第六章 其の二
午後になって訪れたユシリスは魔王にもフォルズスにも、あまり似ていなかった。
フォルズスよりは暗い金髪と深い青い目、甘くて繊細な顔だちは現代日本に来ても人気が出そうだ。最近、外国人ばっかり見ていたけど、日本人の理想の外人男性ってこんな感じかも、とハナは密かに憧れた。
「ご無沙汰しております、兄上」
ユシリスは背は高いが、どことなく線が細く、魔王よりかなり若そうだ。ドランにこっそり聞くと、十八歳になったばかりだそうだ。
「縁談が出てるそうだな。おめでとう」
魔王は、ドランの館の応接室の一番大きな椅子にゆったりと腰掛けてユシリスを迎えた。
「ありがとうございます。まだ、輿入れの日は決まっていないのですが」
ユシリスは魔王の向かい側の椅子に腰掛け、空いている椅子にドランとハナも座った。
「ところで、ヘルベベスを撃つことでフォルズスから何をもらうことになってるんだ」
単刀直入に魔王が尋ねた。
「いいえ、そういう話は何も」
「ちゃんと詰めておけ。戦は仕事だ。兵を無駄にするな」
はい、とユシリスは真面目に答えた。
「本当は、ヘルベベスなんぞ撃ってもたいして得にはならない。おまえの領土は東のサンデル地方だろう。俺が去ってからカミオデルやレジアンの領主がろくに年貢を納めないそうじゃないか。そっちを先に押さえた方がよっぽど金になる。フォルズスにはそう言ったのか」
「いいえ」
ユシリスは消え入りそうな声でうつむく。
魔王は小さくため息をついた。
「まあいい。フォルズスはヘルベベスを殲滅しろ、と言ったんだな。聞いたかもしれないが殲滅は無理だ。諦めろ」
「はい」
ユシリスは何も逆らわない。ハナから見ても心配になるほど気が弱いようだ。
「ジェッキオですら、毎年ヘルベベスには悩まされている。奴らには領土という概念がない。追えば草原をどこまでも逃げていくだけだ。そしてまた忘れた頃に略奪に来る。
ヘルベベスは、バルラスに略奪に来ると痛い目に会う、とわからせる程度に叩いておけばいいんだ。
そういう話は東の辺境のゾブルス伯に話してあるんだがな。おまえが出ていかなくても、別に困らないんじゃないか」
「ゾブルス伯は、バルラスに反旗を翻しました。今は独立領土です」
ドランが口を添えた。
魔王はまた軽くため息をついた。
「言ったように殲滅は無理だが、北方からエルト軍を出そう。エルト軍が来るとはヘルベベスは予想しないだろうから勝ち目は十分ある。天候と兵糧に気をつけるんだぞ。事前に地形をよく調べておくのを忘れるな。伏兵を隠す森や茂みや実際の凹凸を自分の目で見ておけ。その際、ゴルタルド将軍かヤルヌス将軍を連れて行け。経験豊富だから何を実際に見るべきかわかるはずだ。
本当は騎馬隊千と言いたいところだが、今のバルラスにそれほどの余裕はないだろう。だが、今の季節はヘルベベスは全部族がこのあたりにいる。騎馬は五百、歩兵二千は欲しいところだ」
「はい。ありがとうございます。首都の守りはどうすればいいですか」
一生懸命考えているようにユシリスが尋ねた。
「首都の守りは薄くていい。北に俺がいるし、西のハルシアとは今のところうまくいっている。念のため、外交を頼んでおこう。相互不可侵条約を更新すればいい。問題は南だ。ぐずぐずしているとすぐジェッキオが攻め込んでくる」
魔王は地図を指さした。
「ジェッキオからこちらを攻めるにしても、こちらから行くにしても、山間部にあるベリダシルを抜けて攻めるのはすごくやりにくい。だからメトドラの要塞が要所になるんだ。
もし、俺がジェッキオを攻めるとしたらやはりベリダシルは通らず、メトドラを押さえてから行く」
「兄上は昔、ジェッキオがほしいと言っておられましたね」
ユシリスの言葉に、魔王は一瞬手を止めた。
「昔のことだ。過ぎた欲望は身を滅ぼす」
「メトドラはまだバルラスが押さえてるんだろうな、去年、俺がメトドラを落としてから」
「えっ? 魔王様がメトドラを攻め落としたんですか? どうして? バルラスの領土じゃないんですか?」
ずっと聞いていたハナはよくわからなくて思わず口を挟んだ。
「メトドラか。あそこは小麦が欲しくて要請されるままに落とした。バルラスから小麦八百エデュートという約束で」
「八百エデュート!」
それだけあれば、エルシノアの半年分の食料になる。
魔王様、農業はできないけど、戦争は強いと言っていた。仕事の話って、これのことだったのか。
この時代、戦争はお金になる仕事なんだ。
「メトドラをバルラスが握っていることでビルドラ領とリューズル領の辺りがジェッキオに襲われない。そこからの年貢が十分入るはずだから、八百など安い方だ」
「リューズルは兄上の初めの奥方がいらしたところですよね」
一瞬また、魔王の手が止まった。
「・・・どこから聞いた」
「すみません」
ユシリスは少し赤くなって小さな声で謝った。
「リューズル公は女君主だ。その女の今の亭主が名目上のリューズルの当主だが、あれから続いているんだな」
「あれからって、もしかしてその人が魔王様と別れてからってことですか? 魔王様、この若さでバツイチ・・・えーと、再婚者なんですね」
つい、突っ込んでしまったハナにドランが囁いた。
「三回目です」
「やるう」
また睨まれた。
「なんで別れちゃったんですか」
「まあ、そもそも俺の勘違いだったって言うか人を見る目がなかったというか。
おまえも敵地で自分から言い寄ってくる女には気をつけろ。ほとんどは本心ではないし罠かもしれない。下手すると命を落とすことにもなりかねない」
魔王はユシリスの方を見て続けた。
「魔王様にも、誘惑に負けてやられちゃった時代があったんですねえ。若気の至りってやつですか」
つい、言ってしまったら、その場がしーんとしてしまった。
どうしよう、と焦っていると、ドランがゆっくりと口を挟んだ。
「若い頃はいろいろあるものですよ。いいことも悪いことも」
「ドランさんもいろいろあったんですか。今はこんなに落ち着いていらっしゃるのに」
「もちろんですよ。いろいろあればこそ、人生は豊かになるというものです」
深い皺の中に輝く瞳がにっこりと微笑んで、その場が和んだ。ドランがいてくれてよかった、とハナは心で感謝した。
話題は、最近フォルズスが手に入れた聖剣についての話に移った。
「本物のギルティスなのか? エルトの魔王ディウロスを倒したという?」
驚いた顔で魔王が尋ねた。
「フォルズス様は、アルシス様の魔剣を打ち破るのだと言っておられるそうですが・・・」
「シェンドリルのことか」
魔王はちらっと自分の腰に帯いている長剣に目をやった。
「かっこいい名前があるんですね」
ハナも魔王の剣に目をとめた。
そういえば、普段、魔王は国では剣を持ち歩いていない。柄の部分に美しい赤い宝石がはまった豪華な剣だった。
「ああ・・・。エルト人達が俺のために隠し持ってくれていた、ソリディオミロファロス家の家宝だ。血なまぐさい歴史がある。魔剣は罪の多い流血を好む。この石も昔はこれほど赤くなかったけれど、血を吸う度に赤くなってきたのだと」
ユシリスがおずおずと尋ねた。
「あの・・・、兄上の本当のお父上はエルトの魔王だったと小耳に挟みました。本当なのでしょうか」
「そうだ」
魔王はあっさりと答えた。
ドランが先を続けた。
「本物のギルティスかどうか、真偽のほどは明らかではありません。なんでも、グィドル派の魔法使いから手に入れたとか。怪しいといえば十分怪しいと思われます。グィドル派の魔法使いは闇の力に通じているとの噂があり、リカルディ、ハルシアでは出入り禁止にしているということですから」
「しかし、あのデブの母方の血筋には古ゲラルデュインの王族がいる。勇者グラヴェリオンは最後にはゲラルデュインで姿を消している。全く否定もできない」
その時、ドアの外で騒ぎが聞こえた。
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