第40話 魔力の痕跡とシルフのささやき
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*ファナ*
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「開門! 開門!」
あたしとリンダは兄にくっついて冒険者ギルドへ行ってみることにした。
兵士が集まって貴族街と街を隔てる門を開いていく。この門の開閉に10人くらいが必要なんだよ。ほんとう、バカみたいだよね。
ごとごとごとと揺れながらあたしたちを乗せた馬車が街へと進んでいく。
森にいるときのような動きやすい格好じゃなくてびらびらした貴族の服を着させられている。布地には複雑な紋様の刺繍が入っていて、袖や胸元からびらびらが出ている。
髪もアップにして編まれ、ヴェールが垂れ下がる帽子をかぶせられた。
この準備に1時間かかるんだもの。はー、ほんとうに面倒。
「……なに」
でも、色違いの服を着させられてあたしの向かいに座っているリンダは見違えるほどキレイになった。
もともと服装に頓着しない彼女が、正装するだけでこんなに色っぽくなるなんて。
はぁ……ため息が出ちゃう。
これなら貴族だろうと平民だろうとエルフだろうとみんな振り向くわよ。ウッドエルフとエルフは違うとか言い出すうちの村の古老どももびっくりするはずだ。
「いやあ美しいな。さすがファナ。うちの妹は世界一だ!」
「そのセリフ20回は聞いたから」
あたしの隣で興奮している兄はいつもどおりだ。こういうときにリンダをさりげなく褒めるとかすればいいのに。こんなだからいまだに独身なんだ。
「それで? 事件の概要について教えてよ」
「ん……事件?」
本気でわからない、というように兄が首をかしげる。
「あのねえ、領主命令で調査に行くんでしょ?」
「おお! ファナは真面目だな。冒険者ギルドに行くというのは兄といっしょにいたいがための方便かと思っていた」
「さっさと教えて」
切り捨てるように言うと、ちょっとだけ傷ついたような顔をする兄。
「……4日前の午前、冒険者ギルドの3階に突如としてゴーレムが現れたということだ。その後ゴーレムは人間を避けるように動き、什器を破壊した」
「人間を避けるように? 人的被害はないの?」
「うむ。ゆえに、警備兵による調査だけが行われてこの話は終わりとなるはずだった。しかし冒険者ギルドが抗議をしてな。もっときちんと調査をしてくれと。でないとメンツがまるつぶれだと」
「ふぅん」
冒険者ギルドのメンツねぇ……。
荒くれ者の集まる場所、ってイメージだったけど、いろいろあるのね。やっぱり人間って面倒。
「あの」
小さく手を挙げたのはリンダだ。
「冒険者ギルドなら、自分たちで捜査ができる」
「ああ、確かにそんな話を貴族側もしたらしいよ。冒険者を使って、ギルドが依頼主となって捜査させることもできるだろうと。でも、最近は冒険者の数が少なくてできないんだとか」
「あーらら。どこも人材不足ねえ」
「ファナ、簡単に言わないでくれ。確かに私が引っ張り出されるくらいにリューンフォートの貴族も人材不足なのだろうが、たまにはこうして働いているフリをしないと貴族街では風当たりが強くなる」
兄は眉をひそめるが、言っていることはめちゃくちゃだ。
そもそも風当たりなんか気にせず森に引っ込んでいればいいのだ、エルフは。それを貴族街に連れてきているのは人間の都合だ。こちらは譲歩して貴族街にいるのに、働かないのはおかしいなどと言うのも人間の都合だ。
ほんとうに面倒な生き物。人間って。
「……人材不足?」
こてん、と首をかしげるリンダ。ああ、もう、そういう仕草も可愛いわ。
「リンダちゃんは知らないか。リューンフォートは領主が8年前に変わったからね。そのタイミングで前領主に連なる貴族が結構処分されたんだ。汚職や癒着がすごかったようだ。人間の貴族っていうのは、血筋はもちろんのこと、実力ある人間が抜擢されて貴族となることもある。たとえば貴族街を守る複雑な結界障壁。あれらの魔法に適性がある人間が、もし平民の中に見つかれば、問答無用で召し上げて貴族と結婚させられるだろう」
「高度な魔法を使える人間が貴族になるということ?」
「理解が早くて助かる。汚職や癒着をしていても、彼らは結構な魔法を使える者が多かった。探知魔法だってそうさ。人間で適性のある者はごく少数らしいぞ」
「へー。あたしたちエルフだと当たり前なのにね」
「……わたし、魔法できない」
「そう言えばリンダは魔法ダメよね」
リンダはウッドエルフであり、魔法への適性が極端に低い。
そのぶん自然への適応能力の高さや、勘の鋭さがすごいんだ。トータルで見ると森での戦闘力はウッドエルフもエルフもとんとんといったところかな。
「にしても、お兄ちゃんもちゃんと貴族してるのね」
「そうであろう?」
兄が得意げに胸を張る。さっきの傷ついた顔はどこに行ったのか。
そんなことを話していると馬車が止まった。冒険者ギルドに着いたらしい。
「リューンフォート貴族、ローバッハ=ルン=ノゥダ男爵がお越しである。皆の者、控えよ」
馬車の外でそんな声が聞こえてきた。貴族が平民の前に姿を現すときにはこうして名乗りが必要なんだってさ。
ちなみにルン=ノゥダとはあたしたちエルフの森にある神樹の名前だ。エルフは家名を持たないから、部族の名前としてルン=ノゥダを名乗っている。
戸が開くと、まず兄が降りた。そしてあたしに手を差し伸べてくれる。
うわぁ……いるいる。
3階建ての建物の前、跪いて頭を垂れているギルド長は50歳前後の男性だ。職員たちが30人くらいずらりと並んで、同じように跪いていた。
それらを遠巻きにしているのは町民であり、冒険者もちらほらいる。
「うわ、貴族のお嬢様だ」
「すっげーキレイ……」
「エルフ?」
そんな声が聞こえてくるけど、あたしは黙殺する。ヴェールで顔を隠しているとはいえこの間は普段着で街をうろついていたからね。あたしたちに気づく人がいたら困る。
続いてリンダも兄のエスコートで馬車を降りてくる。衆目を集めないように、さっさと建物内に移動した。
あたしたちが通されたのは厳重な魔法封印が施されているギルド長の部屋だった。これほど厳重に封印しなくちゃいけないなにかがあるのかと思ったけど、入ってみれば執務机と応接セットがあるだけのこぢんまりとした部屋だ。
ただ窓はふさがっていて、室内は魔導ランプが灯っている。
そう言えば壊されたっていう執務エリアも見てないから、事前の情報がなければここがゴーレムに襲撃された場所だとは思わないよね。これもメンツってヤツなのかな?
「お口に合うかはわかりませんが……」
と勧められたお茶をすする。うん、マズイ。これなら森の奥でリュードの葉に溜まった雨露を飲む方がおいしい。のどごしがさわやかで、すぅって身体がすっきりするんだ。
「ゴーレムを見せてくれ」
一口お茶をすすって顔をしかめた兄はさっさと話を進める。お茶が気に入られなかったとわかったギルド長は焦ったように、
「ここへ、破片を持ってきてくれ」
部屋にいた職員に命じる。
すぐに職員は、ひとりの冒険者にトレイを持たせて戻ってきた。
青い髪に目、小柄な冒険者だけど——すごく魔法適性が高いことがわかった。人間にしては珍しいほど。
「……彼は?」
トレイに載ったゴーレムの破片よりも先に、兄もまたあたしと同じように冒険者が気になったみたいだ。
「特級冒険者のアルスでございます。高位冒険者としてリューンフォートを中心に活躍していましてな」
リューンフォート冒険者ギルドの価値を高めるように気を遣った言い方なんだけど、そもそもそんなにすごい冒険者がいるならゴーレムだって瞬殺じゃないのか、とあたしなんかは思ってしまう。
「なかなか魔法が使えるようだが? アルスが調べればいいのではないか」
兄が水を向けると、アルスという冒険者は、
「僕は攻撃魔法ばっかりでね。探知は得意じゃないんだ」
「アルス! なんという言葉使いをするのだ!!」
平民のアルスが勝手に答えるとギルド長が目を剥いた。
しかしアルスはこたえた様子もなく、肩をすくめただけだった。
「……ふむ」
兄はそれだけでアルスへの興味を失ったのか、テーブルに置かれたトレイを見る。
こぶし大の大きさの岩石が置かれている。かすかに魔力が残っているのをあたしも感じる。
「4日経つとさすがに痕跡はほとんど残っておらん。しかも何人もの人間が触っただろう? そのせいで魔力に混濁がある」
「そ、それは……」
うろたえたようにギルド長が目をさまよわせると、横の職員が口を挟んだ。
「冒険者アルスがそれを指摘し、その後は直接手を触れることなくこのように運搬にも魔力伝導率の低い合金のトレイを使うようにしております」
またアルスが肩をすくめた。当たり前だろ、そんなの、という顔だ。うんうん、当たり前なんだよねえ。
「まあ、いい。できる範囲で探知してみよう」
兄は言うと、右手を差し出した。
「『吾がとぶらいに応えよ風精霊』」
おっ、本気モードの精霊召喚だ。エルフの古語によってささやかれた呼び声が、精霊を引き寄せる。魔導ランプが魔力の余波を食ってちかちかと明滅する。こうして精霊を召喚すると周囲に魔力が満ちるのでマジックアイテムに干渉するんだよね。
あわてたようなギルド長と、まったく動じた様子のないアルスの組み合わせが面白い。ひょっとしたらアルスはエルフと冒険をしたことがあるのかな?
兄の魔力によって呼び寄せられた風精霊は、ミニスカートのかわいらしい少女だ。大きさは猫よりも小さい。兄やあたしにはよく見えるけど、精霊魔法に適性がないと見ることすらできない。リンダは、なんとなく空気の揺らぎで存在がわかるとか言っていたけど。
「このゴーレムの破片に残った魔力、これを持つ者を探している」
兄の言葉にシルフは鼻を寄せてくんくんと破片のにおいをかいでいる。ん〜? という感じであごに指を当て首をかしげる。……おかしいな。いつもならもっとはっきりとした反応を示すのに。
シルフは困ったように笑った。
『————この魔力ね、感じ取れる場所が多すぎるわ————』
彼女の言った言葉に、今度はあたしたちが首をかしげる番だった。
「感じ取れる場所が多すぎる? どういうことだね、それは……」
『————ごめんね、森の民。ここはちょっと居心地が悪いの。またね————」
すぅ……と空気に溶けるように彼女の姿が消えると、魔導ランプの明かりが元に戻った。
「…………」
兄がしかつめらしい顔で腕を組んでいる。
なんだか、変な反応だったな。
「この町の広範囲に影響を及ぼしているってことじゃないのかな? その、ゴーレムの召喚主は」
「アルス!? なにを言っているのだ!」
いきなり口を開いたアルスにギルド長はまたヒステリックな声を上げた。兄の視線がひたとアルスに当てられた。
「……君は、風精霊の声を聞いたのかね」
「ま、聞こえたというか、そんな意志が伝わってきたというか。その後にあなたたちにだけ伝えたメッセージはわかりませんけどね」
「ふむ」
あたしもびっくりした。このアルスは、精霊魔法に適性が高いのだ。人間にしては珍しい。
「広範囲に影響を及ぼすような魔法に心当たりはないか、ギルド長」
「…………」
心なしかギルド長の顔色が青ざめているように見える。貴族を前にして緊張しているのか、あるいは別の理由なのか。
「……私は魔法に詳しくありませんので、わかりかねます」
「そうか。ならばこちらで独自に調べようか」
「いえ、それには及びません! ここまで調べていただけた以上は冒険者ギルドが調査します。お手を煩わせてしまって申し訳ありませんでした」
「そうか? ならばよい。——ゆくぞ、ファナ、リンダ」
兄が立ち上がる。もう、兄はこのゴーレムの破片にも、冒険者ギルドにも興味を失っているようだった。まあ、あたしたちエルフからしたら人間のやっていることなんてどうでもいいよね。これがあたしたちの森に関係することなら調査の手を緩めることなんてないんだけど。
でも——あたしはちょっと気になることがあった。
広範囲に及ぶ魔法。
ゴーレムの召喚。
荒唐無稽かもしれないけれど、ひとつの仮説を思いついてしまったのだ。
「ローバッハ様、わたくしひとつ思いついたのですが、この召喚主はもしかしたら——」
ダンジョンマスターでは?
と言おうとしたとき、あたしの腕がそっと引かれた。リンダだ。
彼女は首を左右に小さく振った。
……なに? 言うなってこと?
「ファナ、それ以上は言わなくてよい。あとは冒険者ギルドが調べると言っているのだ」
「そ、そうでございます。これ以上は畏れ多いことです」
なぜだかギルド長までがかしこまっている。
ふーん? なんかありそうだね?
あたしは「言うな」という態度を示したリンダを見て、胡乱な者を見るような目でギルド長を観察しているアルスに目を留め、
「わかりました。では参りましょう」
若干後ろ髪を引かれながらも冒険者ギルドを後にした。
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*冒険者ギルド*
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冒険者ギルド長であるダグラスは、革張りの執務イスにゆっくりを身体を沈めると、深々と息を吐いた。眉間に寄った皺をもみほぐしつつつぶやく。
「……危なかった。来たのが人間に興味のないエルフで助かった」
部屋の扉がノックされ、ギルド職員のひとりがやってくる。
「ギルド長、これからの段取りですが——冒険者に向けて調査依頼を出しますか?」
「ああ。体面上はやっておく必要があるだろう。探知魔法、あるいは魔法を探知できるマジックアイテム所持を受諾条件としておけ。これで誰も受諾できないからな」
「承知しました。——しかし、焦りましたね」
「まったくだ……」
事情を知っている数少ない職員を前に、ダグラスは気を許して口を開いてしまう。
「我々の仕掛けているマジックアイテムを探知された可能性が高いな。私を始め、君らもあのゴーレムに触るべきではなかったということだ。探知魔法は恐ろしいな……我々の微弱な魔力からそこまで知られてしまうとは」
「やはり計画の一端を見抜かれた、ということなのでしょうか?」
「当然だ。この街の広範囲に渡って広がっている魔力など、あのマジックアイテムしかあるまい。他の何者かが広範囲に魔力の網を張っているなどというのはナンセンスだ」
あちこちの建物を占領されダンジョンが街の地下に根を張っていることをダグラスは知らない。
それゆえに、エルフの探知魔法が見つけたのは自分たちに関わるものだと勘違いしていた。
「ともかく、この件はこれで終わりだ。計画が始まるまでに露見させるわけにはいかん」
「しかしゴーレムはどうしましょうか? 我々の計画を知る何者かが仕掛けたわけでしょう? ギルド内に忍び込んだ者がいたのは確実ですし……」
「計画はあと1月程度で実行される。それまで、秘密を守れればよい。今まで以上の結界を張ることは現実的ではない」
「わかりました。……やはり先日、レゲットとロージーをクビにした件となにか関係があるのでしょうか? ロージーは、ゴーレム襲撃の日にギルドに来ていたという話があります」
「ロージーが? だがあれはただの調査員だ、なにもできないだろう」
「それはそうですが、念には念をという言葉もあります」
「ふむ」
用心に用心を積み重ね、前領主失脚時の政変にもぎりぎりで巻き込まれず、ギルド長という地位を堅守しているダグラスは「それもそうだな」と思った。
「レゲットは貴族の血を引いているから、そこからなにかされたかもしれないが……しかし、ロージーか。ふたりを調べておけ。計画に邪魔であれば排除しろ」
「はい」
ギルド職員は一礼すると去っていった。
「リューンフォート公はマークスバーグ様にこそふさわしいのだ……誰にも邪魔はさせん。たとえ貴族であろうと、エルフであろうとな」
異様な光を灯した目で、ダグラスは中空をにらんでいた。
妹以外に興味のないお兄ちゃんエルフです。人間の争いとか心底どうでもいいのでしょう。それでもしっかり執務をこなしているのは「こんなこともできない兄と妹から思われたくない」という思いから。