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第6話 大爆死(人が死ぬ表現があります。マジで)

 エロじじい、じゃなくてジイさん……じゃなくて、フェゴールは、エロかった。


「わしの、死出の旅路の友と言えばこれよ……」


 広々とした空間――俺がコウモリと死闘を繰り広げたあそこな。名付けて「コウモリホール」にはなにもない。

 だけどフェゴ、なんだっけ。フェゴールゥ? いいやもうジイさんで。

 ジイさんと話すのにベタ座りもなぁ。腰に手ぬぐい巻いただけの俺と、ボロぞうきんみたいなジイさんが地面にベタ座りでボーイズトークとか、ちょっとヤバイでしょ? 世紀末感あるよな?

 だもんで、初級整形(クレイマジック)で腰掛けとテーブルを出した。粘土製なのでしっとりしてるし耐久性はそんなにない。まあ、腰掛けもテーブルも中までみっちり粘土の詰まった立方体だからつぶれる心配はないけど。


《43》


 減った魔力のぶんまでカヨちゃんがしっかりカウントしてくれる。


 ジイさんはボロぞうきんみたいなものを取り出した。ボロぞうきんを着たジイさんがボロぞうきんを取り出すとはこれいかに。


「ああ、袋なのかそれ」


 袋の中から出てきたのは……。


「ロアン王国の王都に著名な芸術家がおった。ディゴン=シャルロアンと言ってな。『孤高の天才』とも『真なる求道者』とも呼ばれていた。彼の者は多くの作品を遺したが、好事家が大半を独占してしまい、複製可能な状態で市井に流れたのは少なかった。ここにあるものは、複製品だ……」


 すり切れた、薄い冊子。

 中を開いてみる。ふむ……版画絵か。ていうか版画とかあるんだな。男と女。洋服を着ていない。ベッドの上でふたりは折り重なるように……。


「エロ本じゃねーか!」

「春画である」

「同じ意味だ!」


 芸術とか聞いて胸が高鳴った俺の期待を返して欲しい。これでも絵心がないだけでそこそこ絵の判断はできるんだぞ。ディレクターだからな。なにをディレクションしているのかと言われれば答えにくいけど。ハイパーメディアクリエイターみたいなもんだ。うさんくさいわ。親戚に「悠はなんの仕事しとるんやっけ?」と言われてうまく説明できない俺の気持ちにもなれ。


「バカ者。よく見ろ!」


 え、なんで俺が怒られてるの?


「いいか、これを描いたディゴン=シャルロアンはエルフであった」

「おお。エルフとかいるんだ。耳が長いんだろ? 長命で」

「黙れ」

「…………」


 なんでこのジイさん怒ってるの?


「ディゴン=シャルロアンは求道者であった。大衆にも受け入れられるべく、一点ものの絵画や塑像ではなく版画というジャンルを切り開いた。その版画は精緻な描写、躍動感、すばらしいものである。『秘めたるを秘め、顕すべきを顕す』。これがディゴン=シャルロアンの信念であったという」

「隠すところは隠さないとエロくないよね、ってことだろ。偉そうに言うなよ」

「お前さん、やはり鬼才か! あの塑像を見て思ったが……!」

「え?」


 なんでこのジイさん興奮してんの?


「私とてこの悟りに至ったのは(よわい)50を超えたころであるというのに。お前さん、今いくつだ」

「32歳だけど……」

「く、そうは見えぬが、やはり年はそこそこいっておるな」


 なんか失礼なこと言われてる気がする。

 ていうか「そうは見えない」ってどういうことだ? 鏡ないからわからないんだよな、俺。手とか足はそんなに変わってないように思えるから、老人化していることはないと思ってたんだけど。

 カヨちゃんはそういう質問には答えてくれないし。


「俺、いくつくらいに見えるの?」

「20は行っておるまい」

「ぶほっ」


 若い。


「……そうか、お前さんは迷宮主であったか。残念だが鏡はないぞ」

「いや、別にいいよ。自分の顔見たって別に……」

「それにしても、春画である」


 偉そうにエロ本について語り出した。ていうかエロ本の話がしたくてしょうがなかったのか。俺の身体の話も結構大事な気がするんですけどね?


「ディゴン=シャルロアンの境地に気づいた私だったが、やはりこの作品は残念と言わざるを得ない。……わかるか?」

「…………」


 俺はぱらぱらとページをめくる。うーん。なるほど。登場人物が全部エルフなんだよな。


「……女はツルペタばっかりだな。なんか男と男の絡みに見えなくもない」

「そうなのだよ! やはりわかるか同志!!」


 同志じゃねーし。

 世の中には「エルフ《スペース》ツルペタ」で検索するやつだっていると思うし。

 ぼくはおおきいほうがすきです。


「巨乳の春画はないのだ……!」


 ジイさんの目が血走ってる。怖い。


「そこで、あの塑像だ。すばらしい。あのサイズ感。それなりに隠れている自然体。なにより精巧な造り。肉付きの流れもしなやかで、今にも動き出しそう」

「わかってるじゃないか、ジイさん!」


 女神を褒められると俺もうれしい。


「フェゴールだ。フェゴールって呼んで。フェルでもいいぞ」

「なれなれしい。呼ばねーよ」

「な、なんだと! 私の魔力を持ってすれば迷宮主など簡単に滅ぼせるのだぞ!」


 あ、そうか。俺ってモンスター……なのか? 人間からすると?


「っていうか、エロトークしてたのにいきなり脅すとかあり得なくない?」

「む……」

「俺の塑像が気に入ったんだろ? 俺はあれのクリエイターだぜ。ジイさん、そのディゴンなんちゃらとかいうヤツに会ってもそう言うのか?『気にくわない。私の魔力でブッ殺すぞ』って」

「…………」


 ぽかん、と口を開いていたジイさんは、


「すまなかった!!」


 ばっ、とイスから下りると土下座した。いや、マジでびっくりした。人生2度目だわ、土下座見たの。1回目は親会社の営業が、なんか失態やらかしたらしくて俺もついて行かされてクライアントの前で土下座してた。日本最高峰の広告代理店の営業は土下座くらい流れるような動きでやるからな。MMOのスキルツリーで言うとかなり手前にあるぞ、土下座スキル。しかもヤツらはスキルレベルMAXだ。

 たぶん、そのクライアントと俺は同じ顔してる。

 土下座とかされても困るだけだっつの!


「お前さんの言うとおりだ……お前さんはその年でディゴン=シャルロアンと同じ高みに達し、なおかつ塑像までできる。それに引き替え……私は……大金を積んで春画を手に入れ、自己発電しているだけのクソ野郎……」

「そ、そこまで言ってないから。っていうか重たいから。止めてくれるか」

「いや、私は自分で自分を許せない。死地を探して旅に出たが、ここに至ったのはきっと神の導き。私をさらなる高みに連れて行ってくれる師との出会いよ」

「ちょっと待て。なにさらっと『師』とか言ってんだよ。居座る気か」

「頼む! 私を弟子にしてくれ! これでも掃除洗濯炊事冒険なんでもできる!」


 最後の「冒険」ってなんだよ。


「いや、間に合ってるんで――」


 と言いかけた俺は、はたと考え直す。

 確かにジイさんはエロじじいだし、めんどくさいことこの上ない。でも、この世界のことをあれこれ教えてくれるんじゃないか?

 それに俺はここから出られない。外に出てくれる人も必要だ――服買うとか。


「その顔は、私の利便性に気づいたようだな?」

「うーむ……ま、いいか。俺は好き勝手に生きようって思ったけど、最初の同居人がジイさんだなんてのは想像してなかった……そのうち死ぬだろうし別にいいか」

「全部心の声が聞こえているぞ!?」


 とりあえず俺はジイさんに最初の指令を出した。

 服を買ってくること。地図を買ってくること。食料を買ってくること。

 まずはそんなところだよな。


「……いや、待て、ジイさん」

「フェゴール! あるいはフェルと!」


 俺は気配を感じていた。洞穴に――来ている。まさか別のジイさん……なわけない! さすがに女神だ。クソ、タイミングが悪すぎるが……。


「俺の弟子になりたいんだろ。だったら俺が戻ってくるまでこの部屋から動くな」

「……敵か?」

「違う! ちっがーう! 全然違うわ! いいか、絶対に動くなよ!!」


 俺は駈けだしていた。ジイさんの相手をしている間に女神に逃げられるなどあってはならないことだし、ましてやジイさんに女神を見せるなどさらにあってはならないことだ。

 そうだ。ジイさん用の出入り口を別に作っておこう。女神の洞穴とは真逆の山腹に。いや、その前にここの山ってどういう形してんの? まあ、後でジイさんに聞けばいいや。


 洞穴へとやってくる。俺の鼓動が早くなる。ああ、いつ女神を見るときでも鼓動が早くなる。俺氏大興奮――じゃない、畏れ多くて動悸が速まるだけだ。畏敬の念だ。陰茎の粘じゃない。


「!?」


 のぞき穴から女神を拝見したときに、俺は硬直した。

 赤髪の女神。いつものように狩りの途中であるというスタイル。


「!? !? !?」


 その横に――なんてこった! 金髪のエルフがいる!!

 俺の知っているエルフそのものだ。長耳、金髪はストレートで肩の上まで。緑色の瞳は眠たげな目元に輝いている。

 着ている服は女神のそれと近い。

 だけど……なんてこった。なんてこった。なんてこった!


 あの乳のでかさよ!!


 エルフが貧乳だなんて言ったヤツ、ちょっと出てこい。テメーだよフェゴール。あの女神2を見ても同じことが言えるのか。っていうかあのエロ本、作者の趣味で貧乳になってただけじゃねーか!

 女神2の胸はすごいぞ。乳の下で雨宿りができそうだ……。軒下ってヤツだ……。

 もちろんブラなんてつけてないからな……服の上からでもわかるぜ、はち切れんばかりなのに柔らかそうな……いや、俺触った経験なんてないんだけどさ……触りたいんだけどさ……。


「へー、ここがリンダの言ってた洞穴なんだねぇ」

「そう」

「確かに湧き水もあって便利っぽいー」


 言葉がわかる……だと……?

 そ、そそそそそうか! ジイさんからもらった言葉か!

 俺は今日初めて女神の真名を知った。リンダ様と仰せになるのか。すばらしいことよ。

 ジイさん、感謝する。ただのエロじじいかと思ったけど、アンタ、役に立ったぜ……!


 女神2が洞穴を歩く。歩くと言ってもそう広くはないんだけど。

 歩くたびに……うむ。

 揺れる。揺れる。揺れる。ゆっさ、ゆっさと。

 ああ、生まれ変わるなら迷宮主じゃなくてブラジャーになりたい。そうして、女神の秘めたる胸の内をそっと隠して差し上げたい。


「芸術だ……」

「まことに……」

「うん――」


 え。

 俺の横に、


(ジジイイイイイイイイイイイイイ!! なにしてんだよオメー! 出てくんなっつったろ!)


 確かにエルフが貧乳とか言ったヤツ出てこいやと思ったがそういうことじゃねえよ!


(師匠のピンチに駈けつけないでなにが弟子か!)

(お前のほうがピンチだろ!! 鼻血! 鼻血やべーから!)


 さっきの感謝は撤回だ!

 ぽたぽたぽたっ、とジイさんの鼻血が地面に落ちる。


《56》


 カヨちゃん、血を吸収してる場合じゃないから! っていうか数滴でそんなに回復すんのかよ、すげーなジイさんの鼻血! うれしくないけどな!


「……ん?」

「どうしたの、ファナ」

「血のニオイが、しない?」


 俺とジイさんは、凍りついた。

 落ちた血は吸収されるが、ジイさんの鼻から伝ってる血からは濃厚な血の香りが漂ってる。


「奥から……」


 歩いてくる女神2。ゆっさ、ゆっさ、ゆっさ、ゆっさ。

 動けない俺たち。

 ヤバイヤバイヤバイヤバイ――。


《106》


 ジイさんが大量の鼻血を噴いた。



――――――――――

*ファナ*

――――――――――



 種族を超えた友だち関係って、あたしはあんまり信じないんだけど、リンダのことは別だよ。

 リンダはウッドエルフ。あたしはエルフ。同じ森の民で、近そうな間柄なんだけど、なんでもできるエルフと、森での生き方に特化して魔法を使わないウッドエルフと、なかなかうまくはいかないんだ。

 リンダは、種族のことは全然気にしない。あたしと比べてどっちが多く鳥を仕留めるかとか、そういうことだけなんだよね、気にするのって。


「……最近見つけた洞穴があるの。休憩場所にいい」


 今日、リンダがそんなことを言い出した。


「お気に入りの場所ってわけ?」

「ま、ね」


 うふふふ。リンダがあたしにお気に入りの場所を教えてくれるまでになった。うれしい。


 連れてこられたのは確かに洞穴だった。湧き水もあって便利そう。

 ……でも、変だなー。こんなところに洞穴なんてあったっけ? あたし、何度もここを通った気がするけど……最近は来てなかったけどね?


「へー、ここがリンダの言ってた洞穴なんだねぇ」

「そう」

「確かに湧き水もあって便利っぽいー」


 あと……いちゃもんってわけじゃないけど……ちょっと気になる。この洞穴、なんか、よくできすぎてない? 熊が冬眠したなら熊の毛が落ちてそうなものだけど、そういうのもないしね。

 かといって人工的なものじゃないんだよね……気にしすぎかな。


「……ん?」


 と思ってたら。


「どうしたの、ファナ」

「血のニオイが、しない? 奥から……」


 気のせいじゃないと思う。

 あたしはリンダの前に立って奥へと進む。そんなに深い洞穴じゃない。すぐに壁に突き当たる。


「ふんっ!」


 腰から抜いた短剣を、壁に突き刺した。


「…………」


 土が、ぼろりと落ちる。


「…………」


 あたしはリンダと顔を見合わせる。


「ん、土だね」

「だねぇ。気のせいかな?」


 そこにあったのは、同じように土だった。

 まあ、掘れやすすぎる気はしたけど、気にしすぎだよね、さすがに。



――――――――――

*俺*

――――――――――



 間一髪だった。いや、逆だ。間一髪、間に合わなかった。

 女神たちはさっき去っていった。

 俺の“洞穴裏”ゾーンは元に戻っている。女神像もあるし、コウモリホールへと続く通路もある。


「……ジイさん」


 俺が手にしているのはローブ。ジイさんがまとっていたボロ布だ。

 ほんのり温もりがある。


 ジイさんはいない。


「マジかよ……あの瞬間、昇天するなんて思わねえよ…………」


 ジイさんは……死んだ。


 言葉のあやじゃない。文字通りの意味だ。


 エルフの巨乳が近づいてくるのを見て、死んだ。


 ジイさんは幸福だったろうか……死ぬ直前のジイさんを見てたけど、たぶん幸福だったんだと思う。目がエロかったし鼻血も半端なかったし口元のヨダレすごかったからな……。

 すごすぎて心臓が止まったんだと思うけど……。


 その瞬間、ダンジョンはジイさんを吸収した。


《530072》


 カヨちゃんが、そう言ったからな。

 53万だぞ。

 ジイさんを吸収して、MPが増えて。

 私の戦闘力は……とかジョークを言う気分にもならない。さすがに、会ったばかりとはいえ、顔を知っている人間を吸収したことが、俺の中で消化できなかった。胃がむかむかしている。はは……最近、なにも口にしてないってのにな。


 ジイさんを吸収したタイミングで、俺が使えるようになった迷宮魔法をカヨちゃんが教えてくれてた。その中にあった、緊急避難(ラストレフュージ)。完璧に気配を消し、土中に紛れることができるという迷宮魔法。

 俺はとっさにこれを使った。また空間復元(リロード)でカムフラージュして、女神2の接近による難を逃れたというわけだ。

 緊急避難(ラストレフュージ)の消費MP、5万だってよ。余裕で使えたけどな……。


 俺はとぼとぼと、ジイさんの抜け殻であるボロ布を抱いてホールに戻る。布だって有機物じゃないかと思ったが、生物由来で未加工のものでないと吸収できないのかもしれない。そのあたりの区別はよくわからないし、今はどうでもいい。

 腰に手ぬぐいを巻いただけの裸の男がしょんぼりした顔でボロ布を抱いて歩いている姿なんて見られたもんじゃない。でもな、感傷的になるのはしょうがないだろ……俺が、こっちの世界に来て初めてしゃべった相手だったんだ。

 カヨちゃんがさっきから1ずつ魔力が増えたことを告げていくので、さすがにもうカウントはしなくていいと告げる。

 静かになった空間で、俺はジイさんのボロ布を粘土のテーブルに置いた。それから俺はぼうっとしていた。まるで吸収したジイさんを消化するように。

 何時間経ったのか、あるいはたったの数分だったのか、わからない。ジイさんがかけた光明(ライト)の魔法は切れていた。暗闇だけどジイさんの荷物があるのはわかる。でもさすがによく見えないから、俺は荷物を持って洞穴へと戻った。

 夕焼けだった。

 夕陽が射し込んでいた。

 茜色の光の中で、俺はジイさんの遺品を整理しようと思った。


「……はは、まったくこのジイさんは……」


 エロ本が2冊出てきた。1つは同じディゴンなんとかいうエルフの作品で、もうひとつはかなり絵がつたないが巨乳本だった。さすがに絵がひどすぎて読めたものじゃなかったが……それでも手垢まみれですり切れつつあった。ジイさん、すげーよアンタ。

 俺が死んだはずの元の世界でも、俺の遺品は整理されてるんだろうか? ジイさんみたいにエロ本を探し当てられて……ということはないのは安心だ。今どきはネットでダウンロードが主流だしな。……あっ、エロDVDが1枚あった気がするが……あれ、どうしたっけ、俺処分したよな? 前の引っ越しのタイミングで処分したよな!? してないっけ!? あれ、うわああ、どうだったっけ!? しかも内容が「人妻」「巨乳」という組み合わせだった。ぬおおお気になる。俺の遺してきた(カルマ)が気になる!


「ん……?」


 俺はジイさんの荷物の中に、1通の手紙を見つけた。羊皮紙に書かれている。文字は……読めるな。見たことのない字だけど、ジイさんの魔法のおかげか。

 読んでもいいものか迷ったけど、ちらりと見ると、死後にジイさんを発見した人間に宛てたものだったので読むことにした。


「……うっ……うう……」


 それは涙なくしては読めるものではなかった。ジイさんの、死んでしまった奥さんに対する愛があふれてたんだ。プロポーズのときに贈った髪飾りを、色がくすんできてもつけていてくれたこと、毎年ふたりでささやかながらも結婚記念日を祝ったこと、内臓をやられて先に死にかけたジイさんは「ひとりにしないで」と泣く奥さんのために魔法で無理矢理寿命を延ばしたこと、そして奥さんを看取ったこと。

 ジイさんは、本人が言っていたとおり、奥さんのいる家には思い出があふれているからつらすぎると家を出た。ただ、奥さんのお墓は家の裏にある。ひとりにはできないからと遺髪だけは持ち出したみたいだ。その遺髪は銀色で、2つの指輪で留められていた――結婚指輪だと容易に想像できた。そういう文化がこっちにもあるんだなと俺は思った。

 ジイさんは、魔法で無理矢理延ばした寿命だからいつ死んでもおかしくなかった。いつ死んでも悔いはなかった。できれば、見つけてくれた人は、遺髪とともに自分を埋葬して欲しい――そう締めくくられていた。あ、荷物にある他の宝物は好きにしていいともあったけど、エロ本のことか? まったく……。

 あと家の鍵らしきものもあったけど……俺、ダンジョンから出られないんだよな。ジイさんの遺品を運んでやりたい気もするが……。


「待てよ……ジイさんはダンジョンが吸収したんだからここに埋葬したようなもんだよな? じゃあ、遺髪もいっしょにこのダンジョンにあるほうがいいのか?」


 そうしよう。今にできる俺の最善はそれだ。


 俺は女神像の横に、粘土で小さな祭壇を作った。そこに遺髪とジイさんの遺品を納めた。遺髪を吸収しないようにしておいた。エロ本を出しっぱなしにするのは気が引けるので粘土の箱を作ってそこに納める。

 こうして、ほんのすこしだけ気が晴れた。


 ボロ布の内側に入っていた下着類も遺品として入れておく。問答無用で生き物の死体を吸収するのはちょっとアレなので、必ず吸収するべきかどうか、確認が出るようにカヨちゃんに依頼した。もともとそういう設定はできるみたいだ。ただし排泄物は置いといてもしょうがないから自動吸収とする。


「ジイさん、このボロ布だけはもらうぞ」


 俺はねずみ色のボロ布――たぶんローブに袖を通した。


「ん……なんだ、これ、ただの布じゃないな」


 ぼろぼろだけど、なにか特殊な繊維でできているみたいだった。驚くほど軽い。そして力がみなぎるような感じがある。ローブ……だよな?

 ジイさんは靴を履いていなかったので相変わらず俺は裸足のままだけど。


 俺はジイさんと、見たことのない奥さんに祈りを捧げ、女神を拝んでからコウモリホールに戻る。


「さて、それじゃ……新しく覚えた迷宮魔法を確認するか」


 いつまでもくよくよしてたってしょうがない。

 カヨちゃんに頼んで新しく使えるようになった迷宮魔法を挙げてもらう。


 その中に――気になる魔法があった。


「進化」、である。


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 ◆  ◆ 新しい小説も始めているので、そちらもご覧いただければ幸いです。 察知されない最強職《ルール・ブレイカー》 ~ 「隠密」とスキルツリーで異世界を生きよう http://ncode.syosetu.com/n5475dz/
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