼応するかの様に不等価交換が能力進化したのだ。
【…………オメー…………
本当に人間か?】
豪輝の姿が異形に変わっていく様をまじまじと見つめていたゴルドフの純粋な所感。
今の豪輝はかなり化物じみている。
これは竜を含めての話。
ゴルドフは驚いていたのだ。
姿をここまで段違いに姿を変化させる竜など見た事が無かったから。
こんな魔力の使い方なんて知らねぇ。
ゴルドフの抱いた純粋な感想。
完全な生物に近い竜には無い発想。
非力で欠点だらけの人間が。
弱くて脆くてすぐに死んでしまう人間が死を覚悟する程に追い詰められたからこそ辿り着いた結論。
ピトッ
ボーッと真正面を向いているグルヤの鱗に手を添えた豪輝。
魔力補給の為だ。
今の形状変化でかなりの魔力を消費したから。
分厚く纏っていた魔力光がかなり薄くなっている。
ムンニョォォォォッッ!
鱗から手を伝って大型魔力が豪輝の身体に纏わり付く。
読者はお気づきだろうか?
形状変化の開眼から豪輝はまだ一言も発していない。
眼も虚ろ。
これは蓄積魔力を初めて使った時と同じ。
豪輝の頭は回っていない。
意識としては座禅の瞑想状態に近い。
両腕が異形の形に変わったのもほとんど無意識化での所作。
本編の豪輝が形状変化を扱う時は他動物の身体などをイメージして使用する。
が、今の豪輝は半ば瞑想状態。
純粋に力を欲したが故の変化。
ザッ
右片足で立っていた豪輝は浮かしていた左脚を一歩前へ
ズキンッッ!
だが一歩で止まる。
瞑想状態と言えども痛覚は健在なのだ。
だが全く不利では無い。
何故なら…………
グググ…………
ベリィッ!
豪輝の靴が靴下ごと弾け飛んだ。
両足が肥大し始める。
豪輝には形状変化があるからだ。
両足の色が肌色から鋼鉄色にじわりじわりと変わっていく。
みるみるうちに三倍ほど大きくなり短い10本の足指全てが太い爪に変化。
その爪は深く地面に食い込んでいる。
更に形状変化の変化は豪輝の両脚を登って行く。
ビリィッ!
ズボンが裂ける音。
先程まで赤く腫れあがっていた左足首も鋼鉄色に染まり何倍も肥大した。
ビビビビビビ……
ズボンの裂け目が上に立ち昇り、両脚の筋肉が全て5倍から6倍にまで大きくなった。
バスーーッ!
鋼鉄色の巨大な両脛から外側へスカートの様に大きく広がり中から大きく煙が噴出している。
先程から出ている煙の正体は何なのか?
これは言わば魔力煙。
魔力から純粋な力のみを抽出した残りカスが煙となって体外に排出されているのだ。
人間で言う所の代謝に近い動き。
ニヤァァッッ
形状変化が完了した豪輝を見て、またいやらしく笑みを浮かべるゴルドフ。
軽蔑、侮蔑と言った侮りが込められた笑み。
【おーおー……
これまたエラい姿になっちまったモンだなあ……
けど手足が訳わかんねぇモンになったからっつってもテメーは弱っちい。
弱っちくて小せぇ人間なんだよ……
そこまで変わったオメーが俺にぶちのめされたら一体…………
どんなイイ顔スルンダロウナァァァァッァァッッ!
ヒャハァァァァァァァッッ!】
ゴルドフは侮っていた。
不等価交換の力を。
大した事無いと軽蔑していた。
形状変化の脅威を。
死中に活を求める人間の力を蔑視していたのだ。
ザンッ!
力強く右足を前に一歩踏み出す。
続いて左脚も一歩。
ゆっくり。
ゆっくりとゴルドフに歩み寄る。
間合いは約4メートル弱。
豪輝の左足からはもう痛みを感じない。
蓄積魔力の魔力を使って治療したからである。
形状変化は豪輝の魔力を溜めれない体質すらも変えてしまったからだ。
ゴルドフは笑みを絶やさない。
たかが人間如きがと侮っているから。
豪輝の歩みが止まる。
射程距離に入ったからだ。
眼前にはゴルドフの赤い巨躯と軽蔑の笑みを浮かべた顔。
豪輝の両眼はまだ虚ろ。
閉じかけた所謂半目状態。
【ヒャハァッ!
テメー、起きてんのか?
それとも恐怖のあまり意識が飛んでんのか?
おもしれぇっ!
こんなヤツ初めてだぜ……
テメーを殴ったら……
一体どんな顔に変化するんだろうナァァァッァァッッ…………
へへ……】
豪輝の形状変化で変わった手足はまるで無視。
どうせ虚仮威しだろうと侮っているから。
だが…………
その侮りが大きな間違いだったとゴルドフ本人が痛感する事になる。
スッ
ゴルドフは右拳を硬く握り、ゆっくりと振り上げる。
狙いは左肩。
豪輝の左肩、目掛け真っ直ぐ振り下ろす気なのだ。
が、形状変化が完了した豪輝にとって……
ドンッッッッッッッッ!!!!
標的が何処を狙っているかはさして関係が無かった。
何故なら……
ガンッッッ!
ベキィィィッッ!
その圧倒的力で標的を…………
ドコォォォォォォォォォォォォォォンッッッッッ!!!!
ぶちのめすからである。
ゴルドフがゆっくり拳を振り上げた瞬間。
鋼鉄色で丸太の様な太い両脚が唸りを上げた。
瞬時に宙へ跳ぶ豪輝。
激しい衝撃音。
大地が凹む。
更に豪輝は反転。
大木を強烈な力で蹴り飛ばし、瞬時にUターン。
その勢いは巨木をへし折る程。
ゴルドフは豪輝を見失っていた。
豪輝は既に戦意を失い、自分の玩具と化している。
そう思っていたから。
そう侮っていたから。
そんな相手の後を取る事など容易い。
無防備なゴルドフの背後に狙いを付ける。
目標は長い首の付け根辺り。
そこ目掛け、硬く握った。
鋼鉄色のサッカーボール程もある大きな左拳を。
魔力から抽出した力を集中させたその左拳を。
真っ直ぐ叩き付けたのだ。
【カ………………
ハ………………】
激しい衝撃に気管が圧迫され、息が詰まるゴルドフ。
ズダァァァァァァンッッッ!
ゴルドフの身体が物凄い勢いで地面に叩き付けられバウンド。
大地を撥ね、宙に浮かんだのだ。
あのゴルドフの巨躯がである。
凹んでいた地が更に凹む。
大木をへし折る程の力で加速していた豪輝の身体は瞬時に宙を浮いているゴルドフの位置を通り過ぎ、元居た場所に着地。
落下時の衝撃は全てくの字に曲げた太い異形の両脚に吸収。
まだ豪輝は止まらない。
ズザァァァァァァァァッッッ!!
立ち上がると同時に激しく回転。
回転と形状変化の力が合わさった渾身の右拳を落ちて来たゴルドフの腹、目掛け炸裂させた。
ドコォォォォォォォォォォォォォォンッッッ!!!
巨大な打撃音。
まるで至近距離で100キロクラスの火薬が爆発したかの様。
ベキボキバキボキベキボキンバキンボキンッッ!!
真横に吹き飛んだゴルドフの身体が力任せに大木をへし折る音が響く。
その音は長く遠く。
遥か遠くまで吹き飛ばされたゴルドフ。
場を静寂が包む。
一連の動きは五秒にも満たない間に起こった。
まさに数瞬の出来事。
年端も行かない。
小学生から中学生になるかならないか。
そんな少年が竜を圧倒した瞬間である。
【わー、豪輝ー!?
どうしたのー?
その手足ー。
何かヘンな色して煙出てるよー】
ドスドス
ゴルドフが離れた為、能力が解除。
正気を取り戻したグルヤ。
豪輝に歩み寄る。
豪輝はゴルドフを殴り飛ばしたポーズのまま動かない。
「あ…………
あれ……?」
ようやく正気を取り戻した豪輝。
「ぼ……
僕は一体…………」
!!!!!!???
我に返った豪輝は眼前にある自身の両腕を見て酷く動揺。
更に目に映る光景はずっと遠くまで続く道。
木々がへし折られて出来た道。
両脚に違和感。
俯くと何倍も太く大きくなって鋼鉄色に彩られた両脚。
「ウワァァァッッ!!?
何っ!?
何これっ!?
ぼっ……
僕どうなっちゃったのっっ!?
ねぇっ!?
グルヤッッ!?
何なのこれっっ!?
何か煙出てるぅっ!
怖っっ!
んでアイツは何処行ったのっっ!?
この酷い痕は何っっ!?
そんでお前は大丈夫なのっっ!?」
頭に湧いた疑問を矢継ぎ早にどんどんグルヤに尋ねる豪輝。
【そんないっぱい聞かれてもわかんないよー
…………クンクン】
グルヤが長い首を曲げ、顔を豪輝の腕に近づけ鼻を鳴らす。
「な……
何だよ……?」
【このモクモクしたの、多分僕の魔力なんじゃない?】
グルヤ正解。
正確には魔力から力を除いた残りカスだが。
「え……
そうなの……?」
自身が使役している竜の力。
それを聞いた事により少し冷静さを取り戻す豪輝。
少し考えた。
この煙がグルヤの魔力。
煙は化物の様な腕から出ている管から立ち昇っている。
となるとこの両手両脚の変貌に無関係と言う訳じゃ無いだろう。
なら何らかの魔力の作用でこうなったのか?
長い右腕を曲げて、肥大した自身の右拳を顔の前まで寄せた。
五指を試しに動かしてみる。
動く。
自由に動く。
カンッ……
カカンッ……
指を動かす時に少し音を立てた。
その音は硬い金属の様な音。
鉄の様な色をした皮膚は金属に為ってしまったのだろうか?
この見解は正解では無いがこの考察が豪輝にある閃きをもたらす。
「ん……?
為ってしまった……?」
【豪輝ー、どーしたのー?
うわ、この腕カッチカチだよー】
物珍しくなった豪輝の腕を突いてるグルヤ。
そんなグルヤを置いておいて考察を続ける豪輝。
そうだ、僕にはあるじゃないか。
物質を分解して再構成するスキルが。
不等価交換。
この両手両脚の様変わりは絶対に僕のスキルが関係している。
確証は無い。
だが確信していた豪輝。
この変貌は僕が新たに得た力なのだと。
豪輝の師匠、加藤が使用するスキル。
変装。
これには用途によって使い分ける三種の型分けがある。
ならば自分の不等価交換も追加能力が付与されたとしてもおかしくは無い。
そう考えたのだ。
もしそうならこの力にも名を付けてあげないとな。
でもこれどうやって元に戻るんだろう……?
あとこの力を使うと服がビリビリになるなあ。
運よく男としてヤバい所(股間)は辛うじて残ってるけど。
使いどころを考えないと。
自身の両肩。
両太腿の付け根からビリビリに千切れている厚手の迷彩服の端切れを見つめながらそう思う豪輝なのであった。
何せ新能力。
そのメカニズムや考察する事。
やる事は山積みだ。
ドォォンッッッ!
豪輝の背後で爆発音。
慌てて振り向く豪輝。
だが何も見当たらない。
ダンッッッッッッ!
その視界を遮る様にくすんだ黄赤の壁が落ちて来た。
ゴルドフ。
さっきの爆発音はゴルドフが跳躍した衝撃によるもの。
腹が黒く煤けている。
豪輝の一撃によるものだ。
形状変化を発動した豪輝の攻撃は竜の魔力壁では防げない。
何故なら攻撃そのものには魔力を使用していないから。
魔力壁が反応するのは魔力を使用した攻撃のみ。
拳を繰り出している力には魔力を使用しているが拳自体に魔力を纏わせて殴る訳では無い。
ただの物理攻撃。
だがその究極。
極限の物理攻撃。
それが形状変化の真髄である。
【………………効いたぜ……
オメー……
つええじゃねぇか……】
さっきと雰囲気が違う。
ゴルドフから蔑みや侮り。
見下す感情が消えた。
代わりに竜の威厳の様な空気が見え隠れする。
さっきの悪魔の様な雰囲気も恐ろしかったけど、これはこれで脅威。
ザシャッ
豪輝は無言で右足を後ろへ。
鋼鉄色の巨大な爪が深く地面に食い込む。
強いグリップ力が発揮される事だろう。
右拳を硬く握り、後ろへ引いた。
文字通り巨大な鉄拳が誕生。
【豪輝ー、まだこのヘンなのとケンカするのー?】
グルヤは普通だ。
と言う事はコイツの能力は効いていないと言う事。
射程があるのだろうか?
「グルヤ……
ちょっと離れてろ……」
【ん?
そお?】
言われるままに間合いを広げるグルヤ。
よし、これでグルヤはとりあえず大丈夫。
ザンッ!
ゴルドフがゆっくり歩み寄って来る。
力強い足取り。
続いて纏っている魔力を両眼に集中。
視力を強化する為。
現在ゴルドフとの間合いは3メートル程度。
もしかして術に掛けられてるのかも知れない。
そう考えたからだ。
場は森閑。
物音一つしない。
ゴルドフ、豪輝共に動かない。
豪輝は脚を引き、右拳を引いた攻撃体勢。
かたやゴルドフは両腕をダランと下げたノーガード体勢。
場は静寂。
だが一触即発。
嵐の前の静けさである事は誰の目にも明らかだった。
豪輝の心中はもうゴルドフへの畏怖は感じてなかった。
依然として強大な力への恐怖はあるが。
消えた理由は形状変化の開花。
まだ解らない事だらけだけど、この力は圧倒的な竜に抗う事が出来る。
そう確信していたからだ。
ドンッッッッッ!
先に仕掛けたのは豪輝。
超速で身体が前に弾けた。
瞬きよりも速くゴルドフとの間合いが詰まる。
ブシューーーーッッ!
前腕部の管から勢いよく魔力煙を噴き出しながら真っ直ぐ拳をゴルドフの顔面へ突き出す。
ヒョイッ
が、空を切る。
避けられたのだ。
竜は人間と違って長い首がある。
可動域も広い。
人間の顔面を狙うのとは訳が違う。
且つ集中していたゴルドフには豪輝の攻撃が見えていた。
避けるのは容易いと言う事である。
豪輝の視界が突然闇になる。
ゴルドフがその大きな手で豪輝の顔面を掴んだのだ。
ブゥンッ!
ブゥンッ!
そのまま片手で豪輝の身体を振り回す。
ドカァァァッァァァァァッッ!
そのまま地面に叩き付けた。
「カハッッッ………………」
蓄積魔力の魔力を防御に振っている為、ダメージは見た目ほど無いが気管が圧迫され息が詰まる。
ゆっくりと掴んでいた手を離すゴルドフ。
見降ろす竜の目線の先には仰向けで倒れている豪輝。
ニヤァァァァァッッ!
その豪輝を見つめ、さっきの様な下卑た。
いやらしい笑みを浮かべるゴルドフ。
【俺はよう……
弱っちい人間が苦痛に歪む顔や悔しそうにくたばる顔とかが好きなんだけどよう……
もう一個好きなモンがあんだよ……
それはなぁ……
オメーみてぇにつええ奴が倒されて悔しそうにしたり驚いたりする顔も好きなんだヨォォォッッ!
ヒャハァッ!】
先程は竜の威厳めいたものを感じると記したが前言撤回。
やはり邪竜は邪竜である。
駄目だ。
コイツにダメージを与えるにはスピードが足りない。
あと距離も足りない。
今の僕の技術では超速移動で攻撃を上手く当てる事が出来ない。
距離が近過ぎたんだ。
間合いを取らないと。
もっと脚だ。
この異形の脚を活かさないと。
バッ!
すかさず鋼鉄色の両腕を突き、逆立ちで立ち上がる。
バスゥーーッッ!
下から細い煙が。
上からは大量の煙が一気に噴き出す。
ギュルゥッッ!
そのまま勢いよく回転。
カポエラの様な蹴りを繰り出す豪輝。
硬い足爪がゴルドフを襲う。
【おっと】
ゴルドフはバックステップ。
間合いを広げ、蹴りを躱した。
だが豪輝は蹴りが当たるなんて思っていない。
ダンッッッッ!
逆立ちのまま強く地面を押し、高く跳躍。
ダァンッッ!
その重苦しいフォルムに似つかわしくなくひらりと宙を舞った豪輝。
グルヤの側へ着地。
ゴルドフとの距離は凡そ10メートル強ほど空いた。
【わー何か豪輝、凄いね。
宙でクルンとして。
あんな事出来たんだ】
「何を呑気な………………」
ズキンッッッ!
!!!!!?
返答しようとした所、豪輝の身体に鈍痛が奔る。
「グゥッ…………」
痛みのレベルは小さい呻き声を上げるぐらい。
発生している箇所は……
わからない。
さっきゴルドフに殴られた箇所からでは無い。
言わば全身。
全身から鈍痛を感じる。
ミシ……
ミシ……
豪輝の骨が微かに軋む。
今感じた鈍痛は形状変化の代償、歪みと呼ぶべきもの。
使用すると圧倒的な力を得る事が可能だが衝撃の反動に生身の部分が耐えられないのだ。
だから本編の豪輝は常に身体を鍛えていた。
そして現在の形状変化は本編で使用しているものとは違う。
例えば両脚の形状。
本編ではアロサウルスやTレックスなど恐竜の脚をイメージし使用している。
だが今はただ力を欲したが故の形状。
本編の豪輝はスピードを得る為のウエイトとして魔力よりも形を重視している。
身体にかかる負荷を軽減する為だ。
だが、現在の豪輝は違う。
力を欲するが故の形状。
圧倒的力を得る為のウェイトはほぼ魔力でかなり極端なバランス。
従って既に骨が軋みを上げる程負荷がかかってしまっている。
そしてこの極端なバランスは他にもデメリットが存在する。
「あれ……?
いつのまにかこんなに薄くなってる……」
豪輝も変化に気付いた。
そう、この極端なバランスは魔力消費量が大きいのだ。
「グルヤ、魔力補給させて」
【ん?
いーよー】
ピトッ
グルヤの鱗に手を添える。
ムンニョォォォッ
黄金色の皮膚から蒼白く光る魔力が染み出て、豪輝の手を伝い身体に纏わり付いた。
よし、これでオーケー。
【…………ファァァァ……】
グルヤが欠伸。
この時の豪輝は呑気な奴だなとさして気にも留めなかった。
これが後々、自身を絶体絶命の窮地に追いやるとは気付いてなかった。
【…………終わったか……】
ゴルドフは豪輝が準備するのを待っていた。
これには理由がある。
決してさっきの様に侮っていた訳では無い。
もう豪輝を強者と認めているゴルドフ。
相手が万端の準備を施した上で叩きのめす為だ。
この時に見せる悔しさと絶望が多分に入り混じった顔は竜も人も変わらない。
ゴルドフの大好物である。
「行くぞっ!」
バスーーーッッ!
ドンッッッッッッ!
両脚脛から外側へ大量の魔力煙。
強く大地を蹴り、豪輝発進。
眼にも止まらぬ超スピードまで一気に加速。
方向は少し角度を付けた斜め上。
真っ直ぐゴルドフには向かって無い。
グルンッッ!
豪輝素早く反転。
ダンッッッッッッ!
大木に着地。
すぐさま蹴り付け、さらに加速。
ベキィィィィィィィッッ!
物凄い音を立てて大木がへし折れる。
超高速域に達した。
豪輝の作戦は周囲の大木を使い、極限まで加速しゴルドフを攪乱。
隙をついて一撃を喰らわすというもの。
さっき真正面から向かって行った時、躱されたからだ。
ならば躱せない程のスピードならばどうだと言う訳である。
ダンッッッッッッ!
ベキィィィィィィィッッ!
ダンッッッッッッ!
ベキィィィィィィィッッ!
ダンダンダンダンッッッッッッ!!
ベキバキボキベキィィィィィィッッッ!!
大木を蹴り付ける度、どんどん加速する豪輝の身体。
音の間隔が見る見るうちに短くなる。
現在の豪輝のスピードは竜と言えどもやすやすと捉えられるものでは無い。
が…………
ゴルドフは動かない。
加速していく豪輝の姿をただ眺めているだけ。
よし、これぐらいでいいだろう。
充分に加速したと考えた豪輝は打って出る。
ダンッッッッッッ!
ベキィィィィィィィッッ!
瞬時にゴルドフの背後へ回った豪輝は大木を蹴りつけると同時に右拳を硬く握り、後ろへ引いた。
黄赤の大きな背中。
目標を見定めた豪輝。
真っ直ぐ槍の様に渾身の右ストレートを繰り出した。
ここまで加速したのだ。
豪輝の想像では背中に炸裂し、ゴルドフが倒れる姿が描かれていた。
もし相手がゴルドフで無ければ。
もし豪輝のコンディションが万全であれば。
そうなったかも知れない。
だが…………
スカッッ
豪輝の渾身のストレートは空を切った。
いや、ゴルドフには当たった。
だけどすり抜けた。
この表現が正しい。
ドコォォンッッッ!
ゴロゴロゴロゴロォォォッッ!
着地失敗した豪輝は地面に激突。
その勢いのまま転がって行く。
?????
訳が解らない。
確かに当たったはずだ。
だけどすり抜けた。
ゴルドフの別能力か?
何で当たらなかったんだ?
歯を喰いしばりながら半身を起こす豪輝。
目線の先には口角を持ち上げたゴルドフの顔。
笑っている。
その笑みはいつもの禍々しさや卑しさに加えどこか勝利を確信したそんな雰囲気を感じさせる笑みだった。
その笑い顔を見てると悔しさが多分に溢れて来る。
しかもその……
ゴルドフの顔は……
二重に見えている。
【ヒャハァッ!
ようやく出やがったかァッ!
何か知らねぇけどな。
俺の能力にかかった人間は最終的にそうなんだよォッ!
オメーの眼にはどう映ってっかは知らねぇけどなァッ!
もうテメーの攻撃は当たんねぇよォッ!
ヒャハァッ!
ビュンビュンビュンビュン俺の周り飛び回ってたが全て無駄だったなァッ!
お疲れさん】
「グッ…………」
悔しい。
本当に悔しい。
口惜しくて仕方が無い。
【ヒャハァァァッァァァッッッ!!
その顔だァァァァッッ!
その顔が見たかったんだヨォォォォォォォッッ!】
悔しさを存分に溢れさせた豪輝の表情を見て、悦に浸り狂気の笑い声をあげるゴルドフ。
この豪輝の症状は外眼筋麻痺によるもの。
ゴルドフは豪輝とやりあっていた間もずっと超音波を発していた。
豪輝はゴルドフに近づき過ぎたのだ。
■眼筋麻痺(外眼筋麻痺)
外眼筋が衰え、動きが悪くなる症状。
本来、その筋肉が作用する方向を見ると、両眼の視線を合わす事が出来にくくなる為、二重に見える。
これを複視と言う。
ゴルドフの能力は全ての外眼筋に直接作用する。
回避する為には離れた場所でしばらく待つ以外に無い。
が、豪輝の選択は蓄積魔力による視力強化。
依然として外眼筋の動きは鈍っていると言うのに。
いわゆる力任せでその場凌ぎの手段でしか無かったのだ。
視力強化しているのであれば麻痺するのはおかしいのでは無いか?
そう思われるかも知れない。
それには理由がある。
強化出来るのも限度があると言う事。
時間が経過する程に進行する外眼筋の衰えに魔力での視力強化が追い付かなくなったのだ。
結果、充分に加速した豪輝が放った渾身の右ストレートが命中したのは複視によるゴルドフの残像だったのだ。
何故だ?
何故ゴルドフの姿が二重に見える!?
目を瞑り顔を左右に振る豪輝。
外眼筋麻痺が起きているなどとは思いも寄らない。
なあに大丈夫だ。
僕には蓄積魔力がある。
眼がおかしくなってもまた魔力で強化すれば済む事だ。
師匠も言っていた。
自分の能力を信じる事が大事だって。
この豪輝の認識は誤り。
豪輝は蓄積魔力を信頼した訳では無い。
事態を楽観的に軽視しているだけだ。
ダンッ
素早く起き上がった豪輝。
強く地を蹴り、宙へ。
距離を取って態勢を立て直す為だ。
が………………
誰かが言っていた。
災難とは畳み掛けるのが世の常だと。
ドコォォォォォォォォッッ!
ズダンッッッッッ!
ゴロゴロゴロゴロォォォッッ
何者かが豪輝の脇腹を蹴りつけたのだ。
強制的に軌道を変えられた豪輝は地に叩き付けられ勢いのままに地面を転がって行く。
スタッ
「……こんな感じか…………
便利なモンだ……
もう少し練習しないと駄目だな……」
更に意味不明な事が起き、混乱する豪輝。
何だ?
何があった?
ようやく半身を起こした豪輝の眼に映ったのは…………
ぼやけて二重に見える酉冊の姿だった。
ずっと場に現れなかった酉冊は何をしていたかと言うと自身の身に起きていた事の考察と検証を行っていたのだ。
何故、豪輝の強烈な一撃を喰らっても軽傷で済んだのか?
それが体内に残存しているゴルドフの魔力が原因だと突き止め、あらゆる部位に魔力を集中し検証を行い、その過程で小学生の豪輝を蹴り飛ばしたのだ。
ここに来て敵の援軍。
予想だにしなかった事。
焦る豪輝。
まずはこの二重に見える視界を何とかしないと。
ハッッ!?
いつのまにか周囲に纏わり付いていた魔力の光が消えている事に気付く豪輝。
大型魔力を補給した筈なのに。
これが形状変化のウェイトをほとんど魔力に傾かせた為の弊害。
魔力消費量が膨大なのだ。
だが、そんな事は気付いていない豪輝。
無くなったのなら補充すれば良い。
豪輝はすぐに枯渇した事はさほど気にせず、グルヤに手を伸ばす。
誰かが言っていた。
災難とは畳み掛けるのが世の常だと。
【すぴー……
すぴー……】
両眼に映るその光景に愕然とする豪輝。
二重に映っても解る。
グルヤは………………
眠っている。
「ねぇっ!?
グルヤァッ!?
起きてぇっ!?
起きてよォッ!?」
長い腕を使って必死に揺り動かす豪輝。
必死になっているのは理由がある。
グルヤが寝ている。
これは魔力補給が出来ない事を意味する。
グルヤは全く目覚めない。
これは体内の魔力がボーダーラインを下回ってしまったからだ。
立て続けに魔力補給を行ったのが原因。
グルヤは初期竜。
しかも竜界ではそんなに大量の魔力を消費する事は無かった。
頻繁に大量の魔力を消費する事に慣れてなかったのだ。
視界は不良。
敵は増援。
自身は補給不可。
八方塞がり。
絶体絶命。
打つ手無し。
行き詰まり。
正真正銘の危機が豪輝に降りかかったのだ。
【おうマーサ。
今頃来やがって】
「…………蹴り一発で殺れるぐらいの威力が出れば良いんだけどな……」
身勝手な事を吐きながらゆっくり歩み寄って来る酉冊。
豪輝の事は実験動物ぐらいしか思っていない。
ヤバい。
これは本当にヤバい。
大量に冷や汗が出て来る。
じわっ
涙腺が緩み涙が溢れそうになる。
この男は絶対に僕を生かしてはおかない。
絶対に殺す。
じわりじわりと忍び寄って来る確定した死に恐怖して泣きそうになっていた。
もう戦意も勇気も底をついてしまった。
ニヤァァァァァッッ!
【ヒャハァッ!
お前…………
本当にイイ顔するナァァァッ……】
豪輝が泣きそうになっている様を見て、狂気の笑みを浮かべるゴルドフ。
二重に見えるその姿は悪魔にしか見えなかった。
どんどん間合いが狭まる。
8メートル7メートル。
酉冊がどんどん近づいて来る。
6メートル5メートル。
豪輝との距離、4メートルを切った。
その時だった。
「見つけたァァァッァァァァァッッッ!
酉冊正勝ゥゥゥゥゥゥッッッ!!」
突然、場に響き渡る大声。
その声は空。
上空から聞こえて来た。
ドコォォォォォォォォォォォォォォンッッッ!!
けたたましい音が鳴り響く。
何かが落下したのだ。
モクモクと砂塵が巻き起こる。
巻き起こる砂塵の中から現れたのは長身の男性。
ベージュ色のヨレついたレインコートを羽織った男だった。
「ワレ、酉冊正勝やな……?」
静かに大阪弁で語り始めるその男。
その問いかけに対して無言の酉冊。
「ダンマリかい……
まぁええわ。
被疑者には黙秘権っっちゅうモンがあるからのう。
まぁ隣に竜がおる段階で確定やけどな。
オイ!
酉冊正勝!
警察や!
ワレを強盗殺人容疑で逮捕する!」
急に空から現れた人物。
特殊交通警ら隊の前身を組織する事になる人物。
豪輝が警察官を志すキッカケを与え、今でも憧れ、尊敬して止まない人物。
その名を茨田銀司と言う。
続く




