Épisode 5
――1778年 アジャクシオ
コルス島の中心地アジャクシオの一角にある建物の中で、一行は総督と判事に面会していた。
総督のマルブフ伯と判事シャルル・ド・ボナパルト(カルロ・ディ・ブオナパルテ)は共に島の中心人物である。
フランス領となってから約10年が経ち、この島は少し落ち着いて来ていた。
本来であれば商談の場に子どもを連れて来ることなどはないが、いつ独立派が現れるかがわからない以上、同じ屋敷の別の部屋にて過ごしている。
今日別室に集まったのはボナパルト(ブオナパルテ)家、ブリュネ家、ベルナール家の三家の子どもである。
ジャンはその中に見覚えのある顔を見つけた。
「あっ、君は……」
声をかけられた少年は一瞬だけ視線をジャンに向けるとまた元に戻ってしまった。
その後もジャンは何度か接触を試みた。しかし全てうまくいかなかった。
どうしようかと悩んでいたところ、彼の一つ上の兄が彼を連れて挨拶にきた。
「こんにちは。私はジョゼフと言います。あなたはブリュネ家の人ですよね?」
「そうです。ジャンと言います」
「そうでしたか。こっちは弟のナポレオンです。さあ、挨拶を」
「はじめまして。ナポレオン・ボナパルトと言います」
ナポレオンは少し気恥しそうに挨拶をした。
ジャンはエミリーを呼んで彼女にも挨拶してもらった。
「エミリー・ベルナールです。よろしくお願いします」
それからしばらくの間、彼らは4人で話したり遊んだりした。
内気なボナパルト少年も、ジャンとエミリーの明るさのお陰で段々と打ち解けていった。
ジャンは幼い身でありながらも、ジョゼフとナポレオンの訛りが入った言葉を自然と受け入れていた。
フランス本土からやってきた子どもに馬鹿にされることがよくあった二人は、ジャンたちの天然の優しさを感じたのだった。
四人は別れる頃には相当親密になっていた。
「もう帰る時間になったみたい。また今度会えるといいね」
ジャンが帰り際に発したこの言葉が現実となるのは実はそれほど先のことではなかった。
「またお会いしましょう」
エミリーもにこやかに告げるとジョゼフとナポレオンも言葉を返す。
「ええ。また今度」
「またね」
――斯くしてコルス島を発った一行は、次なる地、初めての異国であるナポリへと旅立っていった。
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――ナポリ
民謡にも歌われるナポリの船乗りの守護聖人、聖ルチアに守られた美しい都市ナポリ。
その港に一隻の船が入った。船にはブリュネ家とベルナール家、そして部下たちが乗っている。夕日に照らされた水面は美しかった。
この都市を地中海交易の拠点の一つとしているブリュネ家には、簡素ながらも十分な敷地を持つ屋敷があった。事前に通達された予定通りに入港したため、そこから迎えが多く来ていた。
一行は徒歩で屋敷に向かった。長かった船旅もここで終わるのでしばらくはナポリで疲れを癒す予定になっている。
屋敷に入るとそれぞれの部屋に入り、皆、深く寝入った。
翌朝、一行はダイニングに集まった。何の予定もない一行は一日を屋敷の中で過ごすことになっていた。
ゆっくりと食事をとった後、子どもたちは屋敷の中でかくれんぼを始めた。
以前のかくれんぼで学習したジャンとエミリーは何を言われようと見つかるまでは出てこないことを誓った。そしてバラバラに隠れることにした。
今回のエミリーの弟が探す立場に回る。
マルタンは楽観視していた。彼は四人の中では最年長。お昼で呼ばれるまで見つからない自信があった。
彼は棚、それも多くのものが入っている棚に入った。
中のものを一度どけてからマルタンはそこに隠れた。しっかりと戻したので、また出さない限りは見えることはない。そこでマルタンは寝て過ごすことにした。
一時間ほどたった頃、マルタンは物音でふと目が覚めた。
それはどこかから何かを一心不乱に掻き出す音だった。
嫌な予感がしたマルタンはそっと耳を澄ます。
段々とその音が近付く。
マルタンの視界が明るくなったのと、彼がエミリーの弟の視線がぶつかったのはほぼ同時だった。
「あっ、マルタンお兄ちゃんだ!」
一番最初に見つかったのはジャンでもエミリーでもなく、マルタンだった。
エミリーはクローゼットの端に隠れていた。
彼女のいる部屋の扉が開く音が聞こえても動じなかった。それはクローゼットの扉が開いても同じだった。
クローゼットの扉はすぐに閉まった。
エミリーがほっとしたのも束の間。
彼女の弟のものではない声がした。
「もう。ちゃんと探した?」
マルタンの声に嫌な思い出を連想したエミリーは身を竦めた。
勢いよく開いた扉に驚き、物音を立ててしまった。
「エミリーちゃん、見つけた」
彼女はまたしても失敗した。
最後まで残っていたジャンは別の部屋のクローゼットに隠れていた。
離れていても結局は思考が似ている二人である。
かくれんぼが始まってから二時間ほど経っても見つからないことに業を煮やした策士マルタンはとある策を思い付いた。
まだ見つかっていないのはジャンだけである。使えるものは人でも物でも使おうという方針のもと、まずは全ての扉を開けた。無論、しっかりとノックして他の人たちが使用していないことを確認した部屋だけである。他の人の仕事の邪魔にならないよう、事前の打ち合わせで他の人がいない部屋にのみ隠れることが出来ることにしていたのでそれで十分である。
それからエミリーを利用した。
あろうことか前回と似たようなことをエミリーにさせようとしたのである。
「ジャン。もう出ておいで」
全ての部屋に聞こえるよう、エミリーは屋敷のほぼ真ん中で叫んだ。
彼女も初めはジャンのことを思って拒否したのだが結局は口のうまいマルタンに言いくるめられてしまった。マルタンは兄のヴィクトルとは別の意味で商人に向いているかもしれない。
「ジャン。もう出ておいで」
ジャンにもその声は届いていた。しかし例え愛しい彼女の呼びかけでも釣られないほどには彼も学習していた。
あくまでも落ち着いて時間が流れるのを待つ。
しかし次に聞こえてきた声はジャンの心から冷静さを取っ払うのには十分だった。
「ちょっと、やめてよ。ねえ、やめてってば。聞いてる?」
きゃあ、という叫びに遂に耐えられなくなったジャンは飛び出して声のする方向へと駆けた。
「大丈夫?」
急いでエミリーの許へ向かったジャンが見たのは自分の弟に体をくすぐられているエミリーだった。その横にはいたずらっ子の笑みを浮かべたマルタンがいた。
「やられた……」
完敗宣言をしながらも、次こそは絶対に見つからないようにしようと思ったジャンであった。
TIPS No.5
マリー・アントワネット(Marie Antoinette)
オーストリア女大公マリア・テレジアの娘で、フランス王妃。長年の対立関係を続けてきたハプスブルクとブルボンの和解のためにフランスに嫁いだ。この婚姻は外交革命と呼ばれるほどの影響を持った。
嫁ぐ前のオーストリア大公女時代は末の娘ということで自由気ままに過ごした。幼少期のエピソードとしては、神童と言われたモーツァルトに「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言われたことである。子どもでなかったら大ごとになっていたかもしれない。
のびのびと育った彼女はフランスに嫁いだ後は窮屈な暮らしを強いられる。女同士の争いに巻き込まれながらも何とか生き延びる。しかし民衆からは「オーストリア女」というあだ名で蔑まれ、首飾り事件では貴婦人にも嵌められた。そんな中、宮殿内で自由にしていいと言われた場所に彼女が作ったのは農村だった。彼女は子どもたちとの長閑な生活を望んだのだった。
しかし、そんな彼女を更なる悲劇が襲う。それがフランス革命である。彼女は時代の激流と多くの人物の権謀術数に飲み込まれていくのであった。
「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」という名言は彼女のものではなく、また、ケーキでもお菓子でもなくブリオッシュという菓子パンである。彼女の発言であるというのは後世の人によるねつ造である。ただ、彼女が常識に疎かったのは事実であろう。