第三章 其の四
もしかしたら、それは言いたくない話だったのかもしれない。聞いてしまって悪かったのかもしれない。
「俺は父の顔を知らない。つい最近まで本当の父が誰だかも知らなかった。知らない方がよかったと思う。
ロディアから魔王の治世がどんなに酷いものだったかを聞いた。毎月毎月、満月の夜に罪なき者の犠牲の血を捧げなければならない。捧げるのは幼い子供か若い女だ。逆らう者には残酷な処罰が下される。今、口に出して言いたくないほどむごいものだ。そんな者が自分の本当の父だと知った時はさすがに参った・・・。
でも、これはす俺の受け継いだ命運だ。ソリディオミロファロス王家の家督と共に」
魔王が数本薪をくべ、木の皮で扇いで風を送った。薪が燃え上がり、火はますます明るく温かくなった。
「えっと、ソリ・・・?」
外国人に慣れないハナには難しすぎる名前だった。
「ソリディオ・ミロ・ファロス。太陽神ファロスの息子、という意味の名だ。ソリディオミロファロス家は最も古い王家だ。リカルディのルドファース家も古いと言うが、ソリディオミロファロス家はリカルディ人がイズルフォルの森に移住するずっと前からその地を治めていた。まあ、つまらん争いだが・・・」
魔王が暖炉の側の椅子に腰を下ろしたのでハナもベッドに座った。
なんと言葉をかけていいかわからなかった。ずっと知らなくて育っていても、きっと自分の父は素晴らしい人に違いないと信じていられれば希望が持てる。でも、その希望を打ち砕かれてしまったら。
「俺が生まれたときには、エルトという国は、もうなかった。父を倒したのはリカルディのグラヴェリオンという者だった。民は本来、闇の者よりも正しい者に従いたいものだ。グラヴェリオンは今では伝説の英雄だ。今のリカルディ王、トーランドの従兄弟にあたる。その後、彼は羽人の乙女と結婚し、その娘が今のリカルディ王子の妻フレイリアだ。グラヴェリオンはゲラルデュインの竜退治に荷担したというが、その後の消息は不明だ。魔王を倒した聖剣ギルティスも行方不明のままだ」
国がなかった。人口一億二千万人の日本に住んでいるハナにはぴんとこない。
「それなら魔王様は、どこで生まれたんですか? バルラス?」
いや、と魔王は首を振った。
「俺は森の中で生まれた。多分、五、六歳頃まで森に住んでいた。母と、母を守るエルト人達と。誰も父の話も国の話もしなかったし、自分達は生まれながらの森の民だと思っていた。バルラスに行ったのはその後だ。母がバルラスの前王の妾になったから」
「あっ、それで・・・」
魔王はバルラスの王と血の繋がりがないから遺産も領地ももらえなかったとカルストルが言っていた。言っては悪いと思ったので、ハナは言葉を切った。
「自分がエルト人だということも、ずっと知らなかった。解き明かしてくれたのはロディアだったんだ。去年のことだ。
ちょっとしたきっかけで、森に散っていたエルト人達が、俺が邪眼のアルシスだと知り、俺がエルト最後の王だと告げてくれた。彼女がそのきっかけを作ってくれた。エルト人達とは、母がバルラスの王宮に入ってからは連絡が無くなっていたが、ずっと俺が大人になるのを待っていたそうだ。バルラスにいる間は関わることができなかったと言っていた。今はエルシノアの南の森に住んでいる。本当はエルトを復興したいらしいが、リカルディがあれだけ強大になってしまった今ではもう無理だ」
魔王は顔を火の方に向けたまま穏やかに続けた。国を作ったりして、すごい人だと思っていたけど、こんな過酷な過去があった人だったとは。
「ロディアさんは知らないで結婚したんですか? 魔王様のお父様のこと」
彼は横顔でうなずいた。
「そう。アルシスだということは名乗っていたが、領土も遺産も何もないことは話した。毎年、国民が餓死しないかが最大の悩みであるほど貧乏だとも話したら、自分も鍬鍬を持って畑を耕す、と言ってくれた。実際には俺も耕したことはない。農業のことは何も知らなかった。魔王であっても王子であっても生きていくのには何の役にも立たない。どこに畑を作ったらいい作物が採れるとか、どの土地で金になる物が取れるか知っている方がよっぽど役に立つ」
自嘲気味に魔王は言った。
「でも・・・、あの、鉄鉱石取れるみたいだし、温泉あったら観光名所になれるかも」
ハナは一生懸命言ったつもりだったが、魔王は首を振った。
「俺はターラ達を守りたい。魔物達のことも。人間が大勢住むところでは彼らは暮らせない。食料に代えられる金は必要だが、そのために彼らの住まいが脅かされるようでは本末転倒だ」
「そうか。難しいんですね・・・」
「今のところ、ロディアが持参金代わりに持ってきてくれた宝石類にはまだ手をつけずに済んでいるが、他所に住んでいるエルト人達もこちらに来たいと言っているし頭の痛いところだ」
あっ、とハナは初めて理解した。
「そうか。ロディアさん、宝石をどっさり持ってきたのは魔王様のためなんですね。自分の為じゃなくて。うーん、妻の鑑みたいな人ですねえ。そりゃ、闇の王女様、つけいる隙もないですよ」
一瞬、幸せそうな笑みがその口元に浮かんだがすぐ消えた。
「あの女も、ここしばらく姿を見せなかったんだがな。俺のどこかに隙があったのかもしれない。支配欲とか情欲とか、そういう暗い欲望に彼らは寄ってくるんだ」
「あっ、もしかして、魔王様、ロディアさんがいなくて欲求不満なんですね? ごめんなさい。また、あたしのせいで」
「余計なお世話だ」
ふん、と魔王は鼻で笑った。
「食欲だって性欲だってなければ人間は生きていけないじゃないか。どんな人間も、魔の部分を持っている。強いか弱いかだけの違いだ」
魔王は椅子を動かして、また薪を数本投げ込んだ。
「それにしても、あの人、若くて強くて美しい男専門なんて芸能人か女社長みたいですね」
「え?」
ついまた、魔王にわからないことを言ってしまった。
「いや、えっと王女っていうよりも女王様みたいだな、と思って」
「命あるものではないから、年齢の感覚はないのだろう。俺の父が魔王になったのも、王女と契ったのか闇の王と契約したのかどちらなのか、よくわからない。あるいは両方なのかもしれない」
「えっと、契ったとすると・・・浮気? 魔王様のお母様は別にいらしたわけなんですよね」
「父は魔王になる前に母を森に逃がしたそうだ。落ち着いたら迎えに行くと約束した、と言っていたが、結局そのままエルトと一緒に滅んだんだそうだ」
「うう、なんて悲しい」
魔王は涙ぐんだハナを優しい目で見つめた。
「ハナ、嘆かなくていい。父は自分のしたことの報いを受けただけだ。母は・・・可哀想だったが、今も生きている。何が母にとって幸せなのかわからないが、少なくとも今は、そう不幸ではない。と思う」
魔王は、立ち上がり、あと数本薪を投げ込んだ。
「今夜は大事にした方がいい。なにかあったら、また呼んでいい。おやすみ」
出口のところで、もう一度ハナに温かい笑顔を投げかけて、魔王はドアを閉めて出て行った。
こんなに複雑な悲しい過去を持っている人だとは思わなかった。それでも、あんなに人に優しくなれるんだ。闇の王女に正面から向き合ってハナを守ってくれた時は怖いほどの気迫だった。いい人なのか悪い人なのかわからない、とカルストルが言っていた。本当の魔物なんだ。でも、魔物であるということは、そんなに悪いことなのだろうか。
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