第54話 ペロッ! これは…………なんだろ?
二日酔いで寝坊した俺があわててホークヒルを出て行ったことを、リオネルから聞いたミリア。
ミリアは昨日の今日で俺が「講義」に行くのだと思ったらしい。でもって商業エリアにいたルーカスを探した。ふたりはレストランで多少面識はあるからな。
で、ルーカスに「講義」のことをチクり、俺を探し出すための手伝い——つまりリューンフォートタイムズの本社まで案内させたというわけだ。
勘がいいというか盛大に間違っているというか……。
「え、ええと、皆さん、その……暴れたり、恫喝したり、脅迫したり、命を危険にさらすようなことはしないでくださいね……?」
俺、震える声を押し殺してなんとかそれだけ言った。
「はい! もちろんです!」
犬のように真っ先に恭順の声を上げたのはルーカスだ。
「お、おいらやっぱり帰ろうかな……?」
その左隣にはキョドってるミリア。
「どっかの誰かさん『たち』が出しゃばらなければあたしは平気だけど——げほっごほっ!?」
その左隣にはまたもパイプに火を点けて一口だけ吸い込んでむせるヴィヴィアン。
「ユウさんの『講義』を聞けるなんてうれしいサプライズですね」
その左隣にはにっこりしてるけどいちばん怖いロージーがいる。
そう、4人は横一列に並んで座っていた。
一応ルーカスとミリアを紹介した俺。ロージーにはふたりとも面識があるが、ルーカスはヴィヴィアンも耳にしたことがあったようだからすんなりいったものの、ミリアは魔族。
さすがに嫌がられるだろう——と思ったが。
直後、応接室に運び込まれた移動式黒板。
その前に立たされた俺。
魔族なんてどうでもいいから、今から「講義」をやれってことだ……。
どうする、どうしよう? 今さらだけどなんの準備もしてないんだが? 関係者が出そろったところでようやく俺の「ハッタリビジネスマン」が音を立てて崩れていくってこと?
ぬおおお! 軽蔑される未来がすぐそこに!
……いっそのこと全部話す? しがない会社員なのでわからない、って……?
女神ふたりに洞穴へ踏み込まれたのを思い出した……俺の変態度合いが暴かれたあの事件! あれはきつかった。復活するのに3日かかったもん! 俺が凡人だってわかったら蔑まれるよな……俺の心は耐えられるんだろうか……?
「先生、どうなさいました?」
ルーカスのきらきらした目がつらい。
こいつ言ってたよな。周りがバカに見えてしょうがなくて適当に人生生きようとしてた、って。それを……俺の持ってた現代日本知識のせいで、「自分にも知らないことがある」って目覚めちまった。俺の知識なんてほんのちょびっとなのに。こいつは商会まで立ち上げて。こいつの生き方を少なくとも変えちまった。
裏切りたくない。裏切れない。
——よし。
俺は気合いを入れた。
「えー、『講義』を始めようと思いますが……あー! 失敗した! 財務諸表から経営状態を把握する講義をしようと思ってたのにサンプルとして用意しておいた用紙を置いてきてしまったー」
誤魔化す。とりあえずこの場を切り抜ける!
「残念だー。あれがないと講義ができないー」
俺は両手で顔を覆う。指の隙間からちらりと4人の様子をうかがう。ルーカスがおろおろし、ロージーがおろおろし、ミリアがあきれ果てた顔をしている。ミリアだけは見抜いている、俺の茶番を。ミリアだけは性格がクソってことかな?
「ユウ様!」
すると、ヴィヴィアンが立ち上がった。
「それなら当社の財務諸表をお持ちします! 少々お待ちください!」
「え? あ、いや、ヴィヴィアンさんちょっと——ちょっとぉ!?」
飛びだしていった。どたどたどたどた……どたどたどたどたと戻ってきた。
「こちらが直近の決算書類です! 経理書類も合わせてお持ちしました!」
「あっ……」
やっべぇ……やべぇよ……こいつバカじゃないのか? 会社の超重要書類をさらっと持ってくるなよ……ていうか俺が誤魔化そうとしたのを台無しにすんなよおおおおお!
「ヴィ、ヴィヴィアンさ、さん……あの、こういった機密書類を部外者に見せるというのは……」
「ユウ様になら見せられます。ユウ様には、すべてを見て欲しいんです……」
もじもじしながら大量の書類をテーブルにどさっと置いた。
確かに全部見えるけども。丸裸だけども。会社的な意味で。
あかん。ヴィヴィアンはマジで俺に経営再建みたいなことさせる気だ……。
できるわけがない。
俺は管理職にもなれなかったただの平社員だったんだぞ……!
「ユウ様、どうぞ!」
「う、うん」
俺はなし崩し的に書類を上からぴらりと取り上げる。「第28回決算書類」「資本金減額に伴う会社所有権所持者割合の変更について」……あ、無理。もう頭に入ってこない。
——大丈夫なのかよ!?
口の動きだけで俺に伝えてくるミリア。器用なことするなーハハハハって大丈夫なワケねーだろ! なんとかしろよこの穀潰しが!
——おいら帰りたい!
意気揚々とやってきたくせになにバカなこと言ってんだ!
「……ん?」
俺とミリアが無言のバトルを繰り広げていると、いつの間にか書類を手にして目を通していたルーカスが眉を吊り上げた。
「先生、この記述は……」
と言いながら俺に見せてくる。ルーカスが見ていたのは経理書類のようだ。上に「経理部」のハンコが押してあるから俺にもわかった。
……うん、俺にわかったのはそれだけ。
「ふむ……なるほど」
「先生もお気づきですか?」
「これほど露骨ならね」
「! こ、これを露骨と表現するとは……さすが先生です」
なんかルーカスが勝手に勘違いしてる。露骨じゃないの? なにかわかりにくいの? なんなの!? わかんないよ!?
「ゆ、ユウ様、なにかおかしなところが……?」
「そうですね。……ではルーカス、ヴィヴィアンさんに説明して差し上げて」
「いえ、先生を差し置いてそのようなことはできません」
「……こ、これは講義なのだろう? ならばルーカスがまず話す。そこでおかしな点があれば私が指摘する」
「なるほど!」
あ、危ねぇ! ルーカスに丸投げできた! おいミリア、お前なに呆れた顔してんだよ! 俺のファインプレーだろこれは!
「では僭越ながら——ヴィヴィアン嬢、まずはこのような貴重な書類を見せていただきまして誠にありがとうございます。経営とはまさに数字との戦い。生きた情報を見ることができるのはなにより勉強になります」
「あ、はい」
きょとんとした顔のヴィヴィアン。おいぃ、お前全然わかってないだろ。俺だって言ってる意味の半分くらいは理解できたぞ? 数字はまったく理解できなかったけどな。
俺よりはるかに教師然とした口調でルーカスが続ける。
「リューンフォートタイムズの発行部数は5,000部で昨年は推移したようですね」
「はい! 弊紙は安定してリューンフォート市民に受け入れられてますから!」
褒めて、とばかりに俺を見てくるヴィヴィアン。
知らんがな。俺だってこないだ初めてリューンフォートタイムズを読んだんだ。むしろ記事の間違いを指摘したロージーのほうが読んでるんじゃないの?
「印刷にいくらかかっているかというと……毎号金貨4枚と銀貨50枚で固定となっています」
「その通りです」
俺基準日本円換算で20万ちょいか。どうなんだろこれ、高いのか? 物価がかなり安いからそこそこ高い気もする。Web業界にいたから印刷や出版は全然わからんわ。
「販売金額が銅貨50枚。すべて売れると単純計算で金貨25枚となります。ですが最近の売上は金貨13枚から15枚といったところ。幸い……というべきか、人件費が低下しているおかげで収支はトントンか、若干の赤字。人件費の低下については役員報酬の大幅な低減がいちばん大きな要因ですね。これはヴィヴィアンさんの報酬を削っているのですか?」
「……はい。それと筆頭役員も引き抜かれましたし」
手っ取り早い赤字回避策だよな。経営者が金をもらわないで従業員に配るっていうのは。
記者が減ったというのもあるのだろうか?
うーむ、しかし。
結構厳しいな、この会社。
ヴィヴィアンの危機感もこれで理解できたわ。売上減ってるんじゃねーか。「リューンフォートタイムズは好調!」って言い張ってたから今のところは大丈夫なのかと思ってたよ。
「で、でも、売上が上向けば報酬はちゃんともらうつもりです。評判いいんですよ、最近の記事は! だから、あたしがお金を受け取るより社員が給料を受け取るほうがよほどいいと」
「ああ、別にそこを責めているわけではありません。経営者が身を削るのはよくある行動です。——気になっているのは売上が徐々に下がっていることと配送費が若干値上がりしていることですね」
「配送費……ですか?」
「心当たりは?」
「えっと……なんだろう。特に聞いてませんけど。——あっ、そう言えば、売り切れた売店に売れてない売店から移すことが最近多いって聞きました。そのせいで数人余分に配置しているって」
「やっぱり……これは間違いなさそうですね、先生」
「あ、ああ、そのようだ。さすがはルーカス」
「いえ、とんでもありません。先生にようやく追いついたということです」
「どういうことですか!? ユウ様!?」
……全然わからん。なんなの?
「先生、さすがにこのことは私の口から言うのは……」
「ルーカス。こういったことを伝えるのも大事なことだ。私がついてる」
「……わかりました」
するとルーカスがヴィヴィアンへ向き直った。ふー。いちいち俺に振らなくていいからね? 最後まできりっと話しちゃって?
「ヴィヴィアンさん。おそらく……印刷業者と結託して、印刷部数を減らしている裏切り者の社員がいます」
「えぇっ!?」
「なんだと!? ——あ」
俺までびっくりしちゃったよ! うおいルーカス! そういう爆弾発言よくないよ! ミリアがすっげー蔑んだ目で俺を見てくるぅ!
「せ、先生……?」
「大丈夫だ。い、いきなりその話にいったから驚いただけで、ね? ほら、早く続き。はよはよ」
「あ、はい。——先ほどヴィヴィアンさんがおっしゃったことが事実なら、この推測は確信に変わります。リューンフォートタイムズの内容が受け入れられている。売り切れする販売店まである。にもかかわらず売上が下がる。おかしいではありませんか?」
「そ、それは……確かに」
「理由はひとつです。印刷部数が減っているんです」
「あり得ません! 印刷業者から印刷証明を受け取ってるんです! ——あっ」
「そういうことです。だから、印刷業者とグルなんです。ちなみに印刷業者はどこの会社ですか?」
「……『青雲鳩印刷工房』です……」
「業者とやりとりしている社員は?」
「フルールルさんです……『青雲鳩印刷工房』社長、フルフラールさんの甥の……」
はい、これ真っ黒です。俺でもわかる。犯人はフルールル! 言いにくい名前だな。いや、っていうか、フルフラールって聞いたことがあるな?
すると俺の疑問に答えるようにヴィヴィアンは言った。
「ユウ様。『樫と椚の晩餐』で話しかけてきた女社長です」
よっしゃ。こりゃ立派な横領だし詐欺だ。確実に締め上げて訴えてケツの毛までむしってやるぜ!
——って思ったんだが。
「は? 意味わかんないんだけど」
俺が思っていたことをミリアが代弁してくれた。
「この新聞社は詐欺に遭ったんだろ?」
「はい」
「じゃあ相手に弁償させて、不正してた社員ってヤツをぶちのめせば終わりだろ?」
「違います」
と答えたのはルーカスだ。
ヴィヴィアンも青い顔で言う。
「……証拠がないの。フルールルは青雲鳩印刷工房と直接やりとりをし、新聞を検品し、運送業者に渡す仕事をしてる。印刷業者が5,000部刷った証明書を発行して、うちを代表してフルールルがサインをしている時点で、リューンフォートタイムズは5,000部刷ったことになってる……」
「いやいや、ワケわかんねーよ。実際はそれより少ないんだろ? フルールルがグルだってわかれば証明書なんて関係ねーじゃん」
「ミリア、ちょっと黙れ。お前の言うことは正論だけど、フルールルが不正をした証拠がないんだよ」
「なんだよユウまで!」
ぎゃーすかミリアはわめいたけど、俺はミリアを黙らせた。
これ……思っていた以上にまずいぞ。
印刷業者が「規定の部数を刷った」と検品書にサインすれば、「実際は少なかった」なんてのは単なる言いがかりってことになる。
「ヴィヴィアンさん、売れ残りの新聞は? その数を確認すれば売上と実際の部数との乖離が証明できます」
おお、ロージー、ナイスアイディア!
「……売れ残りは運送業者が青雲鳩印刷工房へと持っていきます。印刷工房は植物紙の廃棄も行っているので……」
ぬおー! なんだそりゃ。いくらでもごまかし放題じゃねーか!
くそー……考えれば考えるほどムカつくな。
「なあ、ユウ。そんならフルールルとかいうやつとっ捕まえて、拷問するか?」
「おまっ、ミリア……拷問とかそういう言葉を口にするなよ」
「上品ぶってんじゃねーよ、ユウ」
ミリアがいるせいで俺の口調までなんだかおかしくなってくる。一応ヴィヴィアンの前だと青年実業家ふうなんだからな!
「物的証拠はないに等しいですから、ミリアさんの言うことがひょっとしたらいちばん最適な手段かも……それか、泣き寝入りするか」
「! そ、そんなことしないわ!」
キッ、とロージーをにらみつけるヴィヴィアン。
「でもね、ヴィヴィアン社主。もし仮に青雲鳩印刷工房の不正を露呈したとして、そのあとはどうするのですか?」
「ど、どうって……ちゃんとまっとうに新聞を発行する。当然よ」
「青雲鳩印刷工房と同じほどの印刷能力を持っている工房は他にいくつあるんです?」
「!!」
あ、なるほど。俺にはロージーの言いたいことがわかった。
替わりがないのだ。
青雲鳩印刷工房はそこそこにデカイ工房なのだろう。「樫と椚の晩餐」に来られるくらいに儲かってるんだから。
もし仮にヴィヴィアンが青雲鳩印刷工房の不正に関する資料をそろえて領主に訴え出るとする。その結果、青雲鳩印刷工房が操業停止になる。では——リューンフォートタイムズはどこで印刷する?
(ルーカス)
俺は小声でルーカスを呼んだ。
(俺はよくわからないんだけど、もし不正がバレて印刷工房に罰が下った場合、この都市ではどういう処分になる?)
ルーカスには俺がダンジョンマスターだということはバレてる。常識がないことについてはわかってくれているはずだ。
(取りつぶしになります)
(その場合の工房の設備はどうなる?)
(接収されます)
最悪だ。
そうなると跡継ぎが印刷事業を継続するとか、そういうこともできない。
「他の新聞社が印刷を依頼している工房は『禄樹印刷工房』ですね?」
ロージーが確信しているように言う。……ていうかロージーなんで知ってるの? 情報網広すぎない? 調査員どころの騒ぎじゃなくね?
ヴィヴィアンが唇を噛む。
「……そうよ」
「他社が集中しているから禄樹印刷工房に印刷余力はない、ですね?」
「そのとおりよ!」
ぐはー。これはひどい。
リューンフォートタイムズが不正に気づいてフルフラールにねじ込んでも、リューンフォートタイムズは新聞を発行できなくなるだけなのだ。
そこまでわかっているからフルフラールは強引に印刷部数を減らし、売上を下げ、会社がたち行かなくなるようにしたのか。この新聞社を手に入れるために。
「ヴィヴィアンさん、フルフラールにとってこの新聞社はそんなに魅力的なんですか?」
俺の疑問はそこだ。
印刷で儲かってるなら畑違いの新聞社なんてわざわざ手に入れる必要もないだろうに。
「……どうも、亡き父にフルフラールは恋慕していたようで……亡き母を思い起こさせるあたしのこともそのせいで気にくわなかったみたいです」
あんのクソババア……。
完全に私怨かよ。
「どうしましょう、ユウ様……なにも打つ手がありません。このままではリューンフォートタイムズが、お父さんの好きだった新聞がなくなっちゃいます」
「ヴィヴィアンさん……」
「あたしの、あたしのせいで……うぅぅぅううう」
両目に涙を浮かべた彼女の腕にそっと手を触れると、ヴィヴィアンは俺に抱きついてきた。思いがけない胸の弾力に「おほっ、うほぅ」と思わず声を漏らした俺にミリアが氷の視線を向けてくる。いや、ちょっと、あのな、男ってのはしょうがないんだよ……。
「……今のところできるのは、不正に気づいたことをアピールして、フルールルをクビにするくらいでしょうか?」
ロージーが現実的な案を出してきた。
出してきたんだけども、彼女の身体から青白い炎が立ち上っているように見えるんだが?
と、とりあえずロージーの提案は実現可能だし、そうすることで売上も伸びるだろう。ただ……不正されたぶんの金が帰ってこないというだけだ。
ムカつくよな……。やったもん勝ちじゃねーかよ、それ。
「…………」
そんななかルーカスだけは黙っていた。ルーカスが見つめていたのは、書類ではなく——リューンフォートタイムズだ。
今週号。
俺も見たヤツ。
「——先生」
ハッ、としてルーカスが俺を見た。
「思いついたことがあります。申し上げてもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「不正を暴く証拠を見つけました——いや、見つけることができると思います」
なに!?
と俺が反応すると同時に、全員の視線がルーカスへと向く。泣いていたヴィヴィアンもだ。
「ただそのためには……どうしても先生のお力が必要です」
探偵ミリアの名推理「ユウはなにもわかってねーな! おいらといっしょ!」
ユウ「さすがにお前といっしょにすんなよ」