Épisode 3
今日は7/14(Le 14 Juillet)。バスティーユ襲撃の日です。
ブリュネ家の屋敷の裏手には、ブリュネとベルナールの二家族が集まっていた。
「じゃあ、行ってくるね」
ドミニク・ド・ブリュネは彼の妻、シャルロットに別れを告げる。
「後のことは頼みます」
フェルナン・ベルナールもまた、彼の妻、ヴィクトリアに別れを告げる。
「行ってきます」
運河を船が進み始めると、岸に立つ家族に向かって四人の子どもたちが揃って叫び、小さくなって見えなくなるまで手を振るのをやめなかった。
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「今回はどのルートを通って行きますか?」
子どもたちを代表して、最も年長者であるブリュネ家の次男――マルタンがヴィクトルに尋ねる。
「まずは……」
ドミニクが言おうとした言葉を、彼の部下の一人が遮る。
「それについては私から説明させていただきます」
見覚えのない顔だったので疑問に思ったジャンが尋ねる。
「あなたは?」
「申し遅れました。私はアーロンと申します。あなたのお父様の許で働いております。今回の旅は私ともう一人が同行しますので、宜しくお願いします」
少し若めの男、アーロンは続ける。
「まずはこの運河を進み、海に出たらしばらくは海岸沿いを進みます。それからコルス島――ついこの間我が国となったばかりの島ですね――そこに寄ってからナポリへと向かいます。それからは陸路で北へ進んで帰って来ます。何か質問はありますか?」
アーロンは子供たちが一斉に首を横に振ったので安堵した。
彼には、質問されても何を答えればよいかわからないし、その権限もない。
あるのは、ドミニクとフェルナンからの信頼だけだった。
こうして、二家族と二人を乗せた船は、心地よいプロヴァンスの暖かい風に吹かれながら、大海原へと漕ぎ出していった。
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――マルセイユ
長い道のりの末、モンペリエにも寄港した船は、ようやくマルセイユに到着した。
「マルセイユか、少し懐かしいな」
「トゥールーズとは全然違うね」
「ここがマルセイユなのね」
「暖かくていいところだね」
年齢の順にマルタン、ジャン、エミリーとその弟が、街を眺めながら感想を言い合う。
四人の中でマルセイユに来たのはジャンの兄、マルタンだけであり、彼だけが独り言ちている。
マルセイユは商業都市であり、地中海を利用した交易が盛んである。
そのような場所なので勿論、ブリュネ家は屋敷を構えている。
当然のことながら、その規模は遠くトゥールーズのものに及ばない。
しかし、それでも十分な大きさがあった。
「ようこそお越しくださいました。ブリュネと、それからベルナールの皆様。お疲れでしょうから、まずはゆったりとおくつろぎください」
そう言ったこの屋敷の使用人もまた、しっかりと選ばれていることを感じられる。
「ここには三日ほど滞在することになっているから、アーロンにでも街を案内してもらうといいよ」
フェルナンがそう言い残して去った後、残された子供たちのうち最年長であるマルタンが口を開いた。
「取り敢えず、慣れない長旅で疲れただろうから、今日は部屋でゆっくりと過ごそう」
部屋は家族ごとに割り振られている。
つまり、マルタンとジャンは同室だが、エミリーとその弟は別の部屋になる。
別れ際、ジャンはエミリーに向けて言った。
「また夕食のときに会おうね」
エミリーは振り返ってにこやかに手を振った。
――そして夕食のとき、屋敷で最も大きな部屋に一同が会した。
音頭をとるのは勿論ドミニクである。
「まずは、マルセイユに無事につけたことを嬉しく思う。此度はナポリへ行く途上で、コルス島のアジャクシオに寄ることになっている。すぐ前まで乱が起きていた程だから、皆も身の安全についてはくれぐれも気を付けてほしい。また、普段あまり来れないマルセイユで働いてくれている者たちの働きに、必ずや報いよう。それでは、乾杯!」
子どもたちを除き、ほぼ全員がワインを飲む。
「やはりドミニクさんの持ってくるワインは他とは全く違う」
「このワイン、とてもいい香りがするわ」
ドミニク持参のボルドーワインは、マルセイユ詰めの部下や使用人たちの気持ちを、少しばかり穏やかにした。
そのような大人たちを尻目に、四人の子どもたちは集まって歓談をしていた。
「明日はどうしますか? 兄上」
とジャンは言う。それに対してマルタンが答える。
「そうだな……明日はフェルナンさんが言っていたようにアーロンさんと街に出掛けよう。明後日は屋敷の中で遊ぼうか」
「それが良さそうね」
「うん」
その案にベルナール家の二人も賛成して意見がまとまったので、あとは食事をするだけである。
ただ無邪気に食事を楽しむ四人に、近づいてくる者がいた。
好青年のアーロンだ。
「フェルナンさんから話を伺ったよ。明日はマルセイユを案内させていただくことになるのかな」
「ええ。よろしくお願いします」
マルタンがにこやかに答えると、アーロンも笑顔になる。
「マルセイユは私の故郷で、ちょうど働き先を探していたところに出会ったのがドミニクさんだったというわけです。そういう訳で、この辺りには詳しいのでお任せください」
そう言ってアーロンがお辞儀すると、ジャンは食べ物を口にくわえたまま目を輝かせて言う。
「よ、よろしくお願いします」
「お行儀が悪いわ」
しかしジャンは、すぐエミリーに窘められてしまった。
微妙に仲のいい二人を見て、親の策略を思いだしたマルタンは苦笑するのだった。
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「あれはシャトー・ボレリー。最近までは、ルイ・ジョゼフ・ドニ・ボレリーという大商人がいました。ブリュネやベルナールの屋敷もいつかはあのような城になるといいですね。奥方の実家の力も借りれば単なる夢にはならないとは思うのですがね」
ボレリー城を前に説明するアーロンの言葉に、エミリーが反応する。
「私もいつかはお城に住めたらいいなあ」
そう言いながらジャンの手をとり、微笑むエミリーは天然の男誑しである。
そしてさりげなく腕を組むジャンも天然の女誑しである。
「これは一組完成したな」
マルタンは気が遠くなりながら、喜びそうな親たちを思い出して続けた。
「アーロンさん。このことは父上やフェルナンさんにはくれぐれも秘密にお願いします。面倒なので」
「わかりました。まあ、直にあの方たちにもわかると思いますが、それまでは胸の中に秘めておきます」
「よろしくお願いします」
このあと、マルセイユの街並みを一通り見て回ったが、二人は終始ご機嫌であったという。
TIPS No.3
ルイ16世(Louis XVI),ルイ・カペー(Louis Capet)
知名度は高いと思われるフランス王。愚王説と賢王説に評価が分かれている。その人生は、不遇のものであった。
ルイ16世は、様々な身分や立場の人の板挟みになった。愚かであろうが、賢かろうが、人に優しかったのは確かなようで、それがフランス革命を生き抜くことができなかった一因かもしれない。
王妃はあのマリー・アントワネット。彼女の母はオーストリア大公マリア・テレジア。長年にわたり抗争関係にあったオーストリアとフランスの間で婚姻が結ばれたことから、この婚姻は外交革命とも言われる。
ルイ・カペーというのはフランス王位を奪われた後の呼び名。
彼は作中の重要人物の一人なので、あとは小説中でどうぞ。個人的には、ヴァレンヌの件が興味深いです。