Épisode 4
マルセイユ観光の翌日、子どもたちはかくれんぼ(cache-cache)をすることになった。屋敷の庭に子どもたちが散らばっていく中で、数字を数えているのはマルタンである。
そして出来上がったジャンとエミリーのペアは一緒に逃げている。
姉に置き去りにされたエミリーの弟は、少し不安そうにしながらも隠れた。
その様子を、心配そうな表情で見ている青年がいた。アーロンだ。
こっそり見ていることが子どもたちにバレないように気配を消している。
マルタンが20を数え終わって三人を探し始めたのを見てから、彼は安心して去っていった。
さて、二人は庭においてあった藁に身を潜めていた。
彼らは暫くの間はひそひそ話をしていたが、足音が近付いてきたのに気付き、急に静かになった。
ただ足音だけが響くようになると、自分が暗闇にいるのだという思いから恐怖が増幅したエミリーはすかさずジャンの手を握った。
それに合わせてジャンもまた、体を寄せる。
やがて足音が遠のいていくと、二人はまた話し始めた。
ところが間もなく、足音が近付くと共にマルタンの声が聞こえた。
「まったくジャンとエミリーはどこにいるのだろうか……」
二人は顔を見合わせる。
「出て来ないのなら考えがあるんだけどな」
あからさまな挑発だった。
しかも、大声を出している。
つまり、二人が何処にいるかすらもあまり分かっていない。
ところが、そんなことに気付く気配はなく、見事に引っ掛かった。
大急ぎで藁から飛び出したジャンとエミリーは直ぐにマルタンに見つけられた。
「見つけた」
ジャンはマルタンの顔を見つめた。
「二人とも単純すぎるよ。それでは将来は貴族にも大商人にも将軍にもなれないよ」
「あっ……」
そう言われて初めて、彼らは自分が策に嵌まったことに気付いた。
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そして時は流れ、一行はマルセイユを発つための荷積みをしていた。
そこへ一人の女性が通りかかり、一人の青年を見ながら言った。
「あなたは……あなたはもしかしてジョルジュ?」
青年は感動しながら答えた。
「母さん」
そして二人は歩み寄る。
「ジョルジュなのね。あなた、ジョルジュなのね。こんなに立派になって……」
「母さん、今はアーロンという名を頂いて働いています」
「わかったわ、アーロン」
「でも二人の時だけは昔のようにジョルジュと呼んでください」
「そうするわ」
アーロン――本名はジョルジュ――の母はドミニクを見つけると挨拶に行った。
「お忙しいところ失礼します。私はアーロンの母です。これからも是非、よろしくお願いします」
言うことだけ言うと立ち去ろうとした母親を、ドミニクは呼び止めた。
「彼は私が雇った若者の中では最も期待しています。将来はきっと大物になりますよ。今は辛いかもしれませんが、そのうち私の家くらいの暮らしは出来るかもしれませんね」
その言葉を聞いた母親の表情は少し明るくなった。
「そこまでジョル……アーロンを買って頂けるのなら私としても安心です。それではそろそろ失礼します」
ドミニクは去り際の彼女に、ジョルジュと呼んでもいいからね、と一声かけてから作業に戻った。
暫くして、準備が終わったのを確認すると一行は出航した。
船の中で、子どもたちは口々にアーロンへのお礼を言っていた。
「楽しかったよ。ありがとう」
「本当に」
ジャンとエミリーが満面の笑みを浮かべるとアーロンもにこやかになる。
「まさかマルセイユがアーロンさんの故郷だなんて知りませんでした。あんな良い街が故郷なのは羨ましいですね」
アーロンは愉快に笑いながら、トゥールーズは第二の故郷になっているよ、と言った。
そこにエミリーの弟がやって来る。
「次はどこに行くの?」
「あっ、これは皆さんに言いますね。次の行き先は……」
煽るようなアーロンの口ぶりに、子どもたち四人は皆、身を乗り出した。
「トゥーロンです!」
「……どこ?」
四人の言葉が重なった。
アーロンは勿体ぶった口調で答える。
「おやおや。皆さんは商人の家の方ではなかったのですか? トゥーロンは我が国における地中海最大の港ですよ。商船は多く行き交い、軍船も数多く停泊しています。きっと近い将来、君たちはお世話になるでしょうね」
このときはまだ、想像だにもしていなかっただろう。
本当にお世話になるとは。
///
――トゥーロン
一行の乗った船は大きく突き出ている半島を迂回しながら入港した。かなり入り込んだところに港はあった。今度は船で一泊するだけの予定だったが、大人たちは子どもたちのため、アーロンが付き添うなら見て回っても良いことになった。
とはいえアーロンもトゥーロンには数度しか来たことがないのであまり詳しくはない。彼は悩んだ末、入港するときに迂回した半島にある丘を案内することにした。
行ってみるとそこからは港を一望でき、行き交う船も全て見える。
「すごい! 色んな船を見られる!」
四人は興奮気味だったがアーロンは一人、そろそろだろうかと空を見上げながらじっとしていた。
時は夕方。アーロンはこのときを待っていた。
港全体を、夕日が赤く染め上げたのだ。
「きれい……」
誰からともなく感嘆の言葉がこぼれる。
水面にも夕日は反射して、それが様々なところへ照り返り、より一層美しさを際立たせる。
その景色は、その場にいた五人全員の心に深く残った。
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翌日には港を出た一行はアジャクシオに向かった。
アジャクシオに向かう船の中ではアーロンがここ最近のコルス島の歴史について説明していた。
「コルス島というのは、まだこの国のものになって間もない島です。最近まで、コルシカ島はイタリア人が支配していましたが独立運動などで色々とあった後、フランスのものになりました」
(注)「コルス島」と「コルシカ島」は単なる読み方の違いです。
アーロンは続ける。
「まだ落ち着いていなくて治安が少し心配なので宿泊するところまで船に残る者以外の全員で一緒に行きます。その後は船に戻るまで宿の中で過ごしましょう。まだまだフランスになってから日が浅いので、行き帰りの途中で周りを眺めるだけでも面白いと思いますよ。くれぐれも私たち大人から離れないようにお願いします」
アジャクシオに着くと、子どもたちは言われた通りに歩いていた。
そんな中、少しだけ見目麗しい少年が歩いてきた。
何かを感じたジャンはすれ違い様に振り返る。
すると彼もまた振り返った。
この出会いは二人の記憶の片隅にいつまでも残った。
――これがジャンと少年――ナポレオン・ボナパルトの初めての出会いであった。
TIPS No.4
ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte)
フランス人民の皇帝。あくまでもフランス皇帝とは違う。フランス第一帝政の中心的存在。
生まれはコルス島。先祖はイタリア系の貴族だったという。父がコルス島における独立運動などのいざこざの際にフランスに貢献したおかげで貴族の学校に通うことができたが、独特の訛りにいじめられたとも言われる。激動のフランス革命を生き延び、クーデターや選挙を経て皇帝となり、第一帝政を開いた。
マレンゴ、アウステルリッツ、イェナ、フリートラントなどで輝かしい勝利を収めるもロシアでは大損害を被り、着々と力をつけていた諸王国の連合軍に敗れる。一度は離島に追放されるも脱出し再び皇帝に返り咲く。しかし快進撃はそこまでで、様々な要因が重なり再び敗北を喫する。今度は脱出ができないように絶海の孤島に流された。
イェナで勝利したナポレオンを見て、有名な哲学者のヘーゲルは彼を世界精神と例えたという。
そんな彼の最期に漏らした言葉はジョゼフィーヌ(ナポレオンの妻)、私の息子、軍、軍の先頭、フランスなど諸説がある。