火種だけは次々と
冬休みも間近という、寒い朝のことであった。
道路に膝を付いているさくらと僕は、さくらのお祖父ちゃんと明楽を見上げる形に、お祖父ちゃんと明楽はさくらと僕を見下ろす形でたたずんでいた。
僕に続いて口を開いたのは、明楽だった。
「い、いや‥‥‥え? いや、は? 何でお前がいるんだ‥‥‥誠」
「マコトさん、お兄ちゃんと知り合いだったんですか!?」
「お、兄ちゃんんんんん?」
「何だ、どういうことだ。儂にも説明せんかい、明楽」
「いや、俺もわかんねえんだって! どういうことだよ、誠!」
「え、っとアレだ、前に言ったろ? ネットで知り合った女の子‥‥‥が、お前の妹だったということじゃないの‥‥‥僕もよくわからん」
「おいさくら! お前、ネットでいやらしいこと言ってんのか!」
「別にいやらしくなんかないんだからぁ‥‥‥!」
「そうだぞ! さくらは卑猥なことを呟いてなんかいない!」
「儂も話に混ぜんか貴様らァ‥‥‥」
「「「お祖父ちゃんは関係ない!!」」」
「お、おい誠ォ!? てめえ何でお祖父ちゃんのこと『お祖父ちゃん』って呼んでるんだ! まさかさくらとの結婚を考えているのか!?」
「ほ、本当ですかマコトさん!」
「お、おおぅ落ち着けお前ら! 話がややこしくなってきた!」
「あわわ、マコトさんと結婚‥‥‥でへぇ」
「いい加減にせい! 儂にも説明せんかッ!」
「「「あ、お祖父ちゃんいたんだっけ‥‥‥」」」
「ふんぬぅぅうううう──ッッ!!」
怒りで顔を真っ赤にしたお祖父ちゃんが、急に奇声を上げて地面に向かって拳を叩きつけた。びしぃ、と音が響く。
轟音が静まると、もう半ば白目を向いているその顔で睨んでくる。マジで恐い。
さくらなんて恐すぎて今にも泣きそうになっていた。うるうると目を潤ませて、口はあわあわと動く。手に関しては救いを求めるように揺れ続けてる。
「用があるのはさくらだけじゃ! そこの変態はあっちへ行け! どっかへ行け! 早くしろ!」
「え、でも、その」
「やかましいわ! 散れ! さっさと散れ!」
「あっ、はい。‥‥‥じゃあ、さくら。またな」
「さようなら、マコトさん」
「『また』か!? また会うのか貴様ら! 不純異性交遊だぞ、貴様の制服憶えたからな! 制服から学校割り出して文句言ってやるもんね!」
「勘弁してください‥‥‥」
というわけで帰ります。本当に帰っていいのか戸惑いつつも、さくらの笑顔を見て歩く速度が少し早まる。思えば、あれは苦笑いだったのかもしれないのだけれど。
というか、さくらのお祖父ちゃんが存外に優しくて驚いた。いや、優しいというのは語弊がある。優しくはない。何というか、予想以上に人情のある人だった。
もっとこう、「情け容赦など人間を弱くするだけだ‥‥‥」とか言いそうなのを想像してた。想像してみたんですが違和感なさすぎて逆に違和感があるレベル。
あ。
忘れてた。
「‥‥‥‥‥‥学校、どうしようかな」
結局サボることにした。帰り道、近所の人たちの目線が痛い。ブレザーを脱いでワイシャツ一枚にネクタイという恰好になったため、きっと就職活動がうまくいかないニートだとか思われてるのだろう。
今日は色々ありすぎて、頭の整理が追いつかない。いつもならば嬉々としているはずの帰り道も、何故だか酷く落ち着かなかった。
さくらは大丈夫だろうか。明楽はどうしているのだろうか。
‥‥‥さくら、か。
「──惚れてるのかな、やっぱり」
呟いた口から言葉だけでなく白い息も出てきた。天を目指して舞い上がるその息は、少しずつ濁りやがて儚く消えていく。
初恋、なのだろうか。高校生で初恋というのは少し遅い気もするが、けれどもやはり初恋なのだと思う。
こんな感情、味わったことなかった。胸が締め付けられように痛くて、脳が彼女を離さない。
でもなあ、「親友の妹の女子小学生」という称号は、どうやったって取り外せない。
僕は──恋をする相手を間違えたのだろうか。
そんなことを考えていると家に到着した。
ところで僕の家は二階建てであり、広さもかなりのものだ。それでいて家賃はけっこう安い。お父さんが知り合いから家を借りているからだ。数年間海外に移住することになったのだが、一流の税理士ならば心配せずに任せられる、みたいなことをその知り合いから聞いた。
父さんにどう言い訳しよう、などと考えながら扉を開ける。
がちゃり。
「あれ」
鍵が閉まっていなかった。几帳面な父さんは、家に人がいるときでも鍵を閉めるはずだが。外に出ているならなおのことである。
だがしかし、父さんだって人間だから忘れることくらいあるだろうと、軽く流してしまった。
軽々と靴を脱ぎ、そして足を踏み入れる。下駄箱に父さんの靴も入っていたし、恐らくは家の中にいるのだろう。
どど。
どどどどどっ!
足音が聞こえた。うるさい。走っているのだろうか。父さんにしては珍しい──と思っていると。
二階から階段を駆けて降りてきたのは、僕が予想だにしていなかった人物であった。
「おう、誠か! 久しぶりじゃないか、随分と大きくなったなあ! あれあれ? というかキミはこの時間、まだ学校にいるはずじゃなかったかな?」
「帰ってたんだ、姉さん」
「おうさ。向こうの大学の冬休みはこっちより早くに始まるんだよ」
腰まで伸びる長い黒髪と、とろりと溶けたような可愛らしい目。笑顔が印象的なその女性は、僕の姉である宮野遥香であった。
彼女はアメリカに留学している。何やら全寮制の学校だそうで、しかもすごい優秀なところらしい。
姉さんは文系の僕とは違い理系であり、白衣姿なんかはよく似合う。アメリカへの留学を決めた理由というのも、研究施設が完備されているからだとか。
アメリカにはプリシス筐体がないから、僕からしたら地獄のような場所なんだけれど。
「誠はさ、これから予定あるの?」
「いや、昼飯食べたらゲームセンターでも行こうかなって思ってる」
「ゲームセンター? 何をするんだ?」
「‥‥‥まあ、色々」
「お姉ちゃんと行こうか」
「何でだよ、嫌だよ」
「ははーん? お姉ちゃんが魅力的すぎて緊張しちゃうから嫌なのかなぁ?」
「僕だって、一人でやりたいことくらいあるんだよ」
「‥‥‥ふーん。何か──変わったね、誠って」
「そうか? 自分じゃあんまり気づかないけどな」
「いやいやー、すんごい変わってるって。前は『ゲームセンター行くなら勉強するわ、鬱陶しいから消えろ』とか言いそうだったじゃん。何か、明るくなったよ」
「そうかい。褒められてんのかな、それ」
「うん。すっごい褒めてる」
「そりゃ良かった」
軽く流して台所へ向かう。通学用の鞄やブレザーを床に放って、鍋に火を点け水を沸騰させる。台所にある段ボール箱から即席ラーメンの袋を取り出し、中身を鍋へぶちまける。
その間にテレビを点けて、録画してある昨日のプリヒラでも見ようかなと思ったが、姉さんがどっか行ってくれないので諦める。さすがに家族の前で女児向けアニメを見るのは少々気が引ける。
ちなみに姉さんがアメリカへ行ったのは三年前で、ちょうど僕が受験に精を出していたころである。精を出しすぎていたまである。
だから僕が女児向けアニメやゲームが好きなんてことは少しも知らず、言ったらたぶんめっちゃびっくりする。あと父さんにも言ってないな。けどたぶん録画リストとかでバレてる。
「おーい、ラーメン出来てんよー」
「わかった」
ラーメンを容器に移して麵を啜っていると、台所のほうから「ピィィ‥‥‥」とやかんが沸騰している音がした。
振り向くと、姉さんが何かしているようだった。
「あれ。姉さんも食べるの?」
「まこちんが食べてるところ見てたら、なんか食べたくなってきちゃった」
「‥‥‥いい加減、僕の呼び方を確立させてくれないかな」
「可愛いじゃん、まこちん」
「そうかね」
「そうだよ」
会話文のみで物語を進行させるというのをちょっと試してみました。案外上手いこと書けたんじゃないの、なんて自負しております。
あともうすぐ誕生日なんですよ、まだ一ヶ月くらい先だけど。