第七章 ヘルベベス戦 其の一
第七章 ヘルベベス戦
戦の準備でエルシノアは急に騒がしくなった。
まず整えなければいけないのが武具と兵糧だった。
小麦で保存食の堅いパンを焼くので、いつもと消費量が違う。
体の大きい怖そうなエルト人も頻繁に出入りするようになった。
「あたしはなにをすればいいんでしょう、モーラさん。パンも焼けないし、あんまり役に立たないのが申し訳ないんですけど」
「そうですね。王妃様は薬草を準備したりなさってはいかがでしょう。戦となると必ず怪我人が出ますから」
そうか。怪我人か。
薬草についてはハナよりも、国のみんなの方がよく知っていた。
エルシノアの森では二、三種類の薬草が採れるということで、それを集めて携帯用に乾燥させる。使うときはお湯で煎じたり潰して使うということだった。
倉番の仕事はシグドに任せてハナもみんなに混じって森に出て、教えてもらいながら薬草を集めた。
「お役に立てないかもしれないけど、怪我人の看護について行こうかと思うんです」
ハナが言うと魔王は驚いて、
「いや、危険だ。ロディアでも戦に行くとは言わなかったぞ」
と言ったが、
「いえ、切ったり刺したりじゃなくて、怪我人病人の手当ですってば」
と説明した。まさか、まだ、剣術ができるとか思っていないだろうし。
詳しく聞くと、戦闘に参加しないターラ達も、食料の運搬や野営地の準備、怪我人の看護や後始末のために何人かついていくとのことなので、十分安全な場所まで、ということでハナもついて行くことを許された。
ハナとターラ達の護衛のためにエルト人のタリミカという女戦士を紹介された。
タリミカは体の大きい、見るからに強そうな女だった。ハナのいる世界だったらレスリングか柔道でオリンピックに出られそうだ。年の頃はモーラとハナの間ぐらいだろうか。
「よろしくお願いします」
ハナの挨拶にタリミカは厳しい顔のまま軽く頭を下げた。
「この私が後方部隊におかれるのは初めてです。よほど王妃様のことがご心配なのでしょうね」
つっけんどんな物言いは怒っているように見える。
「すみません、足手まといで」
小さい声で謝ったが、気にしないでください、と冷たく言われた。
なんだか幸先が悪い。
ハナ達は、デナメル川と呼ばれる川の支流の近くに野営地を設けた。バルラスの東部で、ユシリスの直轄領地の中だそうだ。簡単なテントのようなもので、一応屋根状の布がある。
魔王は南の情勢を見てから来るということで、少し前からいなかった。補助隊のターラ達とタリミカ、そしてハナもここで一泊して次の日から戦闘を見に行くとのことだ。そして怪我人の看護もここですることになるらしい。
エルト兵達は、少し離れた場所で待機している。エルト兵が来るとヘルベベスに知られないためだという。
次の日の朝、ハナはタリミカについて戦場となる場所が見える小高い丘の上に行った。
出発前に例によって火打ち石のカチカチをやると、タリミカが何をやっているのだと呆れた顔で見ていたので、気まずくてさっさと隠した。
丘の上からは、バルラス兵の野営地が草原の西側に見える。
東の方、遠く離れた大河のほとりに点々とヘルベベスの野営地が見える。こちらのような一時的な野営地と違って、騎馬民族はそこに日常的に住んでいるそうだ。
バルラス軍が砂煙を上げて歩兵を進める姿をタリミカは丘の上に立ってじっと見ていた。
魔王は騎馬隊を、とユシリスに求めていたのに騎馬隊がいない。どうしたのだろうと思っているとタリミカが言った。
「編隊が違いますね。どうしたのでしょう」
「やっぱりそうですか? 騎馬隊、いるって言ってましたよね」
「そうです。ヘルベベス相手に歩兵ばかりなど、無駄に兵を死なせるだけです。もちろん、バルラスにヘルベベスに対抗できる十分な騎馬隊がいないことはわかっていますが、ある程度はこちらも騎馬で応戦しなければ相手になりません。
それに、大弓隊の配備の場所がおかしいです。大弓隊はせめて歩兵の後に置くべきです」
さすが女戦士とはいえ戦況に詳しい。ハナには全くわからないが、どうも魔王の意図していた戦と違うようだ。
やがてヘルベベスの方からも騎馬隊が出てきた。こちらは魔王の言っていた通り全員が騎馬だ。
ヘルベベスの騎馬隊は最強だと魔王が言っていたのがなんとなくわかる。滑らかに歩を進めるその動きは、いかにも馬の扱いに慣れていそうだ。
タリミカの言うとおり、バルラスの兵士達が死んでしまうのだろうか。あまり残酷な状況は見たくない。
双方がまだ睨み合っているうちに魔王がハナ達のいる丘に黒馬で到着した。魔王は着くなりタリミカに短く尋ねた。
「騎馬兵はどうした。何が起こったんだ」
「わかりません。フォルズス殿が干渉でもしたのでしょうか」
タリミカが答えると、ちっと魔王は小さく舌を鳴らした。
「あの馬鹿が、自分で軍を動かしたこともないくせに」
馬から降りた魔王がひゅーっと空に向かって口笛を吹くと、一羽のハヤブサが大空から飛んできた。魔王は片腕にマントを巻きつけてそこにハヤブサを止まらせた。
魔王が何事かを鳥にむかって囁くと、ハヤブサはまた空へと飛び立った。
しばらくすると、バサバサと大きな羽音が聞こえてきた。しかもたくさん。
巨大な茶色い鳥が何十羽も空から舞い降りてきて、魔王の前の地面に羽をたたんだ。鳥の背中には人間に似た者達が一羽にひとりずつ乗っている。小柄で、肌の色は浅黒く目がぎょろりと大きく、とても痩せている。
「もしかして鳥人ですか?」
ハナが小さい声で聞くとタリミカはそうです、とうなずいた。
鳥人達は鳥の背から降りて魔王の前に一斉にひざまずいた。
魔王は立ったまま、鳥人たちに、ハナにはわからない言葉で鋭く何事か命令した。
聞くと鳥人は、前から順に、また次から次へと大空に飛び立っていった。
「エルト兵達に伝令を出す。予定を早めて今すぐ出陣させる。伝令はもうひとりいるか。やって欲しいことがある」
「ナリオン兄弟が控えております」
魔王はほっとしたように言った。
「そうか。では、ニディスはエルト兵の方に。ドルディスには俺が話してくる」
そう言うと魔王は足早に向こうに行ってしまった。
草原ではバルラス兵とヘルベベスが衝突を始めていた。
草原の緑が血濡れている。
もうもうと上がる砂埃の中、怒号や悲鳴、馬のいななきが聞こえてくる。
あの気の弱そうなユシリスがあの中のどこかにいるのかもしれないと思うとハナは気が気ではなかった。それとも、大将は危険のないところに控えているのだろうか。
あまり見たくないのでハナは後ろの方に引っ込んでターラ達と暗く黙り込んでいた。
「王妃様、見てください。わが君の戦が始まりました」
タリミカが嬉しそうにハナに声をかけてきた。
タリミカには嫌われていると思っていたが、そうではないのがやっとわかった。彼女は前線に出たかったのだ。それが、後方にやられて憤懣やるかたなしというところだったのだろう。
あんまりタリミカが嬉しそうなので、ハナは好奇心に駆られて丘の上から戦況を見てみた。
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