射る心、食らう心
「口の中が甘い。…禁断の果実の味だよね、これ」
「はい、左様でございます」
身体は扉に向けたままサキュバスは振り返ることが出来なかった。
興奮ではない、緊張の鼓動が胸に響く。
やってしまった。バレてしまった。
唇を重ねていたことを気づかれた。二度としないと言ったのに。
駆け巡る思いにサキュバスは怖くて仕方なかった。
「サキュバス、こっちきて」
「は、はい…」
終わった。
怒られるのだろうか、嫌われただろうか、殺されるだろうか。
家来として仕えていたが、繰り返す失態をメルルは許さないだろうと考えるとサキュバスは怖くて仕方がなかった。
ベッドの端に腰を降ろさせると、メルルは黙るサキュバスの背中を見つめた。
「はーすっごい疲れてた気がする。どれくらい寝てた?」
「魔王様は二日ほどお眠りでした」
「結構寝たなー。でも、気分いいや。口の中が甘い」
一際胸が高鳴った。
次に何を言われるのかと考えるとサキュバスは気が気でない。
「ぼんやりしてたんだけどさ、サキュバスが口移しで果汁を飲ませてくれたんだね。おかげで凄い身体調子いいや」
「…はい。それは…何よりです」
「ねぇ、なんでさっきから背中向けてるの?こっち見てよ」
「出来ません」
「どうして」
「どうしてもです」
メルルは起き上がってサキュバスの顔を自分のほうに向けさせた。
頬を伝う涙。嗚咽を堪えるように口はきゅっと小さく結ばれている。
絡み合った視線にサキュバスは大粒の涙を溢れさせた。
「わ、わたくしは本能に勝てませんでした。言い訳を作って魔王様をまた襲おうとしてしまいました。これは許されることではありません」
「どうして?私のためを思ってしてくれたんじゃないの?」
「違います。私そうやって言い訳を作って、魔王様を襲おうとしました。自分勝手に魔王様の体に触れ、唇を奪いました。私は約束を…破ってしまいました」
問い詰められるなら先に全て話してしまおう。
己がしたことはねくびをかくことと同義だ。
許されるはずもない。だが、言わなければならない。
魔王と家来という関係ではあったが、サキュバスの魔王を思う気持ちはそれ以上のモノになっていた。
「こめんなさい魔王様···私は本当にバカな淫魔です」
「サキュバス」
零れる涙は決壊して後を絶たずに流れて落ちた。
メルルの視線はまっすぐにサキュバスを見て離そうとしない。サキュバスはその視線がどんな刃物よりも鋭利に感じた。
自分の心に突き刺さった視線は深くまで刺さり、痛みに涙が止まらない。
打ち明けられた話に困惑したが、以前のような嫌な気持ちだとか、貞操を奪われそうな不安はない。
本音を打ち明けて泣くサキュバスは何故か可愛くて、必死で。
嫌ではない。むしろ本当に自分を思ってくれているのだと噛み締めて、メルルは胸を切なくした。
「魔王様、申しわ……」
言いかけた言葉を飲み込ませるように、メルルはサキュバスの唇を奪った。
それだけでなく、メルルはサキュバスのことを押し倒すと無理やりに舌をねじこんで絡ませた。
拒否はしない。できない。拒否したくない。
サキュバスはされるがままに入ってくる舌に自分の舌を絡ませた。
「ま、魔王様、何を」
「サキュバスは、私のこと好き?」
「え、何を」
「私のことが好きかどうか聞いてるの」
「…嫌いではありません」
「答えになってないよ。好きなのか、嫌いなのかどっち」
獲物を捕らえるハンターの目になったメルルの視線がサキュバスを捉えている。
先ほどとは違う視線の刺さり方にサキュバスは胸を苦しくした。
「す、好き…です」
「それは私が魔王だから?サキュバスは魔王が好きなの?それともメルルが好きなの?」
きっとちゃんとした答えを言わないとメルルは同じことを聞くだろう。
視線がそう訴えている。ごまかしを許さない瞳。相手に真剣さを問う眼差し。
サキュバスは大きな胸を手で押さえながら、目の前のメルルを見て、自身が大きく早く脈打つ鼓動を感じていた。
「私は…魔王様の家来です。答えろというのは、命令ですか?」
「違う。魔王としてじゃない。私個人としての質問であり、お願い。さぁ、答えて」
「……私は。わたしはメルル様だから…好きなのです」
知っていた答えを確認するようであった。
「なら、これからは私を魔王様なんて呼ばないで。名前で呼んで」
「はい。メルル様」
「そして、あなたの名前を教えて。私もサキュバスなんて総称で呼びたくない」
「…ルシール、です」
「ルシール。ねぇ、もう一つお願いがあるんだけどいい?」
「なんでしょう?」
「発情して」




