第九章 小麦ないと困るんですけど 其の一
第九章 小麦ないと困るんですけど
かなり歩いたような気がする。石の上を歩いているような、もっと柔らかい物のような、不思議な感触だった。
目の前は光だらけ。まぶしくて前は見えなかったけれど、つまづくこともぶつかることもなく、ただ道は続いていた。
光る入り口が見えたのとちょうど同じように、暗い出口が見えた。
出口から出るときも、入ったときと同じようにすうっとくぐれた。
暗いので、目が慣れるのに時間がかかったが、よく見ると、少し離れたところにぼうっと青白い光が数個浮いていた。
どこに来てしまったのだろう。
火の玉かなあ、と怯えながら近づいてみると、青白い光で照らされた白い人影が見えた。
近づくにつれ、白い髪、白い肌の人だとわかった。座っている。
幽霊だろうか。でも、冷たいとか、怖い感じはしなかった。
歩いているところも石の床だったが、さっきの地下牢よりはごつごつしている。時々つまづきそうになりながら、ハナはゆっくりと青白い光の方へ進んでいった。
「ヤズーさん!」
光に取り囲まれた人物はヤズーだった。ヤズーはハナが近づくのを見ても何も言わなかったが、その顔はほほえんでいた。
そして、ヤズーが座っている、その膝元に誰かが横たわっていた。
「魔王様?」
近づいてようやく顔が見えた。
眠っているのだろうか。目を閉じて動かない。
「生きてます?」
ちょっと心配になってそっと手を触ってみた。温かかった。
よかった。
傍らに座るヤズーが、優しい声で言った。
「本当の名前には力があります」
本当の名前。
アルトリス、と確か、あの時、自分が呼んだ。
「アルトリス様?」
閉じていた目がうっすらと開いた。
しばらくは薄目のままだったが、次第に力を取り戻してきた。
「ハナか!」
魔王は、力強くそう呼んで体を起こした。
「魔王様、寝てていいですよ。起こしちゃってごめんなさい。ゆっくり休んで下さい。大丈夫ですか? ベーチェット、また出ちゃってませんか?」
「大丈夫だ。今回は闇にやられただけだから」
魔王は上半身を起こすと微笑んで答えた。
「闇にやられるって、結構だめなんじゃないですか?」
「すぐドリエンが来てくれたようだし。それより、俺がいなくなってからは大丈夫だったのか。エルト人がまだ戻っていないそうだが、ハナはどうやって戻れたんだ」
魔王は思ったより元気だった。
ほっとして、ハナは一気に、それから起こったことをしゃべりまくった。エルト人が必死で守ってくれたこと、捕まって地下牢に閉じこめられたこと、岩の壁がぼうっと光って自分をここに導いてくれたこと。
そして、あの不思議な言葉。
「見えない道は同時に開く」
ヤズーが驚いた顔で言った。
「それは『隠された真実』のひとつです。岩の古老があなたにそれを?」
「岩の古老って誰ですか? 誰の姿も見ませんでしたけど。ただ、声だけが、うわーんって響いて」
考えながらゆっくりと、魔王が教えてくれた。
「岩の古老は岩小人の長老のようなものだ。彼らは人間と少し違う。岩のあるところ、彼らはどこにでも行けるようだし、どの岩小人がどこに住んでいるということでもないらしい。岩のあるところ、遍く存在する、と彼らは言っている」
「今回は声だけ聞こえたんです。でも、採掘場では姿だけ見えましたよね。どっちがほんとなんでしょう。魔王様も声だけ聞こえるって言ってたし、もしかしたら、あたしが見たのは、見えたって錯覚してただけなのかなあ」
ヤズーは答えなかったが、魔王は、わからない、と言った。
「わからないことはたくさんある」
聞きたいことはまだまだあった。
「隠された真実って何ですか? 見えない道、って、ずっと前、ヤズーさんも言ってましたよね。あたしが、助かった道も見えない道なんですか?」
ヤズーは清水のような透き通った声でゆっくりと答えた。
「わたくしたちの使う道も、岩の古老が開いた道も、おそらくあなたが初めに通ってきた道も見えない道です。ひとつ開くときにはほかの道も開きやすい。人の子に、岩の古老がそれを解き明かすとは」
そう言われて嬉しかった。もしかしたら、岩小人達は自分のことを気に入ってくれたのだろうか。
「いずれにせよ、彼らが人の子を助けることは多くありません。とても幸運なことと思ってよいでしょう」
ヤズーは、魔王はまだ、光の中に出るのは早いけれど、ハナは戻るべきだと言った。
「こんな真っ暗なとこにいて大丈夫なんですか? 暗いところは闇の力も強かったりしないんですか?」
「闇には、奪うものと与えるものがあります。それをわかっていれば、大丈夫なものです」
やっぱりヤズーの言うことはよくわからない。
「帰り道は暗いけど、大丈夫か」
魔王が心配してくれたが、ヤズーは微笑んで心配いりませんと言った。
「彼女は岩の古老に選ばれし者ですから」
帰り道は真っ暗だったが、歩く道がぼうっと光り、その光で壁も見えた。進むべきところが、少し前に光って見える。
くねくねと上下左右に折れ曲がり太くなったり細くなったりする道を行くと見慣れた階段が見えた。城の地下だ、多分。
エルシノアの城に帰ってきたんだ。
階段を上って一階に上がると、一本角のターラにばったりと会った。
「王妃様! ご無事でしたか!」
彼は大喜びして駈け寄り、手を取って涙を流してくれた。
すぐに、誰かが知らせたのか、モーラが飛んできて、温かい物を食べなければいけませんと、食堂に連れて行ってくれて、温かいスープを飲ませてくれた。
温泉にゆっくり浸かっていたら、溺れそうに眠いのに気がついた。それから部屋に帰って夢も見ずに寝た。
心配していたエルト人達も次々に帰ってきた。
みんな無事でよかった。
タリミカは、疲れてぼろぼろになっていたが、ハナを見るといきなり駆け寄って抱きしめてくれた。
「王妃様! ご無事でしたか! 私の責任です。本当に申し訳ありません」
「ありがとう、タリミカさん。ええと、いろいろあって、戻ってこれました。でも、あなたのおかげで今回、闇の王女に呪われなくて、本当に助かりました」
他の人に聞くと、タリミカは、ハナがいないことに気がついた時、半狂乱になってひとりでもバルラス宮殿に戻ると言って聞かなかったらしいが、とても無理なのでみんなで必死で止めたと。
ハナは岩の故老に助けられた話をし、魔王も岩室にこもっているが、無事なことを伝えると、エルト人達は口々に喜び合って、彼らの住居へ戻っていった。
「ドランさんは大丈夫だったんでしょうか」
ドランのことはシグドが教えてくれた。
「コリスダール伯爵家はバルラスだけでなく国の外にも純然たる影響力を持っておられますから、フォルズス様と言えども簡単に手出しできる相手ではありません。そこはわかっておられるでしょう」
そうなのか。やっぱり大物政治家ってすごいんだ。
ずっとシグドに任せていたけれども、食料の在庫を聞いてハナは再び心配になった。
戦で小麦を消費してしまったのに、ユシリスの約束の補充分はまだ届かない。ゾブルス伯からもらえるのは来年からだし、どうしても食料は足りなさそうだ。
「豚の方はどうなんですか?」
「秋になったらまた収穫しようと思っているんですが、なにせ森は広いので・・・、いくらかは狼に食べられてしまいますし」
いずれにしても、肉ばっかりでも栄養は偏る。炭水化物である小麦はやっぱり必要だ。
数日たってまたヤズーが突然、仕事中のハナの前に現れた。
「わたくしが何故来たかおわかりですか」
「あっ、魔王様、回復したんですか」
いつものパターンなのでだんだん慣れてきた。
「そうです」
そして次の瞬間には、もういなかった。これもいつものパターンなのだが、やっぱり許せない。
「まったくもーっ! 人の話、聞かないと頑固ババアになっちゃいますよっ!」
ハナはヤズーの消えたところに腹立ち紛れに叫んだが、多分聞こえていないだろう。
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