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第三章 其の二

 ふん、と女の声は小さく鼻を鳴らした。

「それで、あのむすめはどこにいるのです。まさか、もう実家に帰ったのではないでしょうね」

「いや、今は・・・この城の別の場所にいる。少し体調が優れない。たいしたことではないが」

 また、高笑いが聞こえた。

「ほほほ・・・ただの小娘に魔王となるべきあなたの妻が務まると考える方が浅はかなのです」

 鈴の鳴るような美しい声だったが、どこまでも冷たくぞっとするような響きがある。

 怖い。今までずっと彼は優しかったけど、やっぱりカルストルの言うように、本物の魔物の仲間なのだろうか。

 あまりにもぴったり窓に体をつけすぎて、つい窓を押してしまったようだ。ガタン、と突っかい棒が外れて下に落ちた。

 しまった、と思った時には、さあっと隣の部屋の空気が変わったのが感じられた。

「そこにおったか!」

 突然、ハナの部屋のドアが開いた。さっきの女の声と共に、氷そのもののような冷気が流れ込んできた。

 驚いてドアの方を見ると、部屋は真っ暗なのに、浮かび上がったように女の姿がはっきり見えた。

 ハリウッド女優級の美人、と思った。黒い髪に灰色の瞳。夜空のような真っ黒なドレス。でも、それは輝く黒ではなく、どこまでも光を吸収する闇のような黒だった。

 ハナは女から目が離せなかった。見ようと思っているわけではない。怖くて目をらしたいのにどうしても逸らせない。視界の中で灰色の瞳がどんどん大きくなっていく。目で見ているのかイメージなのかよくわからない。何もかも吸い取りつくすような灰色の瞳が目の前にどんどん広がって、ついに見えているのは完全な円の形の瞳だけになった。瞬き一つする余裕もなく、それ以外のことを考えることもできなかった。

 冷たい。体全体が冷たくて冷たくて苦しい。寒いというより体の芯から凍りついていくように感じた。息ができない。体が動かない。このまま心臓が止まって死んでしまうのかもしれない。それでも、目を逸らすことはできなかった。命そのものが、灰色の瞳に吸い取られていくように思えた。

 子供の時、喘息の発作を起こしたことが何度かあった。息ができなくて本当に死んでしまうのかもしれないと心配した。その恐怖が急に蘇ってきた。心細くて怖くて、闇に呑まれてしまいそうだった。

 誰か。助けて。

 その時、突然、雷のような大声が部屋に響いた。

「彼女は関係ない。手出しをするな!」

 始まったときと同じように急に寒さが途切れ、灰色の瞳が視界からなくなった。

 暗闇にぼんやりと人影が見えた。魔王が、王女とハナの間に立ちふさがっている。

 体はまだ動かないが、芯からどんどん凍っていくような冷たさは止まった感じがする。でも、視線は逸らすことができないでいた。ハナが見つめているのは多分魔王の後ろ姿だ。

 二人とも長いこと黙っていた。沈黙を破ったのは王女の方だった。魔王の向こう側だったが、王女がゆっくりと長いドレスの裾を引いてきびすを返すのが見えた。

「わかりました。時間をあげましょう。あなたはまだ若く強く美しい。けれども、時の流れには気をつけなさい。いつまでも若いと思って油断していると、手に入るものも手に入らなくなりますよ」

 ほほ、とまた王女は笑いながら、妖艶な笑みを浮かべてゆっくりと去って、ドアから出て行った。


 ハナはまだ動けないでいた。声も出せない。まるで氷に閉じこめらているように、目は見えるし耳も聞こえるけど何も発信できない。このままゆっくりと中から凍りついてしまうように思えた。

 「ハナ、大丈夫か」

 王女が去ると真っ暗闇が残った。何も見えない中、温かい人の気配が近づいてきたのを感じた。魔王はこの暗さでも見えるのだろうか。ハナの手を温かく大きな手が包んだ。包まれた手の先から徐々に冷たさが薄れていく。

「ハナ、望みはあるか?」

 とても優しく、彼は尋ねた。


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読んでくださってありがとうございます。

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