歯車が回り始める
『今週の土曜日、リアルで会いませんか?』
ある冬の、夕暮れ。
液晶画面に表示されるその文字列を追った僕──宮野 誠は、気付けば手に持っていたスマホを床に落としていた。床から響く鈍い音に片目を瞑りながら、恐る恐るスマホを拾う。
そして先ほど読んだ文章をもう一度読んで、すぅっと息を吸う。頬から垂れる冷や汗には注意も向かず、ただ目前に広がるスマホの画面を凝視する。
僕が見ていたのは、ネット上の友人である「さくら」とのトーク画面である。ツイッターで知り合った僕らは、会話しやすいからという理由でラインのアカウントを交換し、そして早二ヶ月となる。相手の「さくら」は女子であるため、アカウントを交換したその日は興奮で夜も眠れなかったが、今では中身が男なんじゃないかと疑うほどに馴れ馴れしく接してくる。まあ、敬語なのは付き合い始めたころから変わらなく少しばかり他人行儀な感じがするが、しかし。
毎日通い続けている高校から下校してすぐ、いつも通り制服を脱ぎもせずにスマホを開いて表示された文字がこれである。
とりあえず何か返信しなければと、『どこで?』と返す。
すると、三十秒もせずに返事がきた。
『私たちが一緒に行くところなんて、秋葉原くらいしかないでしょう笑
どうです? 友人と映画を見ようと買った前売り券があるんですけど、あいにく友人が熱を患ったため行けなくなったんです
それで、マコトさんならどうかなぁと‥‥‥』
行きたい、というのが正直な心境である。しかし、「ネットで知り合った友人とリアルで会うのは危険」などとよく聞く。
頭が混乱する。行きたい、がしかし。錯乱した脳がぐるぐると、目まいするほどに揺れていく。
いつもならば一分以内に必ず返信する僕である。返信が遅いと心配されるかも、などという妄想が頭から離れず、果たして僕は勢いに任せて返信してしまったのだった。
『ぜひ行こう』と。
翌日、金曜日のことである。桜桃高校──全国有数の進学校である──へいつものように向かった僕には、しかしある違和感があった。
なぜだかやけに視線を感じる。自分で言うのもなんだが特殊な趣味のせいでクラスで浮いてしまった僕は、目線を合わせると避けられがちなのだ。
その趣味というのは、女児向けのアニメが狂おしいほど好きだというものだ。中学のころ、何気なくテレビを点けていたら放送していた女児アニメ、「ふたりはプリティーヒーラー!?」に自分でも引くくらい魅せられてしまった。クラスで女児アニメを見ていることがバレて以来、僕のクラスでの立ち位置は「気持ちの悪い女児アニメオタク」である。
「おい、誠。おはよう」
「‥‥‥ああ、明楽か。おはよう」
僕の唯一の友だちと言っても過言ではない、女児アニメオタクの杜田 明楽である。
しかし女児アニメオタクと言っても僕とはタイプが真逆であり、僕の場合はどちらかと言うと戦う女児アニメが好み、明楽は最近流行りのアイドル系女児アニメが好きなのだ。
大きな隔たりがある僕たちだが、しかし「女児アニメを愛している」という気持ちは同じだ。いままで何度も喧嘩をしてきたが、それでも最後に仲直りができるのはきっと、その共通点があるからだろう。
「なんかいやに視線を感じるんだけど。誠、なんかした?」
「僕もそう思ってた。なーんもしてないぜ? いやホント」
「まあいいや。それはそうと昨日の『ドールアイ -Idoll-』見た? 人形がアイドルになる女児アニメっつー時点でもう最高だけど、今週から人間のアイドルが登場。いよいよ面白くなってきたなぁ」
「人間のアイドル良かったな。キャラデザ班、あれは上手いことやってくれたわ。コーデはワンピースとか似合いそうだよな」
「は? あれは可愛い系のコーデよりもセクシー系だろ。調子乗んなって」
「は~、わかってねえなぁ。どう見たって可愛い系だろ、キュートだキュート」
「‥‥‥図に乗るなよ?」
「てめえこそ、アイドルものの基本を一から叩き込んでやろうか」
こうやって喧嘩することこそ、まさしく僕にとって日常生活の象徴だった。
だけど変わらないものなんて一つもないのだろう。結局のところ、僕はこの日常生活に甘えていたのだ。
明楽がいなくなるときのことなんて、僕は想像すらしたことがなかった。だから。
僕が今朝感じていた視線の正体は、昼休みの時間にようやく明らかになる。
四時限目のチャイムが鳴るのと同時に、幼馴染の朱宮 茜里に胸ぐらを掴まれ立入禁止の屋上まで連れていかれる。立入禁止とは言っても別段扉が開かないわけでも鍵が掛かっているわけでもない。ただ、見つかればそれなりの処罰を受けるだけだ。
屋上の扉を閉めた茜里は、怒鳴るように言った。
「なんでアタシとアンタが、付き合ってることになってんのよ!」
「‥‥‥‥‥‥は?」
「なによ、まだ聞いてないわけ? いいわ、教えてあげる。アタシとアンタが、風の噂で付き合ってることになってるらしいのよ。
あー、もう最悪。なんでアンタみたいな気持ち悪いオタクと付き合わなきゃならないわけ? だいたいアタシにだって好きな男子がいるのよ!? 知られたらもう、絶対幻滅されるわ。く~ぅ、これもみんなアンタのせいよ! このロリコン!」
「いや、僕は別にロリコンってわけじゃ──」
「うるっさいわね! 口答えすんな! 死ね!」
「酷いやつだな。もうちょっとプリヒラのように心が美しい女性になろうとは思わんのか」
「それ本当にキモイから二度と口にしないで頂戴」
「あっ、はい‥‥‥」
ちなみにプリヒラというのは前述した「ふたりはプリティーヒーラー!?」の本編で登場する伝説の戦士のことである。主人公の二人の少女はこのプリティーヒーラー──略してプリヒラになるため努力を重ねる。「無印シリーズ」と呼ばれる「ふたりはプリティーヒーラー!?」以降もシリーズは続いており、俗にプリヒラシリーズと呼ばれている。今では通算放送回数500回を超える、日本を代表するアニメの一つとなっているのだ。
おっと、余談はさておき。
つまり今朝、僕は桜桃高校の生徒たちから「朱宮 茜里の彼氏」として見られていたわけだ。なにせ茜里はこの高校じゃ美人としてかなり評判の高い生徒だ、そりゃ視線も増える増える。
「えっと、じゃあどうやって説明するんだよ? 『僕たちが付き合っているという噂が流れていますが、それは嘘です』って校内放送でも流すか?」
「アンタ馬鹿なんじゃないの?」
「冗談のつもりだったんだけど‥‥‥」
「知らないわよ。とりあえずなるべくアタシに近づかないようにして。それで状況の悪化は防げるはず。アンタから何か提案は?」
「いや、ないけれど」
「ったく、本当に使えないわね。まあそういうことだから。くれぐれも近づかないように! いいわね!」
「‥‥‥‥‥‥」
そう言って茜里は、最後の最後まで僕を睨みつけて屋上から立ち去って行った。しかし冬だと言うのによくもまああれほど元気になれるものだ。
「ん~」と、なんとなく軽いストレッチをしつつ一人取り残された屋上に吹く気持ち良い風に身をゆだねていると、昼休みの終わりを告げるチャイムが聴こえた。
せっかく作った昼食のお弁当は、放課後にでも食べるとしよう。
そしてついに、土曜日がやって来た。数か月前からの知り合いである「さくら」と、現実世界で初めての対顔。
顔も見たことない僕らは、待ち合わせ場所である秋葉原駅で左手を上げることをお互いを判断する材料とした。
待ち合わせの時間は一時だが、既に十分過ぎていた。目の前はサラリーマンや高校生らしき人物ばかりで、とても女性は見つからない。せいぜい場違いな女子小学生がいるくらいだ。
少し電話で確認してみようと、ラインの通話ボタンを押す。
『‥‥‥あの、さくらさん? 僕はもう秋葉原駅に着いてるけど、まだ?』
『え、マコトさんも着いてらしたんですか? 私も二十分ほど前からいるんですけどっ』
『エッ? どういうことだろう、じゃあ一緒に右手を上げてみようか』
『わかりました。せーのっ』
僕は左手を下げ右手を上げた。そして周囲を見回してみる、がしかしそれらしい人物は見当たらなかった。
もしかして出口を間違えて、電気街口じゃなく昭和通り口にいるのかな、などと疑問に思ったそのとき。
僕の右手の袖を、何者かが掴んだ。小さい手だった。視線を下にやると、
「‥‥‥えっと、マコトさんですか?」
僕の眼に映ったのは、蒼色に染まる儚いほどに淡い瞳。少女の時点で既に色気を催す唇。そして、一本一本が自立するように、はっきりくっきり伸びる黒髪。首に巻くマフラー、口腔から出んとする白く眩い吐息。滑らかな指先。
いや、しかしこれはどう見ても。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥小、学生?」
「あっ、ですです。私です、さくらです。えぅ‥‥‥その表情、もしかして人違いですかっ? だとしたらすみませんっ!」
「いや、僕はマコトであっているけれど、‥‥‥小学生?」
「私ですか? はい、そうですよ。小学五年生、元気はつらつとやらせていただいておりますっ!」
「‥‥‥‥‥‥あ、ほえー‥‥‥」
冬の日。その出逢いから、僕の物語は始まった。
初めましての方は初めまして、正守証と申します。名前はタダモリアキラと読みます。
初めて、いわゆるラブコメというものに挑戦させていただきまして。
至らぬ点もあるとは思いますが、お付き合いいただければ幸いです。
次回の更新は二日後くらいですかね。できるだけ早く読んでいただけるよう、精進させていただきます。
それではまた、お会いできることを願って。