第九章 其の二
まだ夕暮れまで時間があるし、明るいので、ハナはさっそく魔王の部屋を訪れた。
彼ひとりだと思ったら、そこにドリエンがいたので驚いた。
ドリエンは魔王の、災いのシェンドリルと呼ばれた剣を抜き身で持って、ベッドの隣に立っていた。刀身はやはり暗赤色に鈍く光っている。
「こんにちは。あの、あの時はありがとうございました」
ドリエンは愛想程度の挨拶もせず、ちらりとハナの方に目をやっただけで魔王と話し続けた。
「・・・恐らく本物ではない。本物ならば闇を寄せつけないはずだから。
前にも話したように、魔剣も聖剣もいわば器。器に合わない力を余りにそそぎ込まれるのは耐えられないものだ。言ってみればシェンドリルがこれだけ災いを吸収しているのは、それだけ大きな器だという証であろう。
ただ、気をつけるがよい。これにはまだ邪悪な力が残っている。禍々しい力を入れると、あなたの父と祖父が憎しみあい殺し合ったようにより多くの大切な血が流されるかもしれない」
ドリエンは魔王に柄の方から丁寧に魔剣を返し、ベッドに上半身を起こしたままの魔王は、それをゆっくりと鞘にしまった。
気がつくとドリエンはもういなかった。
「あっ、しまった。また、帰り方、聞くの忘れました」
長なら知っているかも、とヤズーに言われたことがあるが、ヤズーもドリエンも用が済むとこちらが話しかける間もなくさっさと消えてしまうので、後から思いだした用事など聞けるわけがない。
がっくりするハナに魔王が声をかけた。
「でも、あの時、ヤズーが言ったことが役に立たないか。見えない道は同時に開くと」
「うーん、ヤズーさんの言うことって、わかるようでわからないんですよねえ。同時に開くのはいいとしても、じゃあ、いつ、岩の故老やセイアン人の道が開くか、わかんないんですもん」
「そうだな。また、俺が発作を起こしたときぐらいか」
「でも、発作起こしてる時って、ほっとけない時じゃないですか。あなたが死にかかってるかもしれないのに帰っちゃえませんよ」
魔王はそっと微笑んだ。
「ありがとう、ハナ。気持ちは嬉しいが、帰れるチャンスがあるなら帰った方がいい。次にいつ道が開くかわからないんだから」
「そうですね。ありがとうございます。それに、あたしが帰ったら、お待ちかねの本物のロディアさんがきっと帰ってきますよね」
「それで、ドリエンさん、なんの話だったんですか。本物ではないって」
「ああ、あの馬鹿の聖剣ギルティスの話だ。ギルティスは本来、闇を寄せつけない。あの時は闇の王があれだけ力を現していた。ギルティスであれば、そもそも、それほどの力を出せたかどうか。それだけ強い力を持つ剣だということだ」
「そうですか。剣自体に魔力みたいなものがあるんですか。もひとつ、気になることが聞こえちゃったんですけど」
ハナは聞くのをためらった。
「父と祖父の話か」
「はい。・・・あの、話したくなければ・・・。また暗い話なんですよね」
「そう。暗い」
でも、魔王は結局話してくれた。
どうして本当の父親が闇の力を求めてまで魔王になりたかったかということを。
当時、王子ディウロスは十八歳だった。
魔王の母である、レイダは神殿の巫女で、当時十六歳。身分違いの娘を見初めた息子に、王妃である母が反対して、隣国リカルディから、王女リゼリアを正妻として迎えさせた。
けれども、その正妻を、迎えた当の王妃が誤って毒殺してしまった。
その理由を聞いてハナは愕然とした。
王妃が本当に殺そうとしたのはレイダだった。何故ならば、夫である国王ザディウスがレイダに手を出したからだ。嫉妬に狂った王妃は、息子と夫を惑わした魔性の女とレイダを殺そうとした。
一方、リカルディも不自然なリゼリアの死因を知るところとなり、もともと闘ったり和解したりしていたエルトを、今度こそ滅亡させるのだと攻め込んできた。
ディウロスの使う魔剣シェンドリルの最初の犠牲となったのが、祖父であるザディウスだったということだ。
祖父の国を力で支配し、王権を揺るがす神官達を一掃し、リカルディに対抗する、そのために若かった王子ディウロスは闇の力を求めざるを得なかった。
「それだけじゃない。歴史をさかのぼればもっとある。兄弟殺し、息子殺し、一族郎党。シェンドリルは、よくもこれだけ、と思うぐらい血塗られた歴史がある。
それが全部この中に詰まっているということだ。
本当は持ち歩くのをやめたいぐらいだ。俺がまた少しでも呪われた血を流せば、俺は簡単に闇に落ちる。そうなったら、多分、ロディアのことも、ハナのこともわからなくなってしまうんじゃないかと思う」
「・・・ほんとです。そんなに危険なものなら、いっそ、密封しちゃったらどうなんですか? 誰にも触れないように」
ふうっと魔王はため息をついた。
「そんなに簡単でもないんだ。魔剣は恐ろしい力を持つと同時に優れた道具でもある。シェンドリルほどのものになると、持ち主の心と呼応する。しまい込んでいたからといって、その力まで封印されるわけではないらしい」
「じゃ、じゃあ、どうするんですか。あたしだって、これ以上、魔王様を闇に引き入れられたくないです」
魔王は鞘ごとシェンドリルを取って目の高さまで持ち上げた。
「だから、俺はこれと一緒に生きていくしかない。結局は、使う者の問題なんだ。道具ではなく」
そして、ハナにはどうしても、二人だけの時に聞きたいことがあった。
「あの、聞いていいですか。あの時、闇の王が、あなたは、本当はバルラスだけじゃなくて、ヘルベベスやジェッキオまで欲しがってるって言いましたよね。それって本当のことですか」
魔王はドランの館で、ユシリスに、昔、ジェッキオが欲しいと言っていた、と言われていた。
魔王は大きく息をついて、ゆっくりと答えた。
「・・・昔、そういう野望を持っていたこともあった。ヘルベベスの騎馬隊は最強だ。闘うのではなく、俺の手に入れることができたら。バルラス一国では無理でも、ヘルベベスと手を組めばジェッキオも相手にできるかもしれない。海の国を手に入れたいと思っていた。
でも、所詮、俺の指揮していたのはバルラスの兵で、バルラスの家臣達だった。なにひとつ、自分のものではない。
俺が強くなればなるほど、バルラスの王は俺を憎んだ。実の息子の出来が悪いから余計にだと思う。
自分の兵、自分の力を手に入れたいと切に願っていた。
その欲望につけ入られたのだと思う。
だから、全てを捨ててバルラスを去ることにしたんだ。今では、そういう気持ちは制御できていると思っていた」
思っていた、と彼は言った。でも、闇の王にもう少しで本当は屈するところだったのかもしれない。あの時、ハナの命を守ろうとして、彼は踏みとどまってくれた。
「あの、王女が言っていた、妻を求めているって方も。ロディアさん、いつ帰ってくるかわからないし」
「ああ、それはな。でも、ロディアを待てる、とも思っていた」
「あの」
こういうことを言っていいものだか迷ったが、ハナはあれ以来ずっと考えていたことを口にした。
「魔王様が助かるなら、あたし、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、一晩ぐらい我慢してもいいかなって思ったりしたかもしれないんですけど、でも、あの」
「キヨミズ?」
「ええー、すっごく高いところから思い切って飛び降りる、みたいな感じです」
清水の心意気を日本人じゃない人に説明するのは難しい。
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