Épisode 1
ブリュネ家は、フランス南部の大都市トゥールーズに拠点を構える。そんな彼らの家はガロンヌ川とミディ運河に挟まれた地域にある。
鉄道などないこの時代の大量輸送手段と言えば船であり、その点、この立地は恵まれている。
ガロンヌ川を通ってボルドーやその先の大西洋に行くことも、ミディ運河を通ってマルセイユなどの地中海沿岸に足を伸ばすこともできる。
今はフランス南部有数の商人である家の三男として生まれたのがジャンである。彼は少しづつ、未来への道を歩み始めていた。
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――1777年 トゥールーズ
「やーい! 来れるもんならこっちに来いよ」
一際目立つ少年――リーダーのジャンは、向かいにいる集団に向かって叫んだ。
ここ数年、冷え込む日が増えている中、普段は降らないトゥールーズにも、雪がどっと降った。
うっすらと雪が積もった川のほとりで、子どもが二つの集団に分かれて雪を投げ合っていた。
「おい、ジャンを狙え」
もう一つの集団のリーダーは彼の仲間に指示を出した。
ジャンは危険を承知で玉を避けながら何歩か進み出ると、顔の前に手を出して如何にもピンチですというような恰好をしながらジワジワと下がる。
彼は次第に囲まれて追い込まれていった。
――そして次の瞬間、彼は地面に倒れ込んだ。
囲んでいた五人は困惑した。
無論、誰の雪玉も当たってはいないからだ。
「かかったぞ。やれ」
ジャンは、倒れたまま仲間に指示を出した。
囲んでいた五人は背後から一斉に飛来する玉に気付くのが遅れた結果、いくつも当たってしまった。
彼らは負けを宣言し、ジャンとその仲間は得意げに胸を張るのだった。
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「ただいま戻りました」
丁寧な口調のあいさつとは不釣り合いな程ジャンの服装は乱れていた。
「そこで待っていてくれる? 今着替えを持っていくから」
そんな母――シャルロットの言葉など意に介さずにジャンは家に突撃を敢行する。
しかし、とどまることを知らない彼を止められる人物がいた。それは、彼の父……ではなくその向かいに笑顔できちんと座っている齢7つの少女――エミリーであった。
いかなジャンといえどもこの少女の笑顔の前では、きまりが悪くなって大人しくなる。
急にしおらしくなったジャンを見て、彼らの父親たちはニコニコとしていた。
エミリーは首を少し傾げたが、その動作に男たち3人はやられた。
そこに一連の様子を見ていたシャルロット(ジャンの母)がやってきた。
「エミリーちゃん可愛いわね」
そう言って父親たち二人の分の飲み物だけ置くと、足早に去ってしまった。
母がこの状況を変えてくれると信じていたジャンは、さらにばつが悪くなって家の入口の方へと大人しく戻っていった。
ジャンが去ったあと、二人の父親たちは話に花を咲かせていた。
ジャンの父――ドミニクと、エミリーの父――フェルナンは旧知の仲で、今では家族ぐるみで付き合っている。
この日も商売の話はそこそこに、雑談ばかりしていた。
まずはフェルナン(エミリーの父)が口を開いた。
「あの二人、お似合いだと思いません?」
「そうだな……」
「ジャンくんなら我が家は大丈夫ですので本人にその気ができたらいつでも連絡をくださいね」
「話が早くないか? まだ8つと7つだぞ」
「あとは本人たち次第ですよ。あと5年もあれば、ね」
ドミニク(ジャンの父)は少し笑ってから答える。
「私としても君と血縁でつながるのは吝かでもないが、私は親の押し付けにならないようにだけはしたいと思っている」
「わかりましたよ」
「あまり長く話すべき話題でもない。このお話はまた今度にしよう」
「今度というのは来月ですかね」
くだらない冗談に二人の笑い声が屋敷に響いた。
仲が良いのはわかるけどもう少し静かにしてくれ、という呆れた視線が二人に刺さる。
「父上、もう少し静かにしてください。フェルナンさんも」
ジャンの長兄(つまりドミニクの長男)であるヴィクトルがやってきてドミニクに書類を渡す。
「これ、よろしくお願いします」
ヴィクトルは一言だけ残して去っていった。
「本当にヴィクトルくんはしっかりとしていますね」
「私よりはよっぽど良い商人になると思うよ。親の色眼鏡は入っているとは思うがきっと大きくしてくれるだろう」
「色眼鏡抜きでも優秀だと思いますよ」
「そうか」
そう言って再び大声で笑うと周りにいる家族に先程と同じ目で見られた。
「そういえばもうすぐクリスマスか」
今度はドミニク(ジャンの父)から話を切り出した。
「ええ。我が家も準備を始めようとしているところです」
フェルナン(エミリーの父)の言葉を聞いて、ドミニクの表情は幾分か穏やかになる。
「どうだろう。今年は君の家と私の家で一緒に祝うというのは」
「それはいいですね。帰ったら妻に聞いておきます。恐らく大丈夫でしょうけど」
「そうだな。ははっ」
ドミニクは、今度は控えめに笑った。
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――1777年クリスマスイブ
ブリュネ家の屋敷のドアがノックされてシャルロットが開けると、そこにはベルナール一家がいた。
「どうも」
まずはフェルナン・ベルナールが一家を代表して挨拶をする。
「いつもお世話になっております」
彼の妻――ヴィクトリア・ベルナールが続ける。挨拶をする所作は見事なものであった。
「ようこそ。私の家族も中で待っています」
対するシャルロット・ド・ブリュネの所作も美しかった。
ベルナール一家の五人が屋敷の中に入っていき、ブリュネ家を代表してドミニク・ド・ブリュネが各人に挨拶をする。
「よく来てくれたね。フェルナンくん」
「ご無沙汰しております」
「ヴィクトリアさんもようこそいらっしゃいました」
「ええ。とても楽しみですわ」
最後にドミニク・ド・ブリュネは三人の子どもたちにも向かって言った。
「今日は是非、楽しんでいってくださいね」
彼の柔和な表情と声色のお陰で、普段はあまりブリュネ家に来ない子どもたちの緊張もほぐれた。
パーティーが始まるとフェルナン・ベルナールはドミニク・ド・ブリュネと共謀して巧みにエミリーをジャンの許に誘導していく。
その様子を、二人の母親たち――シャルロット・ド・ブリュネとヴィクトリア・ベルナールがとても楽しそうに見ている。
ジャンとエミリーが談笑を始めたのを確認した二人の父親たちがそっと二人から離れるのが見えると、母親たちも世間話を始めた。
一方、当の二人はそんな大人たちを他所に仲良く会話していた。
「ねえ、ジャン」
「どうしたの」
「このお料理おいしいわね」
「そうだね。特にパンにこの具を乗せるのが好きだよ」
「私はこのスープかしら」
「それもいいね」
「そのパンもね」
そう言って笑う二人を、父親たちは遠くから見て微笑んでいた。
「うまくいきましたね」
「案外簡単だったな」
「ええ」
その父親たちを見て、母親たちが会話していた。
「――それでね。その公爵夫人がね……」
「ねえ、ヴィクトリアさん」
「どうしたの」
「旦那たちがまた何やら企んでいますよ」
「うちのフェルナンだけじゃないんですね。お宅のドミニクさんも共謀していますね」
「全く。あの人たちは私たちが見ているのに気づいていないわね」
「本当に」
「でも実は私たちも見られているかもよ。気を付けなきゃね」
「あら嫌だ。シャルロットさんったら冗談がお上手ね」
……実のところ、それは冗談ではなく、彼女たちも自分たちの子どもにその様子を見られているのであった。
――こうしてパーティーは更に盛り上がっていくのであった。
《このコーナーでは、この小説に関連する人物の史実での動きを少しだけ解説していきます》
TIPS No.1
アンリ4世(Henri IV)
ブルボン朝初代のフランス王。日本で最も有名な王はルイ14世(No.2で紹介)であろうが、フランスではアンリ4世が名君とされており、広く知られている。
ユグノー戦争(三アンリ戦争とも言われる旧教カトリックと新教ユグノーによる内戦)の結果、フランス王位を継承。自身はユグノー(新教徒)であったため、その戦争中にあった彼の挙式でカトリックの過激派サンバルテルミの虐殺が起きた。
当時のフランス王家、ヴァロワ朝から見ると傍系にあたるため、アンリ3世により後継者とされた。統治の面で特筆すべきことは、自身がかつてユグノーであった(フランス王となるためにカトリックに改宗した)がために、それまで採られていたユグノーを弾圧する政策を廃止し、国内の融和を図ったことである。