第17話 商売人ルーカスと狂信者ルーカスとなんとかごまかす俺
「いらっしゃいませ。お1人様でしたら1人部屋で1泊銀貨12枚、相部屋で1泊銀貨8枚、雑魚寝の部屋でしたら1泊銀貨4枚となります」
「相部屋でいいや。両替もしてくれるんだろ?」
「はい、宿泊のお客様には手数料無料で行っております」
「そいつはありがてぇな。金貨が1枚ある。頼むよ」
「はい。——お客様、お部屋の説明をしましょうか」
「部屋の説明……ってなんだ?」
「ではこちらに」
ダンジョン外縁にオープンしたホテル「ホーク・イン」。ルーカス自らがこのホテルを切り盛りしている。
客室数15で、最大宿泊人数は60人。大部屋の10人雑魚寝でかなり数を稼げるが、今のところこの部屋を利用しているのは2名に過ぎない。
「お部屋はこちらです」
新たに取り付けた木製のドアを開けると、ベッドが4つ置かれてあった。東に向いた窓から、眼下に広がる草原が見える。
「トイレは部屋の隅の扉にあります」
「ん……ここは確か3階だよな?」
冒険者の疑問はもっともなことである。
魔法は発達しているが、衛生面での活躍はまだまだ遠い。
この世界で一般的なトイレと言えば、いわゆるボットンだ。ボットンしたあとに、1日に1回、あるいは場所によっては1週間に1回、家主が魔法の込められた魔石を放り込む。便を分解する作用がある。
「はい。トイレはすべて吸収されるので問題ありません」
「は?」
「手を洗う水も、そちらのボタンを押すと一定時間流れます」
「……水の魔石を使っているのか」
「いえ、そういったことではないのですが——確認いただいても構いませんが、魔石の類は利用しておりませんのでご自由にご利用ください。後ほどお試しになって、不便があればお申し付けください」
「お、おう」
「宿泊のお客様はレストランでサービスがございますので、こちらの割り引きカードをお渡しください」
ルーカスは合金でできた小さなプレートを渡す。「ホークヒル」と刻印されたプレートを冒険者は珍しそうに眺めている。
そうしてルーカスがフロントに戻ったのを確認した——ところで、
「やあ」
「——先生!」
俺が声をかけたんだけども。
「せんせい?」
「はい。教えを請うのですから私は弟子でしょう?」
「…………」
天才の考えることはマジでわかんねえ。
ちなみにルーカスという名前は、壁の中で盗み聞きして知った。
「と、ともかく、ちゃんと開業できたようだな」
「はい。お約束のとおりに。——しかし、なかなかお客様は来ませんがね」
宿をオープンしたものの、客足は少ない。「ダンジョン内で暮らせるかよ」「外でテント張りゃあタダなのに」という考えの冒険者が多いからだ。
だがこのあたりについては少々俺にも考えがある。結局のところ、宿に入ったほうが「快適」であると思わせられればそれでいいのだ。トイレや手洗いについてのシステムは簡単に造ったものだけれど、もうちょっと踏み込んでもいいかな。
うん、排泄物はダンジョンが吸収する。うん、なんか微妙な気分ではあるんだけど……まあ、土に還るみたいなもんだと思うしかない。
「やはり風呂だよな……」
「風呂、ですか」
「この地方ではどんな風呂が好まれるんだ」
「スチームですね」
サウナ風呂というヤツか。
「なるほど、ちょっと試してみる」
加熱するシステムと温度をコントロールさえできればなんとかなるんじゃないかな。
「え……試す、とは」
「気にするな。他に不便はないか?」
「い、いえ、あのう、私としては先生に教えをいただきたいことがすべてで……」
「気にせず言ってくれないかな。俺は客商売に関しては素人だ。この宿だって適当に造ったに過ぎないし」
「……そうですね、では」
と言ってルーカスはあれこれと注文を出した。
リネン類を洗い、干す場所がない。ベッドや大型の家具を搬入するのに廊下が狭い。東向きなので全体的に暗い……。
あ、あるんじゃーん! やっぱりいっぱい不満があるんじゃーん!
「というところですが、しかしこれらはどのような物件にもつきものの——」
「わ、わかった。対応する」
「えっ。対応?」
「2、3日くれ」
「そんな数日で!?」
驚いてる。まあ、迷宮魔法は便利だからな。間取りの拡張なんて簡単だ。日当たりはちょっと考えなきゃいけないけど、採光用の天窓をつけるか、あるいは単にランプのトラップを造るか。
「これから人がもっと来る。それまでに準備は整えないとな」
「……先生、そこなんですが、今日は一段と人が増えている気がします。なにがあったせいでしょうか?」
「今の時間——」
俺、腕時計(MP表示器とも言う)を確認する。
「——午後1時の時点で、昨日と比較するとプラス20人ペースで推移しているよ、ダンジョンの挑戦者数は」
「数字を記録しているんですか」
「数字、と言うより統計かな? 来場者数はいちばん重要な数値だから」
俺、学んだ。けーぴーあいとか簡単に言わない。リオネルに冷めた目で見られるし。
「統計ですか……」
「あっ、もしかして統計学ってそんなに一般的じゃない?」
「いえ、専門的に学んでいる者が高等学究機関におります。私も商売に統計は必須だと考えていましたが、そこに思い至っている者はきわめて少ないですね」
「そっか。物価の変動は気候の変動と相関関係にあるし、売り上げや客単価の推移はチェックしておくだけで異変を感じ取れるし対応策も早めに取れるんだから、十分価値のあることだとは思うんだけど」
「おっしゃるとおりです。やはり先生はすばらしい」
割と当たり前のことだと思うんだけど……でもな、確かに日本でもきちんと統計学を修めているビジネスマンはほとんどいなかった。直感的に統計を使っているだけで。データマイニング系の部署もようやく出来はじめたころだったもんな。親会社の代理店には50人を超えるデータマイニングチームのデータサイエンティストたちがいて、ビッグデータを扱っていた。データデータデータ言い過ぎて顧客の顔をまったく見ていなかったのは笑えない話だったが。
「まあ、ここしばらくは来場者も増えるから、必然的にこの宿の客も増えるよ」
「その根拠をおうかがいしても?」
「うん。今日来ている連中は、一昨日アルスが銀を獲得したことを聞き取ったヤツらだ。次の波がもうちょっとしたら来る」
「次の波……」
「アルスが手にした銀は純銀だからね。その金銭的価値を知った冒険者が群れをなして来るだろう」
「純銀!? まさか、さらにその次の波があることまで見越しておられるのですか!?」
うお、やっぱりルーカス頭いいわ。めちゃくちゃだわ。
そう。波は2回来る。
「そうだな——どう推測したか、ルーカスが言ってみてくれ」
「で、では僭越ながら私めの推測を申し上げます……」
なんかほっぺた赤いんだけどこの人。興奮してるの? 頭良すぎて謎解きとか始まると興奮しちゃうの?
「まず話が広まるのは先生のおっしゃるとおり金銭的な価値が最初でしょう。『ちゃんとこのダンジョンでは報酬が得られるのだ』という。ですが、この次があります。先生は純銀と仰いましたね。念のため確認ですが、これは……100%の銀ということでしょうか」
「うん」
「や、やはり!」
「迷宮主だからね」
「なるほど……古来よりダンジョン産の銀塊には純度100%のものがあると聞いておりましたが、そういう事情でしたか」
「100%の銀精製は可能なの?」
「不可能です。精度が高いという灰吹法でも99%程度。必ず不純物が残ります。純度100%の銀があるのなら、貴金属商を始め、研究機関、魔導学者、欲しがる人間は多いでしょう」
迷宮主の機能だから、過去にも例はあるだろうなと思ってたわ。
でも、このルーカスの驚き様を見ると、この純銀の価値を理解して利用していた迷宮主はいなかったんだろうな。
「純銀が採れるとわかれば遠方より人も押し寄せてくるでしょう」
「そういうこと。それが次の波だ」
「さすがです、先生! こんな商売の仕方、今まで誰も考えませんでしたよ!!」
「すべてはブランディングだ」
「ブランディング……?」
「大きな方針は2つ。『命の危険はない』『報酬は他では手に入らないもの』——こんな魅力的なキーワード、他にはないだろう? しかもチャレンジは誰にでも可能で、順番待ちもないから争いも起きない」
「ふむ、ふむ」
なんかメモ取り出した。鼻息荒すぎるぞ……。
「ただ俺が心配していたのは、周辺問題なんだ」
「と言うと?」
「ダンジョンが、そういう強いメッセージ性を持っていたとしても、周辺が危険だったら意味がないだろ? そのための商業施設。これが充実すると滞在中も危険はないし、なにより清潔に過ごせるから快適で、病気の心配も低減できる」
「ふむ、ふむ!」
うわあ、ルーカスの鼻の穴がデカイ。
「だから私をスカウトしたのですね!」
「あ、えっと、うん」
それはある。
勝手に「ホークヒル」の名前をモチーフにしたプレートを配っているし。
これはルーカスがホークヒルに惚れ込んだこともあるだろうし、自然とブランディングの発想を理解しているのだ。
「さっきのプレート見せてくれないか。冒険者に渡したヤツ」
「あ、あれは……勝手に造ってしまい申し訳ありません」
「申し訳ながることない。俺の考えてるブランディングっていうのもそういうものだし」
う、うわー。ルーカスがめっちゃ得意げな顔でプレート出してきた。
狂信者だ。鷹岡教の記念すべき最初の狂信者。リオネルは信者っていうか亡者。
「デザインは悪くないな」
「ありがとうございます。金を積んで、一晩で造らせました」
「……そう言えば金、どうしたの? ここで商売始める種銭」
「借りました」
「…………」
「なに、返済できるでしょう。できなかったとしても私の見る目がなかっただけということ」
期待が怖い! この人、俺が期待値未満だと思ったら刺してきたりしないよな!?
「な、なるほど、わかった。じゃ、これだけど——」
俺は中級整形を使って、同じプレートを100枚造った。
真鍮は銀貨をつぶしたときのあまり、亜鉛と銅で造れるからちょうどよかった。
「な——!? これは!?」
「迷宮魔法。使って」
「……デザインが微妙に違いますね」
「美しいだろう」
そのとおり。ルーカスが選んだフォントは、俺が壁面に彫り込んだヤツだろう(ちなみに夜になると光る)。ルーカスは記憶を元に造らせたっぽいが、若干違った。それを俺が修正したというわけだ。トレイジャンフォント系のあしらいを加え、上質なテイストを付与しているんだ。ブランディングの一環である。まあ、日本語や英語とはまた違う文字なので雰囲気だけだけどな。これくらいはWEBディレクターの俺でもできる。ディレクションなら任せろ。
……ロゴデザインのセンスはないんだけどな……。
「デザインの美しさもそうですが、角がカーブしていますが……これほど美しくそろったカットはそう見たことがありません」
「ああ、ユニバーサルデザインな」
「ゆにばーさる……?」
「老若男女、身体の障害などを問わず、あらゆる人が利用できるデザインってこと。角丸だと手に刺さらないだろ?」
「!」
ルーカスが俺の顔を見て、プレートを見て、俺の顔を見て、プレートを見て、俺の顔を見て……もう止めろ、ウザイ。
「そんな心配りのために、これほど精巧なカットを……」
俺にとってはたいした労力じゃないんだよな。角丸だろうとカクカクだろうと、同じMP1,000を消費する中級整形だ。
「ともあれ、これは使ってくれて構わない。ルーカス、君には期待しているから」
ハッ、としてルーカスが俺をまじまじと見る。
見過ぎ。
「わかりました! その期待を裏切らないよう——いえ、けっして裏切りません! 見ててください!」
「……なんかすごくやる気になってるところ悪いんだけど」
「はい、なんでしょう!」
俺はコホンと咳払いをひとつ。
「飯食わせて」
ゴクリ、と俺の喉が鳴った。
レストランの最奥の一室、VIP専用ルーム。
俺があらかじめしつらえておいた石材のテーブルと、イス。
俺の目の前には、じゅうじゅうと音を立てている肉がある。
「こちら、クリフドラゴンのロースを使ったステーキとなります」
ルーカスが説明した。
くりふどらごん……やっぱりドラゴンいるのかよ! しかもステーキ! ひゃほおおおおおおい!!
肉の見た目はブタみたいだ。ピンクの勝っているブタというか。
肉汁が垂れて鉄板皿にあぶくを立ててじゅわじゅわ言ってる。
掛かっているソースはガーリックソースだ。
ぎゅるるるるるると俺の腹がさっきからすごい勢いで叫んでいる。食わせろと。早くと。
「い、いただきます」
ヨダレがすんごいあふれてくる。
ナイフを刺すと力を入れなくても切れていく。
ああ、夢にまで見た異世界飯——っていうか夢にまで見た飯。もうずっと俺、空腹無視で過ごしてきたもんな……1カ月以上か……。
フォークで刺した肉を、口に運ぶ。
「はむっ……!?」
じゅわわわわ〜〜〜〜とあふれる肉汁に、思わずぼろきれをはだけてしまうところだ。くうう! それは食○のソーマ! パクリ絶対ダメ!
「うま、うまぁ、うまぁい……」
涙目になりながらごくんと肉を呑み込んだ——俺。
「!?」
うおえっうげぇうええぇぇぇぇぇぇ………………。
「先生!?」
盛大に、戻した。
さすがに1カ月以上ろくすっぽ飯食ってない身体に、ステーキは無理だった。