1話「華の戦争」 -1
誤字脱字、あったらすみません。
――もう、十年も前のことだ。
度々、夢の中で鮮明に思い出すことがある。それは彼、テオトル=コルテスにとって悪夢でしかなかった。
カーテンから差し込む木漏れ日に、萎れた目が過敏に反応する。虚ろな視界の中、時計を確認する。指針は丁度、午前11時を示しているのが分かる。額に手を当てると、ベッタリと汗が付いていた。シャツの襟元と背中が、流汗で滲んでいて気持ちが悪い。
決まってこの夢を見る時には、いつも大量の汗を掻く。彼はベッドから体を起こし、サイドテーブルに置いてあるコップをべた付きの残る手で掴み、口を付けた。昨日から放置してあった生ぬるいお茶の風味は気持ち悪さを加速させるだけだが、カラカラに乾いた喉は、そんな不味さを打ち消した。
美味い。ほっと一息付き、またお茶を一口啜る。
窓越しから聞こえる小鳥のさえずりと共に、彼がのんびりとお茶を堪能していると、...……突如ドカンという大きな破裂音と共に、脳が掻き混ざる様な振動が下の階から伝わってきた。コップからはみ出たお茶はシーツに零れ、同時に彼の眠気は一気に吹き飛んだ。
――また、なんかやりやがったな。
彼は枕横に置いてあった眼鏡を掛け、隣に置いてあった、黒い薄生地のレザーで作られたグローブを右手に嵌める。そして、睡魔の残る寝起きの身体を無理やりたたき起こす。ドアを勢いよく開け、急ぎ足で階段を下る。一階には誰もいない。彼は足を止めず、玄関横にある、煉瓦で出来た階段を下っていく。階段の横に張り付けてあった『立ち入り禁止』の張り紙は意味を成さなかった様だ。彼が歩みを進めていくと、何やら叫び声が聞こえてきた。
「やっぱり、カモメの血だよ!!!」
彼が階段を下る度に、声は鮮明になってゆく。
「違う、絶対にカエルの血だったはずだよ!」
「カモメの血だってば!成功していたら、こんな爆発するわけないじゃん!お父さんが起きてきたらどうす・・・あっ」
顔を赤くして言い争っていた二人の少年の顔から、一気に血の気が引く。床に散らかった魔術文献と、当たりに飛び散った血の汚れ。更にはビンごと吹き飛んでしまった、高魔力の圧縮された高価な薬品は、怒鳴られる材料としては十分すぎるほどだった。
「・・・・・発熱液を作りたいのならば、使うべきはカモメではなく、カエルでもなく、カラスの血だ。カラス以外の血では、完全に混ざりきった液が空気に触れた途端、温度が急上昇するから危険だと教えた筈だが。二人とも、しっかりと復習はしたか?」
テオトルはギロリ、と眼鏡越しに少年たちを睨み付ける。一言も反論できない少年たちは、テオトルと目が合わないよう、視線を泳がせるだけで精一杯だった。
「・・・・・とりあえず、お前たち、怪我はないか?」
テオトルは少年たちの身体に視線を移す。見たところ、服に血は付いているが、きっとそれはカエルの血だろう。特に外傷は見当たらない。少年たちは俯きながらも頷いている。テオトルは胸を撫でおろした。
「まぁ、怪我がないなら幸いだが・・・・・で、何をしていたんだ?」
その一言に、少年たちの肩がピクリと動く。
発熱液は溶液を小さなビンに入れ、体を温めるために使うのが一般的だ。熱を発するため、実験に使われることも少々あるが、それでも発する熱量は程度が知れているため、用途は限られている。
今は六月の半ばの早朝。確かに朝は冷え込む日もあるが、されど、カンナ村の昼は八月並みに暑い。そんな時期に、単に発熱液を作りたかった訳ではないのは、すぐに理解できる。
すると二人の少年の内の一人・・・・・黒髪の少年『コルア』が、ズボンに付いているポケットをゴソゴソと漁り始めた。
恐る恐る、その右手で握りしめたものをテオトルへ見せる。コルアが手に持っていたのは、直径十センチほどの、厚さの薄い正方形をした石だった。
「ティファニーが、これに発熱液をかければ石板が出来るって・・・・・な、テスカ」
コルアはもう一人の少年に、同意を求める。金髪の少年『テスカ』は、じっと硬直していたが、コルアの視線に耐えきれなくなったのか、目を伏せながら首を縦に振った。きっと、コルアがテスカに、ルーンを作ろうと提案したのだろう。
ティファニー・・・・・コルテルは必死に誰であったかを思い出す。確か、カンナ村の村長の息子が、そんな名前の子であったか。少年たちの単純さに、思わずため息が出る。
「ルーンは、そんな簡単に作成できるものじゃない。そもそも、これはただの石だ。ルーンを作るのには黒曜石が必要だと、これも教えた筈だが」
少年たちは口を閉ざし、何も言おうとはしなかった。いや、言えなかったのだろう。――暫くの沈黙の後、口を開いたのはテスカだった。
「だって・・・・・」
テスカは語気を強めながら言った。
「だって、僕たち、早く九神官になりたいんだ」
九神官――それは、この国、『アズテク』に仕える、九人の将軍を差す名称である。九神官になるには、それなりの実力が必要となる。ルーンを使えば、固有の能力をすぐに手に入れることができるので、確かに近道にはなるかも知れないが・・・・・如何せん、少年たちは実力以前に、年齢が若すぎる。
「・・・・・どんな夢を抱くのも勝手だが、お前たちはまだ十三だ。魔術も武術も、まだまだ素人。ましてや自らの欲を抑えきれず、入るなと重々念を押していた部屋に勝手に入る様な奴らが、人の上に立てると思うか?コツコツと経験を積み重ねる所から始めなければ、今度は大怪我を負うぞ」
テオトルは少年たちを窘め続ける。滅多にコルテルに怒られることなどない少年たちは、すっかり意気消沈していた。――すると、ただいまー、という甲高い声と、今帰ったぞー、という低い声の二つが頭上から聞こえてきた。そして、ゴトッと何かを置く音がした後、コツコツと小さな足音が地下室に響く。
「うわっ、どうしたのこれ!!!」
地下室の有様に、階段を下りながら驚きの声を挙げる青黒髪の少女『マヤ』。彼女に続いて姿を現したのは、明るい銀髪を後ろで一本の束に結んでいる、精悍な顔をした青年『エルナス』であった。マヤとエルナスは階段を下りきり、床に散らばった魔術文献を踏まないように気を付けながら、部屋に足を踏み入れる。
「買い物から帰ってきたら誰もいなくて地下室が開けっ放しだったから、何かあったのかと思って、怒られるのを覚悟して勝手に入ってきちまったけど・・・・・酷い有様だな」
エルナスが苦笑しながら、部屋を見渡す。
「まぁ・・・・・今日ばかりは特別だ」
テオトルは頭ををポリポリと掻きながら、顔をしかめる。
「どうせまたコルアとテスカが悪さしたんでしょ。いい加減、大人になりなさいよ」
マヤがやれやれと言わんばかりに、首を横に振る。
「うるせえよ、同い年のくせに・・・・・まな板が」
「なんですって!!」
ぼそっと呟いたコルアの一言に、マヤが過剰に反応する。
「ふん、私の胸は今から大きくなるからいいの!!!・・・・・っていうか、なんかこの部屋なんかちょっと汗くさくない?」
マヤがそれまで流れていた張りつめた空気を殺すかのように、鼻をつまみながらテオトルの顔をじっと見つめる。
「お父さん、起きた後しっかり着替えした?」
テオトルはすんすんと、自分のシャツの袖を嗅ぐ。確かに言われてみれば、結構酸っぱい臭いを発している気がする。
「まぁ、説教は後にして、服を着替えてきたらどうだ?どうせ昨日も遅くまで文献の解読をしていたんだろ。・・・・・そういえば、今日キリコおじさんが珍しいパンをくれたんだ。朝食がまだだったら、一息ついたらどうだ」
「もう、昼食だけどね。じゃあ、私ご飯作ってくるね」
エルナスの提案に、マヤはテオトルの返答も聞かず、足早に階段を上がってゆく。
「・・・・・あ」
マヤの後ろ姿を皆で見ていると、エルナスが何かを思い出したかのように、声を漏らした。
「そういういえば、薬草を買い忘れちまったんだ。コルアかテスカ、どちらかキリコおじさんの所に行ってくれねえか?」
エルナスはすまんと言わんばかりに、後頭部で手を組む。
コルアとテスカが互いの顔を見つめ合う。だが、二人に決定の権限はなかった。
「キリコさんの所には、テスカが行って来い。コルアはここの掃除だ」
テオトルは淡々と、そう告げた。
「なんで掃除が俺なん「いいからやれ」
遮るように、テオトルがコルアに言葉を被せる。コルアもこれ以上口答えするのは無駄だと解っているらしく、黙って頷いた。
「いいか、ビンの破片を拾って、床を拭いて、散らばったものを元に戻すだけだからな。余計なことをするなよ」
テオトルはそうとだけ言い、踵を返した。
「・・・・・まぁ、そういうやんちゃしたい時もあるよな。二人ともあんま気にすんなよ」
テオトルの背中を追うように、エルナスも地下室を去ってゆく。
「コルア・・・・・」
テスカが、申し訳なさそうにコルアを見つめる。
「まぁ、誘ったのは俺の方だからな・・・・・それに、俺はお前の兄貴分だから、今回は俺に任せろ」
「・・・・・うん、ありがとう」
小さく微笑み、テスカも階段を上がってゆく。