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第四章 其の三

 ヤズーは穏やかな顔で答えた。怖がることはないように見える。

 ようやく、ずっと待っていたセイアン人に会えた。ハナは一生懸命、自分の身に起こったことを話し、どうやったら元の世界に戻れるのか尋ねてみた。

 ヤズーは聞き終わると澄んだ声で答えた。

「わたくしは初めて見ましたが、『転移』という現象が起こっているのではないでしょうか」

「転移? なんですか? それ」

「生まれ変わり、とも少し違います。体はそのままで意識だけ、ほかの世界に飛んでしまう、ということのようです」

「架空の世界にってことですか?」

「架空?」

 ヤズーは明らかに不愉快な顔をした。

「架空とは失礼でしょう。私たちから見ればあなたの世界の方が架空です」

「え、そんなこと、ないですよ。だって、ちゃんと歴史があって、みんながいろいろ調査して、過去はこんな風だったって証明されてて・・・」

「わたくしたちの世界にも歴史がありますし、過去は証明されています」

 憮然ぶぜんとしてヤズーは答える。わけがわからなくなってきた。でも、ここはひとまず、折れておくことにした。

「あなた達の世界を架空って呼んだことは謝ります。それで、あの、どうやったら元の世界に戻れるんですか?」

 ヤズーは少し機嫌を直したらしく、また穏やかな顔に戻った。

おさならもう少しご存じかもしれません」

「じゃあ、その、長っていう人に会うこと、できませんか?」

「長はご自分が会う必要のない者にはお会いになりません」

「でも、あたし、戻れないと困るんです。このままじゃ、日本のあたしは留年しちゃうし、そうすると、一年、学費もよけいに掛かるし・・・」

 一生懸命ハナは訴えたが、ヤズーはあっけらかんと答えた。

「それほど困らないと思いますよ。男性にとって女性は外見が全てですから、妻の中身が入れ替わったとしてもそれほど変わりはありませんよ」

 なんて男目線な言い方なのだろう。

「いえ、魔王様じゃなくて、あたしの方が困るんですってば」

 こんなに一生懸命訴えているのにヤズーは全く動じることもなく、

「それでは」

 と言って、一瞬にしてかき消えてしまった。


 「消えた」

 呆然とヤズーの消えたところを見つめているハナにシグドが慰めるように声をかけた。

「あれがセイアン人という者です」

 魔法というものは初めて見た。とても印象が悪い。

「シグドさん、あたしもセイアン人嫌いかも。どうしたらいいのか全然わからないし。ヤズーさん、ずっと待ってたのに、ショックです」

「お気持ち、お察しいたします。セイアン人などに、あまり期待をしてはいけません。自分の興味のあることにしか手出しをしないやからですから。ここに来てくれただけでも滅多にないぐらい、いい方だと思いますよ」

 そうなのか。あれで、いい方ならば悪い方はどんなだろう。

 唯一の頼みの綱だったヤズーが役に立ってくれなかったので、ハナはがっくりして、なんだか一気に疲れが出てしまった。

 魔王も調子が悪そうだし、すべて、あの、闇の王女という魔物のせいだ。やっぱり魔物というのは嫌な存在なのだ。カルストルがセイアン人や魔物を嫌っていた気持ち、今ならわかる。


 倉番の仕事は、ハナがやったりやらなかったりしていても、シグドが完璧にやってくれることが、だんだんわかってきた。シグドは性格的に無理も無駄もなく、淡々とするべきことをこなす。

 こういう人って、面白味はないけど、現実、強いなと思う。

 だから、ハナはいなくてもいいかもしれないのだが、彼らによると、王妃がいるだけで、苦情が減るということだ。ロディアという人は怖いのかもしれない。

 でも、ターラは、だいたいが、みんないい人だった。魔王の言うとおり普通の人間よりも善良だというのもわかってきた。

 ハナのすることはあんまりなかったが、村の病気の子供の看病ぐらいはなんとかできた。

 この夏は下痢が流行っていた。よく聞くと、みんな川の水をそのまま飲んでいたので、沸かしてから飲むように言って回った。


 何日か経ったが、まだ魔王は戻ってきていない。

 ある日、カルストルと一緒にバルラスのドランという人が来ていると呼ばれた。

 カルストルのお友達だから美青年なのではと、わくわくしながら部屋に入ったハナはちょっとがっかりした。

 ドランはおじさんだった。初老の紳士と呼ぶべきだろうか。

 ハナが部屋に入ると、ドランはうやうやしく頭を下げた。

「ご無沙汰いたしております、王妃様」

「あっ、あのー、どうも」 

 慌てて頭を下げたが、敬語なんて使い慣れてないので間抜けな受け答えをしてしまった。

 品のいい凛とした立ち姿。いかめしく表情の読めない顔つきはベテランの政治家を思わせた。外国人なのでよくわからないが三十年ぐらいさかのぼれば美青年だったのかもしれない。

 椅子にかけたままのカルストルは、笑って、久しぶり、と声をかけた後、ドランにも椅子を勧めた。

「ドラン・コリスダール伯だよ。もとバルラスの宰相だったんだけど、今は・・・」

「解雇されております」

 ゆっくりとした丁寧な口調でドランが続けた。表情が読めない。クビになってるってことは、大変なんじゃないかと思うけど、あまり困っているようには見えない。むしろ、嬉しそうにも聞こえるが、無表情なので全然わからない、

「コリスダール伯はね、昔、大変優秀な外交官で、今のバルラスが隣国ハルシアとうまくいっているのも、ほとんどがこの方の活躍のおかげなんだそうだ」

「時の運がございましたから」

 きちんとした深い声はとても感じがよかった。


 魔王が岩室に籠もっていることはふたりとも知っていた。

「大変ですよね、難病で」

 ハナが言うとドランが驚いたような顔で尋ねた。

「昔、浴びた毒が吹き出ているのではないのですか」

「昔、浴びた毒って何ですか。魔王様もそう言っていたんですけど」

 ドランは、なかなか話したがらなかった。

「ご存じないのなら、その方がよろしいでしょう。私どももできれば忘れたい、忌まわしい過去です」

 でも気になる、とハナがそわそわしていると、カルストルが助け船を出してくれた。

「コリスダール伯、この人はまだロディアとしてしばらく生きていかないといけないかもしれません。いつまで続くのかわかりませんけど。明日かもしれないし、何十年も続くかもしれない。ロディアの知っていることは話してあげようと思っています」

 何十年か! 

 もし、そんなことになったら、留年どころじゃないし、ロディアさんの方にしたってお世継ぎが、という問題になってきてしまってとんでもない。

 また、どよんと暗くなってしまったハナにドランは衝撃的な話をしてくれた。


 バルラスの前の国王は、妾の連れ子だったアルシスを魔物の子と忌み嫌っていた。子供だったアルシスを何度も殺そうとして毒を盛ったり、高いところから落としたり、袋詰めにして川に投げ込んだりと、虐待を越えるほどの仕打ちをしてきた。 

「溺れ死ぬところだったアルシス様を助けたのが、賤谷しずたにに住むターラ達でした。それから、アルシス様はターラに、深く感謝されるようになったのです。この国を作られたのも、しいたげられているターラ達を守りたいと」

「そうだったんですね。魔王様、ターラ達のこと、とても大切にしているし、国の人も、みんな魔王様、好きってこと、よくわかります。辛い過去があっても、人に優しくなれて、ほんとにすごいと思ってます」

 ドランはほっとしたようにうなずいた。

「ロディア様がいらっしゃらないと伺って、実は心配しておりましたが、ハナ様はアルシス様のことを、そんな風に思ってくださっているのですね。安心しました」

「えっ、いえ、あたしなんかじゃ、ロディアさんの代わりにならないですけど」

 慌てて否定したが、カルストルが笑って言った。

「大丈夫。ハナの方がロディアより優しいから」

 そうなのか。兄というのは結構辛辣なものだ。 

「実は、アルシス様がずっとこのように苦しまれているのは、私ども家臣一同が幼いアルシス様をお守りできなかった為ではと、気に病んでおりました。ご病気ならば、昔のことは関係ないのですね」

「そうですよ、ドランさん。病気のことは、魔王様が悪いわけでも、その、虐待した王様が悪いわけでもないです。そりゃ、虐待はかわいそうだったけど・・・」

 ドランはため息混じりに答えた。

「はい。なんとかお心の傷を癒して差し上げたいとは存じておりますが・・・。しかし、未だフォルズス様とアルシス様の間の葛藤は解決してございません。板挟みになっているユシリス様もお気の毒です」


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読んでくださってありがとうございます。


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