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第49話 デキる男はスーツも違う

 俺がホークヒルを巡回してから3日後にはベインブは辛さバリエーション別のメニューを完成させていた。店の名前は「ベインブのスペシャル」になり、料理名は「レッペハッカ・スタンダード」となった。

 スペシャルという言葉にこだわりがあったのか……と思いはしたものの、悪い店名ではないのでOKを出した。というか厳密にはオーナーは俺ではないのだが、出資人である当のルーカスがいちいち俺に許可を取りに来る。


 怪力美少女ソフィはベインブの店に行くたびに俺についてきて、辛さ別メニューの味見に付き合ってくれた。くれた、っていうか本人が志願しているらしい。


「オナーといっしょに行く。辛いの食べる」


 いや、仕事しよ?

 とは思うものの、ソフィは長時間労働していると集中力が切れて、結果、扉を割るのだとか。まったく意味がわからん。

 その点で視察は助かっているとルーカスは言っていた。


「……他の人雇ったら?」

「それが、夜のシフトで働いてくれる者がなかなかいないのです」


 ルーカスの言によると、こうだ。

 街の門は昼の3時に閉まる。

 今の、ホークヒル来客のうち半数以上が市民だから、みんな3時には帰っていく。

 その後は冒険者たちが主役だ。夜のレストランは、客も荒っぽいし、街にも帰れないから必然的にダンジョン付属のホテルに泊まることになる。そんな過酷な——過酷に見える、職場で働きたいという人間はなかなかいない。


「それにソフィは人気があるんですよ。酔っ払って暴れる冒険者を持ち上げて振り回したことがあって。それ以来、彼女がホールに立つと治安は良くなるわ注文は増えるわ」

「その代償が、割れる扉か」

「割れてもたいした金額ではありませんしね」

「よくあんな子を見つけたもんだな……」


 俺だったら恐ろしくて近づかないわ。


「ディタールが見つけてきたんです。偶然拾ったと」


 確かディタールも偶然採用したってルーカス言ってたよな。

 ここの人たち、偶然に人を拾いすぎじゃない?




 俺がベインブの店に通っていたときだ。


「……これ、辛すぎるよ。僕には合わないな」


 テラスのテーブル席に座ってレッペハッカ・スタンダードを食べていた冒険者が言っているのが聞こえた。

 あれは、アルスだ。特級冒険者の。


「どうしてこんなに人気があるのか、ちょっと理解ができ——」


 アルスは言いながら視線をぐるり巡らせ、ちょうどそっちを見ていた俺と目が合った。

 あ、と思う間もなく彼は立ち上がってこっちにやってくる。


 え? え? なんで?

 俺、今までこいつと接点なんてなかったよな?


「ねえ、君」

「お、俺?」

「うん、君」


 アルスははっきりと俺を指している。

 ここ、ホークヒルでは特別扱いしていないけれども、彼は特級冒険者だ。

 彼が声をかけた相手というだけで目立つ。

 現に、彼といっしょの席に座っていた他の冒険者たちが、「あいつ誰?」「知らねーな」なんて話している。


「初級第3はどこまで取れた? 僕はまだ5等級までしか行かない」


 いきなり気安く話しかけてきた。

 5等級か。ホークヒルにポイントが設定されたキ○ラの翼だな。


「えーっと……俺は、まだやってないんだ」

「そうなの? 君、ホークヒルができたほとんど最初から来てるよね?」


 ぎくり。

 なんでそんなの覚えてるんだよ。俺、お前以外の冒険者はほとんど覚えてないぞ。


「それに、不思議なんだ。君の姿が見えないのに、君がこのダンジョンに毎日いるような気がする」


 ぎくり。

 そそそそそりゃまあダンジョンマスターですからねえ!


「き、気のせいじゃないの」

「オナー、知り合い?」


 俺の動揺を察したのかソフィが横からずずいと出てくる。だがソフィ、それは悪手だ。


「オナー……オーナー? なんの?」


 ほら! アルスが興味を示しちゃったじゃないか!


「い、いや、あだ名だよ」

「あだ名? 名前はなんていうの。僕はアルス」

「……ゆ、ユウ」

「へー。ユウ、ね……」


 そのときアルスの目が異様な輝きを持ったような気がした。

 怖い。怖すぎる。ルーカスと違ってアルスの頭の良さは、誰かを出し抜いたり、弱みを握ったりする類のものだ。それに今さら思い当たった。

 アルスは、俺がダンジョンマスターだという確信を持っているわけではない。持ってないと思う。持ってないよな? ただなにかに気づきかけていて——かまをかけているだけだ。


「アルスさんは、特級冒険者なんだろう? こんなところにずっといてもいいのか?」

「僕がずっとここにいるってどうして知ってるの?」

「……さっき、そういうふうに言ったように聞こえたからな。もし違っていたらすまない」

「いいや。ほとんどここにいるね。それが父からの頼みでもあるし……」


 父からの頼み? なに、父って? 父なんてどこにいた?


「……そうか、ちょっとだけ留守にしたことはあったな。ギルドが襲撃されたときに、調査のために呼び戻された。知ってる? 冒険者ギルドがゴーレムによって襲われたんだ」

「へへへへへへぇ〜〜」


 待て待て待てぇ! なんでそっちが出てくるんだよ! 俺の(カルマ)が傾いたあの一件!


「それじゃ、俺はこの辺で……」

「あれ、レストランはあっちだよ?」

「街へ転移するんだよ。俺はあっちに本拠地があるんでね」


 あたくしはホークヒルにずっといるわけじゃないんですよ〜という体だ。

 精一杯ウソをついて俺はアルスから離れていく——。


「ああ、そうそう」


 俺の背中にアルスは言う。


「近々、第2を攻略する」


 それは宣戦布告のようにすら聞こえた。

 ここ数日、挑戦者が減っていた初級第2。そこに挑戦? アルスは攻略方法を見つけたのか? わからん。

 ゴーレムが予想以上に大活躍しているんだ。難易度を下げることも検討したけど、それだと不公平感が出るので止めている。事実、惜しいところまで行っている冒険者もいたからな。

 あれほど大量にゴーレムを生み出すことはふつうならあり得ないのだそうだ。ダンジョンマスターだからなのか、俺のMPは人間じゃとうてい到達できないところまで来ているらしい。ただし使える魔法は迷宮魔法だけだがな。

 そんな初級第2ダンジョンを、アルスが攻略する……? なにか秘策でもあるのか? いや、クリアしてくれるならそれはそれですごい広告効果になるんでさっさとして欲しいんだけど。


「そうなんだ。そしたら大金持ちじゃないか。俺にも一杯おごってくれよ」

「そのときは声をかけよう」

「ああ」


 声かけるのかよ! かけなくていいよ! 余計なこと言わなきゃよかったよ!

 俺はびくびくしながら転移トラップのある部屋へと向かう。

 アルス、怖いわ。底知れないわ。やっぱ冒険者の前に出るのは最小限にしたほうがいいかもしれん。なに考えてるのかわからんのだもんよ、あいつら。くわばらくわばら。


「オナー。ソフィも街に行く? 街で辛いの、食べる?」


 食べません。




 ルーカスが申し込んだ記者マルコとの面会。それはすんなり許可が出た。

 事前にルーカスからリューンフォートタイムズや新聞事情について話を聞く。ああ、ルーカスに俺が転生者だと話しておいてよかった。イチから説明してくれる。しかもめちゃくちゃわかりやすい。頭のいいヤツは説明がわかりやすいっていうけど、これほんとだな。


 俺はひとりリューンフォートタイムズ紙を発行している新聞社へとやってきた。というか、占領した(消費MP662万)。

 俺はダークグレーにストライプの入った、スーツのような服をルーカスの店で見繕い、着込んだ。事務職(ホワイトカラー)の仕事はこの世界にはあまりないものの、ゼロではない。デキる知能派ダンジョンマスターとしては、これくらいパリッとした服を着たいものである。


 応接用のテーブルは簡単な間仕切りがあるだけの場所で、他にも何組か面会——打ち合わせ? のようなものをしているのが見えた。


「お待たせしました。弊社記者のマルコがこちらです」

「ああ、どうも——」


 受け付け女性が連れてきたマルコ記者を見て、俺、固まった。


「おじさん、おれになんか用?」


 そこにいたのは俺のヘソよりちょっと上くらいの身長しかない少年だったのだ。


「あ、あー、あの、そのー」

「ひょっとして、おれがマルコだって知らなかった? 大人だと思ってた?」

「いや、それは……」

「あー。その顔は、おれの正体を知らなきゃよかったって思ってる顔だよね?」

「ちが、違う、それは断じて違う」


 俺が思っていたのは、日本で知り得た記者対応マニュアルがまったく役に立たねえじゃねえかボケェ! ってことだ。まさか子どもが記者やってるとは思わないよ! そりゃルーカスが「くん」づけせざるを得ないわけだ!

 事前のルーカスによるブリーフィングがまったく役に立たない可能性、大。


「……ま、まあ、大人だろうと子どもだろうと、話が通れば構わないんだ」

「へえ?」


 俺の言葉に、興味を示したようにマルコが方眉を上げた。いちいち仕草は大人っぽい。いや、大人を演出しているのかもしれない。


「問題は、君がどれくらい紙面に対して影響力を持っているかってことなんだ。ホークヒル攻略記事を君が書いているのは間違いないんだろう?」

「ああ、そうだよ。その前に、あなたが誰なのか聞いてないけど?」

「ユウだ」

「それは知ってる。どこの何者? おれの調査に全然引っかからなかった」

「そりゃあね。ついこの間、よそから移ってきただけだから」

「ふうん」


 不満げに鼻を鳴らしている。

 ひょっとして、面会を持ち込んだ俺のことを調べたのか? ひょっとしなくても調べたって感じだな、これは。子どもだと思って侮るとヤバイかもな。


「ルーカスという商人と組んで、ホークヒルで商売をしている」

「ん。どのテナントをやっているの?『ヒルズ・レストラン』?『ベインブのスペシャル』?」


 名前がついたばかりのベインブの店についてもちゃんと押さえてるな。


「全体的なスポンサーみたいなものだよ」

「……なるほど。あれはルーカスさんが全部やっているんだと思っていたよ。それで、今日の用件は?」


 俺がマルコへの態度、というか心構えを改めたように、マルコもまた俺に対する印象が変わったようだ。


「君が執筆している記事について、どこまでコントロールできる?」

「というのは?」

「どこまで権限を与えられているのかを知りたい。——いや、警戒しなくていい。あそこで商売をやっているから提灯記事を書いてくれなんて言うつもりもない。あれくらい真摯に攻略してくれたほうが読者の興味も引けるし、現にホークヒルへの来客は増えている」


 思わず「ホークヒルへの来客」と言ってしまったが、マルコはそこには違和感を覚えなかったようだ。

 記事を褒められたことを素直に喜んで頬を紅潮させている。その辺はやはり子どもなんだな。


「俺が頼みたいのは、記事内、いや、できれば記事の横に広告出稿したいんだ」

「広告出稿——?」

「——なんだか面白そうな話になっているわね」


 え、女?

 いきなり声が聞こえてきたと思うとマルコの横に女性が座った。


 明るいブロンドの髪は長く、ふんわりと流している。

 広く見せた額の下には誘うような紫の瞳。

 鼻はちょんと可愛らしく出ているが、その下にあるぽってりとした唇には紅が引かれている。

 そしてなにより身体だ。

 俺がグレーストライプのスーツもどきだとすると、彼女はリクルートスーツもどきだ。ただ、胸はばーんと開かれて谷間がはっきり見えているし、チャイナドレスもかくやというスリットが左側にだけ入っている。

 足を組んだせいでタイツの根元、その先にある白い太ももがちらりと見えた。


「しゃ、社主!」


 社主ぅ!?

 俺は目を剥いた——こんな、こんなけしからんバディを持ったうら若き女性が、会社のトップだと!?


「ヴィヴィアンよ。一応、ここのトップをやっているわ」


 彼女はパイプを取り出すと器用にマジックアイテムで火を点け、煙を吸い込んだ。

 そうだ。確かにルーカスから、社主の名前がヴィヴィアンだと聞いていた。女性社主というのは珍しいけど、俺は気にも留めなかった。シャドウの入ったメガネをかけたパーマをかけたばあさんがねちっこく記事のチェックでもしているのかと思ったくらいだ。


 これは考えを改める必要がある。

 えーっと、確かルーカス情報では、リューンフォート内で3紙がしのぎを削ってるんだよな。正確な発行部数は公表されていないが、リューンフォートタイムズは若干リードしている。売りは「情報の正確性」「提案型記事」だったはずだ。ジャーナリズムとかそういう言葉が大好きそうな会社だな、へー、たいそうなことで、とか俺は思ってた。

 それが、社主がこんな格好で出てくるとは。

 ジャーナリズム最高ォ!


「それで? あなたは?」

「え、ええ……ユウ=タカオカと申します。ルーカスとともにホークヒルで商売をしています」

「そう。広告出稿したいって言葉がさっきは聞こえたけど?」

「そのとおりの意味です。ダンジョン攻略記事に合わせて、『ヒルズ・レストラン』や『ホーク・イン』、『ヒルズ・ショップ』に関する広告を出したい」

「『ベインブのスペシャル』ではなくて?」

「あれはいいです」


 まだ、いい。と言うのが正解だな。味の調整がまだ終わっていないし、客が増えても急にはさばけない。それにフードコート計画もあるから、今の店舗を印象づけたくはない。


「ふーん……それじゃあ1回の掲載あたり金貨20枚」

「金貨20枚ぃ!?」


 素っ頓狂な声を上げたのはマルコだ。


「当然の価格よ。あなたもそう思うわよね?」


 俺はびっくりしたりはしない。予想範囲内の金額だ。


「金額交渉する前に、媒体資料はないのですか?」

「……なに、それは?」


 新聞に出稿する、という行為は当たり前ではないのだろう。ヴィヴィアンは媒体資料という言葉自体を知らなかったようだ。

 ふむ、このヴィヴィアンという女は——。


「発行部数、主要な読者の年齢層、入稿形式なんかが記されたものですよ。ご存じありませんでしたか?」

「はんっ。そんなもの、資料にするわけないじゃない? 企業としての秘密、常識よ」


 ヴィヴィアンが鼻で笑うと、横でマルコがうんうんとうなずいている。


 やっぱりだ。

 見栄を張りたいのだ。自分が、上でいたいのだ。

 こういうタイプの人間は日本でも見てきた。どちらが立場で上か下かを気にする。見栄張り、と言うなかれ。その内側は——臆病なのだ。

 臆病にも2パターンある。

 単に、自らの立場を軽んじられることがイヤで攻撃的にすらなるタイプ。

 もうひとつは、自分の立場が分不相応であることを知っているが、それを知られたくなくて虚飾を見せようとするタイプ。


 彼女がどちらなのかはまだわからないが、俺がやるべきことは決まった。

 これでもWebディレクターだからな。日本屈指の広告代理店営業に連れられて様々なクライアントに会った、という修飾句が前につく。


「はー……そんな程度ですか」


 俺はこれ見よがしにため息をついた。


「……ちょっと、なによその態度は」

「いや、もういい。これ以上話すのは無駄でしょう。そもそも、広告出稿しようと申し出ている人間に対して、社主からしてその態度かと思うと、ね」

「出稿者のほうが偉いとでも言いたいの? それこそ、あなたもその程度の人間ってことでしょう。新聞は力よ。なににも屈しない強い力。記事の正確性、読者に提案できる力、これがリューンフォートタイムズの売りなのよ。ひとつの会社からお金をもらったら、その会社に切り込めなくなるもの」


 そのとおりとばかりにうんうんうなずくマルコ。お前、赤べこみたいになってるぞ。


「ハハッ。それこそ、くだらないということですよ。金を出されようが出されるまいが、相手によって区別をしない。それが真のジャーナリズムです。出稿会社がどうのと気にしているのはあなたのほうでは?」

「——それはッ」


 言い返されてカッとヴィヴィアンの顔が赤くなる。だが俺はその先を言わせない。つとめて冷静な口調で淡々と話す。


「広告というのはメディアと出稿会社とwin-winの関係であればいいのです。メディアは運用資金の安定化を広告収入でかなえることができ、出稿会社は自らに合ったメディアに出稿することでその会社の情報を真に欲していた人へ届けることができます。メディアが、1部いくらで販売することで自立を目指したとしても、今度は読者に媚びを売ることになるだけです」

「こ、媚びを売ったりなんてしないわ!」

「今は、ね」

「今後もよ!」

「だが売れなくなってきたらどうするのです? 読者の喜びそうな記事を書こうという誘惑にあらがえるのですか? もしあなたがあらがえたとしても、記者はどうでしょうか? 少しでも多くの人に読んでもらいたい、そういう欲求が記者に出てきたときに、あなたの知らないうちに読者に媚びるような記事が出ないという保証は?」

「ぐっ……」

「た、確かに、おれにも『こういう記事を書いてくれ』って言う人がいる……。ダンジョン攻略記事ができてからはなおさら多くの人が、ちょっと店の名前を出してくれたら今度安く売ってやるとか……」

「マルコ! あなたまさか——」

「や、やってませんよ!? おれは!」


 意外なところから実例が出てきた。よくやったぞ赤べこマルコ。


「それは当然のことです。記事に記名がある以上、こういうことは今後も起きるでしょう。記名制を導入している以上は当然起こりうることで、それは逆にマルコくんの記事に力があることの証左であります」


 俺はそこで、口調を和らげる。


「そして、ヴィヴィアンさん、あなたが、記者の実力だけを正確に評価して、子ども扱いをせずマルコくんの記事を掲載しているその手腕がある、という証拠でしょう」

「……当然よ」


 今度は褒める。褒めて褒めて褒める。


「リューンフォートの主要3紙のうち、トップはリューンフォートタイムズ。これは揺るぎない事実でしょう。正確な記事、提案できる記事、これらを掲載していけるうちはトップは安泰でしょうね」

「ま、まあね? ウチの記事は読み応えあるしね?」

「ですが、不安があります。それは今のマルコくんの話からも明らかでしょう」

「…………」

「この問題を放置すべきではないと思いますよ。記者にクオリティの高い記事を書いてもらうために、褒賞を出すといったことや、昇給をさせることが重要です。——記者に恣意的な記事を書いてもらおうという誘惑は金銭で釣ることが多いですからね。会社がお金を与えることで驚くほど簡単に誘惑を断つことができます。そしてこれは、優秀な記者を採用することにもつながる。もちろんヴィヴィアンさんが当然なさっていることだと思いますが、やはり問題になるのが」

「運転資金」


 ヴィヴィアンの眉根が寄っている。

 やはりな。厳しいのだろう。

 一部売っていくらの商売だと売上が安定するワケもない。マルコが記者として活躍していることから見ても明らかだ。マルコに一人前の大人の給料が払われているとはまったく思えないもんな。事実、金の話になった瞬間、マルコの目が輝いているもん。


「ヴィヴィアンさん、もうおわかりでしょう? 会社のトップが下すべき決断。事業の安定化ですよ。広告出稿は悪いことじゃない。なにか不祥事があったら『ヒルズ・レストラン』をペンで断罪してくれて構いません。なんなら覚え書きを交わしてもいい」

「……あなたは、それほどの覚悟が」

「覚悟というほどのものじゃない。主要3紙の中で、リューンフォートタイムズに広告を出すことがベストだと判断したまでです。これはビジネスですから」

「ビジネス……ええ、ビジネスですわ」

「記者ではない、社主にしか判断できないでしょう。ビジネスのことは」

「ええ、もちろん。そのとおりですわ」


 ヴィヴィアンのことをさらに持ち上げてやると、さっきとは違う感じで頬が赤くなった。

 ……ひょっとしてこの人、結構若いのかな? 化粧を剥いだら10代の少女が……なんてな。

 そう考えると、最初に吸ったきりでパイプももう吸っていない。やはり、「強い社主」を見せようとしているんだな。いたよ、いたいた。学生のころに立ち上げたビジネスがちょこっと成功して、有名な広告代理店に広告を出させようとしてやってきた20代半ばの社長とかこんな感じだったよ。わからない広告用語を聞いても「ふんふん、あー、なるほどね? まあ僕は知ってるけどね?」みたいな顔してた。営業は優秀だったから先回りして素人にもわかるように説明してたけど。


「では、ビジネスの話を継続しましょうか。しかし——ここではないほうがいいかもしれないな」


 後一押し。


「私のビジネスの機密に関わる情報も話すことになるでしょう。場所を変えた方がいい。そうですね……今夜、『樫と椚の晩餐』にお越しいただくことは?」


 籠絡するにはまず接待、というのは、営業がよく言っていた言葉だ。彼が言うには営業先がオッサンでも、若くても、接待すれば大体落とせると豪語していた。

 ほんとうは広告を出す俺が接待されるべき——というのは素人的な考えだ。メディアの枠を確保するために編集長を接待することもあったのだとか。

 信じるぜ、営業さんよ!


「まぁ、あの有名店に……」


 その「樫と椚の晩餐」というのは、ルーカスから聞いていた店だ。前にディタールが働いていた高級店らしい。俺も行ったことはないが、ディタールはそこの店長と仲良くなっていたようで、「私に言ってくれればいつでも席は取れますよ。ただし金貨は念のため2枚用意しておいてくださいね?」とのこと。

 ヴィヴィアンも店のことは知っているようで、動揺しつつもうれしそうだ。


「あっ、と……社主もお忙しいことをすっかり忘れていました。申し訳ありません、いきなりお誘いしてしまって。やはりこのお誘いはなかったことに……」

「い、いえ! 今日はたまたま予定がありませんわ。明日以降でしたらちょっと予定が取れないかもしれないので」


 と言うヴィヴィアンを、マルコが横で珍妙なものでも見るような顔で見ている。わかってる。ヴィヴィアンの言葉が大嘘ってことくらい俺にもわかる。小さい新聞社の社主が毎日忙しいわけがない。

 だけどそれには気づかないふりをするのも、ビジネスだ。


「それはよかった。俺はラッキーだったってことかな。では今夜——」


 高級店の名前はつえーな。ヒルズ・レストランもいずれそうなってくれるといいんだが。


 記者が子どもで、その後は社主が登場したりと、ハプニングに遭遇したもののそれなりの手応えを感じた俺は急いでホークヒルに戻った。

 ディタールに頼んで店の予約取らなきゃ! 広告費用ディスカウントしまくってやるぜ!


日本での出来事は架空です(いまさら)。


次回、ユウが若社長をたぶらかします。

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