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第三章 其の三

 望み? 望みがある? 望みがないってことは、死んじゃうってこと? 死ぬ、と考えても涙も出ない。このまま死んでいってしまうのが当然のように思えた。生きようという希望も何も湧きあがってこない。体も動かなくて声も出せない。息をしているのかどうかもわからないが、息をしたいとも、もう思えない。

「ハナ、思い出してみろ。欲しいものとか、したいこととか会いたい人とか」

 望み・・・そういうことか。

「おう・・・かえ・・・い」

 ようやく声が出た。包んでくれている魔王の手からだんだんと温かみが広がってくる。

「・・・おうちに帰りたいです」

「そうか。そうだな」

 優しい声が答えた。

「留年したくない」

 魔王がふっと笑った。

「ハナは医者になることが本当に大切なんだな」

「だって・・・だって留年したくないですよ。今まで黙ってたけど、あたし、クラスの中ではほとんどビリに近いんです。医学部入るのって、他より難しくて、入ったときには、そんなに自分、だめじゃないんじゃないかって思ったんだけど、入ってみたら、全然ついていけなくて。毎年留年しそうだし。みんなすごいできるし。情けないです。

 これでも、努力はしてるんです。それしかできないし、才能とかないし。できる人は、ほんのちょっとやるだけで、簡単にできちゃうんですよね。あたしが徹夜で勉強してるっていうのに、直前にちょっと教科書読んだだけで全部覚わっちゃう人とかいて、どうしてあたし、こんなとこ、来ちゃったんだろうって。間違ったとこ来ちゃったと思うけど、もう後戻りできないんで頑張るしかないです」

「そうか」

「あたし、松谷先生みたいなお医者さんになりたいんです。小さい頃、喘息持ちで、風邪ひいたりするとすぐ息ができなくなって。家でも吸入するんですけど、ひどくなるとすぐ病院。松谷先生、夜中でも電話すると診療所開けてくれて絶対診てくれて。いつも忙しそうなのに、いつも優しくて。でも、子供さんいなくて跡継ぐ人がなくて、ハナちゃん、小児科医になるかって言われて、絶対なりますって、約束したんです。・・・もう、先生、亡くなっちゃったけど・・・」

 今まで誰にも言えなくてずっと貯まっていた気持ちが、せきを切るように溢れて出てきた。どうして、こんな関係ないところで関係ない人相手にしゃべってるんだろう。病院とか喘息とか言っても、きっと、全くわかってもらえない違いないのに、彼はただ優しく聞いてくれた。

 一気にしゃべり終えるとハナはふうーっと長い息をついた。

「ごめんなさい、関係ない愚痴いっぱいきかせてしまって」

「みんなそれぞれ悩みは抱えているものだ。望みがあってよかった」

 ほっとしたように魔王は言った。

「魔王様、ありがとうございます。変な話だけど、死んじゃうかと思いました。目が合っただけなのに」

 情けない、と思われるかな、と思ったが魔王は真面目な声で言った。

「あれが本物のの邪眼というものだ。目が合っただけと言うが、見つめるということには魔力がある。本当に死ぬこともあるんだ」

 目が合っただけで死ぬ。ハナの生きている世界では考えられない。人に話したところで迷信だと言われるのが落ちだろう。あの冷たさ怖さは経験した者でなければわからない。

「魔王様、よくあの目を真正面から睨みつけて大丈夫でしたよね」

 思い出しただけで体が震えそうになる。

「俺は魔物だと言っただろう。闇の力に抵抗するには普通の人間は光に近すぎる」

 闇の恐ろしさ、と魔王は言っていた。こういうことだったのか。優しいだけじゃないんだ。いくらいい人に見えても、この人はれっきとした魔物の仲間なんだ。

「あの、魔王様、さっき望みはあるかって聞きましたよね。死ぬかと思うぐらい絶望してた感じなんですけど、したいこととか会いたい人とか考えたらいろいろ思い出してきて。そしたら少しずつ動けるようになって、しゃべれるようになって。望みって力があるんですね」

「そうだ。闇の中では愛と望みが最も力になる」

 そういうと魔王はようやくハナの手を離した。温かい手が離れても、もう寒くはなかった。

 「光が必要だな」

 魔王は壁の方に歩いていったように思えた。

「魔王様、そういえば、こないだもらった火打ち石があります」

 思い出してハナは言った。確かベッドの横の台の上に置いてある。気に入って時々輝きを楽しんでいたのだ。

「ああ」

 魔王は暗闇で苦もなく火打ち石を見つけ、カチカチっと火花を飛ばした。飛んだ火花は、暖炉の乾いた木の皮に燃え移り、魔王はそこに細い枝を燃やし、続いて薪をくべて火を燃え上がらせた。

 真っ暗な部屋の中に闇を打ち払うような光がともった。火のぱちぱちとはぜる音と周りで揺らぐ温かい空気の流れが、部屋の隅々にまだ残っていた闇の残骸を追い払った。

 魔王の左側の横顔の金色の瞳に炎が写うつりこんでいる。黒い髪がかかるその瞳は狼の眼のようだと思った。

「すまない」

 ぽつり、と聞こえるか聞こえないほどの声で魔王が言った。

「魔王様、謝ることじゃないですよ。だって、あの人が勝手に来たんでしょ?」

 燃える火がハナの体をだんだんと温かくしてきていた。

「あの女がやって来るのは俺の中に闇の力があるからだ。俺が生きている限り、魔のものとのつながりは切れない。ロディアには注意してあったんだが、ハナとは一緒に寝ていないから大丈夫かと思った。油断したのは俺の責任だ」

「あの人、魔王様と結婚したいんですか? ごめんなさい。会話聞こえちゃって」

 魔王は軽く首を振って気にしていない様子を見せた。

「闇の王女と契るか闇の王と契約を結ぶと本物の魔王になる。そうすると強大な闇の力で支配することができる。俺の本当の父がそうしたように」

「本当のお父様が、本物の魔王だったんですか・・・?」



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読んでくださってありがとうございます。


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