第5話 次なる訪問者(ネタバレ:ジジイ)
そんなこんなで俺は迷宮の拡張を続けていた。今のところ誰とも会話していないが、なんとかなっている。おそらく迷宮主としての生体機能なんだろう。人間は1週間誰とも話さないで隔離されると頭がどうかしちゃうらしいぜ。頭がフットーしちゃうんじゃないぜ? まあ、それに近い感じで奇声は上げるかもしれん。
迷宮主はデフォルトで孤独である。
とりあえずさ、反対側の迷宮入口が欲しいなって思ってるんだよな。そしたら侵入者がいても、通路を塞いで逃げ切れるだろ? 今の時点で通路を塞いで逃げると空気孔がなかった場合窒息死するんだよ、俺。
洞穴があるってことはたぶんここ、山だと思うんだ。ということはずっと行けば山のどこか別のところに出る……だろ? たぶん。
10分ごとに魔力が回復すると言ってもちびちびだからな。今は1ずつではなく、3ずつ回復になってるんだが、やっぱり10分で1割が回復するんだろう。
つまり! 10分に3メートルしか進まない……。遅々として進まない。のんびりやるしかないんだが。
で、のんびりやり続けた。
そんな俺のマックスMPも60を超えたころだった。
「……ん?」
迷宮拡張現場の最前線にいた俺は、洞穴に人の気配を感じた。ずいぶん離れているが、迷宮に入ってきた生き物の気配はどこにいてもわかるからな。
女神だ。
女神が来たんだ。
俺はまたあの崇高なご尊顔を拝めると思うとスキップするくらいにうれしく、その実ダッシュして洞穴へと向かった。ダッシュしたのはささっと帰られたら困るからだ。女神は気まぐれである。だがそこがいい。
……え?
俺はぽかんと口を開けていた。
洞穴の様子を確認できるのぞき穴から見えた光景は、想像していたものと違ったんだ。
ぼろきれをまとったジイさんが座っていた。あぐらっていうか、結跏趺坐みたいなポーズで座ってるんだ。しかも両手は左右に広げて、仏教とかかじってそうな雰囲気。スピリチュアルジジイ。
ねずみ色のローブでフードまでついているから顔はわからない。だが見えている手が枯れ枝みたいだからジイさんだと思ったわけだ。男じゃないかなって直感しただけではあるんだけど。
「…………」
ジイさん、動かない。死んでるのか? いや、死んだら倒れてるよなあ……。
俺はそれから数分間ジイさんの様子を見守っていたけど、ぴくりとも動かないので放置することにした。そのうち帰るだろう。
結論から言うと、翌朝にもジイさんはいた。ぴくりとも動いてない。なんなの? 入定して即身仏にでもなるの? 空海上人なの? やはりここは秘境群馬なのか……いや、般若心経を唱えてないから真言宗の線は薄いか……。
ジイさんの思惑はさておき、これは困る。困るったら困る。
だって女神がここに来てみろ。びっくりするよな。憩いの場所だと思って来たらジイさんが死んでるんだぞ。俺だったら二度と来ない。これは困る。困るったら困る。
「…………」
やれやれ……俺が動く時が来たか。
俺は潜伏で壁をすり抜けると洞穴側へと出た。
ジイさんは固まっている。寝てるのか?
「……**、*****……**********……」
と思ったらなんか小さい声でぶつぶつ言ってる。般若心経! かと思ったけど違うわ。俺の知らないの言語だ。
俺はジイさんの肩に手を置いた。
「おいジイさん、出てけよ」
「************!?」
びくっ、て5センチくらい浮いたジイさんは何事か叫びながら振り返った。めっちゃ驚いてるみたい。振り返ったジイさんの顔はやはりジイさんだった。鼻の下とアゴのヒゲがつながっていて、仙人みたいになっている。目は灰色だ。日本人じゃないんかな、やっぱり……。
「****!!」
「いや」
「***、*****!」
「いやいや、なに言ってるかわかんねーから。とりあえず出てってくれる? ここ俺の家。ドゥーユーアンダスタン? イッツマイホーム!」
英語なんか通じるわけないんだよな。と思ったけど、ジイさんはなにか考えるようにぴたりと言葉を止めた。
「あれ? 通じた?」
と思っているとジイさんの指が俺の額に伸びた。人差し指と中指がこつんと当たる。とっさのことで俺は避けることもできなかった。
「*****!」
ジイさんがなにかを叫んだ――。
世界が虹色に輝いて、閉じた。
「……え? え? え?」
「これで言葉が通じるだろう。わかるな、私の言っていることが」
「え? え? ジイさんなにしたんだ?」
いきなり! いきなりジイさんの言葉がわかるようになった!
「翻訳コ●ニャク?」
「お前さん……なんだ、それは?」
「あ、いや、なにされたのかなって」
「私の魔法で、お前さんにこの世界の言葉を叩き込んだ。よかったな。26種の言語を使えるぞ。すでに滅んだ古代マロニ語も入っているがな。カッカカカカカ!」
なにわろてんねん。
こちとら状況についていけてねえよ。
魔法だって? いや、魔法があることは知ってるんだけど、俺もラビリンスウィザードだし? で、相手に言葉を教える魔法なんてあるのか? 超便利じゃん。そんなんあったら駅前留学やってる会社とかどうなっちゃうんだよ。っかー、ここニッポンじゃなかったわー、問題なかったわー。これ、鉄板異世界ジョークな。俺真顔。
「ジイさん。アンタ何者なんだ?」
「ふむ……私はフェゴールという。お前さんの言うとおりただのジイさんだ。それよりもお前さんは――珍しいな。迷宮主か」
「イエス」
「私は魔術師として数々のダンジョンを回ったが、実物の迷宮主を見るのはお前さんが初めてだよ。ずいぶんと警戒心のない迷宮主もいたもんだ! カッカカカカ!」
だから、なにわろてんねん。
でもジイさんの言ったことで俺はひとつハッとしたことがあった。
……イエス、っていう英語が通じてるぞ?
じゃねえよ。それはいいんだよ。ナチュラルにこっちの言語が話せてる時点で、なんか適当な言葉を言ってるんだろうし。
それよりも――警戒心、それだ。
戦うスキル皆無の俺が(コウモリに噛まれたところが痕になってるし)、相手がジイさんだからと話しかけていいことなんてない。
ジイさんが悪人だったらどうすんだよ。
俺……もっと慎重にならなきゃな。俺、ジイさん相手に「話したい」って思っちゃったのかも。心のどっかで。だからこんなふうに警戒心ゼロで近づいちまった……。
「そうか、ここはお前さんの迷宮か……いい場所かと思ったんだが」
俺がひとり反省会を進行しているとジイさんがしみじみと言い出した。
「私の死に場所として、な」
話を聞くと、ジイさんは冒険者だったらしい。
で、1つの冒険者パーティーを長くやっていた。
そこで懇意になったメンバーと結婚し、冒険者を引退。リンディール王国の魔術師ギルドで働いていた。年を取って引退するまで。
引退後は郊外に引っ越し、奥さんとふたり、悠々自適の生活だった。
だが悲劇は訪れる。先月、奥さんが亡くなった。寿命だったから覚悟はできていた。だけど寂しさは隠せない。子どももいない。郊外の家を魔法で封印し――奥さんとの思い出を見続けるのはつらかった――家を出た。
死に場所を探しに。
「というわけだ。カッカカカカカ!」
なにわろてんねん(3回目)。このジイさんの笑うツボがわからん。悲劇をしてたんじゃないの? 悲しいときには喜劇を書けって言ってたのは誰だっけ。
しかしこのジイさん、次々に重大なこと言うよな……。
「ジイさん、ここは群馬じゃないのか?」
「グンマ……? そういう地名は聞いたことがないな」
「ジイさんがボケたんじゃなくて?」
「ちょいちょい失敬だな。言葉を教えた私に対して」
確かに。
ごめんよ。
「でも俺のダンジョンで勝手に死なれても寝覚めが悪いんだけど」
「ふむ? やはりそうか?」
そりゃそうだろ。自分ちの庭で首吊られたらやだろ? 俺はやだよ。
「あと、別の理由もある。とりあえずここにいないでくれ」
女神が来たらどうすんだよ。
「えぇ……?」
「はっきり言うけど出てけよ」
「年寄りは大事にするもんだ」
「死にたがりのジイさんじゃ説得力ないんだが」
「それもそうだ! カッカカカカカ!」
なにわろてん――もう俺つっこまないからな。
いや、ジイさんを追い払うとか残酷に見えるかもしれないけどさ、こういうジイさんの扱いとかわからんよ、俺。マジで死にたいんなら困るし。奥さんが死んだ悲しみとかどうしていいかわかんねえし。伊達に童貞じゃないんだが?
ジイさんからこの世界のことをいろいろ聞いてもいいかもしれない、とは思うよ? でもなあ……このジイさんがどこまで信用できるのかもわからないだろ? 俺の中に警戒心が芽生えているのだ。この芽は大事にせねばならん。右も左もわからない異世界なんだ。言葉が使えるようになっただけで今は御の字だ。ていうか久々に人と話したせいで心が疲れている。俺、こんなにコミュ力低かったっけ。ああ、来る日も来る日も土掘ってりゃそうなるか。
「とりあえずこっちに来い」
とにかくいつ女神が来てもおかしくない状況だ。この洞穴の入口からジイさんを引きはがさなければならない。
もしもジイさんに気づき、女神がそれ以降来なくなったら……。
女神は、乾いた大地に降り注ぐ慈雨だ。女神がいなければ寂しくて死んでしまう自信がある。それくらい俺は女神に依存してるんだ!
《…………》
あ、カヨちゃんにも癒されてます。ほんとほんと。話し相手みたいなもんだし。――今なんかにらまれたような気がして思わず言い訳した。
「……私を誘っているのか? そのような半裸で」
「おちょくるんじゃねえよ、ジイさん。こっちだ」
ジイさんのジョークはガンスルーで俺は空間精製を発動し、奥へと通す。ジイさんが通ったところで空間復元で元に戻す。
「なっ……なんだ?」
ジイさんがびっくりしている。おいおいおい~迷宮魔法くらいでびびってんのかーい?
「なんだこの芸術作品は!?」
違った。びっくりしてたのは女神像だ。っていうかのぞき穴のすぐそばに置きっぱなしでした。見られた。死にたい。
「お前さん……やるではないか! このようなものを作れるとは! この肉付きといい」
俺はとっさに空間抽斗で土を吐き出して女神像を覆い尽くした。
「ぬう!? なぜ隠す!?」
「……ヤメテ、ハナシカケナイデ、ハズカシクテシニタイ……」
「腰に手ぬぐいだけで生活しとるその姿のほうがよほど恥ずかしいぞ」
人の心の傷口をえぐるとは。ジイさんぶっ飛ばすぞ。
俺はジイさんとともにダンジョンの奥へと進んだ。コウモリと死闘を繰り広げた広間へやってくる。
「光明」
暗いのだろう、ジイさんがなんか唱えると周囲が明るくなった。光源が見当たらないのに明るい。不思議だ。
「この明るいの魔法か? 魔法なんだろうな、やっぱり」
「知らんのか。魔法だよ。初歩的な。しかし……お前さんに聞いておきたいことがある」
やっぱり変か。きっと一般常識なんだろうな。そういう魔法って。
しかし聞きたいこと。
なんだろう……。
俺が異世界から来たのがバレた、とか……。
芽生えたばかりの俺の警戒心が仕事をする。
「……さっきの塑像のことだがずいぶんと見事な乳だった」
違ったわ。ただのエロじじいだったわ。