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第一章 其の二

 体の大きなその生き物は人間に似ていたが足が六本あった。

 それを聞いた途端モーラはぎょっとしたように立ち止まって振り返った。その顔は怒りで赤くなっているように見えた。

「ターラです」

 一生懸命冷静な口調を保っている、という様子でモーラはやっと答えた。

「ターラ?」

 モーラは落ち着こう、としているように大きく息をついた。

「本当に何もかもお忘れなんですね、王妃様」

「ごめんなさい」

 どうやらとてもいけないことを口にしてしまったようだ。あのモンスターは仲間なのか。仲間のことをモンスターと呼ばれたら、それは怒るだろう。

 ハナが謝ってしゅんとしていることでモーラは許す気になったようで、少し口調が優しくなった。

「人と違う姿をしている者たちをターラとお呼びになったのは魔王様です。古い言葉で『恵み』というのだ、と」

「魔王様? さっきのあの人が魔王様なんですか?」

 モーラはまた驚いたのを一生懸命押さえているように答えた。

「そうです」

「あの、魔王って悪魔とかそういうのなんですか? 強力な魔法を使ったり? 矢印みたいな尻尾とか生えてたりするんですか?」

 だとすれば、あの立派な体格も納得できる。ところが、モーラはまた怒りで赤くなった。

「私は見たことはありませんが、尻尾なんて生えてないと思います」

「ごめんなさい。あの、あたし、よくわからなくて。なんか、ここ、あたしの知ってる世界とだいぶ違うみたいなんです。何もかもわからないことだらけで」

 モーラの表情がまた少し緩んだ。どうやら辛抱強く対応する覚悟を決めたようだ。

「大丈夫です、王妃様。お食事がすまれたら、ゆっくりお休みください。シグドには私から、今日は王妃様はお休みされると伝えておきますから」

「シグドって?」

「シグドは倉番です。王妃様がお仕事をされているところの」

「お仕事? 王妃のお仕事ってどんなことするんでしょうか。書類にサインしたり、よその国の方とおつきあいしたりするんですか?」

 困ったことにまたモーラは涙ぐんでしまった。

「やっぱり本当は王妃様もそういうことを望んでいらっしゃるのですね。ごめんなさい、私たちのせいで、魔王様をこのような国に」

 ハナは慌てて否定した。

「えっ! いえ、望んでるとかじゃないです。気にしないでくださいね。ほんとに、あたし、わからないんです、王様の生活とか宮廷とか。あたし、普通の庶民なんで」

「王妃様、お優しいお言葉です」

 本当に泣き出してしまったモーラをみてハナはどうしようかとおろおろした。魔王、と呼ばれたさっきの人はどこかへ行ったきりだし、もちろん知り合いはいないし、ひとりふたり、さっきの六本足とは違う姿のターラが不思議そうに二人を見ながら通り過ぎて行ったが、もちろん、知らない人なので声をかけるわけにもいかない。

 ようやくモーラは泣きやんだが、ひとつ言うごとに誤解が生まれて大変なので、ハナはしばらく何も質問しないことに決めた。


 食堂に着き、粗末な木のテーブルと椅子の前に出されたのは茶色いパンと、ごくわずかのベーコンに豆と野菜が入ったスープ、それに水だけだった。

 これだけ?

 と、言いたいのをハナは我慢した。またモーラを泣かせてしまうに違いない。王様というからにはせめてもう少しいい食事をしていると思っていた。歴史もゲームもよくわからないが、これはあまり豊かでない農民などの食事に見える。

 でも、とにかくお腹はすいていた。

「あの、さっきの、えっと、魔王様、まだ来てないけど、あたしひとりで頂いちゃってていいんですか?」

「大丈夫です。魔王様はお忙しい方ですから。王妃様はよくおひとりでお食事をされます」

「そうなんですか。じゃあ、遠慮なくいただきます」

 スープはまあまあ美味しかったが、茶色いパンは固くてぱさぱさして少し酸っぱかった。

「ライ麦パンですか?」

「そうですが」

 モーラがまた心配そうな顔になったのでハナは慌てて取り繕った。

「あっ、いいですよねえ、ライ麦。健康に良くて。スープも野菜も豆もヘルシーだし、太らなくて理想的です」

 モーラはほっとした顔になった。

「おかわりはして頂いて結構ですよ。王妃様、しっかり食べて栄養をつけてくださいね。お世継ぎも早く産んでいただかないと」

「えっ! もしかして、ロディアさん、妊娠とかしてます?」

 怖すぎる。することもしていないのに、妊娠出産など絶対経験したくない。でも、さきほどの状況から見て、突然ハナに入れ替わってしまう前のロディアさんはすることしていたのだろう。ということは、妊娠していてもおかしくない。

 やだやだやだ。

「すみません、私が期待しているだけなんですけど。でも、王妃様も、早くお世継ぎが欲しいと言っておられましたよね? あっ、どうぞ、お気になさらず召し上がってください」

 げんなりして食欲が落ちてしまったハナにモーラが慌てて声をかけた。


 食事をするだけでとても疲れた。でも、お腹がいっぱいになると元気にはなる。ハナはついでに国の中を見せてもらうことにした。

 石造りの廊下から下の方に続く石の階段を下りていくと、下の階では造りが少し違っていた。上の階では並んでいる部屋の反対側に窓のある廊下が通っていたが、下に階では部屋と部屋は隣り合っておらず、その間に少し間があり、灯り取りの窓が開いていた。廊下には窓がない。

 通路にはいろいろな姿のターラたちがいた。目が八つある者、体が巨大な者、体が小さく耳ばかりが大きい者、腕が何本もある者。同じ姿のターラも何人かいるが、モーラのように普通の人間の姿をした者は少なかった。

「あのう、お国の人はほとんどが、ターラなんですか?」

「そうですよ。もともと、ターラたちのために魔王様が作られたのがエルシノアなんです」

 モーラは誇らしげに胸を張った。

「国とか作っちゃったんだ。すごいですねえ」

 ハナが誉めるとモーラはとても嬉しそうな顔になった。

「農地の様子も見られますか?」

「はい。ぜひお願いします」

 こうなったら、とことん夢の中を探索してみるもいいかもしれない。多分、目が覚めたらいつもの日常で、憂鬱だけど試験当日なのだろう。本当は寝坊しないで早起きしてもう少し勉強するつもりだったけど、こんな夢を見るということは相当疲れているのだろう。遅刻だけしなければ、なんとかなる、といいな。


 ハナはモーラに連れられて、城の外の農地を見たり、人々の家を見学したりした。家はずっと小さいけれどほとんどが石と木でできていて、中は八畳ほどの部屋のほか物置がある程度で、そこに何人もの家族が暮らしているという。

 農地には豆や、ハナにはよくわからないキャベツのような野菜や、ライ麦、と教えられた穀物などがあったが、国そのものがとても狭く、農村ほど だった。国の周りはほとんどが高い山で囲まれ、中程に川が流れている盆地の地形だった。なんとなく日本の山間部を思い出す。

 

 「そういえば、王妃様、お風呂は使われますか?」

 一通り見学を終えて城に戻るとモーラが思い出したように尋ねた。

「えっ? お風呂あるんですか? やったあ。ぜひお願いします」

 あまりに貧しいので、お風呂など期待していなかった。中世頃の生活はよく知らないけど、ガスも電気もなさそうなのでお風呂はきっと大変だからたまにしか入らないのかも、と思っていた。

 石の廊下をくねくねと通ってモーラは木の扉のひとつを開けた。

 驚いたことに、扉を開けると向こう側に壁がなく、ちょうど露天風呂のような温泉が作られていた。

「すごい。もしかして本物の温泉ですか? こんなの城の中にあるなんて贅沢ですねえ」

「ええ。城の中にも外にも温泉はたくさんありますよ。ここは川の水を引き込んでちょうどいい温度になるようにしてありますから、いつでも入れます。この部屋は魔王様と王妃様の専用ですから、気兼ねなくお使いください」

 すごい、と思ったが、気になることがある。

「ちょっと待ってください。魔王様も、ってことは、あの人、いきなり入って来ちゃったりしないですよね?」

 モーラは何故そんなことを尋ねるのかわからないという顔をしている。

「あの、それ、困るんです。あたし、今はロディアさんの姿をしてるみたいだけどほんとはハナって言うんです。全然、魔王様の奥さんじゃないし、その・・・、男の人がお風呂に入って来ちゃったりしたら絶対嫌っていうか」

 モーラは、また今朝のように困った顔に戻ってしまった。

「でも・・・王妃様はもう結婚なさって一年にもなります」

「でも、嫌ーー! お願いします。あたしが入ってる間、誰も入らないようにできませんか?」

 モーラはまだ口の中でもごもご言っていた。魔王様に命令されたら彼女は逆らえないのかもしれない。残念ながらお風呂はあきらめるか、と思った頃、ようやくモーラは顔を赤くしながら答えた。

「わかりました。王妃様がそれほどお望みなら、頑張ってみます。

「うう、すみません、モーラさん。ありがとうございます」

 モーラは嬉しそうにハナの手を両手で包むように握った。

「私は王妃様の味方です。悩みがあったら何でも話してくださいね」

 ハナはモーラに何度もお礼を言ってようやく温泉に入ることにした。でも、ロディアがハナだと理解したというよりは夫婦喧嘩をしているとでも思っているようだ。


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