第六章 其の三
「お待ちください、陛下!」
騒ぎ声と、ドタドタという複数の足音がした。
どうしたのだろうと、立ち上がる間もなく、いきなりドアが開いた。
ばん、と勢いよく開いたドアから出てきたのは、まぎれもないフォルズスだった。
はあはあ息をついて汗をだらだら流している。
絶対メタボだ、この人。
魔王は一番広いところは肩幅だが、フォルズスの腹の幅はその二倍ぐらいありそうだ。
「あっ、どうぞ、兄上」
ユシリスが、さっと立ち上がりフォルズスに椅子を勧めた。
ハナも急いで、自分用にもらって、まだ口をつけていなかった水を勧めた。しかし、フォルズスは杯を思い切り振り払った。
「こんなもの、飲めるか! おまえ、魔王の妻という赤毛の女だな。毒薬を飲まそうとしてもそうはいかないぞ」
「あのー、あなたが来るなんて全く予想してませんでしたよ。そんなタイミング良く毒なんか準備できるわけないじゃないですか」
「うるさい!」
またフォルズスに怒鳴りつけられた。
「余計なお世話で申し訳ないですけど、汗かいたらちゃんと水分取った方がいいですよ。脳梗塞とか起こして、いきなり倒れちゃいますよ」
ユシリスは、椅子を勧めたまま立ち尽くしていたが、魔王は相変わらずふんぞりかえってハナとフォルズスのやりとりをにやにやして見ていた。
「ユシリス、こんな奴とはもう会うなと言っておいただろう。何を呪われるかわかったものじゃないぞ」
どすん、と椅子に腰を下ろしてフォルズスはユシリスに鋭い目を向けた。
「あの、対ヘルベベス戦に関して教えていただいていただいていました。アルシス殿は経験豊富だから」
おずおずとユシリスは答えた。さっきまで呼んでいた、兄上、でなくアルシス殿と言ったあたり、遠慮が見られる。
魔王は長椅子に大きくもたれかかって、気怠そうにフォルズスに目を向けた。
「ヘルベベスの騎馬隊を甘く見るな。認めたくはないが、奴らは最強だ。バルラスでは農民の男は戦わないが、ヘルベベスの男は老人と子供以外すべてが戦士だ。俺は国を去るまでほぼ毎年奴らと渡り合ってきた。俺がいた頃、おまえは一度もヘルベベス戦に出ていなかったが、その後、一度でも奴らと馬上で槍を合わせたことがあるのか」
「くっ・・・、あのような蛮族の相手になど、この私が出るまでもないわ。腰抜けめ」
「それでは、おまえは相変わらず自分で戦を知ることもなく勝手に無謀な命令だけ出しているだけということだな」
はっとフォルズスは身を乗り出した。
「読めたぞ! おまえ、ユシリスをそそのかしてこの機に乗じててバルラスを乗っ取る計画だな。ユシリス、目を覚ませ。魔物の仲間になるつもりか」
「相変わらず馬鹿だな。バルラスを乗っ取るつもりなら、とっくにやっていた。王位を奪うなら王が死んだ直後に、何度も一緒に戦ってきた信頼のおける兵士たちを使った方が、あとから寄せ集めの兵士を使うよりずっと楽だ。そんなこともわからず、よく戦の計画など立てられるものだな」
「うるさい! 黙れ! 汚らわしい魔物の落とし胤め」
「俺の父はソリディオミロファロス家の正当な跡取りだ」
「なにがソリディオミロファロスだ。悪名高いエルトの魔王だろうが」
急に魔王は体を起こして、きっとフォルズスを睨みつけた。
途端に今までの勢いを失って、フォルズスは押し黙って目を伏せた。
「呪い殺すつもりなのだな・・・。父上を呪い殺したように、その邪眼で、俺も殺そうと・・・」
フォルズスが大人しくなったので、魔王は息をついて、また長いすにもたれかかった。
「おまえの父親の死因は、ただの落馬事故だ。しかも俺が戦地にいてバルラスを離れているときだった。残念だがな」
「おまえは・・・、どこの馬の骨だかわからないおまえを情け深くも養ってやった恩を忘れて父上を恨んでいた。いつもそうだった。昔から、俺を・・・みんなを騙して自分ばかり偉そうな顔をして・・・」
「その代償にバルラスの国土を随分広げてやったものだ。おまえが無能だから最近は元通りになってきているらしいがな」
「うるさい! 私が一生懸命整えようとしているのに、国民の心が乱れているのは、おまえがこんな近くに魔物の国を作ったからだ。あそこはバルラスの領土だ!」
「違う。森は魔物の領域、と、昔から誰も手出しはしなかった場所だ。俺がそこを国に選んだのは、魔物達が俺を慕っているからだ」
フォルズスは椅子に腰掛けたまま、ずるずると身を引いた。
「くっ・・・、魔物であることを否定すらしなくなるとは・・・。しかし、その傲慢もいつまで続くか。覚えていろ」
フォルズスは精一杯、威厳を保つようにゆっくりと立ち上がり、おろおろする家臣達を従えて堂々と部屋を出た。
「あのー、もうちょっと体重落とした方がいいですよー。糖尿病とか高血圧になっちゃいますよ」
ハナはそうっと声をかけてドアのところまで見送った。
震えながら帰ろうとしていたフォルズスは階段を踏み外して、一番上からどどどと滑り落ちた。
「大丈夫ですか?」
「うるさい! 一刻も早くこの国を出て行け!」
結構元気そうな声が返ってきて、フォルズスはおしりをさすりながら立ち上がって出ていった。
「おしりがクッションになって大丈夫だったみたいです。太ってるといいこともあるんですね」
ハナの報告に魔王は声をたてて笑い、ドランも笑いをかみ殺していた。ユシリスだけは困ったような顔をして、まだ立ち尽くしていた。
「ほんと、むっちゃくちゃ仲が悪いんですねえ。いくつなんですか? あの人」
「俺より半年ぐらい生まれが早いはずだから二十七かそこらだ」
「うーん、そろそろいろいろ病気が出てくる年ですよねえ。三十前であんなに太ってるのはやばいです。エルシノアのライ麦とか食べさせてあげたいです。ライ麦の方が健康にいいし」
「ハナは、あんな奴の心配もしてやるのか」
魔王は呆れたように言った。
「あたしが口出しするようなことじゃないですけど、なんかもうちょっと平和的に解決できるといいですよね」
ドランが、それを聞いて、なにも言わなかったがうなずいた。
ユシリスは、フォルズスがいなくなったのでもう一度椅子に座り、魔王がヘルベベス戦に協力してくれる謝礼として、自分の領地から小麦一千エデュートを出す、と約束してくれた。
「一千エデュートですかあ」
思わずうっとりと答えてしまった。これで、冬になっても余裕でしのげそうだ。
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