第四章 其の二
魔王が服をめくりあげようと手をかけたので、ハナは慌ててしっかり目をつぶって両手で顔を覆った。
「見ません! 見せないで下さいっ! もーっ!」
「そんなに怒らなくてもいいのに・・・。悪いところは全部見たいのかと思った」
確かに魔王の言うとおり、本当は全部見ないといけないんだろうけど。医者になって「嫌だから見ません」は通らないだろうが、まだ、プロの医者じゃないし。
「えー、それは極めて、そうなんですけど・・・、未婚の女子には刺激が強すぎるので、また今度。・・・じゃなくって、今度も見せなくていいですからっ! ご自分で見といて下さい。大事な所の皮がべろーんってめくれてて痛かったらベーチェット病です」
魔王は苦笑したが、ハナの前で見ようとしなかったのは紳士的と言えるのかもしれない。
でも、わかったからといって、この世界には薬がないからなにもできない。ベーチェットの治療はステロイドとか抗炎症薬とか書いてあった。あるわけがない。
「すみません。言うだけ言ってなんにもできなくて」
しゅんとするハナに魔王は柔らかく答えた。
「大丈夫だ。いつも、ヤズーが来て薬を煎じてくれる」
「あっ、薬師って言ってましたよね。薬草とか漢方薬みたいなものなんですね。よかった」
そういえば、教科書の片隅に漢方薬治療もあると書いてあった気がする。
しかし、ヤズーと言えば、ずっと待っていたのに今まで音沙汰がなかった。ハナが、ちらりとそう言うと、魔王はすまなそうに謝ってくれた。
「ハナにヤズーのことを話すのを忘れていた。エリューの言うには、配下の鳥人に、西はヨリデュインから東はキルカラスまで隈なく探させたということだが、ひとりもセイアン人は見なかったそうだ。セイアン人は求めているときは来ないとみんなが言うが本当だな。俺がこうなる時は必ず来てくれるんだが」
「セイアン人っていうから、セイアンにいるんじゃないんですか?」
魔王は階段から立ち上がった。
「そうか。ハナは知らないんだな。セイアンは何百年も前に滅びている。でも、セイアン人は他の国に住もうとしないし、他の国の人間と結婚もしないらしいから、純粋なセイアン人はまだたくさん生き残って各地に散っているらしい。ただ、どこにいるのか、俺も知らない。誰もどこに住んでいるか知らないと言う」
変な人たちだ。やっぱり、カルストルの言うとおり、セイアン人は信用できない人たちなのだろうか。
「ヤズーが来たらおまえにも会うように言っておく」
魔王が階段をまた、降り始めたので、ハナは急いでついて降りた。
「あの、魔王様。ベーチェット病って、ストレスとか寒さとかで悪くなるそうなんです。もしかして昨日闇の王女からあたしを守ってくれたことが原因じゃないですか?」
ハナが死にそうになったあの威力だ。魔王はその本物の邪眼を真正面から睨みつけて王女を追い払ってくれた。王女が来る前も去った後も、凍るように寒かった。
「気にするな。昔からこうだ」
相変わらず片足を庇うように階段を降りながら彼は答えた。
「ベーチェットって日本でも難病指定の病気ですから」
死ぬこともあるんです、と言おうとしたけれど、言えなかった。口に出すことで、万が一にでも本当になってしまうのが怖かった。ただ、心配で、何かできることはないかと、ついて降りていった。
一階より下に続く階段の先は暗かった。地下なのだろう、窓からの光が届いていない。
「ここからは岩小人の領域だから来ない方がいい。俺は岩室に行くから帰りが一人になる。真っ暗だから、ハナには見えないだろう」
岩小人の領域に迂闊に近づくな、と前に言われていた。岩小人が怒るとどうなるのか、よくわからない上に真っ暗で先が見えない。
心配で仕方ないけれどハナは魔王を階段の上で見送った。
「魔王様、口の中、清潔にしてくださいね。嗽とか、ちゃんとしてくださいね」
「口の中を」
「黴菌入るとますます悪くなるんです。気をつけて」
「ありがとう、ハナ」
黴菌と言ってわかったかどうかわからないがなんとなく、お互いわからないでも、会話する癖がついてきていた。馬と話ができるってのもこういうことなのかなあと思いながら、もう暗闇に見えなくなった魔王を、神様どうかお守り下さいと祈っていた。魔物だから、祈る相手は神様じゃないのかもしれないが。
その日、ハナがシグドと一緒に仕事をしていると、突然、後ろから初めて聞く声がした。
「わたくしをお呼びとか。何のご用でしょうか」
驚いて振り向くと、そこには髪も眉毛も睫毛も白い、一人の女が立っていた。瞳の色は白に近い灰色だった。真っ白な髪なのに顔は若い。あどけないと言ってもいいぐらいだ。
「セイアン人です」
シグドが鋭く囁いて警戒するように一歩下がった。
「あの、ヤズーさんですか?」
「そうです」
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