第九章 其の三
それを聞くと魔王はちょっと笑った。
「ハナ、ありがとう。俺のことをそんなに大切に思ってくれて。でも、それよりも、本当の名前を思い出してくれて助かった。
あの時、ロディアに対する信頼が一瞬揺らいだ。その隙を突かれたんだと思う。油断して本当に悪かった」
「あんな言われ方したら、無理ないですよ」
ハナはベッド脇の椅子に腰掛けて魔王の方に向き合った。
「あれ、あたしの考えじゃないんです。ロディアさんが、本当にあなたのこと、愛してるんだと思います。だから、あのタイミングで出てきたんですよ、きっと」
「ああ」
また幸せそうな笑みが口元に浮かんだ。
「じゃあ、いいんですね、ロディアさんを信じてるから」
ハナは安心して立ち上がった。
「ああ、でも、せっかくハナがその気になったんだったら俺は、もちろん・・・」
「おやすみなさい。さよならっ」
最後の言葉は聞こえなかったふりをして、あっという間に退室した。
よかった。まだ愛し愛されてて。
魔王は間もなく、完全回復したが、小麦は届かない。
バルラスから使者が来たらしい。
どうも魔王がハナにその伝言内容を隠しているようなので、ハナはあの手この手で探ろうとした。
まるで、スパイか刑事みたい、と思うほど、魔王にくっついて歩いた。いや、スパイだったらこんな目立つ行動、取っちゃだめか。
「どうした、ハナ。ロディアのことだったら・・・」
さすがに鬱陶しかったのだろう。ある日呆れて、魔王が言ってきた。
「いえ、そっちじゃないです。それはもう解決済みってことで。
バルラスから使者が来ましたよね。なんで教えてくれないんですか? あたしの勘では小麦のことなんじゃないかと思うんですけど」
難しい顔をして、魔王は軽く息をついた。
「随分、当てるようになったな。その通りだ。でも、おまえに言うと、また危険を冒してついてくるって言うだろ」
「バルラスに来いってことですか。もちろん、行きます。食料のためなら。今年のライ麦がそろそろ収穫期なんですけど、見るからに全然足りないんです。小麦はこないだのヘルベベス戦の兵糧でだいぶ減っちゃったし、とてもこの冬、持たないです」
堅く結んだ口のまま、魔王は一枚の手紙を見せてくれた。
ユシリスが危篤に陥って、自分の領土と遺産を、兄であるアルシスとその妻ロディアに譲り渡したい。そのため、バルラスにやってきて受領書にサインを、と求められている。
「ユシリス様、危篤なんですか?」
心配してハナが聞くと、わからない、と魔王は言った。
「今回は、俺の知ってる者じゃなくて、完全にフォルズスの息のかかった者が使者に来た。嘘かもしれない。つまり、罠かもしれない。そうすると、今度こそハナが危ない。フォルズスは、おまえの血を流す、と口走ったんだろう?」
言われてみれば、いかにも罠っぽい。ユシリスの危篤はよくわからないが、遺産をアルシスに譲る、なんて言ったらフォルズスは普通だったら反対するだろう。ユシリスの遺産は当然、自分の物にしようとするだろう。
「でも、小麦はユシリス様からもらえる約束になってたんですよね。どっちみち、ユシリス様には会わないといけないんじゃないですか?」
「ああ。もし、危篤というのが本当だったら、俺も一目ユシリスに会いたい。それが、嘘かどうか、今回は確認できない。
いつもだったら、ドランかゴルタルドか、その辺がなんとか探ってくれるんだが、フォルズスは、俺の気心しれた連中を全て宮殿から遠ざけていて、手の出しようがない」
「でも、ユシリス様はドランさんとこにいるんじゃないですか」
「バルラス宮殿に移されたということだ。それはドランから聞いたから間違いない。まだ生きていればな」
「まさか・・・」
いくらフォルズスでも実の弟を殺したりはしないだろう。
魔王も、彼を信用してはいないけど、そこまではやらないのでは、と言った。
話している間に、バサバサと大きな羽音が窓の外を飛んだ。
「戻ってきたか」
魔王は立ち上がった。
魔王が屋上で鳥人に会うのを、ハナは今回初めて見た。階段を登って城の一番上に行くと、ちょうど屋上のように平らになっている場所があり、鳥人が数人、そこで待っていた。
ハナにはわからない言葉で何事か魔王と会話をして、彼らはまた巨鳥の背に乗って飛び立っていった。
「あのー、なんのお話を」
「ユシリスの様子を探ってもらってきた。生きてることは確かで、やはりバルラスの宮殿にいるらしい。俺は今から行ってくる」
「あたしも」
「ハナはだめだ」
初めてはっきりと拒絶された。
「でも、ロディアさんのサインがないと小麦もらえないんですよね。だったら・・・」
「まず俺が行って詳しいことを確認して、安全だとわかったらハナにも協力してもらうかもしれない。でも、今の時点ではだめだ。この前のことを忘れたのか。命を粗末にするな」
「でも、こんな時、ロディアさんなら、自分の命が大事だからっておうちでゆっくりしてると思います? なんか違うような気がするんです。もし、ロディアさんが戻ってきて自分の体が死んじゃってたら、申し訳ないとは思うんですけど、でもロディアさんだったとしても、行くんじゃないかと思うんです」
返事がなかった。
「つまり。あなたのために精一杯頑張りたいってことです」
「ありがとう、ハナ」
魔王は嬉しいのか怒っているのかよくわからない表情でそう答えた。
屋上からのかなり長い螺旋階段を降りながら魔王は話した。
「一応、俺の方にも材料はある。バルラス南部はゴルタルド将軍が、東部はヤルヌス将軍が掌握してるんだが、ふたりとも俺と親しくてフォルズスとは仲が悪い。だいたい軍部の人間は俺の方に近い。十二の時からほとんど一緒に過ごしてきたからな。
最近特にフォルズスの横暴が激しいようだから、ふたりと俺が組むと言えばかなり脅威になるだろう」
「なるほど! それ、いいですね」
「でも、実際にはジェッキオの動きも無視できないし、そう簡単にバルラスを乗っ取れるわけじゃない。所詮、机上の空論だ。でも、フォルズスは俺が野心を持っていると思っているから、脅すぐらいには役立つんじゃないかと思う」
「そうですか。魔王様、やっぱり天才! 闇の王が溢れる才能って絶賛するのがわかりますよ」
「あんまりおだてるな。ますます闇に近づく」
楽しくなさそうに首を振って、魔王はそう言った。
「そういえば、あなたが倒れてからドリエンさんが言ってたことって聞いてます?」
「いや」
「『記号は人が意味を与えなければただの模様に過ぎない』んだそうです。それで、あたし、ずっと考えてたんですけど、あの時、闇の王は『よく召還した、我が息子』って言ったんです。つまり、召還したのが魔法使いなら、わが息子、じゃなくて魔法使いと言ってたはずじゃないですか。
だから、もしかして召還しちゃったのは、あなただったんじゃないですか? あなたが、魔法使いが、なんか言ったのを聞いて、そう思いこんでしまったってことはないですか?」
魔王は驚いた顔で振り向いた。
「俺が・・・?」
ハナはうなずいた。怒られるかもしれないけど、大切なことだと思ったから。
「だから本当は、『闇の手』には何の力もないのかもって思ったんです。あのあと、ドリエンさん、あっという間に闇の手を消しちゃったし」
魔王は廊下の途中で足を止めて、呆然とハナを見つめていた。
「もうひとつ言っちゃっていいですか?
あの時、ヤズーさんの言ってたことも、ずっと気になってたんです。
闇には奪うものと与えるものがあるって。与える闇って何だろうと思って。それは、夜の眠りじゃないかと思うんです。夜は普通、闇だけど休息を与えるものですもんね。
多分、闇はあっても構わないんものだと思うんです。そこに恐怖を感じるときに、奪う闇になるんじゃないかなあって。
あなたは、シェンドリルと一緒に生きて行くって言ったけど、闇も一緒に生きてもいいものかもしれない、怖がりすぎなくてもいいのかもしれないって、ふと思ったんです。
あなたも、前、言ってましたよね。人間にはみんな魔の部分があるって。闇を抱えているのは、あなただけじゃないんです、きっと。
だから、そんなにひとりで背負い込まなくていいですよ」
魔王はまた歩き出したが、何も言わなかった。
もしかして、怒らせてしまったのかもしれないとハナが心配になった頃、彼は穏やかな笑みを浮かべて振り返った。
「ありがとう、ハナ。そんなことは思ってもみなかった」
「すみません、全部あたしの勝手な考えなんですけど」
「いや、でも、多分・・・本当のことだ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
読んでくださってありがとうございます。




