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サラフィー様の手の中で

暁伝外伝 「白虎逝く」

作者: Lance

「老けたな、アカツキ」

「お互い様だろう」

 旧知の二人が顔を合わせるのを玉座でアムルは見ていた。

 光と闇。大陸を二分にし、対立していたが、それはもう昔の話である。

 闇の勢力を併呑、あるいは従属させたのはこの女王アムル・ソンリッサである。冷厳な顔を持ち、しなやかな身体つきをしている。

 そんなアムルは太い眉をビクビクさせ、今か今かと、待ちわびている。

 だが、彼女の臣下、もと光側、つまり人間のアカツキと、光の国の使者である金時草はすっかり話し込んでいる。

「山内海は元気か?」

「ああ、相変わらずふんどしの上に黒いマントを被ってるがな。腕を買われて国王の近衛に抜擢された」

 アカツキの問いに金時草が応じる。

 アムルはついに玉座を立ち上がった。

「金時草殿!」

「何か、アムル様」

 金時草は意地の悪い笑みを浮かべながら応じる。

「何かでは無い!」

「と、言いますと?」

 半ば叫ぶアムルに向かって金時草が再び問う。

 アムルは恥ずかしい思いをしていた。

 こんなこと一国の主が言うべき言葉ではない。

 しかし、会いたいのだ。

 あの姿を見たい。

 ガッシリした身体。

 白いモフモフの毛皮。

 愛らしい落ち着いた顔立ち。

 我慢ならなかった。

「ペケさんに会わせて欲しい!」

 一息で言う。質素な玉座に自分の声が響き渡る。荒い呼吸を整えながらアムルは金時草を見据えた。

 すると、使者は微笑んで声を上げた。

「では、一つアムル殿が喜ぶマジックを披露しよう。出でよ、ペケさん!」

 するとアカツキとグラン・ローが入り口の左右の扉を開く。

 そこに鎮座していた者の姿を見てアムルは歓喜した。

「ペケさん?」

 アムルはその名を口にし、夢見心地で尋ねる。

 白虎は立ち上がり、玉座の間に足を踏み入れる。

 アカツキとグラン・ローが再び扉を閉める。

「ニャー」

 ペケさんが鳴いた。

「おおっ! ペケさん!」

 アムルは感激し椅子から立ち上がり段を下る。

 覚悟はしていたが、長く見ない間に白虎はすっかり年老いていた。だが、老成した顔立ちには相変わらず頼もし気な落ち着きがあり、身体もしっかりしていた。

「ペケさん! 会いたかったぞ! ようやく私のところに来てくれたのだな!」

 アムルは白虎の太い首を抱きしめた。

 ここにいるのは使者の金時草以外は、玉座の後ろに佇立している暗黒卿と、アカツキ、グラン・ローだけだった。ヴァンパイアの客将サルバトールも含め、ヴィルヘルム、シリニーグ、ブロッソと気心知れた重臣達は他にもいる。

 とりあえず、氷の女王とも呼ばれるアムルのこのような砕けた場面を見せられる者達しかいなかった。

 そして思えば長かった。光と闇がまだ対立をしていた頃、友好的な使者のやり取りをしながら、現れたのがペケさんだった。そしてこの愛しい白い虎の相棒は、今、目の前にいる金時草だった。

 ある時、ペケさんの発した言葉を若き日の金時草が訳してくれた。

 俺の相棒を引退したら、あなたの世話になりたいとさ。と。

 その日がようやく来たのだ。ニ十数年待った。

「ペケさん」

 アムルは不意に心配になり尋ねた。

「ペケさんは私と一緒に居たいか?」

「ニャー」

 白虎は鳴いた。

「これはつまり?」

 グラン・ローが金時草を見たのにアムルも続いた。

「アンタと余生を過ごしたいとさ。ペケさんは今まで本当に良くやってくれた。可愛がってあげて下さい、アムル殿」

「言われるまでも無い!」

 アムルは反射的に声を上げて応じると白虎の首に顔を埋めたのであった。



 二



 ペケさんが来てから日々が変わった。

 寝る時も寄り添ってくれる。

 ペケさんは、いつも「ニャー」としか言わないが、それが嫌な顔をしているわけでも無いことを、そのうちアムルにも分かるようになった。

「ニャー」

「そうか、トイレだなペケさん。一緒に外に行こう」

 今ではペケさんの言葉を分かるようにまでなって来た。

 アムルは自室を一階に移した。ペケさんは今はまだ逞しいがそれでも老虎だ。足腰が弱るかもしれない。そう危惧したのだ。

 ペケさんは生肉をたくさん食べる。

 アムルはその姿を見て安心していた。

 もっと遠くまで、いつか二人で行ってみたい。

 しかし自分は闇の勢力を束ねる君主だ。叶わぬ夢だろう。

 そんな自分の思いを汲み取ってくれたのは今でも思いを寄せる最愛の人、暗黒卿だった。

「アムル。ペケさんの身体がしっかりしているうちに各地方を視察に出てみてはどうだ?」

 視察! してやったり!

「私はペケさんと視察に出る!」

「ニャー」

「政務は宰相と大将軍シリニーグの裁量で行うように!」

 その命令を受けてシリニーグやヴィルヘルムは意外にも素直に頷いた。それは大陸最強の戦士、暗黒卿が同行するということを悟ってのことだったのかもしれない。

 アムルはそうして視察という名の旅に出た。

 威風堂々とした君主と虎、そして暗黒卿とアカツキという二人だけの護衛の臣下。人の身のためアカツキも老いたが、今でも剣戟を振り回し若い兵達を圧倒する技量と力は健在だ。アムルはアカツキのことも考えた。アカツキもいつか、自分を置いて逝くのだろう。

「アカツキ」

「何でしょう、陛下?」

 その昔、反抗的な態度を取っていたとは思えないほど、素直にアカツキが応じる。

「お前もいつまでも壮健であってくれ」

「陛下、ありがたき御言葉。御安堵あれ、まだまだ私は死にませぬ」

 アカツキの言葉にアムルは頷いた。



 三



「ペケさん」

「ニャー」

「ペケさん」

「ニャー」

 視察という名の旅は一年近くかかった。アカツキを、妻であり友人のリムリアと、長い間、離れ離れにしてしまったことが今になって自責の念となっていた。

 そんなことを考えながらアムルは自室で床に座り、背をペケさんに預けてその回された頭を撫でていた。口は無意識にペケさんの名を呼んでいたが、彼女が気付くまでペケさんは律義に返事をしてくれたのであった。

「アムル、そろそろ眠れ」

 扉の向こうから護衛の暗黒卿の声が聴こえた。

「ああ、そうする」

 アムルは毛布を持って来る。伏せたペケさんの隣に並び、そして毛布を二人で被る。

「ペケさん、おやすみ」

「ニャー」



 何故もっと早く気付いて上げられなかったのだろう。

 いつの間にかペケさんは動きがぎこちなくなっていた。

「老いでしょうな」

 肉食馬の管理人である老人ウォズに診断させるとそう答えが返って来た。

 もう時間が無いのかもしれない。予想よりも遥かに早かった。

 ペケさんの身体はすっかり消耗されていたのだ。

 光の国で人間やエルフにドワーフ達のために身を張って来たのだ。そしてついこの間のように思い出される視察という名の長い旅。

「いずれにせよ、後悔した。ペケさんとこの狭き城の中で共にあっても、外に出て旅に連れ出すのも」

 アムルの心情を察してか暗黒卿がバイザーの下りた兜の下で言った。

「卿は知ってて私に視察に出る様に提案したのか?」

 アムルは初めて暗黒卿に憎しみを抱いた。だが、冷静な彼女はすぐに怒りを鎮める。

「もう一つの広い世界を心から慕うお前と歩むことができてペケさんは幸せだったはずだ。遅かれ早かれ、今日、老いが発覚することは必然だったのだ」

「暗黒卿、私はどうしたら良いだろうか?」

 ウォズ老人が帰ったのを見るとアムルは鎧に身を包む最愛の男に尋ねた。

「定めし時が来るまで愛することだ。我も、アカツキ将軍達もその力になろう」

「分かった、卿」

 老いの侵攻はやはり早かった。もしかすればペケさんが今まで必死に隠していたのかもしれない。

 ペケさんは以前ほど豪快に肉を食べることも無くなり、食も細くなった。そしてトイレに行けなくなった。

 部屋にトイレを作ったが、ペケさんはそこだけは外ですると譲らなかった。と、言っても、いつも通り、穏やかに抑揚の無く「ニャー」と言うだけだったが。

 歩けなくなったペケさんを外に連れ出す時には重臣達の力を借りた。

 アカツキ、ヴィルヘルム、シリニーグ、ブロッソ、グラン・ロー、暗黒卿に、夜になればヴァンパイアの客将サルバトールも率先して配下のテレジアと共に力を貸してくれた。

「ペケさん」

「ニャー」

 定めし時が来るまで愛することだ。

 暗黒卿の言葉が甦る。

「ペケさんは幸せか?」

「ニャー」

「私は幸せだぞ」

「ニャー」

「ペケさん」

「ニャー」

 アムルは責務を疎かにすることは無かった。彼女の心を憂い、重臣達が気を利かせようとした。それに甘えようとしたが、それでは駄目だと思った。朝、ペケさんが起こしてくれる。そして部屋で見送ってくれる。昼、部屋で出迎えてくれる。一緒に食事をし、また見送ってくれる。夜、今日の責務を全うし部屋に帰って来るとペケさんが出迎えてくれる。そして一緒に食事をし、お話をし、寝る。

 アムルは日々の力をペケさんからもらっていることを悟った。

 だから、ペケさんがいなくなったらどうなるか、考えたくも無かった。しかし、そんな己に打ち勝たねばならない。自分は大陸を二分する闇の勢力を束ねる君主だからだ。自分がいる限り光の国との和平は続くだろう。しかし、それでもやらなければならない、大切なことはたくさんある。それにちょっとした綻びが再び戦争という歴史の引き金を引くことになるかもしれないのだ。

「ペケさん、戻ったぞ」

「ニャー」

 アムルは今日あったことをペケさんに話して聞かせた。

「ニャー」

 ペケさんは、しっかり返事をしてくれていた。

「ペケさん」

「ニャー」

 話題が尽きてもアムルは隣で額を寄せ合う白虎の名を無意識のうちに口に出していた。

「ペケさん」

「ニャー」

「ペケさん」

「ニャー」

「ペケさん」

 返事は無かった。

 アムルは驚いた。慌てる己の心に封をし、愛しき白虎のその広い額を優しく撫でた。

「ペケさん。離れていてもずっと一緒だからな」

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