第2話 どうやら俺の生物学上の分類は「迷宮主」と言うらしい
「ん……んう…………」
頭の中心が重い。寝過ぎた感がある。
ああ、そうだ。「ラビリンス」の公式サイトの仕事で、ここんとこ半分徹夜が続いてたんだよな……。
「あーあ。よく寝た……」
身体をむっくり起こす。寒くないけど、背中がちょっと痛い。……痛い? あれ、なんか背中からぱらぱらと土が落ちていくんだが……。
あれ?
俺、裸じゃん!?
な、な、なん、なんで!?
ていうかええと、ここどこ――。
土の上に寝ていたみたいだ。
目の前1メートルに、土の壁。
右も後ろも土の壁。
左に……出口。
「洞穴……?」
高さ2メートル、奥行き5メートル、幅3メートルほどの洞穴に俺はいた。
裸で。
「? ?? ???」
記憶が混濁する。
ええと、俺、なにしてた? 飲み過ぎて誰かにここに連れてこられた? いや、あれ? 俺、会社にいなかったっけ? それで、テレビがテロリストがなんとかって言ってて……窓ガラスが割れて……。
窓ガラスが、割れた?
どうして?
テロリストの放った――。
「……俺、もしかして死んだ?」
頭の隅に「転生したのか? 記憶持ったまま転生っていうやつ」という思いが湧いたが、あり得ねえよな。とりあえず、なにより、
「……服、どうにかしねぇと」
俺はそろそろと立ち上がる。土をはたく。幸い、寒さはまったく感じない。むしろ心地いい。朝、布団の中でまどろんでいるときだってこんなに快適ってことはないほどだ。
両手で股間を隠す。それくらいの恥じらいはあるぞ。若干内股になりながら洞穴の出口へと向かう。
「わ……」
木漏れ日……どうやらここは森の中みたいだ。
めっちゃ深い森だ。
垂れ下がるツタで、洞穴の入口はカムフラージュされている。
夢でも見てんのか、俺?
いや……それにしてはリアルすぎる。
「ま、いいか。とりあえずここを出て――」
……あれ?
脚が、前に進まない。
見えない壁によって阻まれてるみたいな。
斜めに入ってきている太陽の光は当たるけど、洞穴からは一歩も出られないという謎の状況。
「洞穴から出られないんだけど……なんでだ?」
俺は、ただの独り言としてつぶやいた。
いやさ。ひとり暮らしが長かったもんで、独り言がたまに出るんだよ。
もちろん返事を期待してるわけじゃない。
だから、
《ダンジョンから、迷宮主が出ることはできません》
って声が聞こえてきたときには心底びっくりした。
あわてて股間をびっちりと隠した。
「は? あ、あの、誰? どこにいる?」
しーん。
え?
「空耳か……? ダンジョンマスターとか言われた気がするけど……ダンジョンマスターってなんだ……?」
《ダンジョンマスターとは、ダンジョンを成長させる生物です》
また聞こえてきた! 今度は股間をばっちり隠してるから大丈夫ではあるんだが。
ていうか、この声――女の声。
聞いたことある。
「香世ちゃん、か……?」
しーん。
おい、シカトすんなっつうの。
俺は洞穴に戻った。洞穴をくまなく探すけど、香世ちゃんは隠れていなかった。
どっかと座って(股間は手で隠しつつ)あれこれと話しかけてみる。
すると――わかったことがあった。
まず声は、俺の頭の中に直接流れ込んでくる。ヤバイ病気じゃないかって思ったけど、一応理知的に考えられているので大丈夫くさい。いや、大丈夫だと信じたい俺の願望かもしれない。
それはさておく。
この声は、ダンジョンや、ダンジョンマスターなるものに関する質問にだけは答えてくれる。
俺のいるここが、何県何市にある何山なのかとか、全然教えてくれない。もしかしたら異世界かも? と思いつつもそういう情報も出てこない。
俺知ってる。WEB小説読んだから。
この声って鑑定くんだろ?
でも聞いたら、違った。
異世界ナビゲーターとか、なんでも教えてくれる鑑定くん的な存在じゃなかった。
わかったことを、整理する。
1.俺は「迷宮主」という生物らしい。
2.ダンジョンマスターは、ダンジョン……この洞穴から出られない。
3.ダンジョンマスターは、ダンジョンに入り込んできた有機物を消化することで成長できるらしい。
「…………」
寝転がって考える、俺。
認めたくない。
認めたくないけど……。
転生したようだ。
……見た目そのままだから転移かも?
うおおおおおん! なんでだよお。まだ親に孫の顔も見せてねえのに――あ、でも妹の春菜が去年結婚して今妊娠8カ月だから、その仕事は妹が果たしてくれるか……。
無駄にしょんぼりした。
いや、っつうかそれよりもなによりも。
「俺……童貞のまま死んだのか……」
大学を卒業して入り込んだ、広告代理店の子会社。
そこで、親会社の顔色ばっかり伺って10年。
32歳で白髪がぽつぽつ生えてきて、「はは、枯れてんな、俺」とか思ってたんだ。
それが……あんな死に方かよ。
「……いや、でも1つだけいいこともあったな」
俺は起き上がった。
「……香世ちゃん、買い出しに行ってたから、香世ちゃんは無事なはずだ」
愛くるしい笑顔の20歳。
若い命があたら散らされることもなく済んだのは、不幸中の幸いだと言って間違いないだろう。
「そんならそれでいいや。転生したのも運命みたいなもんだ。営業にへこへこするのも嫌気が差してたんだ……こっちの世界では、好き勝手に楽しく生きよう!」
俺は心に誓った。
まあ、好き勝手に出歩くこともできないんだけどな。
頭に響く声の主を、カヨちゃんと名付けた。
カヨちゃんはダンジョンマスターに関することだけ答えてくれる。ってことは、なんていうか、説明書みたいなものなのかもしれない。
あるいは、ダンジョンマスターという生命体が生きる上で、重要な情報を獲得する、生命体自身が持っている「機能」なのかも。
俺自身の声で聞こえてきたらちょっと頭おかしくなる自信あるぜ。
だから、そこも、うまいこと女の声になってるのかもな。
……俺の覚えている声のリソースって、最近話した女性ってカヨちゃんと、経理の佐川さん(52歳)くらいだからなあ。
佐川さんの声じゃなくてよかったとは思うよ。
「カヨちゃん、教えて欲しいんだけど。ダンジョンは拡張できるの?」
声に出さなくて、頭の中で話しかけるだけで声が帰ってくることにも気づいていたけど、なんかさ、しゃべらないでずっといると声って喉から出にくくなるじゃん? だから言葉にしてるんだ。
《できます》
「おおっ。それって、手で掘ったりってことかな?」
《それでも可能ですが、ダンジョンマスターは迷宮魔法を使うことができます》
めい、きゅう、まほう……だと……?
すごいじゃん!
魔法のある世界じゃん、ここ!
やっぱ日本じゃないな。異世界だな。
……いや、ひょっとして群馬県あたりにダンジョンがあったりするのかな? その辺の確認も今後していこう。夏に記録的な猛暑となれば群馬の可能性が高まる。
「迷宮魔法について詳しく」
《迷宮魔法はダンジョンマスターだけが使用できる魔法です。消費魔力に応じて強力な魔法を使うことができます》
「ふんわりしてるな……。えーと、今、俺が使える迷宮魔法は?」
《「空間精製」、「空間復元」、「平面整地」、「空間分解」、「空間抽斗」、「被覆」、「生体吸収」、「初級整形」、「召喚バット」、「召喚スライム」、「空腹無視」、「潜伏」、です》
多すぎィ!
1回で覚えられるわけないでしょうが!
それからカヨちゃんにいろいろ聞いて、魔法の内容を1個ずつ教えてもらった。
紙もないからさ、洞穴の地面に書いたよ。
棍棒になりそうな棒きれくらいはあったからな。
で、大きく分けると3種類の迷宮魔法があった。
ひとつは、迷宮を大きくしたり整えたりする魔法。
ひとつは、モンスターを召喚する魔法。
ひとつは、その他のいろいろな魔法だ。
いろいろな、とか言っちゃうとまたざっくりしてるけど、分類できないんだってば。
思えば、仕事でもさ、クライアントがどうでもいい要求だしてきて「その他」的なカテゴリーを作ってWEBページを大量に格納したよなあ……とかいうことを思い出した。
いやいや、WEBサイトのことは忘れよう。
少なくとも、俺の洞穴迷宮の公式WEBサイトを作ることになるまでは。
で、さらにカヨちゃんに聞いていくと、当たり前というか――避けては通れない問題にぶち当たった。
《ダンジョンは、ダンジョンマスターが死ぬことでその機能を失い、単なる構造物になります。天敵は冒険者であり、冒険者はダンジョンを見つけると危険を承知で乗り込んでくることが一般的です》
ダンジョンと言えば冒険者。でもって俺は、討伐される対象というわけだ。
で、一方のダンジョンはダンジョン内の有機物を消化して、力にするわけだろ?
俺が連想したのは食虫植物だな。ぱかーって口開けてニオイを出して、ハエが飛び込んでくるのを待ってるってヤツ。これってかなり真理に近いたとえだと思う。ね、カヨちゃん?
しーん。
ほんとさ……雑談ができないってツライわ……。
とりあえず俺は、迷宮魔法を1つずつ使ってみることにする。まずは空間精製だ。
「……我が迷宮主の名において命じる。空間の狭間に格納されよ、万の物よ! 空間精製!!」
《詠唱は必要ありません》
うおい! そこは突っ込むのかよ! 超恥ずかしくなってきたじゃねーか……一度言ってみたかっただけなのに……。
ちなみに「空間精製」と言う必要もないらしい。念じればいいとか。なにそれ便利。
ともかく空間精製の魔法のおかげで、壁の1メートル立方がごっそりと消えた。
文字通り、消えたんだ。
どうやら対象の空間にあるものをそっくり亜空間に収納する魔法らしい。
「えーと……これを戻すのは空間復元か」
するとまた、パッと元に戻った。すごいな。これが魔法か。
もう一度空間精製で消す。腰をかがめて入ってみる。ちゃんと入れる……。俺が入っていると空間復元は発動しない。
なるほど、面白いな。
よし、どれくらいまで消せるか進んでみよう。
というか隠れるスペースくらい作っておかなきゃな。なんせ俺は葉っぱひとつもない素っ裸マンだ。
……と思って進んでいったんだ。
これが、大失敗だった。
10歩くらい進んだところ、俺はいきなりぶっ倒れた。