第1話 現代社会とは人間を取り込んだ巨大な迷宮である(ドヤッ)
時計の針が深夜0時を指しても待ち望んでいる電話は来ない。
俺はスポンジのへたったオフィスチェアにだらしなく座りながら、5秒に1回はクリックしている「メール送受信」ボタンを再度クリックしていた。
斜め後ろのデスクにいる香世ちゃん――島田香世ちゃんが、とっくに作業の終わったファイルをフォトショップで開いて、まったく関係ないレイヤーに花の落書きをしている。
「あー……電話来ねー……」
無理な体勢のせいで俺が喉をぜえぜえ鳴らしながらつぶやくと、
「来ないですねぇ……。ちゃんとクライアントさんは確認してくれたんですかね?」
「とりあえず営業は見てるだろうから、せめて『これでオーケー』か『やり直し』なのかだけでも教えて欲しいんだよな……」
「終電出ちゃう……」
ほんとに、もうそんな時間だ。
ここは東京も東京、中心部にある六本木。広々としたオフィスビルなんだけど、俺たちのいるエリア以外は明かりが落ちている。
六本木ったって、0時過ぎたらぼちぼち終電だっつうの。まあ、俺はこういう遅い仕事が多いから、ぎりぎり歩いて帰れるところにボロアパート借りてんだけどな……。
「香世ちゃん、遠いんだっけ」
「大宮ですからね……」
「あちゃ、帰るの厳しくない?」
「ちょっともう、無理かも」
「大変だな。専門学校卒業して早々、こんな仕事じゃ」
香世ちゃんは20歳だ。うらやましいくらい若い。俺はもう32だぜ。ていうか干支で一回り違うのか。うおー、改めて考えると香世ちゃん若いなー。
茶色に染めた髪はボブショートでまとめられている。
小柄で色白の彼女は、目もくりっとしていて愛くるしく、入社して4カ月にして社内のマスコットになりつつあった。
職種はWEBデザイナー。だけど、今後はWEBだけじゃなくていろんなデザインもしてもらうことになるだろう。
「入社してすぐに、こんな大きな仕事できると思ってなかったから、うれしいですよ。あのトーマス・ブルー監督が撮った『ラビリンス』の公式サイトのデザインですし」
「まあ……うちは親会社が優秀だからね」
親会社。日本屈指の広告代理店だ。うちはその子会社で、「いろんなもの」を制作する会社。いろんなもの、って漠然としてるだろ? マジでいろんなものを作るんだ。ウェブサイトもそう。ポスターもそう。ポケットティッシュもそう。かぶりものもそう。珍しいところで、釘を作ったこともある。
デカイ広告代理店ってのは、金払いのいい客のためになんでもやるからデカくなれるんだよな。
そのしわ寄せは、子会社であるウチに来る。
まあ、親会社がぺこぺことクライアントに頭下げてくれるから、ウチには仕事だけがガンガン来るんだけどさ。
「とは言っても、ここまで放置されるものなんですね……」
「驚いた? まーね。親会社の営業がクライアントのご機嫌伺いに120%の気を遣ってる以上、こっちに回す『気』なんてないってことだ。……今日は徹夜になるだろうし、近場のビジネスホテル押さえよう」
「あ、い、いえ、大丈夫です。私、こういうふうに徹夜で仕事とか憧れてたところもあって、イヤじゃないです……鷹岡さんもいっしょ……ですし……」
「ん、最後なんて?」
「い、いえ、なんでもないです!」
心なしか頬を赤くして彼女は両手をぶんぶん振る。そういう仕草が小動物的でかわいい。なで回したくなる。知ってるか? それやったらセクハラだからな?
「こりゃ……社内の男どもが狙うわけだ」
「――え? 鷹岡さん、今なんて?」
「あーいや。こっちの話」
ちなみに呼ばれた「鷹岡」が俺の名字ね。下の名前が「悠」。まあ鷹とかついてる割りに草食だけど。
出会いがなかったわけじゃない。でもなんかうまくいかず、仕事に引きずられるままもうこんな年。いまだに女性経験もないともなると……もうね、ダメですよ。付き合った相手にバカにされたり落胆されたらやだなと思って、どんどん臆病になるんだよね……。
逆にすっごく年下の相手なら気兼ねなく話せたりするんだよな。もう、射程圏外だってわかるじゃん? お互いに。
「それより香世ちゃん、お腹空いてない? 俺、下のコンビニ行って夜食でも買ってくるけど」
「あっ、それなら私行きますよ。電話きたら私じゃ対応できないですし。鷹岡さん――いつものでいいですか?」
いつもの、というのは、コンビニコーヒーにあんぱんである。
もうすっかり香世ちゃんに把握されてしまっている。
「うん。それで――お金渡しておくよ。あまったぶん、香世ちゃんのお駄賃で」
千円札を1枚。多すぎるのはわかってるけど、今日のこれはサービス残業になるのは間違いない。給料も少ないであろう香世ちゃんのためにサービスしてやらないと。
「お駄賃、って、子どもじゃないんですよ」
「ふぉふぉふぉ。香世はいい子じゃのう」
「おじいちゃん、ちょっと待っててくださいね」
これもまたいつものようなやりとりで、
「……いつも、ありがとうございます。鷹岡さん」
ちゃんと「ありがとう」が言える子ってすばらしいよな。
香世ちゃんはオフィスから出て行ってしまった。
「…………」
静かだ。
俺はなんとはなしに、オフィスの片隅にあるテレビを点ける。ニュース番組をやっているようだ。
《――立てこもり事件の続報です。今回の立てこもり犯人は国際的に指名手配されているテロリストであることがわかっており――》
おお、立てこもり事件だって。怖い怖い。
まあ俺に影響なければいいけどな。
窓の前に立つと、六本木を走る首都高が近くに見える。
六本木で働いてる――と昔からの知り合いに言うと「すごい」とか言われることもあるけど、実質のところ、すごいのは俺じゃなくて親会社だ。
そう思うと、俺はなにやってんだろうな、って気持ちになる。
《――犯人はロケットランチャーのようなものを持っているようで、あ、今、窓を開けたようです――》
0時になると、さすがに明かりのついているビルは少なくなる。
明かりの消えたビル、ってさ……巨大な墓石みたいだって思う。
中は空洞だから墓石ってのも変かな。
でっかいビルを見上げてると、俺ってほんと小さいよな、ってまたまた思う。
「ラビリンス、か……」
迷宮なんてのは、そこかしこにある。
俺がいるビルだって地上33階建てだ。
これもひとつの迷宮だ。
それに俺が生きてる社会もそうだ。
複雑怪奇で、トラップばっかりで、足を引っ張ったり悪意を剝き出しにしたりの、迷宮じゃないか。
いや……そういうのはダンジョンって言うべきかな?
俺たち全員が、ダンジョンの一員なのかもしれない――なんつって。
《――犯人がロケットランチャーを構えているようです! 付近にお住まいの方は気をつけて――》
ん……?
なんだ、あれ。
首都高の向こう、ピカッ、て光ったなんかが――。
煙の尾を引きながら、こっちへ。
《――発射しました! 弾頭は首都高を越えて飛んでいきます――》
俺が最後に見たのは、目の前のガラスが粉々に吹っ飛ぶところだった。
内容は関係のない前作「トレジャーハントに必要な、たった1つのきらめく才能」もよろしくお願いします。
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