第二章 其の二
てっきり城に戻って誰かに会うのだと思ったら、洞穴を出た、すぐのところで明るい栗色の髪の美青年に出会ったので驚いた。
「ロディア、元気そうじゃないか。具合が悪いと聞いていたけど、もう仕事して大丈夫なのか?」
彼は満面の笑みで両腕を広げて近づくと、ふわり、とハナの肩を包むように抱いた。
「あっ、あのっ、どちら様でしょうか」
こんな美青年にこんなことをされたのは初めてなので、緊張でつい、声がうわずる。
予想通りの反応だが、彼は驚いた顔で両手をハナの肩に掛けたまま少し離れた。
「こういう風だ。君でもだめだったか」
魔王の声がした。
夫の前でハグする美青年がいるなんて、ロディアさん、いったいどういう人なのだろう。
「本当ですね。いったい何が起こったんでしょう」
「ロディア、じゃなくてハナ。カルストルだ。ロディアの二番目の兄上だ」
「ロディアさん、こんなかっこいいお兄さんがいたんですね」
カルストルはハナを見たまま少し口元をほころばせた。
「目が覚めたとき、母上のことを呼んでいたから、家が懐かしくなったのかと思った。帰れば治るのだろうか」
魔王の問いにカルストルは首を振った。
「母に会わせるのはよくないと思いますよ。家に戻ったからといって状況が改善するようには思えないし、両親は今でもあなたとの結婚は喜んでいませんから、家に戻ったら、もうこちらには戻さないかもしれません。あなたのおっしゃるとおり、セイアン人に聞くのがいいと思います」
「そうだな」
魔王は憂鬱そうに答えた。
「今からカルストルと鉄鉱石の採取場に行くが、おまえも来るか?」
振り向きざまに魔王が尋ね、ハナはぜひ行ってみたいと答えた。シグドの仕事は急がなくてよさそうだし、新しい物は見てみたかった。
「ハナは馬に乗れるのか」
魔王は足が長いので、ついて歩こうとすると小走りにならないといけない。彼はすぐ気がついて速度を緩めてくれた。
「いえっ、馬なんてテレビでしか見たことありません。どのぐらい大きいのかすら知りません」
「テレビ?」
「ええと、あの、動く絵みたいな物ですね」
魔王はカルストルの方を振り向いて、
「ハナの国には不思議な魔法がたくさんあるらしい」
と言い、カルストルは感心したようにうなずいた。魔法じゃないですけど、と言いたかったが、説明も大変なのでそういうことにしておいた。
カルストルも背が高いが魔王はさらに頭ひとつぐらい高い。ただ、魔王の服装に比べてカルストルの方は明らかに豪華だった。襟や袖に美しい刺繍はしてあるし、手の込んだ柄の織物を一枚羽織っている。魔王の服装はベージュ色とくすんだ藍色で、どちらかといえば一般庶民の服のようだ。ロディアの服も同じような物だった。ここでもまた、貧乏なのだな、と思ってしまう。
少し歩くと、また岩山の一角が洞穴になっていて、そこを入っていくと馬が数頭いた。一頭だけ豪華な鞍がついている。六本足のターラが馬に干し草をやっていた。驚いたことに柵も何もないのに、馬はじっとそこにいる。まるで、自分の居場所はここと決めているようだった。
「あいかわらず馬に鞍をおつけにならないんですか?」
ハナの馬を選んでいる魔王にカルストルが尋ねた。一頭だけ豪華な鞍をつけている馬はやはりカルストルの馬のようだ。
「ああ。余計な負担をかけない方が速く走れるからな。こいつも、もうだいぶ年とってきているし」
「あの、鞍をつけないって普通のことなんですか?」
現代でも馬のことはよくわからない上に、この世界の常識もわからなくてハナが尋ねるとカルストルが笑って首を振った。
「普通じゃないよ。鞍をつけないのは魔王様と遊牧民ぐらいだね。だって鞍があった方が乗りやすいじゃないか」
魔王はハナのために選んでくれた馬には鞍と手綱をつけてくれた。もちろん豪華ではない物だけれど。
鞍があってもやっぱり乗りにくい。馬の背は思っていたより高いし、あぶみがあるといっても足をかけるとぐらぐらする。しかも、馬は生きているのでブルブルっと鼻を鳴らしたりわずかに動いたりする。
ハナが四苦八苦していると魔王がハナの腰を抱き上げて乗るのを手伝ってくれた。
「すみません、魔王様。ちょっとスカートが・・・」
「足を後ろから回せるか。支えててやるから」
言うとおりに何とかやってみたが、乗るだけで相当疲れた。しかもスカートが大きくまくれる。日本で履いていたスカートより長いので、足の露出はむしろ少ないはずなのだが、この服装に慣れてしまったせいか、ちょっと恥ずかしい。
ようやくハナが落ち着いた頃にはカルストルも馬の上にいて、魔王は自分の黒馬にひらりとまたがった。
魔王はまるで自分の手足のように滑らかに馬を進め始めたが、ハナはどうしたらいいのかまるでわからない。キーもエンジンもないし、どうしたら動くのか。
「魔王様ー、動きません」
「ああ」
魔王は馬の上から振り向いて、ハナの馬に向かって何か言った。するとハナの馬も歩き出した。
「すごい、魔王様、馬の言葉がわかるんですか?」
魔王は少し笑って答えた。
「馬の言葉が分かるわけじゃない。馬も俺たちの言葉がわかるわけじゃないと思うぞ。意志を伝えるのは言葉ではない」
よくわからなかった。
「ああいうところが、魔王っぽいよね、あの人は」
横に並んだカルストルが小さい声でハナに言った。
「みんな、できるわけじゃないんですね」
「そうだよ。あの人が従えるのは獣だけじゃないけど」
「え? もしかして、魔物もってことですか?」
カルストルは軽く首を振って黙るように合図した。言ってはまずいことなのかもしれない。
「魔物は国の中にも、これから行く森の中にもたくさんいる。迂闊に口に出すと災いを呼ぶかもしれない。気をつけた方がいいよ」
「はい・・・。なんか怖いですね」
「まあ、あの人が一緒だから大丈夫だと思うけどね」
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