第十章 其の二
魔王が壁の一部を思いきり足で蹴ると、蹴られた石が、あっさりと向こう側に落ちた。
がらんと石が落ちると、その部分は入り口になっていて、壁の向こう側に暗い階段がぽっかりと開いていた。
「なんですか? これ」
驚いてハナが尋ねると、魔王は、にやっと楽しそうな笑みを浮かべた。
「俺が城の改築好きだって、誰かから聞かなかったか。あちこちにこういう秘密の仕掛けがあるんだ。今、役に立つとは思わなかった」
魔王がハナを抱えたまま駆け降りる階段を、衛兵やフォルズスや魔法使いも我先にと続いた。
窓がないので暗いが、上からの明かりと、下の方に出口らしい明かりがあった。
階段を降りきって出たのは、干し草が積んである、倉庫のようなところだった。
「どこですか?」
「昔、ここは厩だった。今はいないな」
厩から外に出て魔王がぴゅーっと口笛を吹くと、大空から近づいてきた黒い点がハヤブサの姿になって魔王の差し出す腕にとまった。
ハヤブサは魔王の命令で再び空に飛び立った。
城の外、入ってきたのとは違う、中庭のようなところに魔王もフォルズスも魔法使い達もなだれ込んできた。
魔王は今は魔剣シェンドリルをすらりと抜いてハナを守るように立っていた。城から溢れ出てきた衛兵たちが数十人、魔王とハナを取り囲んでいる。
「行け、行けっ! 相手はたったひとりだ。ここからは逃げられない。全員でかかれば必ず仕留められる」
フォルズスは衛兵達をけしかけようとしたが、誰も思いきって近づけないでいた。魔王の周りが凄まじい気迫のようなもので包まれている。
ひとりが奇妙な声を上げて踏み出そうとしたが、シェンドリルを正面から向けられて固まって止まってしまった。
城がガラガラと崩れ始めている。
別の方向から大勢の人の騒ぎが聞こえてきた。
「わが君! ご無事で!」
まっさきに聞こえてきたのはタリミカの声だった。
「よく来てくれた。ハナを頼む」
「かしこまりました」
やってきたのはエルト人達だった。
タリミカがハナの手を取り、衛兵や魔王達から遠ざけた。
ハナを守る必要がなくなったので、魔王は今度はまっすぐにフォルズスに狙いを定めた。
「人質がなければ残るのは実力だけだな。卑怯者め」
フォルズスは真っ青な顔をして汗を流しながら、それでも必死で聖剣ギルティスを魔王の方に向けていた。
衛兵たちも剣を向けたが、魔王はほんの数歩でフォルズスに詰め寄り、ガキンと魔剣シェンドリルをギルティスに打ち合わせた。
百戦錬磨の魔王に比べてフォルズスはほとんど実戦経験がない。ほんの二、三合も打ち合わないうちにギルティスはフォルズスの手を離れて地面に飛んだ。
「おまえは・・・病床にあるユシリスに毒を飲ませ、罪もない彼女にまで愚かしい刃を向けた。俺が憎いなら何故、正々堂々と戦わないのか。おまえの雇っている、自称、魔法使いとやらはなんの役にも立たない。何故ならば、あの時、闇の王を呼び出したのは、ほかならない俺自身だったからだ」
魔王はシェンドリルをまっすぐフォルズスに向けたまま、はっきりとした声で宣言した。
「何だと・・・? この魔物め・・・」
「そうだ。俺は俺の中に闇を持つ。闇を抱えたまま生きて行く。その決意ができているからこそ、何者にも負けない力を身につけたのだ。闇の王の邪悪な力などには屈服しない。俺は俺自身のために戦うし、守るべき者達を守っていく」
魔王はガタガタ震えるフォルズスにシェンドリルの切っ先を突き出した。フォルズスは一歩下がり、汗を流しながら懇願を始めた。
「ま、待て。何が望みだ。領土か・・・、わかった。半分やる。だから・・・」
「領土など望んではいない」
魔王はフォルズスに狙いを据えたまま目を離さなかった。
真剣なふたりには悪いが、ハナはタリミカの側でそうっと叫んだ。
「魔王様ー、やせ我慢してないで望んでください。うちの国、貧乏なんですってば」
「で、ではなんだ。王位か。しかし・・・」
「俺はエルトの王、アルトリス・ソリディオミロファロスだ。バルラスの王位など望むものか」
「ではなんだ。まさか・・・」
「魔王様、領土領土」
また小さい声で叫ぶハナにタリミカが笑いをこらえていた。
魔王はあらためてシェンドリルの柄を握り直し、フォルズスにまっすぐに向けた。
「おまえは、父親と組んで何度も俺を殺そうとした。ユシリスのことも、ハナのことも・・・」
魔王は本気で、フォルズスを憎んでいる。今にもまさに剣の切っ先をフォルズスに突き立てようとするかに思えた。
ハナは今度は、はっきりとした声で叫んだ。
「魔王様、だめです! ドリエンさんが言ってました。これ以上血を流してはならないって。憎しみに憎しみで対抗しても泥沼になるだけで何も生まれないです。憎しみの連鎖はどこかで断ち切る勇気を持たないと」
魔王がぎゅっと剣の柄を握りしめたまま動きを止めた。
そのまま、ふたりはしばらく止まっていた。衛兵もエルト人も誰も手を出せないでいた。
ガキーン!
魔王が剣を下に向け、落ちていたギルティスに向かって力一杯突き刺した。
鈍い音がして、ギルティス、と呼ばれていた剣は真っ二つに折れた。
「何? 聖剣、聖剣ギルティスが・・・」
「そんなものはギルティスではない」
魔王はますます赤く光るシェンドリルを構えてフォルズスを睨み据えながら強い口調で言った。
「ガラクタだと言っただろう。魔剣も聖剣も使う者を選ぶ。もし、仮に本物だったとしてもおまえにはギルティスは使いこなせない」
「ま、待ってくれ・・・」
フォルズスはぺたりとその場に座り込んだ。魔王はまだフォルズスから目を離さなかった。
「邪眼、おまえのその邪眼で、私を・・・。うっ、ううっ!」」
フォルズスは胸を押さえ、掻きむしりながら苦悶の表情で倒れた。
「陛下!」
何人かが慌ててフォルズスに駆け寄った。
あっ、心臓だ。
とハナは直感した。この太りすぎ、絶対心臓になんかある、この人。
ハナも慌ててフォルズスに駆け寄った。タリミカが呆れはてながらも、ハナを守るように後についてきた。
脈を診るだけでどの病気がわかるほど、熟練していない。でも、意識がない人には心臓マッサージ、かもしれない。
念のため、手首の脈を診る。触れないので次は足の付け根。太っているのでよくわからない。それから首の脈を触れてみた。脈拍がはっきりわからない。やっぱり心臓だ。
苦しんだまま目を閉じた顔は青くて、冷や汗で濡れている。
心臓マッサージなんて、救急講習で、心臓マッサージ練習人形の『トーマス君』でしかやったことがない。トーマス君は練習用なので、正しいところを正しい強さで押すとランプがついて教えてくれる。
しかも、みんなが練習してるので、押すべきところは手垢が付いていてすぐわかる。こんな手垢もなくてランプもない巨大な外国人のどこを押したらいいのか、わからない。
でも、とにかく、できることをやるしかない。
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