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第四章 魔王様、それ、ベーチェット病です 其の一

第四章 魔王様、それ、ベーチェット病です


 「おはようございます、王妃様」

 何度目かのノックの音でようやく目が覚めた。もうすっかり明るい。時計はないけど、だいぶ寝過ごしてしまったのだろうか。

 昨日あんなことがあったせいで、まだ眠い。ずっと寝ていたいぐらいだが、モーラが元気に声をかけてくれるので、ようやくハナはドアのところまで体をひきずっていた。

「おはようごらいまふ。魔王様、お元気ですか?」

 ハナが寝ぼけ声で尋ねるとモーラは、

「もうご存じなんですか? 今朝からまた、岩室いわむろにいらっしゃると、私はさっき、初めて聞いたんですけど」

 と驚いた顔をした。

「岩室? いいえ、なんにも聞いてないです。あのう、夕べ、あの人ってわかりますか、闇の王女。あの人来て大変だったんで、魔王様、大丈夫かなって」

 その名前を聞くと、モーラはこれほど嫌なものはない、という顔をして一気に言った。

「また来たんですか、あの女。性懲りもなく。いつになったら魔王様を諦めるんでしょうかね」

 しかし、言ってしまった後、急に怯えるように周りを見回した。

「いえ、その・・・、多分、今は明るいから、この近くにはいないと思うんですけど・・・」

「モーラさんも怖い目にあったことがあるんですか?」  

 モーラは、とんでもない、というように首を振った。

「いいえ、私などには・・・。あの女は魔王様をつけ狙ってますから。王妃様が危ないとは、よく魔王様、心配しておられましたけれど・・・大丈夫でしたか?」

「ええっと、その、結構危なかったです。魔王様、来てくれたから助かりましたけど。でも、あたしをかばって、王女と真正面から対決してくれたから・・・」

 急にモーラは、ひしっとハナの体を抱きしめた。温かくて柔らかい。ハナの母親はこういう愛情表現をしたことはなかったが、お母さんというのはこうであろうという理想のような温かさだった。

「王妃様、よくご無事で・・・。よかったです。よかったです、ほんとに・・・」

「あ、ありがとうございます。もう大丈夫なんですよ、あたしは。それより、魔王様は? 岩室って何なんですか?」

 モーラはやっと体を離すと心配そうに答えた。

「ああ、そうですね。王妃様お忘れなんですね。魔王様、時々こうなられるんです。昔、浴びた毒が吹き出すのだとか。そうなると、お一人で地下の岩室に籠もられて治るのを待つんだそうです」

「昔、浴びた毒?」

 思いっきりハナは疑った。そんな話は聞いたことがない。毒というのは、確かに昔からあるんだろうけど、毒の作用はその時、効くか、後遺症として残るかのどちらかだと思っていた。少なくとも吹き出すというのはどういうことなのかわからない。

「それで、魔王様は今どこに?」

「探してはだめなことになっています。触ってはいけないと。うつるんだそうです」

「うつる? 毒が?」

 モーラに否定してもしょうがないが、ますます変な話だ。もし本当にうつるとしたら、それは毒ではなく感染症なのではないだろうか。


 モーラには止められたが、どうしても気になってハナは魔王を探した。

 わりとすぐ、彼は見つかった。下に向かう階段を降りている彼の歩き方は痛々しいものだった。片足が明らかに歩きにくそうだ。

「魔王様、大丈夫ですか?」

「触るな!」

 駆け寄ろうとしたらいきなり大声で怒鳴られたので、ハナはびっくりして思わず足を止めた。

「・・・魔王様、不必要に声でかいです。怖かったです」

 魔王はちょっとすまなそうに振り返った。

「悪かった。おまえが危ないから俺に触るな」

「昨日は大丈夫だったのに」

「触るとうつる。俺のことは放っておけ。ひとりで大丈夫だ」

 何気なく彼の顔を見たハナははっと気づいた。首筋から顎にかけてぶつぶつと発疹が出ている。白目の部分が充血している。これは。

「あっ、わかった! ベーチェット病!」

 結節けっせつ性紅斑こうはんよう皮疹、ブドウ膜炎及び虹彩炎のための虹彩萎縮による虹彩異色症。大関節に起こる関節炎。症状が出そろう。初めて魔王の目を見てから、ずっと気になっていた病名がようやく出てきてすっきりした。

「・・・何? ベーチェ・・・?」

「ベーチェット病じゃないですか? あ、そうか、知らないですよね・・・。あんまり有名な病気じゃないし。あの、皮膚のぶつぶつとか、目の充血とか」

 魔王はさっぱりわからないという顔をしている。無理はない。ハナの医学部以外の友達だって多分知らない。

「とにかく、それ、うつりませんよ。大丈夫です」

 ハナがあまりにきっぱり言うので魔王の方が唖然とした

「ベーチェット、うつらないんです。ぶつぶつあるからうつりそうな顔してるけどうつらないんです」

 魔王はまだ、受け入れられないという顔をしている。

「あの、歩きにくそうですけど、もしかして足が痛いですか?」

「・・・膝に魔物が取り付いている。歩けなくなる前に岩室に行かなくては」

「ひとりで大丈夫ですか? 誰か呼びます?」

「大丈夫だ。小さい者達もついてくる」

「小さい者達って?」

「魔物たちだ。そこに」

 言われて魔王の指さすところを見てみたがもちろん見えない。彼にはハナの見えないものが見えるのかもしれないが、どうも気になって尋ねてみた。

「魔王様、それって飛蚊ひぶん症じゃないですか?」

「何? ヒブン?」

「あのー、目の前にゴミみたいなのが見えるっていう症状なんですけど」

 聞くと魔王は不快な顔をした。

「ハナ、いくら魔物でもゴミ扱いするのは失礼だ」

「いや、いいんですけど、魔物でも。でも、日本では、みんな魔物が見えるって言って病院行かないですから」

 そんなこと言って眼科にかかったら、精神科に行って下さいと言われるだろう、多分。

「魔王様、そっちの目って見えてます?」

「なぜわかる。ロディアにも話したことはないのに。・・・完全に見えないわけじゃないが右に比べて少し見えにくい」

「邪眼って言ってるけどそれ、生まれつきじゃないですよね。今までに同じような症状を何度も繰り返してませんか? 目の症状が強かった後に、瞳の色が変わったってこと、ないですか?」

「ハナはどうして、そんなに俺の身に起こっていることがわかる。ハナは邪眼に詳しいのか?」

「うーん、違うんですけど」

 邪眼の専門家が日本にいるとは思えない。

「よかったら、膝、見せてもらえませんか」

 魔王は嫌がることもなく階段に腰をかけてズボン状の服の裾を上げた。やはり膝関節が腫れている。

「ベーチェット病の関節炎って、指とか小関節じゃなくて大きい関節が腫れるのが特徴なんだそうです。痛いですよね。それから、口の中とか。痛みがあるぶつぶつができてませんか?」

「口の中も見るのか」

「あ、嫌ならいいですけど」

 結局、口の中も見せてもらった。白っぽい小さい潰瘍ができている。

「こういうのも全部、その、ベーチェットという病気のせいだっていうのか?」

「そうです。あと陰部潰瘍も」

「見るか?」



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読んでくださってありがとうございます。

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