第33話 異世界合コン恋物語
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*ルンゴ*
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薄暗い階段を真っ先に降りていったのはアイシャだった。「なにがあるんだろうね!」とウキウキした心を隠そうともしないで。
「おいおい、まさかルンゴにあんな可愛い女の子の知り合いがいるとはな」
モーズもまたウキウキを隠そうともしていない。
「ほら、お前らどけ。ゾラちゃんが通れないだろ」
ヤッコはヤッコで自分が声をかけた材木問屋の娘であるゾラの前でいいところを見せようと張り切っている。どこで見つけてきたのか、10年前くらいに流行したびらびらしたジャケットを羽織って。
「えー、こんな暗いところなんて聞いてないんだけど?」
そのゾラはぷっくりとした唇を震わせて不快感を表す。
全体的にふくよかな感じの彼女は、きっとそこそこいいものを食べて育っているのだろう。材木問屋は結構儲かっているのだ。
「ねね、ここヤバくない? ゆーれー出るってあたし聞いてんだけど」
「マジ? ヤバイね。家貸しの情報マジヤバイ」
ちゃらいしゃべり口調なのはモーズが誘ったふたりだ。
家貸し——不動産屋で働くメイと、モーズの妹の友だちであるジェイだった。
ちなみにメイのほうは童顔に似合わず胸が大きくて、見ているとニヘラとしてしまうルンゴである。
「まあまあ、とりあえず入るだけ入ってみようよ。彼、お金は持ってるみたいだから変なことにはならないよ」
いつもよりずっと柔らかい口調でモーズが言うと「お金持ちとかやばーい」とヤバイ口調で喜ぶふたり。
とりあえず、アイシャを追おう。
ルンゴはとんとんとんと軽快に階段を降りる。
……俺も、なんか変わった服でも来てくればよかったかな。
中に入ると——やたらぴかぴかの通路が待っていた。
一瞬、ふわっと身体が浮くような妙な感覚があったけれど、自分の手を見ても特に変化はない。
暗いな、と思ったのも一瞬だ。廊下はほんのりと明るい。
「不思議だね」
すぐそこにアイシャがいた。おかしいな、階段を降りてすぐのときには見えなかったのに……。
「ねえ、ルンゴ。ランプもロウソクもないのに、明るいよここ」
「そう言われるとそうだな」
壁自体が発光しているように感じられる。
足下はきっちりとタイルを埋め込んだようになっていて、つるりとした壁がアーチを描くように廊下を造っている。
「お。こんなところにいたのか。ゾラちゃんが通れないだろ。さっさと行け」
後ろからやってきたヤッコに背中をどつかれる。
ん、今、湧いて出てきたように感じたけど——。
まあ、ここに留まっていても仕方がないのは確かだ。
10メートルほどの通路を抜けると、テーブルが4つほど並んでいた。
足下はタイルのまま。壁面には飾り棚があり、あまり見覚えのない動物の像が置かれている。金属製のようだ。暖炉もあるが、火は入っていない。
外は肌寒いくらいだったがここは暖かい。
さらに奥へと続く扉がある。厨房が客席に面しているわけではないようだ。奥から食事を運ぶのだろう。
っていうか……ここ、明らかにふだん俺たちが使う店とは違う。商人でも大店の商人が使うような店じゃないのか——。
アイシャの表情も心なしか冴えない。無料でいい、と言われているものの、食べるだけ食べてから料金を請求されたらどうしよう。
「とりあえずこのテーブルを使おうか」
アイシャよりも、モーズよりも、ヤッコよりも、誰よりもウキウキした様子のユウがぺしぺしとテーブルを叩いた。
そのテーブルはかなり凝った石材でできており、テーブルの脚にまで彫刻がなされていた。
「あ、あの、ユウ。今日ってほんとうにタダでいいのか?」
「うん、もちろん。女性陣はそちらに座って! 男どもはこっち! こっちこっち!」
ルンゴの問いに即答したユウ。多少は安心したが、まだ警戒はしておいたほうがいいだろう。
生き生きと仕切りだしたユウに言われるままに、4人が座る。
奥からユウ、モーズ、ヤッコ、ルンゴ。
反対は、メイ、ジェイ、ゾラ、アイシャの順だ。
「はいはいはーい、それじゃ飲み物なににするー?」
奥から給仕がやってくる。給仕は銀に輝くマスクをしていてぎょっとする。目元と鼻までが隠れているものだ。マスク以外は特に不審な点はない。
ユウの言葉に全員きょとんとなる。
「じゃ、とりあえず全員ビールにしとく?」
と言われるとさらにきょとんとなる。
給仕がユウの耳元でなにかを囁く。するとユウが「お、女は酒を飲まない……だと……」と驚愕に満ちた顔をする。
「あの、ほんとのほんとのほんとに今日は無料でいいの?」
アイシャが不意に質問をした。驚愕からすぐに復活したユウがにこやかに、
「うん、もちろんだよ〜」
不気味な猫なで声で言う。これは確かに誰かを騙そうとする声だ。
「でも……あたし、こんなところで食事できるマナーとか全然わかんないんだけど」
「あたしも」
「うちも」
「ヤバイ」
アイシャの声に賛同する女性陣。ルンゴとて同じだ。
「あ、マナーとか全然気にしないで。今日はとりあえず盛り上がろう」
ユウはそう言うが、ユウの目的がなんなのかわからないので不安になるルンゴたちである。
男はビール、女は果実ジュースという組み合わせになった。
飲み物が運ばれてきてルンゴは目を瞠る。
ビールのコップも、ジュースのコップも、見たことがないほど精巧な装飾がなされている銀のコップだった。ぴかぴかに銀色の光を放っている。
「じゃ、乾杯ー!」
もしかしなくとも銀食器だ……そう思うと乾杯どころではない。ユウががっつんがっつんコップをぶつけてくるが、食器が壊れたらどうするのか。弁償しろと言われてもこれほどの食器がいくらするのかルンゴは見当もつかない。そっと唇だけ湿らせてすぐにコップを下ろす。そうしたのはルンゴだけでなく他のメンバーもみんなそうだった。
「おいおいヤッコ〜。こないだの飲みっぷりはどうしたんだよ? こいつったらさ〜、俺が頼んでるのに横からビール奪ってガンガン飲んでるんだぜ」
銅製のコップと銀食器をいっしょにするな! と叫びたいところである。
「それが今日の飲み方ときたら……ぷぷっ、お嬢様かっつーの!」
モーズを挟むのでヤッコには手が届かないからだろう、ユウはモーズの肩をドンと押してモーズ越しにヤッコへと攻撃を仕掛ける。だがモーズはそれどころではない。ちょうどコップを下ろそうとしていたところだから、倒しそうになり、「ひっ」という声とともにあわてて両手でこれを支える。
「お、お、お、お嬢様だと……俺が!?」
「おお、その意気だよヤッコ。飲もうぜ!」
腰を浮かせたユウがモーズの頭越しにコップを差し出すと、安い挑発に乗ったヤッコが目を血走らせてガチンとコップをぶつける。そんなに勢いよくぶつけたらコップが傷ついてしまう——と青い顔で見つめる女性陣とルンゴ。
「ぷは〜〜うまい!」
「ふぅっ」
ユウが美味しそうに飲み干すと、ヤッコもまたビールを飲み干したところだった。ユウがテーブルにあった呼び鈴をちりりんと鳴らすと、奥から給仕がやってくる。
「ルー! ビール2杯追加で。あと食事も始めて」
「かしこまりました」
給仕がビールを運んでくる。
「今日は飲むぞー!」
「チッ」
またもモーズの頭越しにガチンと銀食器がぶつかる。そしてビールを飲み干すふたり。
「ぷは〜〜!」
「ふぅっ」
おかしい。ビールを飲んでいるヤッコがどんどん青ざめて、目が据わっていく。
「それじゃー、自己紹介始めようか! まずは言い出しっぺの俺からだな。俺はユウ、商人なんだ。ここでリューンフォートで新しい商売ができないかっていろいろ模索中の独身男! 恋も模索中〜〜〜!」
てへっ、なんて言ってしめくくったが、誰もにこりともしなかった。
「じゃ、次はモーズ!」
「おおお俺!?」
「なんだよモーズ〜。飲みが足りないんじゃないの〜? はい! モーズさんの、ちょっといいとこ見てみたい!」
謎のメロディとともにユウが手拍子をし始めた。
「はい! 一気一気一気一気〜」
「うえええ!? 一気!?」
「一気……一気……一気……一気……」
「ヤッコまで!?」
ヤッコが手拍子に乗っかってくる。これは悪酔いするときのヤッコだとルンゴはすぐに気がついた。納品した家具に致命的な不具合があって親方に「もうお前に期待するのは止めた」と言われた夜、ヤッコはこんな目をしていた。それが親方なりの喝の入れ方なのだとわかるまでヤッコはかなり腐っていた。
「う……うう!」
モーズはビールを一気飲みした。手の甲で口元をぬぐう。
「飲まなきゃやってらんねえ! なんだこれ! 俺はモーズ、家具職人だ!」
「あっははは」
ユウだけが笑っている。いや、ヤッコもひっそりと口元だけで笑っていた。
ルンゴは背筋が冷たくなる。
「俺はヤッコ……家具職人だ」
「おいおいヤッコも家具職人かよ〜! ルーカ……じゃなかった、ルー、ビール追加で」
料理の皿を持ってきた給仕に注文するユウ。
「で、男性陣最後は〜〜〜?」
「あ……えっと、ルンゴです。家具職人です」
「って全員家具職人かーい!」
大声で言ったユウが「たはー」と手のひらを額に当てたけれども、
「え? え?」
ルンゴはまごつくだけだった。
凍てつくような白けた空気が降りてきた。
「……じゃ、次はこっちの自己紹介ね」
その空気を破ったのはなんとアイシャだった。
「あたしアイシャっていうんだけど……ユウ、だっけ? あなたに質問があるんだけど」
「はいはいはーい! 質問大歓迎!」
息を吹き返したように喜ぶユウ。
「これはなに?」
アイシャが指したのは給仕が運んできた料理だった。
陶器製の皿——幸いなことに陶器製の皿は脂で満ちていた。
「なに、ってアイシャ……モツだろう?」
言ったルンゴは、食器も陶器だし、入っているブツの形状からするに食べ慣れているモツだろうとそこは安心していたのだ。
「違うわよ、ルンゴ。これはもしかして……エビじゃない?」
「エビ?」
聞いたことのない食材にルンゴが眉をしかめると、こともなげにユウが、
「そう、エビだよ」
「エビを……食べていいの?」
「もちろん」
アイシャが「信じられない」とつぶやくのが聞こえた。なにがだよ、とルンゴが囁くと、
「……エビって海でしか獲れないのよ。乾物じゃないエビだったら銀貨5枚以上の値段がつくわよ」
「銀貨ごっ……!?」
変な声が出てしまった。
「ヤバイ」
「マジヤバイ」
聞こえていたらしいメイとジェイは、気後れ状態から今度は、腹を空かせたような目をした。高い食材でも食べていいとなると興味が出てきたのだろう。
アイシャが「ま、食べろって言ったのは向こうだし」とフォークを手に取る。ルンゴが止める間もない。ぷつっ、とフォークでエビを刺すと、口に放り込んだ。
「んん〜〜〜〜おいしい!」
「えぇ……」
げんなりするルンゴは、このエビとやらが脂まみれなのが気にくわない。ブタか牛かわからないが、こんなに脂ぎっていたら腹がごろごろするんじゃないのか。
「質問!」
「はい、アイシャちゃん!」
会話が生まれたことを喜んだユウが嬉々としてアイシャを指す。自己紹介はもう終わりなのだろうか。
「これ……なんの脂使ってるの? すごくさっぱりしてる」
さっぱりしている? ほんとかよ……。
ルンゴは半信半疑でフォークを手にし、エビを刺した。
「ああ、こっちって『油で煮る』っていう料理がないみたいだな。俺もこのアヒージョが食べたくなってルーに聞いたら、知らないって言われてさ」
「そりゃあそうよ。『脂』で煮たら臭いしどろっとしてるし大変でしょう。だからなんの脂なのかなって」
エビを鼻先に持ってくる。ニンニクとの香りがふわっと鼻を突く。動物臭さはない。これは食欲をそそる。ごくり、と思わずつばを呑んだルンゴはエビを口に放り込んだ。
「ああ、ローシ油だよ」
「ぶほっ」
予想外の回答にルンゴの口からエビが飛びだし、アイシャの右目にべちゃっと当たった。
「なななにするのよ!?」
「ちょっと待って、ローシ油ってあのローシ油かよ!? ローシの実から取るあれか!? あれって髪の毛につけたりするやつだろ!?」
数滴で銀貨1枚する高級油であるローシ油は——いわばオリーブオイルだ。オリーブによく似た植物がこちらの世界にもあり、これはローシと呼ばれている。オリーブよりも一回り小さく、白と青のマーブルカラーである。
数が採れないので高級品として扱われている。
「いやいや、ローシは食べた方がいいんだって。絶対美味いから」
ユウはそう言ってエビをぱくぱく食べている。
ルンゴは皿を見下ろす。この料理だけでいくらするんだろう……。恐ろしくなったのは他のメンバーも同じで、モーズなどは食べようとしたまま凍りついている。
「……食わねえのか、モーズ。貸せ」
「あっ!」
ヤッコはモーズからフォークを奪い取るとエビを食った。
「ああっ、うめえ! うめえよ確かに、お前の言うとおりだ、ユウ。食った方が絶対美味い」
「お、おい、ヤッコ……」
「俺は食うぞ! ここは全部タダなんだ、そうだろ、ユウ!」
だからさっきからそう言ってるじゃん、とユウが呆れたような顔をする。
「だったら食わないほうがもったいねえ! おい給仕、ビールのおかわりだ!」
「おー! ヤッコ、のってきたじゃん! ルー、俺もビール」
ヤッコがすごい勢いでエビを食べ始めると、その勢いに押されたように、
「そ、そうだね……残すくらいなら食べた方が」
「マジ? マジ食べちゃうのこれ?」
「食べちゃおっか。ヤバくない?」
「あたしもたべようっと。……ルンゴはこのエビも責任もって食べなさい」
アイシャに、噴き出したエビを突っ返された。
改めてルンゴはエビを食べてみる。ぷりっとした食感に、ニンニクの香り。マッシュルームによく似たキノコもいっしょに煮られていて、その香りがしっかりとついている。
「うま……」
しかもビールによく合う。ぐぐいとビールを飲み干すとルンゴもおかわりを要求した。
食が進むと酒も進む。酒が進むと興が乗ってくる。会話の歯車が廻り始め、ぐるぐると回転していく。
「え、それでそれで、ゾラちゃんはモーズたちの工房と仕事でつながりがあるわけ〜?」
「そうなんだよね。ま、ちょっとうちの材木を使ってもらってるだけなんだけど。うちの木は品質も一流だしね?」
ちらっ、とゾラがルンゴを見てくる。ここは褒めておかねばいけないところらしい。
「うん、ゾラちゃんのところの木は使いやすいよ」
「でしょーっ!?」
すると喜色満面という顔でゾラが乗ってくる。
「あ、あのぉ、ルンゴさんって——」
「そうなんだよ! ゾラちゃんところの木がいちばん! この国でいちばんだ!」
横からずいぃっとヤッコが割り込んでくる。
唐突に肘打ちをヤッコから食らったルンゴは「ふご!?」と涙目になったが、ヤッコに軽くにらまれる。……あ、ヤッコさんはゾラちゃん狙いでしたものね、はいはい、と空気を読んでヤッコに話を譲ろうとすると、
「いやちょっとあたしヤッコに話聞いてないから。今ルンゴさんに聞いてるから」
「ルンゴなんかより俺のほうがゾラちゃんの木のことはよくわかってるって!」
「木のことはもういいの。あたしが聞きたいのはルンゴさんのこと」
「ルンゴのことだったら工房で俺がいちばん知ってる!」
なんだ、なんだなんだ。話が噛み合わなくなってきた。
焦ってモーズにヘルプを求めようとそちらに視線を投げたが、
「ヤバイ」
「マジそれ?」
「ちょっとユウ、話盛りすぎっしょ」
「マジだってほんとマジこれ」
あちらはあちらで4人で盛り上がっている。ヤバイ。マジヤバイ。メイちゃんは俺もちょっと気になってたのに……。
「…………」
「ひっ」
視線を戻すとアイシャがじとりとした目でルンゴを見据えていた。
「な、なんだよアイシャ」
「べっつに〜?」
「別にってなんだよ別にって」
ビールを飲んでいることもあって感情がすぐに揺れる。イラッとして声にトゲが混じると、
「ねね、ルンゴさんってぇ〜、今いい人いるの?」
アイシャの横からゾラが聞いてくる。
「え? 俺? 俺はいないけど……」
いるのはそっちだよな、アイシャ。
と、アイシャに視線を送っているルンゴを見たヤッコが、
「いない? ほんとか? アイシャちゃんだっけ、彼女はどうなんだよ。工房まで会いに来るような相手だろ?」
「は……はぁ!? 違うし! アイシャなんかがそんなわけないだろ!」
「アイシャなんかってどういう言い方よ! ルンゴなんかのくせに!」
「ちょっ、なんでお前が噛みついてくるんだよ」
「あたしの話なんだから当たり前でしょ」
「ねね、ふたりが全然なんでもないんだったら、あたし、ルンゴさんの彼女になっても〜」
「ちょちょちょちょっと待った! おいルンゴ! てめえ、あちこちにちょっかいだそうとしてんじゃねーぞ!」
「ちょっかいなんて出してない! こいつが勝手に言ってるだけだ!」
「ゾラちゃんをこいつ呼ばわりだと!? てめえ何様のつもりだ!」
「ちがっ、俺が言いたいのはゾラちゃんじゃなくて——」
4人が4人勝手に話すので会話がしっちゃかめっちゃかになる。
ただしアルコールが入っているのでヒートアップするのは確かなことで、
「ああ!? はっきりしろ、しなびたニンジン野郎が!」
「おい、ヤッコだって言っていいことと悪いことがあるぞ!」
ヤッコの言う「しなびたニンジン」は最大級の罵倒だ。ニンジンとはもちろん男の両足の間にある三本目の足のことである。
「お? 言って悪いこと言ったらどうなるっつーんだよ?」
がたんと音を立ててヤッコが立ち上がり、負けじとルンゴが立ち上がる。
不穏な空気を感じ取ったのだろう、ユウがふたりの間にするりと入り込んでくる。
「はい! ここまで〜。はいはいはい。お酒入ってちょっと熱くなっちゃったかな〜。ふたりとも落ち着いて、ね? 飲み直し——げふっ」
仲裁しようとしたユウは、思いっきりヤッコに殴られて転がる。
「こんなんで飲み直しなんてできるか! けったくそ悪い。てめえの顔なんざもう見たくもねえ」
言葉は威勢がよいが、殴ったユウの吹っ飛びっぷりが思っていた以上だったのだろう、ヤッコの声音には動揺が感じられる。
逃げるようにヤッコが出て行くと、
「……あたしも、帰る」
「おい、アイシャ!」
アイシャも立ち上がって外に出ていく。あわててルンゴが追った。
「アイシャ、待てよ。ひとりじゃ危ないだろうが、こんな時間に」
「別に。仕事が遅いときはこのくらいになることだってあるもん」
ふたりは大通りを歩いていた。
時刻は夜の7時半といったところ。まだまだ宵の口ではあるが通常の商店は閉まっている。居酒屋や食事処から明かりと喧噪が漏れているが、通りを歩く人影はめっきり減っていた。
アイシャの言葉を聞いて、マジかよ、とルンゴは思う。
暗くなってからの女の一人歩きはほんとうに危険だ。人さらいだっていないわけじゃない。なによりアイシャは——美人だ。彼女みたいな女がひとりで歩いていたら男に声をかけられるだろう。
「……あ、そうか」
アイシャの3歩後ろを歩きながらルンゴは納得する。
「なにが、あ、そうか、よ」
「いや、アイシャにはちゃんと送り迎えしてくれる人がいるんだもんな。ふだんは安心ってわけだろ? 今日は、その代わり俺が家まで送るから」
「……いない」
「ん、なに?」
「いないわよ。そんな、送り迎えしてくれる人なんて」
「えっ!? なんだよその彼氏。ひでーな」
ルンゴは勝手に憤慨する。
「ひどい……? ルンゴにもし彼女がいたらどうするのよ」
「俺にもし美人の恋人がいて、もし帰りが遅いことがあるとわかっていたら、俺なら絶対に家まで送り届けてやる。当たり前だろ」
「美人!?」
「あ——」
思わず言ってしまった。
立ち止まったアイシャが振り返ってルンゴを見る。
「美人、ってあたしのこと?」
「あ、えーと、その、なんだ……」
彼女から顔を逸らして頬をぽりぽりかく。
顔が熱いのは酒を呑んだせいだけではない。
「……アイシャは、美人になったよ。見違えた」
ぽつりと言うと、驚いたような顔から一転して、
「んふふ〜〜むふふふふ」
「な、なんだよ」
「うふふふふふ」
花が開くような笑顔をアイシャは見せた。
「いない、ってさっき言ったの、違う意味だよ」
歩き出したアイシャが言う。
「違う意味? 彼氏が送ってくれないってことじゃないのか?」
ルンゴも追いかける。
「彼氏なんて、そもそもいない……ってこと」
「…………は?」
いやいやいや、確かに母ちゃんはそう言ったはずだ。アイシャだって否定しなかった。
「面倒なの。いろんな人から『いい人はいないの?』って言われるのが。そういう年齢だからしょうがないのはわかるんだけど、単に話の種にしたいから聞かれることが多くて。だからウソついた」
横に並んだルンゴに、ぺろりと舌を出して見せた。
「……そうだったのか」
アイシャは独り身だ。恋人もいない。それなら——自分と同じ立場だ。
誘いに行ったときに感じた劣等感がきれいさっぱりなくなって、ルンゴは思わず笑みをこぼす。
「ねえ、ルンゴ。あたしに恋人がいないってわかって……うれしい?」
「おう!」
「ほんと?」
「ほんとだ!」
なんだよ、俺と同じじゃねーかよ。わははは。
気が大きくなっていると、アイシャは頬をわずかに染めて、
「そ、それじゃあ、あたしが夜遅いときには家に送る仕事をルンゴにはやらせてあげるわ」
「……え?」
「だったら住み込みは面倒だろうし、一度家に戻ったら? お母さんも喜ぶんじゃない?」
「え? なんで? どうしてそうなるんだよ」
「なによ……困るわけ?」
「そりゃそうだろ。だって俺、ふだんは毎日モーズとヤッコと3人で飲みに行くんだし」
ヤッコはあんなふうに怒りっぽいが、明日になって酔いが醒めると「昨日はごめんな……」と謝ってくる可愛いところがある。きっと明日も飲みに行く。
「今言ったじゃない! 夜道が危ないから送り迎えするって!」
「そりゃあ、そういうかわいい彼女ができたら——」
「あたしはかわいくないってわけ!?」
「そうは言ってない——ってなに怒ってんだよ!」
「もう知らない!」
「待て、アイシャ、早いって、待てって!」
ふたりの言葉はすれ違いを繰り返し、くっついたり離れたりしながら下町へと帰っていった——。
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*リオネル*
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「あれ、ボス。お帰りなさい。どうしたんです? 出がけには『今日は帰らないかもしれないぞ。いよいよ朝帰りを決めるかもしれないからな』って鼻息荒く出て行ったのに、まだまだ宵の口ですよ」
本日の営業を終えたスケルトンたちとしゃれこうべキャッチボールをしていたリオネルは、よろめくように戻ってきた主に気がついた。
主は頬を押さえていて、迷宮司令室のテーブルにたどり着くと、さめざめと泣き出した。
「……もう、俺、合コンなんてしない……この世界、暴力に訴えるのが早すぎるよ……」
合コンというものがわからないリオネルは、こてん、と首を横にかしげるだけだった。
にぶちんルンゴの恋物語。今回で終わらせようと思ったら結構長くなってしまった。
給仕のルーはもちろんルーカスです。
それにしても合コンっていい思い出が全然ないんですけどどうしてやるんですかね。世の中には合コンをエンジョイしている剛の者もいるのでしょうか……。