第51話 教え子2、誕生
ビジネスのことを教えてくれ――と言われましても。
俺だって全然わかってない。管理職にもなれなかったただのぺーぺー社員だぜ?
「今……リューンフォートタイムズは、父といっしょに仕事をしていたベテランたちによって支えられています。あたしは1日でも早く一人前の社長にならなきゃいけないんですけど、どうやって仕事をしていいかわからなくて……」
「失礼ですが先代の社長――ヴィヴィアンさんのお父さんはどうしてお亡くなりに? まだそこまでのご年齢ではなかったのでは」
「……急な病気でした。ある日、目が覚めたら冷たくなっていて……」
じわりとヴィヴィアンの目元がにじむ。
急性の心筋梗塞とか、脳卒中とかだろうか。ヴィヴィアンの年齢を考えればヘタしたら40歳くらいかと思っていたけど、それでも起きない病気じゃない。
いずれにしてもそこは掘り下げてもしょうがないよな。病気ならどうしようもないし、ヴィヴィアン自身がまだ父の死という悲しみから抜け出せていない。
「すみません。つらいことを思い出させてしまって」
「……大丈夫です。いまだに親離れできていなかったあたしも悪いので。いくらあたしにとってたったひとりの身内だったとしても、もっと早くから次代の社長になることを自覚して動くべきでした」
この話し方からすると、母親ももういないってことか? それに身内は他にいない、って……ヘビーだな。俺には重すぎる話なんだが。俺の両親は健在だし、孫も年内には生まれるとわかって超ハッピーそうだった。まあそのぶん俺が結婚どころか彼女もいなくて親不孝して……ってそれはいい。
「あなたくらいの年齢でしたら親に甘えていてもおかしくはありませんよ。それに、娘に甘えられてうれしくない父親はいません」
「そう……ですかね。16歳だとみんなもう働いてるから……」
あ、そうだった。こっちの世界は10歳から徒弟制度に組み込まれるのがふつうなんだった。
ううむ、そう考えると16歳ならふつうに人生とか考える年齢なのか? この世界、早熟すぎない?
「ヴィヴィアンさん、ビジネスを教えるということですが、どう考えても私には——」
俺には無理だ。女性経営者の集いとかあるんだろ? そういうところで尊敬できる人を見つけて、その人に教わったほうがいい。
さっさと断ろう。
と思っていたところへディタールがパンを運んできた。球に近い真っ白なパンで、ほんのり湯気が立っている。もちもちふわふわである。
「お願いします、ユウ様。他に頼れる人がいないんです。経営者の集いでは、みんな、あたしがいつ会社を売りに出すかって手ぐすね引いてる状態ですし……」
うん、やっぱ海千山千の猛者の集まりだったわ。こりゃ、連中に教えを請うとか無理だわ。
やっぱ同年代か? 相談できる相手を――。
「商業学校の同級生たちは一足飛びに社長になったあたしをねたんでいますし……」
うん、こっちも無理。
そ、それじゃああとは、社内だな! こういうのは先代社長といっしょに仕事をしていた古株とかにだね――。
「父の片腕だった筆頭役員は同業他社に引き抜かれましたし……」
あかん。
もう八方ふさがりだ。
「もう、ユウ様しか頼れる人がいないんです!」
「き、今日会ったばかりの私を信用するというのは、それこそ社主の振る舞いとしてはいただけないかと思いますが」
「限界なんです。あたしの身に合わない服を着て威張り散らして見せるのは……いつ、社主としての知性と適性がないことを見抜かれて、糾弾されるかと思うと……」
頼れる人はいない。
社内にいても常に不安。
それは……きついだろうな。
「どうせ、あたしは座していても死を待つだけです」
「死、とは大げさな」
「大げさではありません。リューンフォートタイムズを愛した父に顔向けができませんもの。あたしも、誇りを持っているリューンフォートタイムズの質が落ちていくくらいなら、いっそのこと廃刊して……そうしたらあたしも……」
「ちょ、ちょちょっと待って! 待ってください!」
その先はダメ! なんか不穏な言葉を口にしようとしてる!
「でしたら、あたしにビジネスを教えてください、ユウ様!」
「……私にその才覚がある、というのはあなたの勘違いかも知れませんよ。第一、私があなたを騙さないなんていう保証だってどこにもない。あなたは冷静な判断ができなくなっている」
「ユウ様、こう見えてあたし、人を見る目があるんです。父についていろんな人に会いましたから。それに先ほども申しましたとおり、このまま黙っていても衰退するだけです。それなら――騙されるリスクよりも成功への可能性に賭けます」
「…………」
人を見る目ないじゃないですかァ! 俺なんて大学卒業してずっとペーペーだぞ!? 10年もの間、営業とともにクライアントの前でへーこらして、社内ではデザイナーの機嫌をうかがってただけの人間だぞ!? 無理。無理無理。ビジネスなんて教えられない。
「ヴィヴィアンさん、私は――」
「本日のお料理、一品目をお持ちしました」
ディタールが料理を運んでくる。
サラミを薄く切って、花を開かせるようにアレンジしている。野菜が植栽のように置かれ、鳥の卵黄が添えられていた。掛かるソースはなぜか虹色だ。美しい……そしてさわやかな香りが……。
じゃねーよ! 断る、断るから!
「ヴィヴィアンさん――」
「美味しい!? こ、これ、信じられないくらい美味しいです!」
「ほ、ほう」
そう言われるとフォークを手に取ってしまう。サラミをソースに絡めて口に運ぶと――は? うま。うっま! なんだこれ!? 手が、手が止まらん。麻薬なの? コカインとか入ってるの?
「すばらしい、口の中に幸福があふれていく……」
「あたし、幸せです。このお店に連れてきていただいて……ユウ様に出会えて……」
ぽっ、と頬を染めながらヴィヴィアンが言う。
危ない! 料理に流されるところだった!
「ヴィヴィアンさん。先ほどの件ですが――」
「スープをお持ちしました」
ディタールゥ!
お前わかっててやってるな? わかっててやってるだろ? な?
俺が抗議の視線を向けると、彼はにっこりと微笑んで俺にワインを足した。そうじゃねーから。ワインの催促じゃねーから。欲しがりさんみたいに扱うな。
「あたし……ユウ様に『売れなくなったらどうする』と聞かれたとき、目の前が真っ暗になりました。今のリューンフォートタイムズは発行部数も5,000部で安定していますし、社主が代替わりしても大丈夫だったって社員たちは安心しています。でも……あたしは、いつこの数字が落ちるのか、ってびくびくしてるんです。なにせあたしはきちんとした引き継ぎもないまま、勝手な想像で社主を務めているだけなんですから。そのあたしの不安をユウ様は一目で見抜かれたんですね……」
い、いや、あのね?「売れなくなったらどうする」っていうのは単に「広告出稿を受け入れてね」って言いたいがための前置きでしかなかったからね? 俺、社主が誰かなんてことも知らないで来たからね?
どうしよう。この子盛大に勘違いしてる……。
喉が渇いた俺はワイングラスに手を伸ばそうとする。その手を上から、つかまれた。
「ユウ様……あたしを見捨てないで……」
とろんとした目で見てくるヴィヴィアン。
一方の俺は――背中にめっちゃ脂汗をかいていた。ヤバイ。これはヤバイ。絶対この子ヤンデレの気がある。ロックオンされた。誰だよ、広告出稿しようとか言い出したヤツ! 俺だよ! 失敗した!
そしてこういうときに限ってディタールは来ないィ!
「ユウ様……お願いします。あたしに、ビジネスを教えてください。その代わり――あたしにできることなら、なんでもしますから」
「な、なんでも……?」
ダメだ、とわかっているのにそんな返事をしてしまう。
だって! だってさ! 黙ってれば可愛い顔で、しかも体つきも最高って女の子だよ!? 妙なこと想像しちゃうじゃないか!
「はい、文字通り、なんでも……ユウ様が望むことすべて」
俺の想像した妙なことが、現実になりそうだった――。
「あれ? ボス、どうしたんですか。テーブルに突っ伏したままで。寝てるんですか? 酔いつぶれたんですか? それともフラれて泣いてるんですか?」
「……リオネルぅ~~~~」
「うわあ!?」
迷宮司令室に戻ってきたリオネルに抱きついた俺は、泣いた。
「引き受けちゃったよぉ~~! 引き受けてしまった~~~! 俺がバカなのがいけないんだ! 俺がバカだから!」
「ぼ、ボス、落ち着いてくださいよ。さっぱりわかりませんよ。ボスがバカなのも非常識なのも童貞なのも知ってますから。いきなり抱きつかれて不快です」
骨のくせに失礼な! 不快とか言うんじゃねーよ! 傷つくだろ!
「あー、泣いちゃってまあ。せっかくの男前が台無しですよ。拭きます?」
リオネルはなぜか手ぬぐいを首からかけていて、それを差し出してきた。泥だらけだったので無視して俺はハンカチを出して顔を拭いた。
「そこは受け取って部下の気の利きようを褒めるところじゃ……」
「もっとキレイなの出せよ。ったく……なんで骨のお前が手ぬぐい持ってるんだよ。しかも泥だらけで」
「サッカーの練習で」
そうだと思った。
「それでボスはどうして?」
「……聞くな」
「その割りには聞いて欲しそうな顔をしてますけども」
「そうなんだよぉぉぉ! どうしよう! ヴィヴィアン相手にビジネスを教える約束なんてしちまってよ~~!」
「ヴィヴィアン? 誰、その女」
「リューンフォートタイムズの社主で……ってミリア!? いつからそこに」
「つい今だけど。……ぷっ。にしてもユウが社長を相手にビジネス教えるって? 笑わせんなよ」
それに関しては俺も同意だ。
「ボス、それならルーカスさんに頼んだらどうです? 適任では?」
「……あいつにそんな話をしたら『私もいっしょに受けます! 生徒がひとりでもふたりでも同じですよね!? 私もヴィヴィアンさんと同様なんでもしますから!』って言い出すに決まってるだろ」
そうなのだ。この件ではルーカスも敵だ。
「……ちょっと待てよ、ユウ。なにそれ」
「え?」
「『なんでもします』って言われたのか? 女に?」
「……いや、聞き間違いじゃない?」
「今ぜってーそう言った! 言ったよな!? あーあ、見損なったぜ、ユウ。お前女の武器を持ち出されて一発でやられたってことだろ!」
「ち、違う! ヤラれてもヤッてもない!」
「ボス……」
「リオネルゥ! 気の利く部下はここで援護するところだろォ!」
リオネルがじりじりと後じさっていく。こいつ……とことんダメ骨だ……!
「へー、わかった。それじゃー、おいらも受けるわ」
「は?」
「おいらもその講義、受ける」
「いやいや、ハッ、ちょっと待って、笑える、魔族のガキのお前が講義を受けるとか、ブハハハハッ——ぶほぁっ」
い、いきなり殴られた! グーで!
「ちげーよバカ! お前が変な女に引っかけられねーように見張ってやるってことだよ! お前の金がなくなったらおいらだって飯に困るんだからな!」
ぷんぷんしながらミリアは去って行った。リオネルがぱちぱちと軽い骨の手で拍手をしていた。
「な、なんなんだよ……結局あいつはポテトフライが大事ってことか……?」
「はー。ボス。だからですよ。だからボスは童貞なんです」
この後めちゃくちゃリオネルの頭骨を蹴っ飛ばした。
ミリア「またユウが妙な女引っかけてきた……おいらのポテトは誰にもやらねーからな!」
リオネル「あれ? そういうことだったんですか? 私はてっきりー」
ミリア「リオネル。おいら、この身体にまだ慣れてなくて手加減とかできないからな?」
リオネル「承知」