この日が素晴らしき日でありますよう
「この日が素晴らしき日でありますよう」
誰かが言った言葉にメルルは振り返った。
しかし、そこに広がるのは何ら変わりない都町の広場。
噴水の周りには魔族と人間の子供たちが一緒になって駆けまわっている。
駆けまわっているうちに人間の子供が転んで膝から血を流し、泣き声をあげている。
先を走っていたゴブリンが手を差し出すと泣きやんでまた走り出す。
「お姉ちゃん、だあれ?」
子供が声をかけてきた。人間の男の子はメルルを見上げて不思議そうな顔をしている。
「私は魔王だよ」
「魔王ってなぁに?」
「何だろうね。お姉ちゃんもわかんないや」
「変なの」
これは夢だ。
夢を見ている。きっとこの夢の世界には魔王も勇者もいない。
だから、自分のことを知らない。
奇妙な感覚がメルルの中にある。これは現実ではない。
過ぎ行く人の中にルシールを見た。
通り過ぎていく背中を追いかけた。城を抜けて、玉座を抜けて。辿り着いたのは寝室だ。
ルシールは寝室の窓を開けて外を見ると幸せそうに笑っている。
声をかけようとして、止めた。
この夢の中には魔王も勇者もいないし、要らない。
だったら自分は存在してはならない。
耳の中に自然と声が入ってくる。
住人たちの。魔族の。モンスターの。そして、愛したルシールの。
どの声も幸せそうに笑っている。
「そうだよね。魔王はいらないよね」
場面が変わって、今度は最初に魔剣を抜いた教会にいた。
地面にはあの時と同じように魔剣が刺さっている。
そっと柄に手をかけるが、魔剣が抜ける様子はない。
――この魔剣が抜けることはもうないんだな。
「魔剣が抜けなかったら、今頃どうなっていただろうね。相変わらず引きこもりの無職かな?」
そう考えると涙が流れた。
魔剣を抜くことでルシールに会えた。スライムに会えた。ファージ、ラミエル、勇者、民。
魔王になることで出会えた。その魔王はもう――。
終わらせよう。
この夢の世界が理想。現実の世界を終わらせてしまおう。
「さよなら、ルシール…ルシール。ルシール、ルシールゥ···大好きだったよ。大好き…大好き。大好きだよ、ルシール!でも、もう終わらせる。終わらせなきゃ。…だから、さよなら」
地面に手をついて土を引っ掻いた。大粒の涙が零れて止まない。泣きじゃくる顔はぐしゃぐしゃで、潰れそうな心が体現されているようだった。
***
「さよなら、ルシール」
眠りながら涙を流し、苦しそうに零した言葉をルシールは聞き逃さなかった。
「メルル様…?」
顔を覗き込むと、充血した瞳のメルルが目を覚ました。
「メルル様、何か怖い夢でも見ましたか?メルル様…」
「…平和な世界になった夢を…見た」
「じゃぁ、どうして泣いているんですか?メルル様、今寝言で『さよなら』って言ったんですよ」
「……夢だよ。ただの夢」
涙で濡れる顔に、さらなる涙が落ちた。顔を覗き込むルシールも涙を流して、メルルの顔に落ちている。夢の中のメルルのようなぐしゃぐしゃな顔が悲しげに愛しい人を見つめている。
「メルル様は何か隠してらっしゃいます。私にはわかります。メルル様は何かを成すおつもりだと」
「ルシール…」
「言いたくないならば、言わなくてもいいです。でも、何があっても。どうなっても私は傍に居たいです。私を一人にしないでください」
覆いかぶさってルシールは泣いた。
泣きじゃくるルシールを抱きしめながらメルルは何も言えずに、ただ抱く腕に力を込めた。
言えることの無い気持ちと終わりを覚悟しながら。




