第56話 招かざる珍客
俺が「告発」という言葉を口にすると、店内が一瞬ざわりとし——次に、しん……と静まり返った。
「はっ……ははっ。なにを言い出すのかと思えば。あなたはリューンフォートタイムズに出稿しようとしていた人ではなくって? お金の力で、新聞を使って信用を獲得しようとした人よねえ?」
わざわざ大きな声で言う。
この世界じゃ広告を出すことは一般的じゃない。日本じゃ広告やブランディングには金がかかるものだけど、それをすることの意義も意味も理解されていないんだ。
ルーカスに説明するとあっという間に理解するから勘違いしかけてたけど、広告はあまり好ましいと思われていない。
えーっと……それはそうと、ここから先も俺が説明するの?
ルーカスのほうがよくない?
明らかにルーカスのほうが話術巧みだよね?
ルーカスをちらりと見ると、力強くうなずき返してきた。ダメだ。俺に言えっていう目をしてる。
「え、えーっと……あなたの会社はリューンフォートタイムズを印刷することで利益を得ているはずですが、そんなふうな言動で顧客の信用を貶める真似をするのはどうなんですか?」
俺が反論すると、
「青雲鳩印刷工房は歴史ある印刷工房よ。印刷するものはこちらが決めるの。リューンフォートタイムズは先代社長と縁があったから取引を続けていたけど、いつ、取引を見直したっていいのよ? もっとも……あっはははは、ウチ以外に新聞を印刷できるほどの設備に余裕がある印刷工房はないと思うけどねえ?」
得意げに反論してくる。
やっぱりな、って感じだ。このババァ、明らかに自分が上位だと思ってる。
「そうですか? もうすぐ青雲鳩印刷工房には顧客を選んでいる余裕はなくなると思いますが」
「……どういう意味よ」
「私はあなたを告発すると言いました。その結果の話ですよ」
俺は唇を湿らせた。
「あなたは、この1年をかけてゆっくりとリューンフォートタイムズの印刷部数を減らした。うわべでは5,000部を刷っていると言いながら。これは立派な詐欺罪です。誰が直接関与しているかは調べていけばわかりますが、フルフラール社長、あなたが関与がなかったとは言わせない」
「はあ? そんな言いがかりをつけて、困るのはそちらのほうよ? ここにはいろいろな方の目があり耳がある。『間違いでした、ごめんなさい』では済まさないわよ?」
「それはこちらも望むところ。私が今言ったことはすべて事実です」
「どこにそんな証拠が? こちらは、新聞社の検品担当者からサインももらっているのよ? 確実に5,000部を刷った、という、ね」
「だが実際に、売上が落ちている。部数が足りない売店も多い」
「それは配布の仕方が悪いんでしょう? それとも……紙面がつまらなくて売れなくなった原因を、印刷工房に押しつけようとしているのかしら? まあ、なんてひどい言いぐさ!」
高笑いするフルフラール。
甲高い声がいい加減本気で耳障りだ。
「ではあなたは、5,000部を印刷したと言い張るワケですね? 今、謝罪するのなら手打ちは小規模の賠償で済ませてもいいですよ?」
「……誰がなにを言ったのかは知らないけど、書類上の不備はまったくないわ」
一瞬、フルフラールの目が泳いだ。甥のフルールルが妙なことを証言したのではと考えたんだろう。
フルールルは俺たちの追及に貝のように口を閉ざした。
だから今はふん縛って閉じ込めてある。
もちろん証言があったとしても、書類に不備がない以上、こちらの言い分が受け入れられることはないだろう。
「さあ、書類に不備がないのに、そちらさんは詐欺だのなんだの言ってきた。これこそ賠償案件ではないのかしら? ねえ?」
フルフラールは高圧的に言うと、同席しているはげ散らかしたオッサンに同意を求めた。
オッサンは曖昧な笑みを浮かべて脂汗をぬぐう。
「書類に不備はない。それはそうでしょう、あなたがそのように示し合わせたのだから」
「ほぅら! ウチは正しいのよ! さあ、こんなところで恥をかかせてくれた賠償を——」
「ですが、青雲鳩印刷工房が印刷部数を絞っていった証拠はあります」
「……なによ。あるわけがないわ」
「あります。——ねえ、黒虎インク製造工房社長?」
俺もはげ散らかしたオッサンへと目を向けた。
そう、このオッサンこそインク会社の社長だ。
印刷会社はインクと紙を仕入れる必要がある。このオッサンは青雲鳩印刷工房からの仕入れをほぼ一手に引き受けているインク会社の社長だ。
「えっ!? な、なんのことですか」
このオッサンの居場所を探していたところ、フルフラールといっしょにいることが確認された。
ラッキーだった。
まとめてつるし上げるにはちょうどいい。
「あなたがこの場で、取引状況を白状するのなら、詐欺を傍観していたことについては不問にしますが」
「へ!? あ、あのー、その」
「なにを言いがかりを! 社長、気をしっかりお持ちになって。ここで、こんな無礼な連中の口車に乗ってはいけませんよ」
あわててフルフラールのババアが間に入ってくる。
ババアも気づいたようだ。
ならば話は早い。
「黒虎インク製造工房社長に、お聞きします。新聞用黒色インクの受注量が減っているんじゃありませんか?」
サッ、とオッサンの顔色が青ざめる。こうかはばつぐんだ!
「新聞に利用する紙は書籍にも転用できるものながら、リューンフォートタイムズに使用している黒色インクは、新聞用に開発した特別品。雨に濡れても水を弾き、製造工程も他のインクとまったく違う。ニオイがあることから書籍には向いていない。このインクの納入量が、この1年で徐々に低下しているはずです。違いますか?」
新聞にしか使えないインク。
刷り部数を減らしているのにインクを同量仕入れていては、使わない分が在庫として残って行き廃棄コストが出てくる。
青雲鳩印刷工房はインクの仕入れを減らした。
それが証拠だ——印刷部数を減らしたという証拠だ。
バカめ。
密かに廃棄する手間を惜しまなければ証拠は残らなかったのに。
「ち、違い……ええと」
「なにを言いがかりを! そんなことないわ! 大体どこに証拠があるのよ!?」
あわてるババアに、俺は告げる。
「証拠ならあります」
取り出して見せたのは、黒虎インク製造工房から青雲鳩印刷工房への納入書だ。直近5年間のもの。この1年、新聞用黒色インクは激減している。
「え……?」
フルフラールが目を剥いた。
それもそうだろう。これは重要書類だ。それを理解していたからこそ、会社でも厳重にカギをかけた資料庫に置いておいたのだ。
「どうしてこれが……これは資料庫に厳重にしまっておいたものなのに……!?」
カギをかけただけの部屋とか、迷宮主から見たらなんのセキュリティもないに等しい。さくっと迷宮占領してさくっと中級整形でコピーしてきたわ。原本を持ち出したら泥棒呼ばわりされそうだったからな。
「つまり御社の資料で間違いないということですね?」
「っ!?」
「2年以上前に比べると、毎月のインク仕入れは3割ほど減っています」
「こ、これは……その……」
「インクを減らしても同様に5,000部印刷できるテクニックがあるのなら、お教えいただきたい」
「それ、それは……き、企業秘密よ! 言えるわけないわ!」
「ほう。ならば司法官にこのことを調べてもらいましょう。彼らの前でウソをつくことは許されませんよ?」
「う、ううっ……」
がくりとうなだれるフルフラール。
ふー……。
なんとか押し切ったな。
ルーカスを見るとにっこり微笑み、ヴィヴィアンを見るとなんかうるうるした目で俺を見上げている。
ま、まあ、ヴィヴィアンの反応はともかく、勝ったってことだ。
あとは——この一件を手打ちにしてやる代わりに、ババアに社長の座を退いてもらうこと。賠償金の請求。今後の取引の割り引きについて話せばオーケーだ。
印刷工房がお取りつぶしになった場合、それこそリューンフォートタイムズを印刷できなくなってこっちが死ぬ。
「さて、反論もないようですね? ではこの案件についてこちらから提案が——」
「いやはや、すばらしい」
ぱち、ぱち、ぱち。
手を打つ音が聞こえた。
え? と俺がそちらを向くと——別のテーブルにいた客が立ち上がり、こちらへ歩いてくるところだった。
「なかなか面白い見世物だった。なかなかユニークな証拠を見つけたものだ。新聞にしか使われない特殊なインクがあるというのは私も知らなかったな」
俺は、反応できなかった。
こちらにやってきたその人物は——金色の長髪をなびかせた、耳の長い男。
エルフだったのだ。
「私はローバッハ=ルン=ノゥダ。この領地で男爵位を与えられている。本件は領主に報告すべき内容だな。ここで会ったのもなにかの縁だ。私が口を利いてやろう」
え。
え……え?
ちょちょちょちょっとちょっちょっと!?
報告されたらお取りつぶしになってリューンフォートタイムズが印刷できなくなっちゃううううう!!
おかしいだろ! なんで貴族がいるんだ!?
俺はあわててディタールを見る。ディタールも焦った顔だ。
さすがにこの場に貴族や司法関係者がいてはまずいので、あらかじめ客はチェックしておいた。「樫と椚の晩餐」は来客すべてを予約段階で把握しているのだ。予約帳に名前のない客は、絶対に入店できない。
男爵位をもった客なんていなかったはずだ——。
「……ローバッハ様。あなたさまは貴族でいらっしゃったのですか?」
そこへやってきたのはスキンヘッドに胸板がめちゃくちゃ分厚い男だった。着ている黒の制服はぱっつんぱっつんでどこからどう見てもチンピラ、というより人間核弾頭。
「そうだ、副支配人。身元を明かす必要もなかっただろう? 私はただのエルフの客だ」
スキンヘッドはウワサの副支配人だったようだ。
彼も知らないのなら、もちろん俺たちだって知ることなんてできやしない。
「もちろん、必ずしも身元を明かしていただく必要はありません。ですが……なにかあったときに迷惑を被るのは店です。そのあたりのご分別はおありでしょう?」
「いや、すまぬ。もちろん、諸君らに迷惑が及ぶようなことがあってはならぬ。我が名において約束しよう。……そうだ、こういうのはどうだ。今回の彼の告発について私がすべて預かる。悪いようにはせん。ご来店の皆様にも、私からワインを1本振る舞おう。レイヴィ・ドレントの6年物だ」
ローバッハが言うと、客たちから控えめな歓声が上がった。
俺にディタールが教えてくれる。
「当たり年のワインです。1本、金貨2枚は下りません」
なんだとぉぉぉ!? そんな高価なモン振る舞えるほど貴族は金持ち——じゃねえよ、そんなことよりこっちの事情のほうが問題だよ。
「私が預かるということでいいな、副支配人?」
「……わかりました。ですが本日はお引き取りください」
「わかっている。これで帰ろう。——そこの君。ユウ、とか言ったか」
ローバッハがにこやかに俺を見る。
だがその目の奥には油断ならない光があった。
「私の手の者にこの者らの身を拘束させる。領主への報告も私が行うので心配はするな」
「お、お待ちください。それは少々困ります」
「……なんだと?」
「市民同士のやりとりに、貴族様に介入されるといささかやりづらく……」
「悪いようにはせぬと言った」
それは有無を言わせぬ響きがあった。
俺は——ぞくりと寒気がした。このエルフ……なんでそんなに威圧をしてくる? 新聞屋と印刷屋の問題なんて貴族の、しかもエルフが、どうこう言うことじゃねーだろ?
なにが目的なんだ……?
こちらをにらんでいたローバッハは不意に力を緩めた。
「ふむ、君が証拠を集めたのに、横から手柄をさらわれてはつまらぬか……。ではこうしたらどうだ? 君も、私が領主へ報告する場に立ち会うがよい」
「へっ?」
「そうしたまえ。ちょうど4日後、領主に会う約束がある。貴族街にある我が屋敷を訪ねるがよい」
「い、いやいやいやいや! それはそれでなんていうか畏れ多いですから!」
「いえ、先生、それで行きましょう。むしろそれしかありません」
横からルーカスが口を挟んでくる。
待て待てルーカス! それはダメなんだよ! ダメなんだよぉ!
入れないから!
貴族街の内壁を突破するのに必要なMPが411億だぞ!?
物理的に、貴族街へ俺は入れないんだよ——。
ローバッハは去って行った。フルフラールとオッサンを連行して。
ホールに取り残された俺は血の気が引いていた。
どうすんだよ……貴族からの召喚ってどう考えても断れないヤツだよな……?
「ゆ、ユウ様、印刷工房はどうなりますか? 取りつぶしになったらウチの新聞は……」
ヴィヴィアンも真っ青になってる。
「それを回避するための手段です。先生にご足労いただいて、領主様に直接話をするしかありません。これによって印刷工房を存続させる可能性がつながります」
「あ、なるほど。だからルーカスさんはユウ様が行くことを勧めたんですね?」
「そのとおりです」
「ユウ様、お願いします。ユウ様だけが頼りです」
「大丈夫です。先生ならば簡単に交渉をまとめてこられるでしょう」
ルーカス……お前、お前は……ああ、お前に迷宮主の限界を教えておかなかった俺が悪いのか……。
「それで、シェフ、ディタール。なにがどうなってるのか、きっちり説明してもらえるんでしょうねえ?」
ドスの利いた声で副支配人が迫る。
うなだれる俺の横で、シェフとディタールも真っ青になっていた。
その頃のロージー。
「ユウさん……大丈夫でしょうか……」
その頃のミリア。
「やっぱフライドポテトが至高だよな。お前もそう思うだろ、ソフィ?」
「ベインブスペシャルに絡めると最高」
いつの間にか食い意地の張った者同士、仲良くなっていた。